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「アーキー・シアンフロッコ」の版間の差分

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|ドラフト順位 = ドラフト5巡目(全体122位)で[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]から指名
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|初出場 = MLB / 1992年4月8日<br />NPB / 1999年4月3日
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|最終出場 = MLB / 1998年9月26日<br />NPB / 1999年4月25日
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この年まで2年間西武に在籍していた[[ドミンゴ・マルティネス]]は打撃には優れていたが一塁しか守れない守備と鈍足が難点で、西武は2年ともリーグ優勝はしたが、[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]では[[指名打者]]制のない試合の際にマルティネスを使えず<ref group="注">[[左翼手]]で使うプランもあったが、あまりの守備範囲の狭さに断念したという。なお、マルティネスは[[読売ジャイアンツ]]に所属した際(1999年 - 2001年)には左翼手も経験した。</ref>、攻撃力不足に陥ってともに敗退した。このことから監督の[[東尾修]]が「日本シリーズで勝てるチームに」と、マルティネスを解雇してまで守備力優先でシアンフロッコを獲得した。
この年まで2年間西武に在籍していた[[ドミンゴ・マルティネス]]は打撃には優れていたが一塁しか守れない守備と鈍足が難点で、西武は2年ともリーグ優勝はしたが、[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]では[[指名打者]]制のない試合の際にマルティネスを使えず<ref group="注">[[左翼手]]で使うプランもあったが、あまりの守備範囲の狭さに断念したという。なお、マルティネスは[[読売ジャイアンツ]]に所属した際(1999年 - 2001年)には左翼手も経験した。</ref>、攻撃力不足に陥ってともに敗退した。このことから監督の[[東尾修]]が「日本シリーズで勝てるチームに」と、マルティネスを解雇してまで守備力優先でシアンフロッコを獲得した。


しかし{{by|1999年}}の開幕戦(4月3日・対福岡ダイエーホークス戦)には5番・[[三塁手]]で先発出場したものの{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=147}}、球に当てることすらままならぬほどの打撃不振ですぐ7番に下げられた。加えて、得意であるはずの守備でもお粗末なプレーを連発し(15試合で5失策)、4月末に二軍降格<ref name="AERA"/>。6月27日には早くも[[戦力外通告]]を受け{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=49}}、7月5日に[[自由契約]]となった。
しかし本拠地・[[西武ドーム]]で開かれた{{by|1999年}}の開幕戦(4月3日・対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦)には5番・[[三塁手]]で先発出場したものの{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=147}}、球に当てることすらままならぬほどの打撃不振ですぐ7番に下げられた。加えて、得意であるはずの守備でもお粗末なプレーを連発し(15試合で5失策)、4月末に二軍降格<ref name="AERA"/>。6月27日には早くも[[戦力外通告]]を受け{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=49}}、7月5日に[[自由契約]]となった。


同年の西武は外国人4選手(シアンフロッコ、ブロッサー、[[アラン・ジンター]]、[[コーリー・ポール]])の[[本塁打]]数を合計しても25本で、前年のマルティネス1人の本塁打(30本塁打)よりも少なかったが、その中でもシアンフロッコは年俸8,000万円ながら計15試合で打率.163・2本塁打・5打点と最も打てなかった<ref name="AERA">{{Cite news|title=日本野球を罵倒する発言も…“平成ダメ助っ人”は誰だ?<パ・リーグ編>|newspaper=[[AERA]]|date=2019-02-18|url=https://dot.asahi.com/dot/2019021700018.html?page=1|accessdate=2020-02-03|publisher=[[朝日新聞出版]]|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200203141714/https://dot.asahi.com/dot/2019021700018.html?page=1|archivedate=2020年2月3日}}</ref>。結局、同年の西武は新人・[[松坂大輔]]が16勝を挙げ[[最多勝利|最多勝]]を獲得するなど盤石の投手陣を擁した一方で貧打に泣き、リーグ3連覇を逃す結果となった{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|pp=10-11}}。
同年の西武は外国人4選手(シアンフロッコ、ブロッサー、[[アラン・ジンター]]、[[コーリー・ポール]])の[[本塁打]]数を合計しても25本で、前年のマルティネス1人の本塁打(30本塁打)よりも少なかったが、その中でもシアンフロッコは年俸8,000万円ながら計15試合で打率.163・2本塁打・5打点と最も打てなかった<ref name="AERA">{{Cite news|title=日本野球を罵倒する発言も…“平成ダメ助っ人”は誰だ?<パ・リーグ編>|newspaper=[[AERA]]|date=2019-02-18|url=https://dot.asahi.com/dot/2019021700018.html?page=1|accessdate=2020-02-03|publisher=[[朝日新聞出版]]|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200203141714/https://dot.asahi.com/dot/2019021700018.html?page=1|archivedate=2020年2月3日}}</ref>。結局、同年の西武は新人・[[松坂大輔]]が16勝を挙げ[[最多勝利|最多勝]]を獲得するなど盤石の投手陣を擁した一方で貧打に泣き、リーグ3連覇を逃す結果となった{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|pp=10-11}}。
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* 初出場・初先発出場:1999年4月3日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]1回戦([[西武ドーム]])、5番・[[三塁手]]で先発出場{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=147}}
* 初出場・初先発出場:1999年4月3日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]1回戦([[西武ドーム]])、5番・[[三塁手]]で先発出場{{Sfn|ベースボール・マガジン社|1999|p=147}}
* 初安打・初本塁打・初打点:1999年4月8日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]3回戦([[東京ドーム]])、6回表に[[シャノン・ウィッテム]]から中越2ラン
* 初安打・初本塁打・初打点:1999年4月8日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]3回戦([[東京ドーム]])、6回表に[[シャノン・ウィッテム]]から中越2ラン
* 最終出場:1999年4月25日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦6回戦(西武ドーム)


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===

2020年2月10日 (月) 11:07時点における版

アーキー・シアンフロッコ
Archi Cianfrocco
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州オナイダ郡ローム
生年月日 (1966-10-06) 1966年10月6日(57歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1987年 ドラフト5巡目(全体122位)でモントリオール・エクスポズから指名
初出場 MLB / 1992年4月8日
NPB / 1999年4月3日
最終出場 MLB / 1998年9月26日
NPB / 1999年4月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アンジェロ・ドミニク・シアンフロッコAngelo Dominic "Archi" Cianfrocco , 1966年10月6日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州オナイダ郡ローム出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

経歴・人物

1987年MLBドラフトモントリオール・エクスポズから5巡目(全体122位)指名され契約。1992年4月8日にメジャーデビュー。翌1993年シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍するが、同年は計12本塁打をマークした。1994年以降はユーティリティープレイヤーとしての側面が強くなり、1996年には投手中堅手を除く7ポジションで出場した。

しかし打撃面で伸び悩み、打率1割そこそこに終わった1998年オフにはとうとうウェイバー公示にかけられてしまう。だが、内野を中心にほとんどのポジションを守れる器用さに西武ライオンズが目を付け、グレッグ・ブロッサーと共にツインバズーカとして期待され、推定年俸8,000万円で入団。

この年まで2年間西武に在籍していたドミンゴ・マルティネスは打撃には優れていたが一塁しか守れない守備と鈍足が難点で、西武は2年ともリーグ優勝はしたが、日本シリーズでは指名打者制のない試合の際にマルティネスを使えず[注 1]、攻撃力不足に陥ってともに敗退した。このことから監督の東尾修が「日本シリーズで勝てるチームに」と、マルティネスを解雇してまで守備力優先でシアンフロッコを獲得した。

しかし本拠地・西武ドームで開かれた1999年の開幕戦(4月3日・対福岡ダイエーホークス戦)には5番・三塁手で先発出場したものの[1]、球に当てることすらままならぬほどの打撃不振ですぐ7番に下げられた。加えて、得意であるはずの守備でもお粗末なプレーを連発し(15試合で5失策)、4月末に二軍降格[2]。6月27日には早くも戦力外通告を受け[3]、7月5日に自由契約となった。

同年の西武は外国人4選手(シアンフロッコ、ブロッサー、アラン・ジンターコーリー・ポール)の本塁打数を合計しても25本で、前年のマルティネス1人の本塁打(30本塁打)よりも少なかったが、その中でもシアンフロッコは年俸8,000万円ながら計15試合で打率.163・2本塁打・5打点と最も打てなかった[2]。結局、同年の西武は新人・松坂大輔が16勝を挙げ最多勝を獲得するなど盤石の投手陣を擁した一方で貧打に泣き、リーグ3連覇を逃す結果となった[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1992 MON 86 247 232 25 56 5 2 6 83 30 3 0 1 2 11 0 1 66 2 .241 .276 .358 .634
1993 12 17 17 3 4 1 0 1 8 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .235 .235 .471 .706
SD 84 306 279 27 68 10 2 11 115 47 2 0 2 5 17 1 3 64 9 .244 .289 .412 .702
'93計 96 323 296 30 72 11 2 12 123 48 2 0 2 5 17 1 3 69 9 .243 .287 .416 .702
1994 59 156 146 9 32 8 0 4 52 13 2 0 1 2 3 0 4 39 2 .219 .252 .356 .608
1995 51 132 118 22 31 7 0 5 53 31 0 2 0 1 11 1 2 28 3 .263 .333 .449 .782
1996 79 203 192 21 54 13 3 2 79 32 1 0 0 1 8 0 2 56 4 .281 .315 .411 .727
1997 89 251 220 25 54 12 0 4 78 26 7 1 1 2 25 1 3 80 11 .245 .328 .355 .683
1998 40 80 72 4 9 3 0 1 15 5 1 0 2 0 5 0 1 22 3 .125 .192 .208 .401
1999 西武 15 47 43 3 7 0 0 2 13 5 2 0 0 0 4 0 0 14 3 .163 .234 .302 .536
MLB:7年 500 1392 1276 136 308 59 7 34 483 185 16 3 7 13 80 3 16 360 34 .241 .292 .379 .670
NPB:1年 15 47 43 3 7 0 0 2 13 5 2 0 0 0 4 0 0 14 3 .163 .234 .302 .536

記録

NPB

背番号

  • 61 (1992年 - 同年途中)
  • 14 (1992年途中 - 1993年途中)
  • 26 (1993年途中 - 1994年)
  • 29 (1995年 - 1998年)
  • 4 (1999年)

脚注

注釈

  1. ^ 左翼手で使うプランもあったが、あまりの守備範囲の狭さに断念したという。なお、マルティネスは読売ジャイアンツに所属した際(1999年 - 2001年)には左翼手も経験した。

出典

参考文献

  • ベースボール・マガジン社編集 編『ベースボール・レコード・ブック 2000』(第1版第1刷発行)ベースボール・マガジン社(発行人:池田哲雄)〈日本プロ野球記録年鑑〉、1000年12月25日。ISBN 978-4583036229 


関連項目

外部リンク