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「CNNデイウォッチ」の版間の差分

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*[[小田原敏]]
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*[[仲條亮子]]
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*[[清水國明]] - 1988年4月時点では土曜日担当
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*[[坂本明美]] - 男性、1991年時点では日曜日担当
*[[坂本明美]] - 男性、1991年時点では日曜日担当

2019年11月4日 (月) 05:04時点における版

CNNデイウォッチ』(シーエヌエヌ デイウォッチ)は、1984年から1993年までテレビ朝日系列で深夜に放送されていたニュース番組である。

番組概要、スタートの経緯

1984年にテレビ朝日関連の番組制作会社・日本ケーブルテレビジョン (JCTV) により、アメリカで急成長していた24時間ニュース専門局・CNNが日本へ24時間衛星伝送されるようになり、その素材を基にして数多くのニュースから日本人が日本人の視点で選択したニュースを、日本語翻訳のダイジェストとして生放送で伝えた。

番組名となった『CNN Daywatch 』は、アメリカ本土で実際にあったタイトルで(1984年頃-1992年)、現地時間(米国東部標準時(EST))9時から12時に放送されていた。この時間枠は1993年から『CNN Morning News 』、『Live This Morning (Live Today) 』、『CNN Newsroom 』に変遷している。

一般的な「ニュース番組」とは違い、この番組のキャスターは、様々な本業を持った人物が担当しており、担当した司会者(キャスター)の多くが後に有名になっている(特に秋葉・武見・首藤・伊藤は後に政界に転出した)。

シンセサイザーのイントロが印象的な、オープニングに使用されていた楽曲はOMDの「エノラ・ゲイの悲劇(Enola Gay)」。なお1992年から番組終了時までは浅倉大介の「LANDING TIMEMACHINE」が使用された。

エンディングは彩恵津子の「エヴァーラスティング・ドリーム」のほか、設楽りさ子の「マージナル」、安全地帯の「Juliet」、浜田麻里「MAGIC 〜Adventurous Heart〜」も使われた。

テレビ朝日でのCNN関連番組はこのほかに、10分間でコンパクトに伝える『CNNヘッドライン』、早朝の『おはよう!CNN』、『CNNデイブレイク』などもあった。

在京テレビ局は在米のテレビ局と素材についての使用協定を結んでいるが、テレビ朝日は3大ネットワークとではなく、このCNNと協定を結んでいる。これらの「CNN関連番組群」は、CNNから入電する様々なニュースを通常のニュース番組とは別に紹介するためにスタートしている。

主な出演者

この他、ゲストが編集長兼キャスターを務める形で出演した。1984年7月14日放送ではビートたけし、土曜日以外では1984年10月14日放送では嵐山光三郎、1985年3月13日放送では永六輔が出演した[2]

放送時間

番組開始当初
月曜 - 木曜 0:30 - 1:30(生放送)
金曜 午前1時台 - 2時台にかけて1時間生放送
土曜・日曜 午前2時台に30分生放送
1987年 - 1990年ごろ
月曜 - 金曜 1:30ごろに30分生放送(『PRE★STAGE』を中断する形。実質的に枠の縮小)
土曜・日曜 変わらず
その後
月曜 - 金曜については『CNNヘッドライン』のみとなる。

番組ネット局

番組雑記・エピソード

  • 初代プロデューサーは長英太郎。長はワシントン支局長時代、日本に初めてCNNを紹介した。
  • 本番組を含めた「CNN関連番組群」は、当初JCTVが制作の主導権を持っていたこともあり、番組の制作スタジオもJCTV社内に設けられることとなった[3]。このオープンスタジオは1987年10月の『CNNヘッドライン』開始に伴い、運用開始後初めてとなる大幅なセットチェンジとフロアレイアウトの変更が行われた後、1988年10月改編をメドとして、当時のテレビ朝日アーク放送センター1階にあったNスタジオへ集約された(同様に「CNN関連番組群」の制作フロアもJCTV社内からアーク放送センター地下1階へ移動している)。
  • 番組開始当初の関東地区における筆頭スポンサーは三洋証券。当時は証券会社が深夜番組へ提供するケースが皆無に近かったことから、証券業界では注目を集めた。
  • スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故(現地時間1986年1月28日)の際、この番組内で打ち上げの模様を日本国内の地上波民放では唯一衛星生中継していたことから、事故の一部始終も生中継で伝えることとなった。この時のキャスターは武見敬三久和ひとみで、のちに久和は著書『私はニュースキャスター』(岩波ジュニア新書、絶版)で、「「えっ、スペースシャトルの打ち上げはこんな物だったっけ」というのが私の率直な感想でした。」と事故発生当時の反応が記し、事故当時のスタジオ内の状況も記した。それによると、それまでも打ち上げが延期になっており、事故が起きたこの日も打ち上げがあれば番組冒頭で中継する予定だったが、発射台の整備等に氷柱がついていたため開始直前になり「今日は中止だろう」という声が上がった。その後番組は予定通り開始したが、終盤近くで急きょ打ち上げが決まりその模様の中継に切り替えたときに、事故が発生した。程なくして、スタジオに一旦切り替わり別の話題を伝えた後、番組の最後に再び現地の映像に切り替えた。その際、武見はいくつかの情報をまとめて伝えた上で「チャレンジャーは重大な事故を起こした可能性がある」と述べ、そのまま番組は終了。しかし視聴者から「どうしてこの続きをやってくれないのか」という電話が殺到した事ですぐにテレビ朝日に再開の要望を伝え、番組終了から1時間5分後に急遽全国ネットの「ANN報道特別番組」が編成。朝の定時ニュースまでの約3時間、『デイウォッチ』に引き続いてJCTVのCNNフロア・オープンスタジオから前述のANN報道特番を伝えた[4]

参考文献

  • 久和ひとみ 『私はニュースキャスター』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、1989年、57頁から68頁(日本語)。

脚注

  1. ^ その他の作品歴
  2. ^ この他ピーコがオブザーバーという形で出演し、この日の放送のエンディングでは、永の親友である黒柳徹子が電話出演した。
  3. ^ JCTV社内には既にスタジオや副調整室などの設備が備わっていたものの、特にスタジオは「CNN関連番組群」専用とはできない事情もあり、副調整室は既存の設備を使用するもスタジオについてはCNN制作フロア内にオープンスタジオを設置することとなった
  4. ^ 久和ひとみ 『私はニュースキャスター』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、1989年、57頁から68頁。