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'''後藤 武敏'''(ごとう たけとし、[[1980年]][[6月5日]] - )は、[[静岡県]][[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])。右投右打。愛称は「'''ゴメス'''」など([[#人物|後述]])。
'''後藤 武敏'''(ごとう たけとし、[[1980年]][[6月5日]] - )は、[[静岡県]][[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])。右投右打。愛称は「'''ウンコ'''」など([[#人物|後述]])。


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2020年1月27日 (月) 18:49時点における版

後藤 武敏
東北楽天ゴールデンイーグルス コーチ #93
ヤクルト戸田球場にて(2019年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県浜松市中区
生年月日 (1980-06-05) 1980年6月5日(44歳)
身長
体重
176 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手左翼手三塁手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年3月28日
最終出場 2018年9月22日
年俸 1,890万円(2018年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、静岡県浜松市中区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。愛称は「ウンコ」など(後述)。

経歴

プロ入り前

中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し[2]、チームメイトで1年後輩の野久保直樹らと共に全国大会で準優勝している。

横浜高等学校では、1年生時からベンチ入りし、第78回全国高校野球選手権大会では、3回戦の9回に代打で起用され安打を放った。

1998年松坂大輔小池正晃小山良男らと共に第70回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を果たすと、第80回全国高等学校野球選手権大会に主に3番打者として出場し、準々決勝では上重聡平石洋介らを擁するPL学園準決勝では寺本四郎を擁する明徳義塾高校、決勝では吉見太一を擁する京都成章高校に勝利し、春夏連覇を果たした。かながわ・ゆめ国体も制覇。高校通算33本塁打。

高校の1年先輩には俳優の上地雄輔がいる。

法政大学では東京六大学2年春のリーグ戦で打率.445・2本塁打・14打点で三冠王を達成。ちなみに前年には同じく法大の廣瀬純三冠王に輝いており、史上初めて同一チームから2年続けて三冠王を輩出した。続く2年秋のリーグ戦でも首位打者となり、長崎慶一(法大)、広沢克己(明大)に次ぐ史上3人目の2季連続首位打者であり、後藤の後に達成した選手はいない。ちなみに首位打者2回も9人目の最多記録で、のちに鳥谷敬(早大)、大引啓次(法大)、小野寺和也(慶大)が達成している(2011年現在)。なお卒業はしておらず2014年迄通信教育で籍を暫く置いていたものの、2015年度の学費を払い忘れて除籍になったという。

4年秋の早大3回戦の9回に、早大先発の和田毅から三振を喫したが、これが和田のリーグ戦通算444個目の奪三振となり、六大学記録を献上した。

リーグ通算73試合出場、258打数79安打、打率.306・8本塁打・52打点でベストナイン3回。山中正竹が指揮を執る第1回世界大学野球選手権日本代表にも土居龍太郎河野友軌と、のちに西武ライオンズで同期入団となる長田秀一郎小野寺力と共に選出され、3位入賞に貢献。

2002年11月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で、西武ライオンズに自由獲得枠で入団。当時のスカウトの評価は「足は遅いけど、打撃はいい」であった[3]

西武時代

西武時代

2003年は故障で開幕に間に合わなかったアレックス・カブレラに代わり開幕戦で新人ながら4番打者に抜擢。開幕4番は新人としては1959年の桑田武以来44年ぶりの出来事であった[3]。前半は打率3割を超え、手首の強さを生かした打撃でクリーンナップに座った。後半に失速したが、101試合で11本塁打と新人ながら活躍した。

2004年は5番・一塁手で2年連続の開幕スタメンに起用されるものの、故障の影響や貝塚政秀の台頭で出番は少なく、打率1割台と低迷した。

2005年ホセ・フェルナンデスの開幕出遅れでチャンスが巡ってきたが、それを生かせなかった。しかし二軍では打率.362・58打点で二冠、出塁率.464・長打率.580を合わせて4冠を獲得、優秀選手を受賞した。この成績にも関わらず、一軍には石井義人が首位打者に立つなど好調だったこともあり、なかなか昇格できず25試合・打率.205に留まり、8度の守備機会で4失策を喫した。9月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、三瀬幸司から人生初となる逆転サヨナラ適時打を放ち、チームの24年連続Aクラスを決定させた。

2006年三塁手中村剛也がレギュラーに定着したこともあり、初めて一軍出場が無かった。二軍では本塁打がイースタン・リーグ6位の9本、長打率は5位の.447と快打を連発したが、昇格できなかった。

2007年は開幕一軍スタートだったがすぐに降格。中村の不振で5月15日に再昇格したが、打率1割台と結果を残せなかった。二軍では打率.325でチームトップの本塁打と打点を記録したにもかかわらず、この年も一軍では活躍できなかった。

2008年も開幕二軍だったが、二軍で打率.313・10本塁打と打撃好調で6月中旬に一軍昇格。6月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)では小林宏之から2003年以来となる本塁打を放った。更に5回にも本塁打を放ち、自身初の1試合2本塁打を放った。ヒーローインタビューでは2本塁打について「1本目は息子と嫁さんのため、2本目は親父と、先日亡くなった母ちゃんのために打ちました」とコメントし、涙ながらに「母ちゃん、やったぞ!」と叫んでいた[4]。以後も好調な打撃を維持して五輪出場組の抜けたチームを支えた。終盤には調子の落ちたクレイグ・ブラゼルに代わって4番で出場することもあり、日本一に大きく貢献した。最終的には49試合に出場して打率.301、自己最多の12本塁打の成績を残した。プロ入り後初めて左翼手も経験したが無難にこなした。クライマックスシリーズでは2本塁打と活躍。日本シリーズでは第一戦、上原浩治からバックスクリーンに同点本塁打を放って日本一に貢献した。

2009年から外野手登録となる。開幕は一軍だったが腰を痛めて離脱、その後7月9日に昇格した。8月25日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初となるサヨナラ本塁打を打った。左翼手・指名打者・一塁手として出場し、打率.293・5本塁打を記録。前年同様シーズン中盤から一軍で好成績を残した。

2010年は前年の活躍から一転して、大半を二軍で過ごした。特に左投手は打率.050と全く打てなかった。最終戦で一軍に昇格し、クライマックスシリーズ第1ステージ第1戦にスタメン出場するも、無安打に終わった。

2011年は24試合に出場したが打率は1割台に低迷した。

DeNA時代

DeNA時代(2012年)

2011年11月22日に武山真吾との交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍した[5]

2012年は開幕前に右太腿の張りの影響もあり、前半戦は二軍暮らしだったが、後半戦から一軍に昇格すると、8月には3年ぶりの本塁打を含む6本の本塁打を放ち、右の代打として最後まで一軍に居続けた。

2013年は開幕一軍とはならなかったものの、4月19日に一軍登録される。しかし6月に降格してしまう。8月に一軍復帰を果たすと9月の月間打率が.417という驚異的な数字でチームを支え、9月4日に移籍以来横浜スタジアムで初めてお立ち台にも立った。またトニ・ブランコ中村紀洋の不調時にはスタメンで4番で出場することもあった。

2014年は中村と入れ替わりで5月7日に昇格すると、当日の対読売ジャイアンツ戦で4番に起用され本塁打を放ったが、左内転筋痛で4日後に登録抹消される[6]。6月18日の一軍復帰後は、昇格当日の対ロッテ戦で先制2ランを含む4打点を挙げるなど打撃好調で、ブランコが怪我で離脱していたことから一塁のスタメンでの出場が続いた。ブランコの復帰後は、不振のアーロム・バルディリスに代わり7年ぶりに三塁手として先発起用される場面もあった[7]。得点圏打率は.383、代打打率は.379。

2015年より、登録名を愛称から取った「後藤武敏G.」に変更する(後述)。主に代打として起用されたが、得点圏では.208、代打でも.224に終わる。

2016年より、登録名を「後藤 G 武敏」と変更。春季キャンプで右太もも裏の軽度の肉離れを発症し、開幕一軍には間に合わなかった。7月12日の二軍戦で満塁ホームランを放ち、翌13日に一軍に復帰して、代打で二塁打を放った。復帰後は下園辰哉とともに代打の切り札としてチームを支えた。

2017年より登録名を「G.後藤武敏」に変更する。インフルエンザの影響で春季キャンプから出遅れ開幕を二軍で迎え、7月23日に一軍に復帰した。

2018年より登録名をピリオドを取った「G 後藤武敏」に変更する。9月10日に現役を引退すると球団が発表した[8]。引退会見前夜の9月13日には同級生の松坂が阪神戦に先発登板。自身の誕生日を白星で飾った松坂は、同世代に対して試合後のヒーローインタビューで「僕はもう少し頑張るよ」とメッセージを送ったが、それを聞いたG後藤は自宅で感涙した[3]。9月22日、横浜スタジアムでの中日ドラゴンズ戦で引退試合を開催、7回裏に今永昇太の代打で登場し笠原祥太郎と対戦、空振り三振で現役最終打席を終えた。試合後のセレモニー、場内一周を三塁ベンチから松坂が最後まで見守った。

引退後

10月16日、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチに就任したことが発表された。背番号は「93」[9]

人物

愛称ゴトタケGTグッさん(顔が山口智充に似ていることから)、ゴメス

「ゴメス」の愛称はDeNA移籍初年度のキャンプ中にチーム内でついたもの。石川雄洋との練習の待ち合わせに遅れてきた松本啓二朗が「ごめーんす」といって合流し、それを石川雄洋が「後藤さんにゴメスはないだろ!」と言い、後藤が「ゴメス、、、いいじゃん!!」となりゴメスが始まった[10]。2014年からは、ヒーローインタビューでアナウンサーから「後藤選手」と言われると「ゴメスです」とニックネームをアピールするのがお約束になっている。2015年にはユニフォームの背ネームを「GOMEZ」とし、登録名も「後藤 武敏 G.(ごとう たけとし ごめす)」に変更した[11]。翌年からは「G」の位置を変え、2016年は「後藤 G 武敏(ごとう ごめす たけとし)」、[12]2017年は「G. 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)」に、2018年はドットを外し「G 後藤 武敏」に変更している。

温厚な性格で、試合中に乱闘・揉め事があった時には怒った外国人選手・首脳陣を制止する場面が多い。西武時代の2011年7月11日対オリックス戦で高宮和也中島裕之に死球を与えたのを発端に揉め事が発生した時には激高したホセ・フェルナンデスをなだめていた。

横浜高校時代の同級生だった小池正晃とは、2011年シーズン終了後の移籍を機に、横浜DeNAで再びチームメイトになった。小池が2013年のシーズン終盤に球団から戦力外を通告された直後には、高校の4年先輩でチームメイトでもある多村仁志と共に小池の相談に乗った。その席で後藤と多村が「今の打撃では(現役続行は)厳しい。生まれ育った横浜で引退して指導者になった方が良い」と涙声で助言したことをきっかけに、小池は引退を決意。10月8日の引退試合(横浜スタジアムの対阪神戦)では、目を潤ませながらベンチで見守る後藤の前で小池が2本の本塁打を放つと、小池は後藤・多村と泣きながら抱擁した。なお、2014年からは、小池がDeNAの一軍打撃コーチとして後藤や多村を指導する[13][14]

DeNA時代、息子の誕生日にホームランを打ち、娘にも「来年は私の誕生日も」と言われた。その娘の誕生日当日はオフであったが、次の日にホームランを打ったことでリクエストに応えた形となった[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 西武 101 272 252 30 66 15 1 11 116 44 1 2 0 1 17 2 2 57 9 .262 .313 .460 .773
2004 24 52 47 5 9 2 0 0 11 4 0 0 0 0 5 0 0 15 1 .191 .269 .234 .503
2005 25 47 39 4 8 4 0 0 12 3 0 1 0 0 8 0 0 11 1 .205 .340 .308 .648
2007 20 42 37 2 6 0 0 0 6 1 0 0 1 1 3 0 0 12 1 .162 .220 .162 .382
2008 49 184 166 34 50 14 0 12 100 27 0 0 0 0 16 0 2 31 3 .301 .370 .602 .972
2009 54 161 147 13 43 4 1 5 64 23 0 2 0 1 13 0 0 33 4 .293 .348 .435 .783
2010 16 33 29 2 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 3 0 1 9 1 .138 .242 .138 .380
2011 24 37 33 0 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 4 0 0 13 0 .152 .243 .212 .455
2012 DeNA 51 138 125 11 32 3 0 6 53 15 0 1 0 1 12 0 0 26 2 .256 .319 .424 .743
2013 62 101 88 13 25 6 0 6 49 14 0 1 1 0 9 0 3 19 1 .284 .370 .557 .927
2014 68 165 145 17 41 8 0 7 70 31 0 0 1 1 18 1 0 34 4 .283 .360 .483 .843
2015 70 76 68 4 14 4 0 4 30 11 0 0 0 0 8 1 0 17 2 .206 .289 .441 .731
2016 27 30 23 2 6 1 0 1 10 6 0 0 0 0 7 0 0 9 1 .261 .433 .435 .868
2017 26 29 26 0 3 1 0 0 4 3 0 0 0 0 3 0 0 7 1 .115 .207 .154 .361
2018 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
NPB:15年 618 1368 1226 137 312 64 2 52 536 184 1 7 3 5 126 4 8 294 31 .254 .327 .437 .764

年度別守備成績



一塁 三塁 外野




































2003 西武 25 145 1 3 10 .980 6 4 3 0 1 1.000 -
2004 15 80 6 2 5 .977 2 0 1 0 0 1.000 -
2005 3 13 2 1 2 .938 5 5 4 3 3 .750 -
2007 5 28 0 0 2 1.000 9 3 9 0 0 1.000 -
2008 7 27 0 0 2 1.000 - 28 36 2 0 0 1.000
2009 11 59 6 0 6 1.000 - 7 15 1 0 1 1.000
2010 10 64 5 0 5 1.000 - 2 0 2 0 0 1.000
2011 5 38 3 1 3 .976 - -
2012 DeNA 30 249 19 3 18 .989 - 4 8 0 1 0 .889
2013 17 121 8 1 11 .992 - -
2014 27 156 25 3 19 .984 4 0 6 0 1 1.000 3 2 0 0 0 1.000
2015 4 15 0 1 1 .938 - -
2016 2 7 2 0 0 1.000 - -
2017 1 9 0 1 0 .900 - -
通算:14年 162 1011 77 16 84 .985 26 12 23 3 5 .921 44 61 5 1 2 .985

記録

背番号

  • 6 (2003年 - 2011年)
  • 55 (2012年 - 2018年)
  • 93 (2019年 - )

登録名

  • 後藤 武敏 (ごとう たけとし、2003年 - 2014年)
  • 後藤 武敏 G. (ごとう たけとし ごめす、2015年)
  • 後藤 G 武敏 (ごとう ごめす たけとし 、2016年)
  • G. 後藤 武敏 (ごめす ごとう たけとし 、2017年)
  • G 後藤 武敏 (ごめす ごとう たけとし 、2018年)

脚注

  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年3月28日閲覧。
  2. ^ “卒団生の進路”. 浜松リトルシニア. (2019年5月23日). https://www.netto.jp/hamamatsu/course.php 2019年5月23日閲覧。 
  3. ^ a b c ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.95.
  4. ^ a b ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.103.
  5. ^ トレードのお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ (November 22, 2011). November 11, 2016閲覧。
  6. ^ DeNA 後藤が左内転筋痛で抹消 復帰まで「最低1週間」スポーツニッポン 2014年5月11日付記事
  7. ^ DeNA後藤 7年ぶり三塁先発、中畑監督「自分の世界でできる」スポーツニッポン 2014年7月23日付記事
  8. ^ G後藤武敏選手 現役引退のお知らせ横浜DeNAベイスターズ(2018年9月10日) 2018年9月13日閲覧
  9. ^ 楽天がコーチ人事を発表 1軍打撃コーチに小谷野氏 - 日刊スポーツ、2018年10月16日、同日閲覧
  10. ^ 球団公式ドキュメンタリーダグアウトの向こう -今を生きるということ。』収録の松本・後藤インタビュー及びDVDの石川オーディオコメンタリーより。
  11. ^ 【DeNA】後藤、登録名を「後藤 武敏 G.」に変更! 2015年3月27日付記事
  12. ^ DeNA 後藤武敏G.(ゴメス)から登録名「後藤G武敏」にスポーツニッポン(2015年12月5日)
  13. ^ 小池「格好いいパパ」引退試合で涙の2発 来季は中畑政権入閣(『スポーツニッポン2013年10月9日付記事)
  14. ^ 【ベンチ裏】最後に最高のスイングを 小池が交わした親友との約束(『カナロコ2013年10月12日付記事)

関連項目

外部リンク