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ぴえん😢
{{Infobox baseball player
|選手名 = 福浦 和也
|所属球団 = 千葉ロッテマリーンズ
|役職 = コーチ
|背番号 = 70
|選手写真ファイル名 = 2011marines fukuura.jpg
|写真のコメント = 2011年、[[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]]にて
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[千葉県]][[習志野市]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1975|12|14}}
|没年月日 =
|身長 = 183
|体重 = 88
|利き腕 = 左
|打席 = 左
|守備位置 = [[一塁手]]
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1993}}
|ドラフト順位 = ドラフト7位
|初出場 = 1997年7月5日
|最終出場 = 2019年9月23日
|年俸 =
|経歴 =
* [[習志野市立習志野高等学校]]
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (1994 - 2019)
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 =
* 千葉ロッテマリーンズ (2018, 2019 - )
}}
'''福浦 和也'''(ふくうら かずや、[[1975年]][[12月14日]] - )は、[[千葉県]][[習志野市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、左投左打)。現在は[[千葉ロッテマリーンズ]]の二軍ヘッド兼打撃コーチ。

現役時代は地元出身の[[フランチャイズ・プレイヤー]]として[[千葉ロッテマリーンズ]]に26年間所属。球団史上3人目の2000本安打達成者であり、「'''幕張の安打製造機'''」の異名をとった<ref name="goo131023">{{Cite web |date=2013年10月23日 |url=https://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/npb/gooeditor-20131022-01.html |title=「最下位指名」ドラフト会議で最後に名前を呼ばれた男の人生-1993年ロッテ7位・福浦和也選手の場合(野球太郎) |publisher=gooニュース |accessdate=2017-09-15}}</ref>。

== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[習志野市立大久保東小学校]]1年の時に父の影響で野球を始め<ref name="hochi180923" /><ref>{{Cite news |title=ロッテ・福浦選手 習志野市民栄誉賞 2000安打「市民の誇り」 |newspaper=東京新聞 |date=2018年9月27日 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201809/CK2018092702000146.html |accessdate=2018-11-08}}</ref>、習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属<ref>{{Cite web |url=http://www.city.narashino.lg.jp/joho/koho/now/backnumber/H26-4_H27-3/nowback_h2702.html |title=クラブナイン少年野球教室開催 |publisher=習志野市 |accessdate=2017-09-15}}</ref>。この頃はテレビで[[読売ジャイアンツ|巨人]]の試合をよく観ていて、[[篠塚和典]]や[[吉村禎章]]らに注目していた<ref name="hochi180923">{{Cite news |title=【ロッテ】福浦の2000安打に地元ファン総立ち 「来年も」現役続行宣言 |newspaper=スポーツ報知 |date=2018年9月23日 |url=https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180923-OHT1T50007.html |accessdate=2018-11-08}}</ref>{{Sfn|福浦|2019|pp=38-39}}。また、小学6年生の頃から[[習志野市立習志野高等学校|習志野高校]]を志望し、プロ野球選手を夢見るようになったという{{Sfn|福浦|2019|p=41}}。[[習志野市立第二中学校]]では[[リトルリーグ]]で一時期プレーしていた関係で[[バスケットボール|バスケ]]部に入部するが、数か月後に野球部へ転部する<ref name="spo94">{{Cite book |和書| year=1994 |month=3 |title=94スポニチプロ野球手帳 |publisher=スポーツニッポン |page=164}}</ref>{{Sfn|福浦|2019|pp=42-43}}。1年後にはエースとなり、3年春に市内大会で優勝を果たす<ref name="spo94" />。中学時代に同郷の[[井上貴朗]]と投げ合ったこともある<ref name="spo94" />。

[[習志野市立習志野高等学校]]では1年時からレギュラーになり、2年時からは4番に定着{{Sfn|福浦|2019|p=59}}。高校通算20本塁打を記録した<ref>{{Cite web |date=2017-11-14 |url=https://victorysportsnews.com/articles/4667/original |title= VICTORYアスリート名鑑 福浦和也 |publisher= VICTORY SPORTS NEWS |accessdate=2019-08-24}}</ref>{{Sfn|福浦|2019|p=61}}。2年秋頃からは最速142km/hの[[速球|ストレート]]と[[カーブ (球種)|カーブ]]のコンビネーションを武器に<ref name="full1802">{{Cite web |url=https://full-count.jp/2018/02/17/post107937/ |title=運命に導かれた「幕張の安打製造機」が挑む、元祖「安打製造機」の記録更新 |publisher=full-count |accessdate=2018-03-23}}</ref><ref name="data10">{{Cite book |和書|year=2011 |month=6 |title=週刊プロ野球データファイル 10号 |publisher=ベースボール・マガジン社 |pages=11-12}}</ref>エースとしても活躍した{{Sfn|福浦|2019|p=61}}。2年夏({{by|1992年}})の[[全国高等学校野球選手権千葉大会|県大会]]では[[東京学館船橋高等学校|東京学館技術]]との4回戦で本塁打を放つ。チームはベスト8に進出するが<ref name="spo94" />、準々決勝で[[立川隆史]]を擁する[[拓殖大学紅陵高等学校|拓大紅陵]]に敗退。秋季関東大会県予選の準々決勝では、[[暁星国際小学校・中学校・高等学校|暁星国際高]]に8回コールド負け。3年春({{by|1993年}})には練習試合で[[ノーヒットノーラン]]を達成している<ref name="spo94" />。夏の県大会では3回戦で[[千葉県立野田北高等学校|野田北高]]に敗退。

[[1993年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1993年のドラフト]]で地元球団・[[千葉ロッテマリーンズ]]に投手として7位指名され入団。指名がなければ社会人チームで野球を続ける進路を考えていたという<ref name="full1802" />。この年はドラフト会議における[[逆指名]]元年で、同時に始まった[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント ]]も相俟って各球団指名選手数を絞る中、唯一ロッテは7人目を指名し、このドラフト会議での最終指名者となった。支配下登録選手枠70名の最後という扱いで背番号は'''70'''に決まった<ref name="goo131023" />。

=== ロッテ時代 ===
'''{{by|1994年}}'''、入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった[[山本功児]]から呼び出され、同期の[[小野晋吾]]と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める<ref name="goo131023" />。その後は、同期の[[大塚明]]らと連日の特守で鍛えられながらも、一軍出場がないまま3年間をファームで過ごす<ref name="goo131023" />。なお、一軍で通用する守備力を手に入れられたのは、この頃に[[佐藤兼伊知]]二軍守備コーチに絞られたおかげだと後年語っている{{Sfn|福浦|2019|p=81}}。同年10月8日の[[イースタン・リーグ]]最終戦で、横浜ベイスターズの[[友利結]]から放った二塁打がファームでの初安打となる<ref name="full1802" />。成績は7試合で打率.125、0本塁打、1打点<ref name="spo97">{{Cite book |和書| year=1997 |month=3 |title=97スポニチプロ野球手帳 |publisher=スポーツニッポン |page=73}}</ref>。

'''{{by|1995年}}'''、入団2年目のシーズンは[[レン・サカタ]]二軍監督が若手を積極起用した影響もあり<ref name="full1802" />、ファームで76試合に出場し、打率.263、5本塁打、23打点と飛躍し、[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]に出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する<ref name="spo96">{{Cite book |和書| year=1996 |month=2 |title=96スポニチプロ野球手帳 |publisher=スポーツニッポン |page=111}}</ref>。

'''{{by|1996年}}'''、3年目も一軍昇格はなく、54試合で打率.235、0本塁打、9打点と低迷したが、9月は打率.333と好調だった<ref name="spo97" />。シーズンオフは[[教育リーグ|黒潮リーグ]]で腕を磨いた<ref name="spo97" />。また、自分を追い込むためオフに退寮し、自発的にトレーニングを管理するようになる{{Sfn|福浦|2019|pp=86-88}}。

'''{{by|1997年}}'''、春季キャンプの時から[[近藤昭仁]]監督に目を掛けられ<ref name="take136">{{Cite book|和書 |author=萩原晴一郎 |year=2014 |title=18連敗の真実 なぜ千葉ロッテマリーンズは負け続けたのか? |pages=136-138 |publisher=竹書房 |isbn=978-4-8124-8950-5}}</ref>、7月5日に初の一軍昇格。その日の対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦に「7番・[[一塁手]]」でスタメン出場し、プロ入り初安打を記録。同月15日の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦では初のサヨナラ打、8月1日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦では初本塁打を放つなど活躍し、「3番・一塁手」としてレギュラーに定着<ref>{{Cite book |和書| year=1998 |month=3 |title=98スポニチプロ野球手帳 |publisher=スポーツニッポン |page=167}}</ref>。67試合に出場して打率.289の成績を残した。シーズンオフに高校時代から交際していた女性と結婚{{Sfn|福浦|2019|p=51}}。

'''{{by|1998年}}'''、背番号を'''9'''に改め、開幕からレギュラーとして129試合に出場。初の規定打席にも到達し、打率.284の成績で打撃ランキング12位を記録。7月10日の対日本ハム戦では[[石井丈裕]]からプロ初のサヨナラ本塁打を放っている。なお、チームは6月13日からプロ野球記録の18連敗を喫するが、その間も全てスタメン出場している。連敗前までは打率3割を超えていたが、連敗中に調子を落としたことに不甲斐なさを感じていたという<ref name="take136" />。「七夕の悲劇」と呼ばれる7月7日の対オリックス戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])では1安打1打点と奮起するが土壇場で勝利を逃し、後年になっても忘れられない試合として語っている<ref name="nik170708">{{Cite news |date=2017-07-08 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1851847.html |title=あれから19年ロッテ福浦V犠飛「七夕の悲劇」の夜 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-12-29}}</ref>。

'''{{by|1999年}}'''は、[[フランク・ボーリック]]や[[初芝清]]などに一塁のポジションを譲り、スタメンでの出場は前年の半分ほどに減少したが、打率.277、得点圏打率.361と安定した成績を残した<ref>{{Cite book |和書| year=2000 |month=4 |title=2000年 プロ野球選手写真名鑑 |publisher=日刊スポーツ出版社 |page=38 |isbn=4-8172-5079-8}}</ref>。また、シーズン終盤からは外野を守ることが多くなった。

'''{{by|2000年}}'''、[[石井浩郎]]の加入で外野での出場が前年よりも増加。オープン戦から好調を維持して、一時は4割近い打率で打撃ランキングのトップに立っていた<ref>{{Cite book|和書|author=[[江川卓 (野球)|江川卓]] |year=2001 |title=江川卓・スカウティングレポート2001 |publisher=ザマサダ |page=325 |isbn=978-4-88397-069-8}}</ref>。シーズン中に母親を亡くすという不幸に見舞われるがレギュラーとして定着し、初の[[2000年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場を果たす<ref name="goo131023" />。シーズン成績は僅かに3割に届かず<ref group="注">あと2安打で3割に達していた。</ref>、打率.296で終えたことを反省し、ワンプレーを大切にすることを強く意識するようになる<ref>{{Cite web |date=2009年08月24日 |url=http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/2009/08/post_15.html |title=一日一回野球の話をしようよ 福浦和也。(前編) |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref><ref name="goo131023" />。

'''{{by|2001年}}'''、腰痛で欠場することもあったが、一塁手のレギュラーに復帰。[[小笠原道大]]との最終戦にまでもつれる争いを制し、打率.346で[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]を獲得し<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2001.html|title=年度別成績 2001年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2017-03-06}}</ref>、初の二桁本塁打となる18本塁打を放った。対左打率.387と左投手を得意とし、2ストライクに追い込まれた後の打率もリーグトップの.304の成績を残した<ref name="data10" />。この年は「振ればヒット」という不思議な感覚に包まれていたという{{Sfn|福浦|2019|p=108}}。なお、2012年に[[阿部慎之助]]が達成するまで、日本プロ野球史上唯一のシーズン盗塁0での首位打者であった<ref>{{Cite news |title=宮崎敏郎プロ初の通算盗塁0で首位打者/データ連載 |newspaper=日刊スポーツ |date=2017-12-21 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712210000079.html |accessdate=2018-04-11}}</ref>。オフの契約更改で、1億円プレーヤーとなる<ref>{{Cite news|title=福浦和也がついに年俸1億円突破!(2001年12月7日)|newspaper=週刊ベースボールONLINE|date=2018-12-07 |url=http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181207-12|accessdate=2019-10-03}}</ref>。

'''{{by|2002年}}'''、ストライクゾーンが変更された影響でバッティングを崩したうえに{{Sfn|福浦|2019|p=111}}、厳しくなったマークでリーグ最多の17[[死球]]を喫するが、2年連続で打率3割を記録<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2002.html|title=年度別成績 2002年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2017-03-06}}</ref>。得点圏打率は.247と前年より1割近く落としたが<ref name="data10" />、2ストライク後の打率.272はリーグトップであった<ref>{{Cite book |和書| year=2003 |month=3 |title=2003スポニチプロ野球プレイヤーズ名鑑 |publisher=スポーツニッポン |page=141}}</ref>。

'''{{by|2003年}}'''、初の全試合出場を達成し、いずれも自己最多となる172安打・21本塁打・76打点を記録して、3年連続の打率3割を記録。また、歴代2位の50二塁打、史上初の2年連続40二塁打<ref name="npb2b">{{Cite web |url=http://npb.jp/bis/history/ssb_2b.html |title=歴代最高記録 二塁打 【シーズン記録】 |publisher=日本野球機構 |accessdate=2017-09-15}}</ref>、シーズン2度の1試合5安打を達成<ref>{{Cite book |和書| year=2004 |month=3 |title=プロ野球選手データ名鑑2004 |publisher=宝島社 |page=165 |isbn=4-7966-3948-9}}</ref>。なお、シーズン172安打は2010年に[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]に更新されるまで、球団3位の記録であった<ref>{{Cite news |date=2010年09月16日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100906-674974.html |title=西岡今季173安打!大先輩の福浦超え |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>。守備面では3年ぶりに外野を守る機会もあったが、一塁手部門で初の[[ゴールデングラブ賞]]を獲得した<ref>{{Cite web |url=http://npb.jp/award/2003/glove.html |title=2003年度 三井ゴールデン・グラブ賞 |accessdate=2018-04-12}}</ref>。

'''{{by|2004年}}'''、前年韓国で56本塁打を記録した一塁手の[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]が入団したが、この年も打率.314(リーグ9位)・11本塁打の成績で一塁手のレギュラーを守った<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2004.html|title=年度別成績 2004年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2017-03-06}}</ref>。両リーグ最多の42二塁打、史上初の3年連続40二塁打<ref name="npb2b" />、8月20日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦では通算1000本安打を達成。6月1日の同対戦では[[杉内俊哉]]から満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |date=2016-06-02 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1652902.html |title=ダイエー杉内、イスをパンチ!両手骨折/復刻 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-12-05}}</ref>。また、2度目となる[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]と、シーズンオフに開催された[[日米野球]]にも出場した。

'''{{by|2005年}}'''、故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで5年連続の打率3割と3年連続の70打点を達成。本塁打は一桁の6本に終わったが、得点圏打率.333、満塁打率.556<ref name="data10" />、[[犠牲フライ|犠飛]]はリーグトップの9本を記録した。また、5月12日の対阪神タイガース戦では通算1000試合出場を達成している。[[ボビー・バレンタイン]]監督による日替わりの[[マリンガン打線]]において、唯一福浦だけがシーズンを通して「3番・一塁手」に固定され、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献<ref name="goo131023" />。[[阪神タイガース]]との[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第3戦([[阪神甲子園球場]])では[[桟原将司]]からシリーズ史上17本目となる満塁本塁打を放った。なお、優勝した[[2005年のアジアシリーズ|ジアシリーズ]]では腰痛のため選手登録はされなかった。3度目の[[2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場と2度目のゴールデングラブ賞受賞を果たす。

'''{{by|2006年}}'''、3・4月度の成績がリーグトップの43安打、打率.422と好調で初の月間MVPを受賞。入団13年目での初受賞は、リーグ史上2番目に遅い記録であった<ref>{{Cite web |url=http://npb.jp/award/2006/month/win_pl4.html |title=2006年3、4月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ) |publisher=日本野球機構 |accessdate=2017-09-15}}</ref>。7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312(リーグ5位)、4本塁打<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2006.html|title=年度別成績 2006年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2017-03-06}}</ref>。なお、前述の理由により出場が決まっていた[[2006年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]は辞退。シーズンオフの日米野球には2大会連続の出場となった。同年、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA権]]を取得。

'''{{by|2007年}}'''、開幕直後に右脇腹の肋骨を骨折して1ヶ月間離脱{{Sfn|福浦|2019|p=131}}。復帰後は5月まで打率3割を維持していたが、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258・4本塁打という一軍では自己最低の成績に終わり、規定打席にわずか1打席届かなかった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。一方、[[得点圏打率]]は.339の成績を残し、打点は前年より多い57を記録。8月3日の対日本ハム戦では、史上46人目の通算300二塁打を達成する。また、守備で見せる動きは健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20071111-281615.html 福浦「生涯ロッテ」FAせず残留 - 野球ニュース : nikkansports.com]{{リンク切れ|date=2011年4月}}</ref>。

'''{{by|2008年}}'''、腰痛や首痛などの故障に苦しみ<ref>{{Cite news |date=2009年01月13日 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090113-449504.html |title=福浦復活へ!特製枕でケガしない体づくり |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>、前年以上に成績を落とす。スタメン出場も減少し、指名打者や代打での出場が多くなった。8年続いていたシーズン100安打も途切れ、二塁打が9本と長打率も大きく減少。一方で、打率.252ながら前年より四球が増加し、出塁率は.352の成績を残した。

'''{{by|2009年}}'''、シーズン当初はここ数年と同様に低調で、打率は2割台前半、得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半に沈み、打順は主に2番や8番で[[堀幸一]]や[[ゲイリー・バーナム・ジュニア]]と併用されていた。しかし、8月から徐々に調子を上げ、8月と9月の2ヶ月間で49安打、打率.363と勝負強さと長打力を取り戻してシーズン終盤には再び3番に定着。3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。また、5月2日の対福岡ソフトバンク戦で、史上99人目、球団史上10人目の1500本安打<ref>{{Cite web |date=2009年05月24日 |url=http://www.marines.co.jp/news/detail/2543.html |title=試合前に福浦選手の1500本安打を表彰!! |publisher=千葉ロッテマリーンズ公式サイト |accessdate=2017-09-14}}</ref>、8月19日の対オリックス戦では1500試合出場を達成。

'''{{by|2010年}}'''、慢性的な腰痛や、[[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]の加入などを考慮して指名打者に転向する<ref>{{Cite book |和書|author=西村徳文 | year=2011 |month=3 |title=和のちから |publisher=ダイヤモンド社 |page=170 |isbn=978-4-478-01532-2}}</ref>。ここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は[[里崎智也]]、[[大村三郎|サブロー]]の離脱や[[大松尚逸]]の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率.295を記録し、本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録。3月22日の対埼玉西武戦では通算100号本塁打を達成。史上258人目だが、1539試合での到達は6番目に遅い記録であった<ref>{{Cite news |date=2010年03月22日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/22/kiji/K20100322Z00000500.html |title=福浦 258人目の快挙…17年目で100号 |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2017-09-15}}</ref>。また、代打率.364と代打の切り札としても結果を残した。5月13日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム]])では6回表一死満塁の場面で代打出場し、[[真田裕貴]]からライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初の事例である<ref>{{Cite news |title=代打逆転満塁ビデオ弾!福浦ファウル一転 |newspaper=日刊スポーツ |date=2010-05-14 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100514-629434.html |accessdate=2018-04-12}}</ref>。[[2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファーストステージの対埼玉西武戦では、延長11回に[[土肥義弘]]から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献<ref>{{Cite news |title=パCSが開幕! ロッテが延長戦で西武を破る |newspaper=スポーツナビ |date=2010-10-09 |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201010090005-spnavi |accessdate=2018-04-12}}</ref>。チームはファイナルステージも突破し、[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも[[中日ドラゴンズ]]を破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成。1年を通した活躍で、指名打者部門で初の[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を受賞した<ref>{{Cite web |url=http://npb.jp/award/2010/pl.html |title=2010年度 表彰選手(パシフィック・リーグ) |accessdate=2018-04-12}}</ref>。

'''{{by|2011年}}'''、開幕戦で3点本塁打を放つ活躍などで、シーズン序盤は4番を任されるものの不振に陥る。6月は月間打率.346と持ち直したが、7月から9月にかけては1割台と再び低迷。8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席にも到達しなかった。最終的に80安打で打率.223、本塁打3、打点43と一軍での自己最低の成績であり、三振72と例年より三振率の高いシーズンでもあった。なお、4月13日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で史上30人目の通算350二塁打を達成。1654試合での達成は歴代3位のスピード記録である<ref>{{Cite news |date=2011年04月14日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/14/kiji/K20110414000623760.html |title=福浦“打撃の神様”超えのスピード350二塁打達成 |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2017-09-15}}</ref>。[[File:Fukuura kazuya.jpg|thumb|2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて]]

'''{{by|2012年}}'''、春先はスタメン出場も多く、4試合連続打点の活躍で一時はチームトップの打点を稼いでいたが<ref>{{Cite news |date=2012年04月19日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120419-936749.html |title=【ロッテ】福浦、4試合連続打点 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>、交流戦以後は試合終盤における代打での出場が多くなり、45安打で打率.250、本塁打数は一軍に定着してから初めて0に終わる。一方、代打では5打席連続安打を記録するなど勝負強い打撃を見せ、7月18日の対東北楽天戦で代打サヨナラ犠飛<ref>{{Cite news |title=ロッテ・福浦、サヨナラ犠飛 楽天、初の前半戦Aクラス |newspaper=朝日新聞デジタル |date=2012-07-18 |url=http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201207180781.html |accessdate=2018-04-12}}</ref>、8月29日の同対戦では9回裏に代打で同点打を放つなど<ref>{{Cite news |title=岡田が決めた!“あきらめない”ロッテ、逆転サヨナラ |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2012-08-29 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/29/kiji/K20120829004003090.html |accessdate=2018-04-12}}</ref>、この年の代打成績は打率.424、打点8の成績を残した。

'''{{by|2013年}}'''は、2年ぶりに4番に入るなどシーズン序盤は一塁手でスタメン出場することもあったが、[[井口資仁]]の[[一塁手|一塁]]への[[コンバート]]や、[[G.G.佐藤]]、[[クレイグ・ブラゼル]]の加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまった。本塁打は0本、打率・打点も前年を下回ったが、9月は月間打率.429と好調で、9月30日の対北海道日本ハム戦では、球団最多11度目のサヨナラ打となる犠飛を放ち試合を決めた<ref>{{Cite book |和書| year=2014 |month=3 |title=プロ野球選手データ名鑑2014 |publisher=宝島社 |page=49 |isbn=978-4-8002-2248-0}}</ref>。また、8月2日の対オリックス戦で放った安打で通算1828安打となり、[[堀幸一]]の安打数を抜いて球団歴代3位となった<ref>{{Cite news |date=2013年08月03日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/03/kiji/K20130803006345190.html |title=伊東監督 あきれた「粘った、惜しかったじゃダメなんだよ」 |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2017-09-15}}</ref>。

'''{{by|2014年}}'''は、1997年以来17年ぶりに開幕を二軍で迎えた。6月に一軍登録されると、自己最多となる4打席連続適時打を放つなど<ref>{{Cite news |date=2014年07月17日 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/17/kiji/K20140717008577290.html |title=ロッテ福浦 自己最多4打席連続タイムリー 13点大勝けん引 |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2017-09-15}}</ref>、7月は打率.371と好調を維持。8月以降は低迷し、出場試合数および安打数はそれぞれ43試合、26安打と自己最少であったが、打率.283、代打率.474の成績を残した。9月9日の対埼玉西武戦では延長11回に代打サヨナラ二塁打を放ち試合を決める。自身の持つ球団最多記録を更新する通算12本目のサヨナラ打であり、リーグの通算記録では4位タイとなる<ref name="nikkan1409">{{Cite news |date=2014年09月10日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140910-1364307.html |title=ロッテ福浦12度目サヨナラ打 パ4位タイ |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>。

'''{{by|2015年}}'''、シーズン初スタメンだった4月9日の対オリックス戦で5年ぶりとなる1試合2本塁打を放つが<ref>{{Cite news |date=2015年04月10日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1459285.html |title=39歳福浦「できすぎ」4年ぶり弾&5年ぶり2発 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>、4月下旬から尿管結石のため一時登録を抹消される。5月に復帰後はスタメン出場もしばしばあり、最終的に73試合に出場で47安打、打率.272の成績を残した。6月15日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で、史上48人目、球団記録では4人目の通算2000試合出場を達成した<ref>{{Cite news |date=2015年06月15日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1492810.html |title=ロッテ福浦48人目2000試合!マーくんから花束 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2017-09-15}}</ref>。また、[[2015年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファーストステージの対北海道日本ハム戦では、スタメン出場した2試合で7打数4安打の成績を残すが、ファイナルステージでは無安打に終わった。

'''{{by|2016年}}'''、春季キャンプで左足首を痛めた影響で一軍昇格は7月13日と出遅れるが、その日の対福岡ソフトバンク戦での出場で、本拠地QVCマリンフィールドでの通算1000試合出場となった<ref>{{Cite news |date=2016年07月17日 |url=https://full-count.jp/2016/07/17/post38547/ |title=ロッテのレジェンド、「オレたちの福浦」が歩んできた果てしなき道のり |newspaper=full-count |accessdate=2017-09-15}}</ref>。その後は、8月19日に左背筋痛で一時登録を抹消されるなどして、一軍では自己最少となる36試合の出場で、20安打、7打点に終わる。

'''{{by|2017年}}'''、2年連続で開幕一軍からは外れたものの、4月12日に一軍昇格。一塁手を務めた選手の不振や負傷離脱などもあり、一塁手としての出場機会が増えた。7月7日の対オリックス戦では4年ぶりに犠飛を記録。自身が持つ球団の通算記録を75と更新し、パ・リーグでは単独5位となった<ref name="nik170708" />。その後は一時打率が2割を下回るが、9月は月間打率.304の成績を残す。9月12日の対オリックス戦では5年ぶりに1試合4打点を記録した。また、同日に2018年シーズンも現役続行することが確実になり、球団幹部より通算2000安打達成にむけて後押しする方針が明言された<ref>{{Cite news |date=2017年09月13日 |url=https://web.archive.org/web/20170913051705/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170913-OHT1T50000.html |title=福浦、現役続行 41歳まだイケる |newspaper=スポーツ報知 |accessdate=2017-09-29}}</ref>。10月19日には、2018年より選手兼打撃コーチとなることが発表された<ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦が選手兼任打撃コーチ就任「貢献したい」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2017-10-19 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710190000471.html |accessdate=2018-04-12}}</ref>。監督に就任した[[井口資仁]]の現役引退によって球団最年長選手となり、さらに[[松井稼頭央]]と並んで球界最年長野手となる<ref>{{Cite news |title=現時点での各球団の最年長選手は? |newspaper=ベースボールキング |date=2017-11-24 |url=https://baseballking.jp/ns/139070 |accessdate=2018-04-12}}</ref>。

'''{{by|2018年}}'''、一軍打撃コーチ兼内野手としてシーズンを迎え、「7番・[[指名打者|DH]]」で5年ぶりに開幕戦のスタメンに名を連ねた。42歳3ヶ月での開幕スタメンは、1978年の[[野村克也]](42歳9ヶ月)に次ぐ球団の年長記録となる<ref>{{Cite news |date=2018-03-30 |url=https://news.biglobe.ne.jp/sports/0330/sph_180330_5135002627.html |title=【ロッテ】42歳3か月・福浦が開幕スタメン…ノムさん次ぐチーム年長2位 |newspaper=BIGLOBEニュース |accessdate=2018-04-01}}</ref>。4月10日の対埼玉西武戦が通算2162試合目の出場となり、[[榎本喜八]]を抜いて球団の最多新記録となった<ref>{{Cite news |title=榎本喜八超え!福浦がロッテ新記録2162試合出場 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-04-10 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804100000894.html |accessdate=2018-04-11}}</ref>。5月10日に[[鳥越裕介]]ヘッド兼内野守備・走塁コーチのヘッドコーチ専任により、[[小坂誠]]二軍内野守備・走塁コーチが一軍に昇格。一軍ベンチ入りコーチ8枠が埋まるため、コーチ登録を抹消して選手専任となった<ref>{{Cite news |title=【ロッテ】反撃へコーチ配置転換…鳥越HC専任で井口監督サポート |newspaper=スポーツ報知 |date=2018-05-11 |url=https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180511-OHT1T50085.html |accessdate=2018-08-01}}</ref>。9月9日の対西武戦で球団史上4人目となる42歳以上での本塁打を記録<ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦「マグレ」3年半ぶり1発 偉業へM4 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-09-10 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809100000059.html |accessdate=2018-09-14}}</ref>。そして9月22日の西武戦、第4打席に[[小川龍也]]から右越え二塁打を放ち史上52人目の通算2000本安打を達成。チームでは榎本喜八・[[有藤道世]]以来3人目、42歳9ヶ月での達成は[[和田一浩]]に次ぐ年長記録であり左打者では最年長。投手登録を経験した選手の達成は史上5人目<ref group="注">[[川上哲治]]・[[広瀬叔功]]・[[柴田勲]]・[[石井琢朗]]に次ぐ5人目。</ref>、ドラフト7位の達成者は[[福本豊]]に次いで2人目、最終指名選手では初の快挙。一軍初出場が4年目以降の選手が達成したのも初めてである<ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦 初安打は4年目 そこから2000本到達は史上初 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2018年9月23日 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/23/kiji/20180923s00001173045000c.html |accessdate=2018-09-25}}</ref><ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦、4年目デビューで2000安打到達は |newspaper=日刊スポーツ |date=2018年9月23日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809220001015.html |accessdate=2018-09-25}}</ref>。試合後の会見では来季の現役続行を宣言し、その後は首痛の治療を優先して登録を抹消された<ref>{{Cite news |title=【ロッテ】福浦、限界だった…2000安打達成翌日抹消へ |newspaper=スポーツ報知 |date=2018年9月22日 |url=https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180922-OHT1T50270.html |accessdate=2018-11-08}}</ref>。

10月8日の試合前には[[日本プロ野球名球会|名球会]]の入会セレモニーが開かれ、連盟表彰、習志野市民栄誉賞、名球会ブレザーが授与された<ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦、名球会ブレザー「ズシリと重み感じた」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018年10月8日 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810080000507.html |accessdate=2018-11-08}}</ref>。

'''{{by|2019年}}'''、[[上原浩治]]と並んで球界最年長選手となり、選手兼任で二軍打撃コーチに就任するが、1月24日に今シーズン限りでの現役引退を表明した<ref name="mari190124">{{Cite web |date=2019-01-24 |url=https://www.marines.co.jp/news/detail/00003646.html |title=福浦二軍打撃コーチ兼選手 引退のお知らせ |publisher=千葉ロッテマリーンズ公式サイト |accessdate=2019-01-24}}</ref>。球団からコーチに重きを置いてと言われた時点で引退の気持ちが強まったといい<ref name="hochi190125">{{Cite news |title=【ロッテ】福浦が今季限りで引退…背番号9は“準永久欠番”に |newspaper=スポーツ報知 |date=2019-01-25 |url=https://hochi.news/articles/20190124-OHT1T50250.html |accessdate=2019-08-25}}</ref>、「若手をしっかりと指導をしてチームが強くなって優勝できるように頑張っていきたい」とコメントを発表した<ref name="mari190124" />。また、球団は背番号9を[[野球界の永久欠番#準永久欠番|準永久欠番]]とすることを決めた<ref name="hochi190125" />。

シーズン中はコーチ業に専念したが、4月20日に開催された「福浦和也デー」などのイベントに姿を見せた<ref>{{Cite news|title=ロッテ福浦 1軍初“合流”、20日「福浦和也デー」開催|newspaper=スポニチアネックス|date=2019-04-20|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/04/20/kiji/20190419s00001173506000c.html|accessdate=2019-09-24}}</ref>。5月11日のイースタン・リーグ[[習志野市秋津球場]]の試合では習志野高校時代の野球部同期と始球式に登板し<ref>{{Cite news|title=ロッテ福浦、当日券完売の思い出の習志野で始球式|newspaper=日刊スポーツ|date=2019-05-11|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905110000320.html|accessdate=2019-09-24}}</ref>、6月14日の「ALL for CHIBA習志野市」の試合では同校野球部の元監督・[[石井好博]]による始球式の打席に立った<ref>{{Cite news|title=ロッテ習志野デー!元習志野監督の石井氏が始球式&教え子の福浦が打席に 校吹奏楽部も美爆音披露|newspaper=スポニチアネックス|date=2019-06-14|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/06/14/kiji/20190614s00001173362000c.html|accessdate=2019-09-24}}</ref>。

9月23日、引退試合となる対北海道日本ハム戦に合わせて今季初の一軍昇格。福浦自身はAクラス争いを考慮して出場を固辞するが、井口監督のはからいで「7番・DH」で先発出場した<ref name="sanspo190924">{{Cite news |title=福浦と一緒に絶対CS!ロッテ、連勝で3位楽天と0・5差 引退試合“男気起用”にナイン発奮 |newspaper=サンスポ |date=2019-09-24 |url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20190924/mar19092405040002-n1.html |accessdate=2019-10-04}}</ref><ref name="ya191001">{{Cite web |title=井口監督の優しさを感じた福浦引退試合 |date=2019-10-01 |url=https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/201910010022-spnaviow |publisher=スポーツナビ |accessdate=2019-10-06}}</ref>。当日は監督・コーチ・選手全員が背番号「9」を背負い、ストッキングも福浦と同じオールドスタイルで臨んだ<ref name="sanspo190924" />。また、球場最寄りの[[海浜幕張駅]]職員や京成バス運転手らもユニフォームを着用したほか、駅内やバス車内での応援歌放送、駅電光掲示板へのメッセージ表示、近隣ホテルでのイルミネーションなど、球団史上前例のない取り組みが行われた<ref>{{Cite news|title=ロッテ福浦の引退セレモニー、幕張全体で盛り上げる|newspaper=日刊スポーツ|date=2019-09-18|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909170000651.html|accessdate=2019-10-05}}</ref>。試合前の始球式では福浦の次男がマウンドに上がり、福浦が打席に立った<ref name="ya191001" />。試合は4打数無安打に終わったが(現役最終打席は捕飛)、9回に[[指名打者|DH]]を解除して一塁の守備に入り、2死から[[平沼翔太]]の放ったライナーをダイビングキャッチするファインプレーで自らウイニングボールを掴み取った<ref name="nik19092301">{{Cite news |date=2019-09-23 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909230000610.html |title=ロッテ福浦「多くの人に支えられ」引退挨拶で感謝 |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2019-10-06}}</ref>。なお、2000安打ちょうどで現役を引退するのは史上初めてである<ref>{{Cite news|title=ロッテ福浦、通算2000安打ジャスト引退は史上初|newspaper=日刊スポーツ|date=2019-09-23|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909230000653.html|accessdate=2019-10-03}}</ref><ref group="注">投手では[[藤本英雄]]が200勝ちょうどで引退している。</ref>。

試合後の引退セレモニーでは[[松井稼頭央]]、[[高橋由伸]]、[[上原浩治]]をはじめ、[[ベニー・アグバヤニ]]、[[今江年晶]]、[[西岡剛]]、[[サブロー]]など福浦とゆかりのある人物からビデオメッセージが流された<ref name="nik19092301" />。福浦は引退の挨拶として「応援が勇気となり、身体を動かし続けることができました」とファンに感謝を述べ、「幸せな野球人生でした」と語った<ref>{{Cite news |title=ロッテ一筋26年の福浦 引退試合でチーム、家族、ファンに感謝「幸せな野球人生でした」笑顔で別れ |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2019-09-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/23/kiji/20190923s00001173331000c.html |accessdate=2019-10-03}}</ref>。その後は[[初芝清]]らから花束を受け取り、紙吹雪が舞う中を長男と次男を伴って場内を一周<ref name="ya191001" /><ref name="nik19092301" />。最後はチームメイトからの胴上げで背番号と同じ9回宙を舞った<ref name="nik19092301" />。

=== 現役引退後 ===
[[2020年]]シーズンから、二軍ヘッド兼打撃コーチに就任。背番号は入団当初と同じ「'''70'''」となった<ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦2軍ヘッドは「70」入団当初の背番号に |newspaper=日刊スポーツ |date=2019-11-01 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911010000271.html |accessdate=2019-12-04}}</ref>。

== 選手としての特徴 ==
=== 打撃 ===
安定した縦軌道のスイングから広角にライナーではじき返す打撃が特徴<ref name="report07">{{Cite book |和書|author=小関順二、西尾典文、泉直樹 |year=2007 |month=3 |title=プロ野球スカウティングレポート2007 |publisher=アスペクト |page=142 |isbn=978-4-7572-1338-8}}</ref><ref name="report11">{{Cite book |和書|author=小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 |year=2011 |month=3 |title=プロ野球スカウティングレポート2011 |publisher=廣済堂出版 |page=118 |isbn=978-4-331-51519-8}}</ref>。ボールを捉える技術に長けており<ref name="data10" />、元監督の[[山本功児]]からは「バッティングに関しては天才的なセンスの持ち主で、バットコントロールは天性のものだ」と評された<ref name="goo131023" />。また、監督の[[井口資仁]]や習志野高の先輩・[[掛布雅之]]は福浦の特筆すべき点としてバッティングの柔らかさを挙げており、タイミングを崩されても対応できる能力を高く評価している<ref>{{Cite news |title=ロッテ井口監督 福浦の打撃解説 ミートの幅の広さが生んだ柔らか広角打法 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2018-09-22 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/23/kiji/20180923s00001173040000c.html |accessdate=2018-10-07}}</ref><ref>{{Cite news |title=「俺達の福浦」の大合唱に押されてロッテ福浦が史上52人目2000本安打を達成 |newspaper=THE PAGE |date=2018-09-22 |url=https://news.goo.ne.jp/article/thepage/sports/thepage-20180922-00000001-wordleafs.html?page=2 |accessdate=2018-10-07}}</ref>。

苦手にしていた左投手の外寄りの球を、2001年に打率.408と克服するなど飛躍し<ref name="data10" />、同年から6年連続で打率3割以上を記録。2010年代は5年間で代打打率.315を記録するなど、代打の切り札としても名を馳せた<ref>{{Cite web |date=2016-01-17 ||url=https://www.baseballchannel.jp/npb/14115/2/ |title=当代きっての「代打の切り札」は広島の小窪、ロッテの福浦、日本ハムの矢野 |work=ベースボールチャンネル |accessdate=2018-05-06}}</ref>。二塁打が多いのも特徴で、放った二塁打は全安打の19.4%と高い割合を占め、2度のシーズン最多二塁打と史上唯一の3年連続40本以上の二塁打を記録している<ref name="full180923">{{Cite news |title=2000本安打の“幕張の安打製造機” ロッテ福浦を読み解く9つの数字 |newspaper=full-count |date=2018-09-23 |url=https://full-count.jp/2018/09/23/post210957/ |accessdate=2018-10-07}}</ref>。元監督の[[ボビー・バレンタイン]]は「故障さえなければ常に3割を打つ実力があり、メジャーに来ても二塁打を量産しただろう」と評している<ref>{{Cite news |title=ボビーも福浦を祝福「彼のスイングは本当に美しい。メジャーに来ても3割打っていた」 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2018-09-22 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/23/kiji/20180922s00001173588000c.html |accessdate=2018-10-07}}</ref>。

打席においては左のお尻に力を入れることを意識しながら左脇を開け、打つポイントを体の近くに置くことでギリギリまでボールを見極めてスイングをする<ref name="data10" />。若い頃から様々なフォームを試行し、かつては「[[振り子打法]]」で注目されたこともあったが、腰痛や年齢的な衰えなどから見直されていった<ref name="num060817">{{Cite web |date=2006-08-17 ||url=http://number.bunshun.jp/articles/-/12276 |title=福浦和也 理想のヒットを求めて。 |publisher=文藝春秋 |accessdate=2017-10-10}}</ref><ref>{{Cite book |和書|year=2015 |month=7 |title=ベースボールサミット第6回 |publisher=カンゼン |pages=130-140 |isbn=978-4-86255-313-3}}</ref>。後年はいかに力を抜いて構え、インパクトの瞬間に力が入るようなフォームを模索していたという<ref>{{Cite news |title=3年ぶりアーチ ロッテ・福浦 |newspaper=毎日新聞 |date=2018-09-09 |url=https://mainichi.jp/articles/20180910/k00/00m/050/055000c |accessdate=2018-09-14}}</ref>。また、調子のバロメーターの一つとしてファウルボールの方向をあげており、レフト方向へライナー性のファウルが打てる時は調子が良く、バックネット方向へファウルが飛ぶ時はタイミングが合っていないという感覚を持っている<ref name="num060817" />{{#tag:ref|バックネットに飛ぶファウルは一般的にはタイミングが合っているとされる<ref name="num060817" />|group="注"}}。

=== 守備・走塁 ===
一塁の守備は柔らかいグラブさばきと正確なスローイングに定評があり<ref name="report07" />、名手とも評されている<ref name="bc160529">{{Cite web |date=2016-05-29 ||url=https://www.baseballchannel.jp/npb/18186/2/ |title=一塁守備の名手は誰か?王貞治、中畑清、飯田徳治名一塁手列伝 |work=ベースボールチャンネル |accessdate=2018-05-06}}</ref>。股関節の柔らかさを生かし<ref name="data10" />、難しいワンバウンドの送球も容易に捕球する上手さがあり<ref name="goo131023" />、[[今江敏晃]]は「福浦さんがいなかったらチームの失策は倍に増えている」と語っている<ref name="data10" />。[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]で使用するゾーンデータを基にした「一塁線に強い一塁手のランキング」で1位、「一二塁間に強い一塁手ランキング」でも2位にあがるなど、ポジショニングの良さや守備範囲の広さが窺える<ref>{{Cite web |date=2015-04-27 ||url=http://www.baseball-lab.jp/column/entry/159/ |title=一塁線に強い一塁手、一二塁間に強い一塁手とは?「球辞苑」での一塁手特集 |publisher=データスタジアム |accessdate=2017-10-10}}</ref>。また、[[守備率#アウト寄与率・レンジファクター|レンジファクター]]は2000年代の上位5傑の内3つを福浦が占めるなど、例年高い数値を記録した<ref name="bc160529" />。なお、過去に外野を務めていたこともあったが、故障の影響で肩には自信がなかったという<ref name="data10" />。

均整のとれた体格から足が速そうに見られることがあるが<ref name="report07" />、一塁到達4.77秒<ref name="report11" />と鈍足である<ref>{{Cite book |和書|author=小関順二、泉直樹、荒井太郎 |year=2006 |month=4 |title=プロ野球スカウティングレポート2006 |publisher=アスペクト |page=18 |isbn=4-7572-1246-1}}</ref>。通算盗塁数は2000安打到達者で最も少なく<ref name="full180923" />、走塁に対する意欲は高くない<ref name="report07" />。

== 人物 ==
* 愛称は「はっちゃく」。マイペースながらも周りの人たちには憎まれない独特の雰囲気が『[[あばれはっちゃく]]』のようだとして、[[渡辺英昭]]が名付けた{{Sfn|福浦|2019|p=163}}。本人の[[ブログ]]でも使われており、「はっちゃく」という[[地酒]]も発売されている。
* 家族は夫人と2男。なお、息子の名前の一部に彼の才能を見出した山本功児元監督にあやかり、「功」の字が使われている。
* 人のフォームを観察するのが好きで、打者に転向後は良いバッターの長所を取り入れようと物真似を繰り返した。左打者では[[前田智徳]]、[[松井秀喜]]、[[イチロー]]、[[ケン・グリフィー・ジュニア]]などを参考にし、二軍時代は「今日は前田さん」「今日は松井さん」などと宣言して打席に入っていた{{Sfn|福浦|2019|pp=166-167}}<ref name="bun181005">{{Cite web |date= 2018-10-05 |url=https://bunshun.jp/articles/-/9153 |title=ロッテ・福浦和也 2000本安打達成は「モノマネ」のおかげ!? |website=[[文春オンライン]] |publisher=[[文藝春秋]] |accessdate=2019-08-26}}</ref>。
* 2002年から「KAZUYA PROJECT」と称して、児童福祉施設や特別支援学校の子どもたちを球場の「KAZUYAシート」に招待したり、シーズンオフに学校を訪問するなどの交流を続けていた<ref name="kpro">{{Cite web |url=http://spotsproject.com/athletes/a_prj02/ |title=KAZUYA PROJECT |accessdate=2018-01-11}}</ref>。
* 2000年に亡くなった母親への思いから「KAZUYA PROJECT」の一環として「Mother's Day Project」を開始し、[[母の日]]に子どもたちが母親への感謝を伝える取り組みを行っていた<ref>{{Cite web |url=http://baseballking.jp/ns/692 |title=母親への思い・・・ロッテ福浦選手が取り組む『Mother’s Day Project』とは |accessdate=2018-01-11}}</ref>。また、母の日の試合で活躍を見せた際は、母の日を意識したコメントを残している<ref>{{Cite news |title=【ロッテ】福浦「母の日の思い」先制打 |newspaper=日刊スポーツ |date=2012-05-13 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120513-950345.html |accessdate=2018-01-11}}</ref>。
* 一軍初昇格を果たした頃の試合で、強風に流された難しい飛球を捕球できたことを喜んでいたら、マウンド上の[[小宮山悟]]に激怒されたことが忘れられない思い出だという。原因はプロが飛球を捕ったくらいで喜ぶなという理由からだが、当時は訳が分からず困惑しきりで、その様子を見ていた一塁走者の[[イチロー]]に「どうした?何で怒られてんの?」と気遣われたという<ref>{{Cite book|和書 |author=萩原晴一郎 |year=2014 |title=18連敗の真実 なぜ千葉ロッテマリーンズは負け続けたのか? |pages=181-183 |publisher=竹書房 |isbn=978-4-8124-8950-5}}</ref>。
* [[2013年]]9月9日には代打で勝ち越しタイムリーヒットを、[[2014年]]9月9日には代打でサヨナラヒットを、[[2018年]]9月9日には自身3年振りのホームランを放っている。2014年には自身の背番号にちなみ「9月9日だから打たせてくれたのかな」とコメントを残している<ref>{{Cite news |title=背番9ロッテ福浦が9月9日にサヨナラ |newspaper=日刊スポーツ |date=2014-09-09 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140909-1364237.html |accessdate=2017-11-19}}</ref>。
* [[大松尚逸]]を弟のように可愛がっており、これまで様々なアドバイスをしてきた。大松が戦力外通告を受けた際には、後輩へのエールを込めて大松の登場曲で打席に立った。そして、[[東京ヤクルトスワローズ]]へ入団した大松は、試合で福浦の登場曲「[[願い (ATSUSHIの曲)|願い]]」を使用して思いに応えたという<ref>{{Cite news |title=【千葉魂】 福浦続く長い師弟関係 大松からの恩返し |newspaper=千葉日報 |date=2017-05-02 |url=https://www.chibanippo.co.jp/sports/lotte/405373 |accessdate=2018-07-21}}</ref>。
* ロッテでプレーする地元出身選手を輩出することを目標に、[[サブロー]]と共同でオーナーとなり、中学硬式野球チーム「千葉幕張ボーイズ」を設立した<ref>{{Cite news |title=地元スター育てたい…ロッテの将来見据える福浦&サブローの強い思い |newspaper=スポーツニッポン |date=2016-03-31 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/31/kiji/K20160331012313250.html |accessdate=2017-11-19}}</ref>。

== 応援 ==
応援歌は幾つかの変遷を経て、2011年から「俺達の福浦」と歌う楽曲となった<ref name="spo180923">{{Cite news |title=ロッテ福浦 評判の応援歌が偉業後押し 作曲者が込めた思い |newspaper=[[スポニチ Sponichi Annex]] |date=2018-09-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/23/kiji/20180923s00001173035000c.html |accessdate=2019-01-13}}</ref><ref>{{Cite news |title=ロッテ福浦2000本秘話。イチローの言葉と現役続行宣言の縁 |newspaper=THE PAGE |date=2018-12-20 |url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181220-00010000-wordleafs-base |accessdate=2019-01-13}}</ref>。作曲はかつて[[千葉ロッテマリーンズの応援団|ロッテの応援団]]に所属し、後年は楽天イーグルスのコンテンツ部に所属する神俊雄<ref name="spo180923" />。前奏を壮大なイメージで作り、歌詞には「長い間、現役を続けてほしい」という気持ちを込めたという<ref name="spo180923" />。この応援歌は福浦の人気と相まって非常に盛り上がり、他球団のファンからも評判が良い<ref name="spo180923" /><ref>{{Cite news |title=早打ちはヤメテくれと祈るほどカッコイイ「プロ野球の選手応援歌13選」 |newspaper=[[ロケットニュース24]] |date=2015-04-23 |url=https://rocketnews24.com/2015/04/23/572793/ |accessdate=2019-01-13}}</ref><ref>{{Cite news |title=これを知っていればあなたも通!?プロ野球選手の応援歌あれこれ |newspaper=SPAIA |date=2016-11-15 |url=https://spaia.jp/column/baseball/npb/1619?page=2 |accessdate=2019-01-13}}</ref>。

また、母校・[[習志野市立習志野高等学校|習志野高校]]のチャンステーマ「レッツゴー習志野」も、福浦の応援歌として本拠地の開幕戦などで使用されており、自身も「思い入れがあり、力になる」と述べている<ref name="goo131023" />。2018年6月14日にZOZOマリンスタジアムで行われた「ALL for CHIBAデー」の試合では、「美爆音」と称される同校吹奏楽部の演奏とロッテの応援団がコラボ応援するという前例のない企画が実現<ref>{{Cite news |title=「かっ飛ばせ福浦」 母校習志野吹奏楽部が応援 マリン・ロッテ戦 |newspaper=[[千葉日報]] |date=2018-06-15 |url=https://www.chibanippo.co.jp/news/national/507100 |accessdate=2019-01-13}}</ref><ref name="bun180618">{{Cite web |date=2018-06-18 |url=http://bunshun.jp/articles/-/7624 |title=“日本一の美爆音”習志野高校吹奏楽部とロッテ応援団、異例のコラボの舞台裏 |website=[[文春オンライン]] |publisher=[[文藝春秋]] |accessdate=2019-01-13}}</ref>。ファン、選手、メディアなどから大きな反響を呼び、福浦も「後輩たちの素晴らしい応援にすごく力をもらった」と感想を述べた<ref name="bun180618" />。

== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1997}}
|rowspan="23" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]
|67||242||218||27||63||8||1||6||91||23||0||1||1||1||19||2||3||36||5||.289||.353||.417||.770
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1998}}
|129||526||465||61||132||32||3||3||179||57||1||2||0||6||51||3||4||78||10||.284||.356||.385||.740
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1999}}
|114||284||256||21||71||15||1||3||97||35||0||0||0||3||21||1||4||38||5||.277||.338||.379||.717
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2000}}
|131||494||446||58||132||21||4||7||182||56||1||1||6||4||34||2||4||59||15||.296||.348||.408||.756
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
||120||519||451||82||156||30||4||18||248||67||0||2||2||3||58||3||5||74||10||'''.346'''||.424||.550||.973
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2002}}
|135||565||493||48||148||40||0||9||215||66||2||1||0||3||52||3||'''17'''||73||10||.300||.384||.436||.820
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}}
|'''140'''||623||567||75||172||'''50'''||1||21||287||76||2||3||1||5||48||6||2||89||'''22'''||.303||.357||.506||.863
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}}
|128||569||506||67||159||'''42'''||1||11||236||73||2||1||2||4||47||0||10||82||8||.314||.381||.466||.847
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}}
|114||491||434||54||130||25||1||6||175||72||0||2||0||'''9'''||39||0||9||55||5||.300||.363||.403||.766
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
|114||484||436||43||136||20||1||4||170||52||0||3||3||7||33||5||5||52||11||.312||.362||.390||.752
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}}
|110||445||395||41||102||20||1||4||136||57||0||1||2||6||38||3||4||44||8||.258||.325||.344||.669
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2008}}
|105||371||310||39||78||9||0||1||90||44||0||0||1||7||50||2||2||49||10||.252||.352||.290||.643
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2009}}
|129||460||396||47||108||18||0||6||144||39||1||0||11||3||46||0||4||65||8||.273||.352||.364||.716
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2010}}
|116||359||322||42||95||19||0||13||153||61||0||0||3||3||28||2||3||47||8||.295||.354||.475||.829
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2011}}
|116||405||358||22||80||13||0||3||102||43||0||0||1||6||37||3||3||72||11||.223||.297||.285||.582
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2012}}
|84||199||180||5||45||3||0||0||48||25||0||0||1||2||15||1||1||27||3||.250||.308||.267||.575
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2013}}
|78||169||140||5||32||5||1||0||39||17||0||0||0||2||26||1||1||30||4||.229||.349||.279||.628
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2014}}
|43||106||92||4||26||2||0||0||28||15||0||0||0||0||12||1||2||14||1||.283||.377||.304||.682
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2015}}
|73||199||173||17||47||3||0||2||56||21||1||0||0||0||20||1||6||34||4||.272||.367||.324||.691
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2016}}
|36||90||82||4||20||2||0||0||22||7||0||0||0||0||5||0||3||12||2||.244||.311||.268||.579
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2017}}
|70||155||134||6||30||7||0||0||37||18||0||0||0||2||18||0||1||25||4||.224||.316||.276||.592
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2018}}
|82||196||181||6||38||4||0||1||45||11||0||0||0||2||10||1||2||34||4||.210||.256||.249||.505
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2019}}
|1||4||4||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||.000||.000||.000||.000
|-
!colspan="2" style="white-space:nowrap;"|通算:23年
|2235||7955||7039||774||2000||388||19||118||2780||935||10||17||34||78||707||40||95||1089||168||.284||.354||.395||.749
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高

=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[一塁手|一塁]]!!colspan="6"|[[外野手|外野]]
|-style="line-height:1.25em;"
![[試合|試<br /><br />合]]!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率
|-
|1997
|rowspan="23" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|ロッテ
|65||546||30||7||47||.988||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|1998
|127||1116||65||6||133||.995||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|1999
|74||258||23||5||35||.990||18||20||1||1||0||.955
|-
|2000
|93||644||43||2||54||.997||58||74||2||4||1||.950
|-
|2001||116||1122||59||5||92||.996||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2002
|133||1195||76||6||97||.995||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|'''2003'''
|135||1328||101||7||109||.995||2||3||0||0||0||1.000
|-
|2004
|111||1040||65||6||106||.995||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|'''2005'''
|112||1020||48||7||95||.993||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2006
|112||1019||70||6||80||.995||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|'''2007'''
|103||902||68||5||73||.995||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2008
|86||642||56||2||58||.997||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2009
|124||869||73||1||74||.999||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2010
|10||75||4||1||7||.988||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2011
|26||233||22||0||18||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2012
|40||316||31||4||22||.989||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2013
|32||182||19||0||13||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2014
|18||112||15||0||11||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
|2015
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|2016
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|2017
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|2018
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|2019
|1||1||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-
|-
!colspan="2"|通算
|1616||13180||921||73||1163||.995||78||97||3||5||1||.952
|}
* '''太字年'''はゴールデングラブ賞受賞年

=== タイトル ===
* [[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]:1回(2001年)

=== 表彰 ===
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(指名打者部門:2010年)
* [[ゴールデングラブ賞]]:3回(一塁手部門:2003年、2005年、2007年)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回(野手部門:2006年4月)
* [[習志野市|習志野]]市民栄誉賞(2018年)
* [[熊谷俊人|千葉市長]]特別表彰(ホームタウン感動賞:2018年)
* 千葉イメージアップ大賞(2019年)<ref>{{Cite news |date=2019-01-29 |title=千葉イメージアップ大賞表彰 ロッテ・福浦選手「もっと県盛り上げる」特別賞「銚子電鉄」/千葉 |newspaper=gooニュース |publisher=毎日新聞社 |url=https://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20190129ddlk12040144000c.html |accessdate=2019-01-29}}</ref>
* [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]連盟特別表彰:1回 (功労賞:2019年)

=== 記録 ===
; 初記録
* 初出場・初先発出場:1997年7月5日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]14回戦([[千葉マリンスタジアム]])、7番・[[一塁手]]で先発出場
* 初安打:同上、4回裏に[[ウィリー・フレーザー]]から中前安打
* 初三振:1997年7月8日、対[[福岡ダイエーホークス]]15回戦(千葉マリンスタジアム)、[[工藤公康]]から
* 初打点:1997年7月13日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]15回戦([[札幌市円山球場]])、5回表に[[石井丈裕]]から
* 初本塁打:1997年8月1日、対西武ライオンズ16回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に[[横田久則]]から右中間へ逆転決勝2ラン
* 初二塁打:1997年8月19日、対西武ライオンズ19回戦([[西武ドーム|西武ライオンズ球場]])、2回表に[[豊田清]]から
* 初盗塁:1998年7月28日、対福岡ダイエーホークス16回戦([[北九州市民球場]])、2回表に二盗(投手:[[西村龍次]]、捕手:[[城島健司]])

; 節目の記録
* 1000安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に[[斉藤和巳]]から中前安打 ※史上225人目
* 1000試合出場:2005年5月12日、対[[阪神タイガース]]3回戦(千葉マリンスタジアム)、3番・一塁手で先発出場 ※史上402人目
* 300二塁打:2007年8月3日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]13回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に[[ブライアン・スウィーニー]]から左翼線適時二塁打 ※史上46人目
* 1500安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、8回表に[[水田章雄]]から左中間へ2点適時二塁打 ※史上99人目
* 1500試合出場:2009年8月19日、対オリックス・バファローズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手で先発出場 ※史上166人目
* 100本塁打:2010年3月22日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、3回表に[[岸孝之]]から右中間へ2ラン ※史上258人目
* 350二塁打:2011年4月13日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に[[川岸強]]から右翼線二塁打 ※史上30人目
* 2000試合出場:2015年6月15日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]3回戦([[明治神宮野球場]])、6回表に[[藤岡貴裕]]の代打で出場 ※史上48人目
* 1000三振:2015年7月13日、対オリックス・バファローズ11回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、8回表に[[金子千尋]]から見逃し三振 ※史上60人目
* 2000安打:2018年9月22日、対埼玉西武ライオンズ24回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回裏に[[小川龍也]]から右前二塁打 ※史上52人目

; その他の記録
* シーズン50二塁打(2003年) ※[[谷佳知]]に次いで史上2例のみ
* 3年連続40二塁打(2002年 - 2004年) ※NPB記録
* 6年連続打率3割(2001年 - 2006年) ※史上11人目
* 日本シリーズ満塁本塁打:2005年10月25日、対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場) ※史上17人目
* 代打逆転ビデオ判定満塁本塁打:2010年5月13日、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム) ※史上初
* 通算サヨナラ打:12本 ※球団記録、パ・リーグ4位タイ<ref name="nikkan1409" />
* 通算試合数:2235 ※球団記録
* 通算犠飛数:78 ※球団記録
* 通算死球数:95 ※球団記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:3回(2000年、2004年、2005年) ※2006年も選出されるも負傷のため出場辞退<ref>[[ベースボール・レコード・ブック]]2007(ベースボール・マガジン社 2006年12月)958p</ref>
* [[日米野球]]出場:2回(2004年、[[日米野球2006|2006年]])
* [[フランチャイズ・プレイヤー]]:デビュー以来移籍経験なし(地元出身、'''最狭義'''のフランチャイズプレイヤーでもある)

=== 背番号 ===
* '''70'''(1994年 - 1997年、2020年 - )
* '''9'''(1998年 - 2019年)

=== 登場曲 ===
* 2011年
** (1打席目)[[Anything Goes!]] - [[大黒摩季]]
** (2打席目)[[ウルトラマンメビウス]] - [[Project DMM]]
** (3打席目)Right Here Right Now - [[Fatboy Slim]]
** (4打席目)Just A Dream - [[ネリー (ラッパー)|Nelly]]
* 2012年
** [[願い (ATSUSHIの曲)|願い]] - [[ATSUSHI (歌手)|ATSUSHI]]

== 関連情報 ==
=== 書籍 ===
* {{Cite book |和書 |author=福浦和也 |year=2019 |month=7 |title=習志野が生んだ野球小僧 |publisher=[[コスミック出版]] |isbn=978-4-7747-9190-6 |ref={{SfnRef|福浦|2019}} }}
* {{Cite book |和書 |year=2019 |month=9 |title=ありがとう福浦和也 引退惜別号 |publisher=[[ベースボール・マガジン社]] |series=週刊ベースボール増刊 ||id=雑誌コード:20446-10}}

=== DVD ===
* 千葉ロッテマリーンズ 福浦和也 2000本安打メモリアルDVD(2019年2月27日、発売・販売元:[[TCエンタテインメント]]、品番:TCED-4395)

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 関連項目 ==
* [[千葉県出身の人物一覧]]
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]

== 外部リンク ==
{{NPB|21923889}}
{{BASEBALLstats|brjpn=fukuur001kaz|cube=Kazuya-Fukuura}}
* {{Amebaブログ|kazuya9|福浦和也オフィシャルブログ「巧」}}
* {{Facebook|9FUKUURA|福浦和也}}
* {{Twitter|fukuura_0709}}
* [https://www.marines.co.jp/special/fukuura2000/ 福浦選手2000安打特設サイト] - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト

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[[Category:千葉県出身の人物]]
[[Category:1975年生]]
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2020年2月29日 (土) 17:21時点における版

福浦 和也
千葉ロッテマリーンズ コーチ #70
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1975-12-14) 1975年12月14日(48歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1993年 ドラフト7位
初出場 1997年7月5日
最終出場 2019年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2018, 2019 - )

福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手内野手、左投左打)。現在は千葉ロッテマリーンズの二軍ヘッド兼打撃コーチ。

現役時代は地元出身のフランチャイズ・プレイヤーとして千葉ロッテマリーンズに26年間所属。球団史上3人目の2000本安打達成者であり、「幕張の安打製造機」の異名をとった[1]

経歴

プロ入り前

習志野市立大久保東小学校1年の時に父の影響で野球を始め[2][3]、習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属[4]。この頃はテレビで巨人の試合をよく観ていて、篠塚和典吉村禎章らに注目していた[2][5]。また、小学6年生の頃から習志野高校を志望し、プロ野球選手を夢見るようになったという[6]習志野市立第二中学校ではリトルリーグで一時期プレーしていた関係でバスケ部に入部するが、数か月後に野球部へ転部する[7][8]。1年後にはエースとなり、3年春に市内大会で優勝を果たす[7]。中学時代に同郷の井上貴朗と投げ合ったこともある[7]

習志野市立習志野高等学校では1年時からレギュラーになり、2年時からは4番に定着[9]。高校通算20本塁打を記録した[10][11]。2年秋頃からは最速142km/hのストレートカーブのコンビネーションを武器に[12][13]エースとしても活躍した[11]。2年夏(1992年)の県大会では東京学館技術との4回戦で本塁打を放つ。チームはベスト8に進出するが[7]、準々決勝で立川隆史を擁する拓大紅陵に敗退。秋季関東大会県予選の準々決勝では、暁星国際高に8回コールド負け。3年春(1993年)には練習試合でノーヒットノーランを達成している[7]。夏の県大会では3回戦で野田北高に敗退。

1993年のドラフトで地元球団・千葉ロッテマリーンズに投手として7位指名され入団。指名がなければ社会人チームで野球を続ける進路を考えていたという[12]。この年はドラフト会議における逆指名元年で、同時に始まったフリーエージェント も相俟って各球団指名選手数を絞る中、唯一ロッテは7人目を指名し、このドラフト会議での最終指名者となった。支配下登録選手枠70名の最後という扱いで背番号は70に決まった[1]

ロッテ時代

1994年、入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める[1]。その後は、同期の大塚明らと連日の特守で鍛えられながらも、一軍出場がないまま3年間をファームで過ごす[1]。なお、一軍で通用する守備力を手に入れられたのは、この頃に佐藤兼伊知二軍守備コーチに絞られたおかげだと後年語っている[14]。同年10月8日のイースタン・リーグ最終戦で、横浜ベイスターズの友利結から放った二塁打がファームでの初安打となる[12]。成績は7試合で打率.125、0本塁打、1打点[15]

1995年、入団2年目のシーズンはレン・サカタ二軍監督が若手を積極起用した影響もあり[12]、ファームで76試合に出場し、打率.263、5本塁打、23打点と飛躍し、ジュニアオールスターに出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する[16]

1996年、3年目も一軍昇格はなく、54試合で打率.235、0本塁打、9打点と低迷したが、9月は打率.333と好調だった[15]。シーズンオフは黒潮リーグで腕を磨いた[15]。また、自分を追い込むためオフに退寮し、自発的にトレーニングを管理するようになる[17]

1997年、春季キャンプの時から近藤昭仁監督に目を掛けられ[18]、7月5日に初の一軍昇格。その日の対オリックス・ブルーウェーブ戦に「7番・一塁手」でスタメン出場し、プロ入り初安打を記録。同月15日の対日本ハムファイターズ戦では初のサヨナラ打、8月1日の対西武ライオンズ戦では初本塁打を放つなど活躍し、「3番・一塁手」としてレギュラーに定着[19]。67試合に出場して打率.289の成績を残した。シーズンオフに高校時代から交際していた女性と結婚[20]

1998年、背番号を9に改め、開幕からレギュラーとして129試合に出場。初の規定打席にも到達し、打率.284の成績で打撃ランキング12位を記録。7月10日の対日本ハム戦では石井丈裕からプロ初のサヨナラ本塁打を放っている。なお、チームは6月13日からプロ野球記録の18連敗を喫するが、その間も全てスタメン出場している。連敗前までは打率3割を超えていたが、連敗中に調子を落としたことに不甲斐なさを感じていたという[18]。「七夕の悲劇」と呼ばれる7月7日の対オリックス戦(グリーンスタジアム神戸)では1安打1打点と奮起するが土壇場で勝利を逃し、後年になっても忘れられない試合として語っている[21]

1999年は、フランク・ボーリック初芝清などに一塁のポジションを譲り、スタメンでの出場は前年の半分ほどに減少したが、打率.277、得点圏打率.361と安定した成績を残した[22]。また、シーズン終盤からは外野を守ることが多くなった。

2000年石井浩郎の加入で外野での出場が前年よりも増加。オープン戦から好調を維持して、一時は4割近い打率で打撃ランキングのトップに立っていた[23]。シーズン中に母親を亡くすという不幸に見舞われるがレギュラーとして定着し、初のオールスターゲーム出場を果たす[1]。シーズン成績は僅かに3割に届かず[注 1]、打率.296で終えたことを反省し、ワンプレーを大切にすることを強く意識するようになる[24][1]

2001年、腰痛で欠場することもあったが、一塁手のレギュラーに復帰。小笠原道大との最終戦にまでもつれる争いを制し、打率.346で首位打者を獲得し[25]、初の二桁本塁打となる18本塁打を放った。対左打率.387と左投手を得意とし、2ストライクに追い込まれた後の打率もリーグトップの.304の成績を残した[13]。この年は「振ればヒット」という不思議な感覚に包まれていたという[26]。なお、2012年に阿部慎之助が達成するまで、日本プロ野球史上唯一のシーズン盗塁0での首位打者であった[27]。オフの契約更改で、1億円プレーヤーとなる[28]

2002年、ストライクゾーンが変更された影響でバッティングを崩したうえに[29]、厳しくなったマークでリーグ最多の17死球を喫するが、2年連続で打率3割を記録[30]。得点圏打率は.247と前年より1割近く落としたが[13]、2ストライク後の打率.272はリーグトップであった[31]

2003年、初の全試合出場を達成し、いずれも自己最多となる172安打・21本塁打・76打点を記録して、3年連続の打率3割を記録。また、歴代2位の50二塁打、史上初の2年連続40二塁打[32]、シーズン2度の1試合5安打を達成[33]。なお、シーズン172安打は2010年に西岡剛に更新されるまで、球団3位の記録であった[34]。守備面では3年ぶりに外野を守る機会もあったが、一塁手部門で初のゴールデングラブ賞を獲得した[35]

2004年、前年韓国で56本塁打を記録した一塁手の李承燁が入団したが、この年も打率.314(リーグ9位)・11本塁打の成績で一塁手のレギュラーを守った[36]。両リーグ最多の42二塁打、史上初の3年連続40二塁打[32]、8月20日の対福岡ダイエーホークス戦では通算1000本安打を達成。6月1日の同対戦では杉内俊哉から満塁本塁打を放った[37]。また、2度目となるオールスターゲームと、シーズンオフに開催された日米野球にも出場した。

2005年、故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで5年連続の打率3割と3年連続の70打点を達成。本塁打は一桁の6本に終わったが、得点圏打率.333、満塁打率.556[13]犠飛はリーグトップの9本を記録した。また、5月12日の対阪神タイガース戦では通算1000試合出場を達成している。ボビー・バレンタイン監督による日替わりのマリンガン打線において、唯一福浦だけがシーズンを通して「3番・一塁手」に固定され、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献[1]阪神タイガースとの日本シリーズ第3戦(阪神甲子園球場)では桟原将司からシリーズ史上17本目となる満塁本塁打を放った。なお、優勝したジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかった。3度目のオールスターゲーム出場と2度目のゴールデングラブ賞受賞を果たす。

2006年、3・4月度の成績がリーグトップの43安打、打率.422と好調で初の月間MVPを受賞。入団13年目での初受賞は、リーグ史上2番目に遅い記録であった[38]。7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312(リーグ5位)、4本塁打[39]。なお、前述の理由により出場が決まっていたオールスターゲームは辞退。シーズンオフの日米野球には2大会連続の出場となった。同年、FA権を取得。

2007年、開幕直後に右脇腹の肋骨を骨折して1ヶ月間離脱[40]。復帰後は5月まで打率3割を維持していたが、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258・4本塁打という一軍では自己最低の成績に終わり、規定打席にわずか1打席届かなかった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。一方、得点圏打率は.339の成績を残し、打点は前年より多い57を記録。8月3日の対日本ハム戦では、史上46人目の通算300二塁打を達成する。また、守備で見せる動きは健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した[41]

2008年、腰痛や首痛などの故障に苦しみ[42]、前年以上に成績を落とす。スタメン出場も減少し、指名打者や代打での出場が多くなった。8年続いていたシーズン100安打も途切れ、二塁打が9本と長打率も大きく減少。一方で、打率.252ながら前年より四球が増加し、出塁率は.352の成績を残した。

2009年、シーズン当初はここ数年と同様に低調で、打率は2割台前半、得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半に沈み、打順は主に2番や8番で堀幸一ゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていた。しかし、8月から徐々に調子を上げ、8月と9月の2ヶ月間で49安打、打率.363と勝負強さと長打力を取り戻してシーズン終盤には再び3番に定着。3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。また、5月2日の対福岡ソフトバンク戦で、史上99人目、球団史上10人目の1500本安打[43]、8月19日の対オリックス戦では1500試合出場を達成。

2010年、慢性的な腰痛や、金泰均の加入などを考慮して指名打者に転向する[44]。ここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率.295を記録し、本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録。3月22日の対埼玉西武戦では通算100号本塁打を達成。史上258人目だが、1539試合での到達は6番目に遅い記録であった[45]。また、代打率.364と代打の切り札としても結果を残した。5月13日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では6回表一死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴からライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初の事例である[46]クライマックスシリーズファーストステージの対埼玉西武戦では、延長11回に土肥義弘から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献[47]。チームはファイナルステージも突破し、日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成。1年を通した活躍で、指名打者部門で初のベストナインを受賞した[48]

2011年、開幕戦で3点本塁打を放つ活躍などで、シーズン序盤は4番を任されるものの不振に陥る。6月は月間打率.346と持ち直したが、7月から9月にかけては1割台と再び低迷。8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席にも到達しなかった。最終的に80安打で打率.223、本塁打3、打点43と一軍での自己最低の成績であり、三振72と例年より三振率の高いシーズンでもあった。なお、4月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で史上30人目の通算350二塁打を達成。1654試合での達成は歴代3位のスピード記録である[49]

2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

2012年、春先はスタメン出場も多く、4試合連続打点の活躍で一時はチームトップの打点を稼いでいたが[50]、交流戦以後は試合終盤における代打での出場が多くなり、45安打で打率.250、本塁打数は一軍に定着してから初めて0に終わる。一方、代打では5打席連続安打を記録するなど勝負強い打撃を見せ、7月18日の対東北楽天戦で代打サヨナラ犠飛[51]、8月29日の同対戦では9回裏に代打で同点打を放つなど[52]、この年の代打成績は打率.424、打点8の成績を残した。

2013年は、2年ぶりに4番に入るなどシーズン序盤は一塁手でスタメン出場することもあったが、井口資仁一塁へのコンバートや、G.G.佐藤クレイグ・ブラゼルの加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまった。本塁打は0本、打率・打点も前年を下回ったが、9月は月間打率.429と好調で、9月30日の対北海道日本ハム戦では、球団最多11度目のサヨナラ打となる犠飛を放ち試合を決めた[53]。また、8月2日の対オリックス戦で放った安打で通算1828安打となり、堀幸一の安打数を抜いて球団歴代3位となった[54]

2014年は、1997年以来17年ぶりに開幕を二軍で迎えた。6月に一軍登録されると、自己最多となる4打席連続適時打を放つなど[55]、7月は打率.371と好調を維持。8月以降は低迷し、出場試合数および安打数はそれぞれ43試合、26安打と自己最少であったが、打率.283、代打率.474の成績を残した。9月9日の対埼玉西武戦では延長11回に代打サヨナラ二塁打を放ち試合を決める。自身の持つ球団最多記録を更新する通算12本目のサヨナラ打であり、リーグの通算記録では4位タイとなる[56]

2015年、シーズン初スタメンだった4月9日の対オリックス戦で5年ぶりとなる1試合2本塁打を放つが[57]、4月下旬から尿管結石のため一時登録を抹消される。5月に復帰後はスタメン出場もしばしばあり、最終的に73試合に出場で47安打、打率.272の成績を残した。6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上48人目、球団記録では4人目の通算2000試合出場を達成した[58]。また、クライマックスシリーズファーストステージの対北海道日本ハム戦では、スタメン出場した2試合で7打数4安打の成績を残すが、ファイナルステージでは無安打に終わった。

2016年、春季キャンプで左足首を痛めた影響で一軍昇格は7月13日と出遅れるが、その日の対福岡ソフトバンク戦での出場で、本拠地QVCマリンフィールドでの通算1000試合出場となった[59]。その後は、8月19日に左背筋痛で一時登録を抹消されるなどして、一軍では自己最少となる36試合の出場で、20安打、7打点に終わる。

2017年、2年連続で開幕一軍からは外れたものの、4月12日に一軍昇格。一塁手を務めた選手の不振や負傷離脱などもあり、一塁手としての出場機会が増えた。7月7日の対オリックス戦では4年ぶりに犠飛を記録。自身が持つ球団の通算記録を75と更新し、パ・リーグでは単独5位となった[21]。その後は一時打率が2割を下回るが、9月は月間打率.304の成績を残す。9月12日の対オリックス戦では5年ぶりに1試合4打点を記録した。また、同日に2018年シーズンも現役続行することが確実になり、球団幹部より通算2000安打達成にむけて後押しする方針が明言された[60]。10月19日には、2018年より選手兼打撃コーチとなることが発表された[61]。監督に就任した井口資仁の現役引退によって球団最年長選手となり、さらに松井稼頭央と並んで球界最年長野手となる[62]

2018年、一軍打撃コーチ兼内野手としてシーズンを迎え、「7番・DH」で5年ぶりに開幕戦のスタメンに名を連ねた。42歳3ヶ月での開幕スタメンは、1978年の野村克也(42歳9ヶ月)に次ぐ球団の年長記録となる[63]。4月10日の対埼玉西武戦が通算2162試合目の出場となり、榎本喜八を抜いて球団の最多新記録となった[64]。5月10日に鳥越裕介ヘッド兼内野守備・走塁コーチのヘッドコーチ専任により、小坂誠二軍内野守備・走塁コーチが一軍に昇格。一軍ベンチ入りコーチ8枠が埋まるため、コーチ登録を抹消して選手専任となった[65]。9月9日の対西武戦で球団史上4人目となる42歳以上での本塁打を記録[66]。そして9月22日の西武戦、第4打席に小川龍也から右越え二塁打を放ち史上52人目の通算2000本安打を達成。チームでは榎本喜八・有藤道世以来3人目、42歳9ヶ月での達成は和田一浩に次ぐ年長記録であり左打者では最年長。投手登録を経験した選手の達成は史上5人目[注 2]、ドラフト7位の達成者は福本豊に次いで2人目、最終指名選手では初の快挙。一軍初出場が4年目以降の選手が達成したのも初めてである[67][68]。試合後の会見では来季の現役続行を宣言し、その後は首痛の治療を優先して登録を抹消された[69]

10月8日の試合前には名球会の入会セレモニーが開かれ、連盟表彰、習志野市民栄誉賞、名球会ブレザーが授与された[70]

2019年上原浩治と並んで球界最年長選手となり、選手兼任で二軍打撃コーチに就任するが、1月24日に今シーズン限りでの現役引退を表明した[71]。球団からコーチに重きを置いてと言われた時点で引退の気持ちが強まったといい[72]、「若手をしっかりと指導をしてチームが強くなって優勝できるように頑張っていきたい」とコメントを発表した[71]。また、球団は背番号9を準永久欠番とすることを決めた[72]

シーズン中はコーチ業に専念したが、4月20日に開催された「福浦和也デー」などのイベントに姿を見せた[73]。5月11日のイースタン・リーグ習志野市秋津球場の試合では習志野高校時代の野球部同期と始球式に登板し[74]、6月14日の「ALL for CHIBA習志野市」の試合では同校野球部の元監督・石井好博による始球式の打席に立った[75]

9月23日、引退試合となる対北海道日本ハム戦に合わせて今季初の一軍昇格。福浦自身はAクラス争いを考慮して出場を固辞するが、井口監督のはからいで「7番・DH」で先発出場した[76][77]。当日は監督・コーチ・選手全員が背番号「9」を背負い、ストッキングも福浦と同じオールドスタイルで臨んだ[76]。また、球場最寄りの海浜幕張駅職員や京成バス運転手らもユニフォームを着用したほか、駅内やバス車内での応援歌放送、駅電光掲示板へのメッセージ表示、近隣ホテルでのイルミネーションなど、球団史上前例のない取り組みが行われた[78]。試合前の始球式では福浦の次男がマウンドに上がり、福浦が打席に立った[77]。試合は4打数無安打に終わったが(現役最終打席は捕飛)、9回にDHを解除して一塁の守備に入り、2死から平沼翔太の放ったライナーをダイビングキャッチするファインプレーで自らウイニングボールを掴み取った[79]。なお、2000安打ちょうどで現役を引退するのは史上初めてである[80][注 3]

試合後の引退セレモニーでは松井稼頭央高橋由伸上原浩治をはじめ、ベニー・アグバヤニ今江年晶西岡剛サブローなど福浦とゆかりのある人物からビデオメッセージが流された[79]。福浦は引退の挨拶として「応援が勇気となり、身体を動かし続けることができました」とファンに感謝を述べ、「幸せな野球人生でした」と語った[81]。その後は初芝清らから花束を受け取り、紙吹雪が舞う中を長男と次男を伴って場内を一周[77][79]。最後はチームメイトからの胴上げで背番号と同じ9回宙を舞った[79]

現役引退後

2020年シーズンから、二軍ヘッド兼打撃コーチに就任。背番号は入団当初と同じ「70」となった[82]

選手としての特徴

打撃

安定した縦軌道のスイングから広角にライナーではじき返す打撃が特徴[83][84]。ボールを捉える技術に長けており[13]、元監督の山本功児からは「バッティングに関しては天才的なセンスの持ち主で、バットコントロールは天性のものだ」と評された[1]。また、監督の井口資仁や習志野高の先輩・掛布雅之は福浦の特筆すべき点としてバッティングの柔らかさを挙げており、タイミングを崩されても対応できる能力を高く評価している[85][86]

苦手にしていた左投手の外寄りの球を、2001年に打率.408と克服するなど飛躍し[13]、同年から6年連続で打率3割以上を記録。2010年代は5年間で代打打率.315を記録するなど、代打の切り札としても名を馳せた[87]。二塁打が多いのも特徴で、放った二塁打は全安打の19.4%と高い割合を占め、2度のシーズン最多二塁打と史上唯一の3年連続40本以上の二塁打を記録している[88]。元監督のボビー・バレンタインは「故障さえなければ常に3割を打つ実力があり、メジャーに来ても二塁打を量産しただろう」と評している[89]

打席においては左のお尻に力を入れることを意識しながら左脇を開け、打つポイントを体の近くに置くことでギリギリまでボールを見極めてスイングをする[13]。若い頃から様々なフォームを試行し、かつては「振り子打法」で注目されたこともあったが、腰痛や年齢的な衰えなどから見直されていった[90][91]。後年はいかに力を抜いて構え、インパクトの瞬間に力が入るようなフォームを模索していたという[92]。また、調子のバロメーターの一つとしてファウルボールの方向をあげており、レフト方向へライナー性のファウルが打てる時は調子が良く、バックネット方向へファウルが飛ぶ時はタイミングが合っていないという感覚を持っている[90][注 4]

守備・走塁

一塁の守備は柔らかいグラブさばきと正確なスローイングに定評があり[83]、名手とも評されている[93]。股関節の柔らかさを生かし[13]、難しいワンバウンドの送球も容易に捕球する上手さがあり[1]今江敏晃は「福浦さんがいなかったらチームの失策は倍に増えている」と語っている[13]UZRで使用するゾーンデータを基にした「一塁線に強い一塁手のランキング」で1位、「一二塁間に強い一塁手ランキング」でも2位にあがるなど、ポジショニングの良さや守備範囲の広さが窺える[94]。また、レンジファクターは2000年代の上位5傑の内3つを福浦が占めるなど、例年高い数値を記録した[93]。なお、過去に外野を務めていたこともあったが、故障の影響で肩には自信がなかったという[13]

均整のとれた体格から足が速そうに見られることがあるが[83]、一塁到達4.77秒[84]と鈍足である[95]。通算盗塁数は2000安打到達者で最も少なく[88]、走塁に対する意欲は高くない[83]

人物

  • 愛称は「はっちゃく」。マイペースながらも周りの人たちには憎まれない独特の雰囲気が『あばれはっちゃく』のようだとして、渡辺英昭が名付けた[96]。本人のブログでも使われており、「はっちゃく」という地酒も発売されている。
  • 家族は夫人と2男。なお、息子の名前の一部に彼の才能を見出した山本功児元監督にあやかり、「功」の字が使われている。
  • 人のフォームを観察するのが好きで、打者に転向後は良いバッターの長所を取り入れようと物真似を繰り返した。左打者では前田智徳松井秀喜イチローケン・グリフィー・ジュニアなどを参考にし、二軍時代は「今日は前田さん」「今日は松井さん」などと宣言して打席に入っていた[97][98]
  • 2002年から「KAZUYA PROJECT」と称して、児童福祉施設や特別支援学校の子どもたちを球場の「KAZUYAシート」に招待したり、シーズンオフに学校を訪問するなどの交流を続けていた[99]
  • 2000年に亡くなった母親への思いから「KAZUYA PROJECT」の一環として「Mother's Day Project」を開始し、母の日に子どもたちが母親への感謝を伝える取り組みを行っていた[100]。また、母の日の試合で活躍を見せた際は、母の日を意識したコメントを残している[101]
  • 一軍初昇格を果たした頃の試合で、強風に流された難しい飛球を捕球できたことを喜んでいたら、マウンド上の小宮山悟に激怒されたことが忘れられない思い出だという。原因はプロが飛球を捕ったくらいで喜ぶなという理由からだが、当時は訳が分からず困惑しきりで、その様子を見ていた一塁走者のイチローに「どうした?何で怒られてんの?」と気遣われたという[102]
  • 2013年9月9日には代打で勝ち越しタイムリーヒットを、2014年9月9日には代打でサヨナラヒットを、2018年9月9日には自身3年振りのホームランを放っている。2014年には自身の背番号にちなみ「9月9日だから打たせてくれたのかな」とコメントを残している[103]
  • 大松尚逸を弟のように可愛がっており、これまで様々なアドバイスをしてきた。大松が戦力外通告を受けた際には、後輩へのエールを込めて大松の登場曲で打席に立った。そして、東京ヤクルトスワローズへ入団した大松は、試合で福浦の登場曲「願い」を使用して思いに応えたという[104]
  • ロッテでプレーする地元出身選手を輩出することを目標に、サブローと共同でオーナーとなり、中学硬式野球チーム「千葉幕張ボーイズ」を設立した[105]

応援

応援歌は幾つかの変遷を経て、2011年から「俺達の福浦」と歌う楽曲となった[106][107]。作曲はかつてロッテの応援団に所属し、後年は楽天イーグルスのコンテンツ部に所属する神俊雄[106]。前奏を壮大なイメージで作り、歌詞には「長い間、現役を続けてほしい」という気持ちを込めたという[106]。この応援歌は福浦の人気と相まって非常に盛り上がり、他球団のファンからも評判が良い[106][108][109]

また、母校・習志野高校のチャンステーマ「レッツゴー習志野」も、福浦の応援歌として本拠地の開幕戦などで使用されており、自身も「思い入れがあり、力になる」と述べている[1]。2018年6月14日にZOZOマリンスタジアムで行われた「ALL for CHIBAデー」の試合では、「美爆音」と称される同校吹奏楽部の演奏とロッテの応援団がコラボ応援するという前例のない企画が実現[110][111]。ファン、選手、メディアなどから大きな反響を呼び、福浦も「後輩たちの素晴らしい応援にすごく力をもらった」と感想を述べた[111]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 ロッテ 67 242 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 1 19 2 3 36 5 .289 .353 .417 .770
1998 129 526 465 61 132 32 3 3 179 57 1 2 0 6 51 3 4 78 10 .284 .356 .385 .740
1999 114 284 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 0 3 21 1 4 38 5 .277 .338 .379 .717
2000 131 494 446 58 132 21 4 7 182 56 1 1 6 4 34 2 4 59 15 .296 .348 .408 .756
2001 120 519 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 2 3 58 3 5 74 10 .346 .424 .550 .973
2002 135 565 493 48 148 40 0 9 215 66 2 1 0 3 52 3 17 73 10 .300 .384 .436 .820
2003 140 623 567 75 172 50 1 21 287 76 2 3 1 5 48 6 2 89 22 .303 .357 .506 .863
2004 128 569 506 67 159 42 1 11 236 73 2 1 2 4 47 0 10 82 8 .314 .381 .466 .847
2005 114 491 434 54 130 25 1 6 175 72 0 2 0 9 39 0 9 55 5 .300 .363 .403 .766
2006 114 484 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 3 7 33 5 5 52 11 .312 .362 .390 .752
2007 110 445 395 41 102 20 1 4 136 57 0 1 2 6 38 3 4 44 8 .258 .325 .344 .669
2008 105 371 310 39 78 9 0 1 90 44 0 0 1 7 50 2 2 49 10 .252 .352 .290 .643
2009 129 460 396 47 108 18 0 6 144 39 1 0 11 3 46 0 4 65 8 .273 .352 .364 .716
2010 116 359 322 42 95 19 0 13 153 61 0 0 3 3 28 2 3 47 8 .295 .354 .475 .829
2011 116 405 358 22 80 13 0 3 102 43 0 0 1 6 37 3 3 72 11 .223 .297 .285 .582
2012 84 199 180 5 45 3 0 0 48 25 0 0 1 2 15 1 1 27 3 .250 .308 .267 .575
2013 78 169 140 5 32 5 1 0 39 17 0 0 0 2 26 1 1 30 4 .229 .349 .279 .628
2014 43 106 92 4 26 2 0 0 28 15 0 0 0 0 12 1 2 14 1 .283 .377 .304 .682
2015 73 199 173 17 47 3 0 2 56 21 1 0 0 0 20 1 6 34 4 .272 .367 .324 .691
2016 36 90 82 4 20 2 0 0 22 7 0 0 0 0 5 0 3 12 2 .244 .311 .268 .579
2017 70 155 134 6 30 7 0 0 37 18 0 0 0 2 18 0 1 25 4 .224 .316 .276 .592
2018 82 196 181 6 38 4 0 1 45 11 0 0 0 2 10 1 2 34 4 .210 .256 .249 .505
2019 1 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:23年 2235 7955 7039 774 2000 388 19 118 2780 935 10 17 34 78 707 40 95 1089 168 .284 .354 .395 .749
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁 外野
























1997 ロッテ 65 546 30 7 47 .988 -
1998 127 1116 65 6 133 .995 -
1999 74 258 23 5 35 .990 18 20 1 1 0 .955
2000 93 644 43 2 54 .997 58 74 2 4 1 .950
2001 116 1122 59 5 92 .996 -
2002 133 1195 76 6 97 .995 -
2003 135 1328 101 7 109 .995 2 3 0 0 0 1.000
2004 111 1040 65 6 106 .995 -
2005 112 1020 48 7 95 .993 -
2006 112 1019 70 6 80 .995 -
2007 103 902 68 5 73 .995 -
2008 86 642 56 2 58 .997 -
2009 124 869 73 1 74 .999 -
2010 10 75 4 1 7 .988 -
2011 26 233 22 0 18 1.000 -
2012 40 316 31 4 22 .989 -
2013 32 182 19 0 13 1.000 -
2014 18 112 15 0 11 1.000 -
2015 44 282 24 3 16 .990 -
2016 21 120 9 0 12 1.000 -
2017 31 152 19 0 11 1.000 -
2018 2 6 1 0 0 1.000 -
2019 1 1 0 0 0 1.000 -
通算 1616 13180 921 73 1163 .995 78 97 3 5 1 .952
  • 太字年はゴールデングラブ賞受賞年

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に斉藤和巳から中前安打 ※史上225人目
  • 1000試合出場:2005年5月12日、対阪神タイガース3回戦(千葉マリンスタジアム)、3番・一塁手で先発出場 ※史上402人目
  • 300二塁打:2007年8月3日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏にブライアン・スウィーニーから左翼線適時二塁打 ※史上46人目
  • 1500安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に水田章雄から左中間へ2点適時二塁打 ※史上99人目
  • 1500試合出場:2009年8月19日、対オリックス・バファローズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手で先発出場 ※史上166人目
  • 100本塁打:2010年3月22日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、3回表に岸孝之から右中間へ2ラン ※史上258人目
  • 350二塁打:2011年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に川岸強から右翼線二塁打 ※史上30人目
  • 2000試合出場:2015年6月15日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回表に藤岡貴裕の代打で出場 ※史上48人目
  • 1000三振:2015年7月13日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、8回表に金子千尋から見逃し三振 ※史上60人目
  • 2000安打:2018年9月22日、対埼玉西武ライオンズ24回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回裏に小川龍也から右前二塁打 ※史上52人目
その他の記録
  • シーズン50二塁打(2003年) ※谷佳知に次いで史上2例のみ
  • 3年連続40二塁打(2002年 - 2004年) ※NPB記録
  • 6年連続打率3割(2001年 - 2006年) ※史上11人目
  • 日本シリーズ満塁本塁打:2005年10月25日、対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場) ※史上17人目
  • 代打逆転ビデオ判定満塁本塁打:2010年5月13日、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム) ※史上初
  • 通算サヨナラ打:12本 ※球団記録、パ・リーグ4位タイ[56]
  • 通算試合数:2235 ※球団記録
  • 通算犠飛数:78 ※球団記録
  • 通算死球数:95 ※球団記録
  • オールスターゲーム出場:3回(2000年、2004年、2005年) ※2006年も選出されるも負傷のため出場辞退[113]
  • 日米野球出場:2回(2004年、2006年
  • フランチャイズ・プレイヤー:デビュー以来移籍経験なし(地元出身、最狭義のフランチャイズプレイヤーでもある)

背番号

  • 70(1994年 - 1997年、2020年 - )
  • 9(1998年 - 2019年)

登場曲

関連情報

書籍

  • 福浦和也『習志野が生んだ野球小僧』コスミック出版、2019年7月。ISBN 978-4-7747-9190-6 
  • 『ありがとう福浦和也 引退惜別号』ベースボール・マガジン社〈週刊ベースボール増刊〉、2019年9月。雑誌コード:20446-10。 

DVD

  • 千葉ロッテマリーンズ 福浦和也 2000本安打メモリアルDVD(2019年2月27日、発売・販売元:TCエンタテインメント、品番:TCED-4395)

脚注

注釈

  1. ^ あと2安打で3割に達していた。
  2. ^ 川上哲治広瀬叔功柴田勲石井琢朗に次ぐ5人目。
  3. ^ 投手では藤本英雄が200勝ちょうどで引退している。
  4. ^ バックネットに飛ぶファウルは一般的にはタイミングが合っているとされる[90]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 「最下位指名」ドラフト会議で最後に名前を呼ばれた男の人生-1993年ロッテ7位・福浦和也選手の場合(野球太郎)”. gooニュース (2013年10月23日). 2017年9月15日閲覧。
  2. ^ a b “【ロッテ】福浦の2000安打に地元ファン総立ち 「来年も」現役続行宣言”. スポーツ報知. (2018年9月23日). https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180923-OHT1T50007.html 2018年11月8日閲覧。 
  3. ^ “ロッテ・福浦選手 習志野市民栄誉賞 2000安打「市民の誇り」”. 東京新聞. (2018年9月27日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201809/CK2018092702000146.html 2018年11月8日閲覧。 
  4. ^ クラブナイン少年野球教室開催”. 習志野市. 2017年9月15日閲覧。
  5. ^ 福浦 2019, pp. 38–39.
  6. ^ 福浦 2019, p. 41.
  7. ^ a b c d e 『94スポニチプロ野球手帳』スポーツニッポン、1994年3月、164頁。 
  8. ^ 福浦 2019, pp. 42–43.
  9. ^ 福浦 2019, p. 59.
  10. ^ VICTORYアスリート名鑑 福浦和也”. VICTORY SPORTS NEWS (2017年11月14日). 2019年8月24日閲覧。
  11. ^ a b 福浦 2019, p. 61.
  12. ^ a b c d 運命に導かれた「幕張の安打製造機」が挑む、元祖「安打製造機」の記録更新”. full-count. 2018年3月23日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j 『週刊プロ野球データファイル 10号』ベースボール・マガジン社、2011年6月、11-12頁。 
  14. ^ 福浦 2019, p. 81.
  15. ^ a b c 『97スポニチプロ野球手帳』スポーツニッポン、1997年3月、73頁。 
  16. ^ 『96スポニチプロ野球手帳』スポーツニッポン、1996年2月、111頁。 
  17. ^ 福浦 2019, pp. 86–88.
  18. ^ a b 萩原晴一郎『18連敗の真実 なぜ千葉ロッテマリーンズは負け続けたのか?』竹書房、2014年、136-138頁。ISBN 978-4-8124-8950-5 
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関連項目

外部リンク