コンテンツにスキップ

「正岡大介」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
27行目: 27行目:
[[9月13日]]、DEP第16戦にて[[小杉研太]]とのタッグで[[木藤裕次|YUJI KITO]]&[[柴山貴哉]]を破り、初代DEP無差別級タッグ王者になった。
[[9月13日]]、DEP第16戦にて[[小杉研太]]とのタッグで[[木藤裕次|YUJI KITO]]&[[柴山貴哉]]を破り、初代DEP無差別級タッグ王者になった。


[[12月31日]]、[[後楽園ホール]]にて行われた[[プロレスサミット]]に出場。セミファイナルの6人タッグに抜擢されるも自らフォールを奪われてしまった。
[[12月31日]]、[[後楽園ホール]]にて開催された[[プロレスサミット]]に出場。セミファイナルの6人タッグに抜擢されるも自らフォールを奪われてしまった。


[[2009年]]、[[大日本プロレス]]、[[D-DASH]]、BOYS、[[666 (プロレス)|666]]等他団体へも積極的に参戦している。
[[2009年]]、[[大日本プロレス]]、[[D-DASH]]、BOYS、[[666 (プロレス)|暗黒プロレス組織666]]等他団体へも積極的に参戦している。


[[6月9日]]に開催されたD-DASHのウルトラマンティス・ブラック戦にて試合中にヒジを負傷し欠場していたが、[[9月6日]]、DEP[[アイ・モール三好]]大会で復帰した。
[[6月9日]]D-DASHのウルトラマンティス・ブラック戦にて試合中にヒジを負傷し欠場していたが、[[9月6日]]、DEP[[アイ・モール三好]]大会で復帰した。


[[2010年]]10月、DEP旗揚げ4周年記念興行にて、12月をもってプロレスラーを引退することを発表。[[12月19日]]、中スポーツセンターにて引退興行が開催された。今後は競艇選手になることを目標としていくと語った。
[[2010年]]10月、DEP旗揚げ4周年記念興行にて、12月をもってプロレスラーを引退することを発表。[[12月19日]]、中スポーツセンターにて引退興行が開催された。今後は競艇選手になることを目標としていくと語った。
37行目: 37行目:
[[2012年]]12月、競艇選手の夢は叶わず、フリーとしてにプロレス復帰。
[[2012年]]12月、競艇選手の夢は叶わず、フリーとしてにプロレス復帰。


[[2013年]]、[[道頓堀プロレス]]を中心にK-DOJOVKFFREEDOMSなどとインディー団体にも参戦。
[[2013年]]、[[道頓堀プロレス]]を中心にK-DOJO、[[VFK|VKFプロレス]]、[[プロレスリングFREEDOMS]]などとインディー団体にも参戦。


[[2014年]][[1月8日]]、FREEDOMSに入団<ref>[http://ameblo.jp/heartline-tetsuo/entry-11746045977.html 正岡大介選手が、プロレスリングFREEDOMSに入団。。。] 天通王(てつお)のブログ 2014年1月8日</ref>。なお、入団後もフリー時代に参戦していた[[道頓堀プロレス]]には継続参戦し[[大日本プロレス]]大阪大会にも時折参戦している。また、[[デスマッチ]]戦線にも加わって活動している。
[[2014年]][[1月8日]]、FREEDOMSに入団<ref>[http://ameblo.jp/heartline-tetsuo/entry-11746045977.html 正岡大介選手が、プロレスリングFREEDOMSに入団。。。] 天通王(てつお)のブログ 2014年1月8日</ref>。なお、入団後もフリー時代に参戦していた道頓堀プロレスには継続参戦し[[大日本プロレス]]大阪大会にも時折参戦している。また、[[デスマッチ]]戦線にも加わって活動している。


[[2016年]]5月2日、[[KING of FREEDOM WORLD選手権|KING of FREEDOM WORLD王座]]の第6代王者決定戦で[[葛西純]]と対戦し敗北。しかし同年12月26日の同王座戦で[[ビオレント・ジャック]]を破りベルト獲得した。
[[2016年]]5月2日、[[KING of FREEDOM WORLD選手権|KING of FREEDOM WORLD王座]]の第6代王者決定戦で[[葛西純]]と対戦し敗北。しかし同年12月26日の同王座戦で[[ビオレント・ジャック]]を破りベルト獲得した。

2019年9月26日 (木) 16:36時点における版

正岡 大介
Daisuke Masaoka
正岡 大介 Daisuke Masaokaの画像
プロフィール
リングネーム 正岡 大介
本名 正岡 大介
ニックネーム デスマッチジャンキー
身長 168cm
体重 70Kg
誕生日 (1983-10-10) 1983年10月10日(40歳)
出身地 愛媛県今治市
所属 プロレスリングFREEDOMS
トレーナー ディック東郷
デビュー 2004年11月7日
テンプレートを表示

正岡 大介(まさおか だいすけ、1983年10月10日 - )は、日本プロレスラー

来歴

2004年11月7日東海プロレスレインボーホール第2競技場大会の対根本薫戦でデビュー。

2006年6月、DEPに移籍。

2008年4月27日KAIENTAI DOJO刈谷市産業振興センターあいおいホール大会に参戦して房総ボーイ雷斗の持つUWA世界ミドル級王座に挑戦して敗れる。

9月13日、DEP第16戦にて小杉研太とのタッグでYUJI KITO&柴山貴哉を破り、初代DEP無差別級タッグ王者になった。

12月31日後楽園ホールにて開催されたプロレスサミットに出場。セミファイナルの6人タッグに抜擢されるも自らフォールを奪われてしまった。

2009年大日本プロレスD-DASH、BOYS、暗黒プロレス組織666等他団体へも積極的に参戦している。

6月9日、D-DASHの対ウルトラマンティス・ブラック戦にて試合中にヒジを負傷して欠場していたが、9月6日、DEPアイ・モール三好大会で復帰した。

2010年10月、DEP旗揚げ4周年記念興行にて、12月をもってプロレスラーを引退することを発表。12月19日、中スポーツセンターにて引退興行が開催された。今後は競艇選手になることを目標としていくと語った。

2012年12月、競艇選手の夢は叶わず、フリーとしてにプロレス復帰。

2013年道頓堀プロレスを中心にK-DOJO、VKFプロレスプロレスリングFREEDOMSなどとインディー団体にも参戦。

2014年1月8日、FREEDOMSに入団[1]。なお、入団後もフリー時代に参戦していた道頓堀プロレスには継続参戦して大日本プロレス大阪大会にも時折参戦している。また、デスマッチ戦線にも加わって活動している。

2016年5月2日、KING of FREEDOM WORLD王座の第6代王者決定戦で葛西純と対戦し敗北。しかし同年12月26日の同王座戦でビオレント・ジャックを破りベルト獲得した。

2017年8月27日、後楽園ホール大会では、KING of FREEDOM WORLD王座の防衛戦を行い、ミエド・エクストレモと対戦。エクストレモと頭突き合戦を行い、途中蛍光灯束を抱えたままコーナーからのスパニッシュフライを繰り出し、最後は乾山テーブルへのスパニッシュフライで3カウント。記録は19分22秒で片エビ固め。試合後、正岡は「ミエド、俺はアイツに惚れた。なんでこんなにやりたいと思う相手が目の前からいなくなるんだよ。何度でも何度でもやりたい、組んだっていい。ダムズまた来いよ」と、この試合を持って帰国となるエクストレモは「ササキサン、ワンチャンス、モウイッカイ、オネガイシマス」と、それぞれ再戦を所望した[2]

得意技

ムーンサルトプレス
ロクーラ改
コーナー最上段からジャンプしながら両膝を突き出すように両膝を折り畳み、突き出した両膝を立っている相手の顔面目掛けて叩き込む。
ダイナスター
WA4と同型。
DK
ランニングダブルニーアタックと同型。仰向けになった相手の上半身を引き起こして尻餅をつかせた状態にして相手と距離をとって助走してジャンプしながら両膝を突き出すように両膝を折り畳み、突き出した両膝を相手の顔面目掛けて叩き込む。
トランスレイヴ

タイトル歴

脚注

  1. ^ 正岡大介選手が、プロレスリングFREEDOMSに入団。。。 天通王(てつお)のブログ 2014年1月8日
  2. ^ 週刊プロレス 2017年9月13日号 pp.125.

外部リンク