「ジェイミー・ジョセフ」の版間の差分
Sunport1216 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
Wikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)#名前と読み仮名に従い、冒頭部を本名に修正。ほか細部加筆修正。 |
||
3行目: | 3行目: | ||
| image = James Whitinui Joseph-1.jpg|270px |
| image = James Whitinui Joseph-1.jpg|270px |
||
| caption = 秩父宮ラグビー場<br />(2018年5月12日撮影) |
| caption = 秩父宮ラグビー場<br />(2018年5月12日撮影) |
||
| birthname = |
| birthname = ジェームス・ウィティヌイ・ジョセフ |
||
| nickname = |
| nickname = ジェイミー |
||
| dateofbirth = {{生年月日と年齢|1969|11|21}} |
| dateofbirth = {{生年月日と年齢|1969|11|21}} |
||
| placeofbirth = {{flagicon|NZL}} [[ニュージーランド]] |
| placeofbirth = {{flagicon|NZL}} [[ニュージーランド]] |
||
56行目: | 56行目: | ||
}} |
}} |
||
'''ジェ |
'''ジェームス・ウィティヌイ・ジョセフ'''({{lang-en|James Whitinui Joseph}}<ref name="caricature">[https://natlib.govt.nz/records/22573873 Joseph, James Whitinui, 1969-] National Library of New Zealand, New Zealand Government. 2019年10月21日閲覧。 [https://megalodon.jp/2019-1021-1521-56/https://natlib.govt.nz:443/records/22573873 アーカイブ]</ref><ref name="espnscrum">[http://www.espnscrum.com/timeine/rugby/player/11173.html Players & Officials - Jamie Joseph] espnscrum. 2019年10月21日閲覧。[https://megalodon.jp/2019-1021-1542-35/www.espnscrum.com/timeine/rugby/player/11173.html アーカイブ]</ref><ref name="nz_rugby_history">[https://www.rugbyhistory.co.nz/player/james-w-joseph James Whitinui Joseph] New Zealand Rugby History. [https://megalodon.jp/2019-1021-1544-36/https://www.rugbyhistory.co.nz:443/player/james-w-joseph アーカイブ]</ref>, [[1969年]][[11月21日]] - )は、[[ニュージーランド]]・マールボロ出身の[[ラグビーユニオン]]の元選手、指導者。現[[ラグビー日本代表]]ヘッドコーチ<ref>https://www.rugby-japan.jp/japan/member/#staff 2020年4月5日閲覧。</ref>。愛称の'''ジェイミー・ジョセフ'''({{lang-en|Jamie Joseph}}<ref name="profile" /><ref name="20160121_JRFU" /><ref name="20191012_AFP" />)として広く知られる<ref name="profile">[https://www.rugby-japan.jp/player/28024 選手プロフィール - ジェイミー・ジョセフ] 2019年10月21日閲覧。[https://megalodon.jp/2019-1021-1432-00/https://www.rugby-japan.jp:443/player/28024 アーカイブ]</ref><ref name="20160121_JRFU">[https://www.rugby-japan.jp/2016/01/21/announcement_head_coach/ 「日本代表 新ヘッドコーチ決定のお知らせ」] 2016年01月21日、日本ラグビーフットボール協会公式サイト。2019年10月21日閲覧。[https://megalodon.jp/2019-1021-1455-24/https://www.rugby-japan.jp:443/2016/01/21/announcement_head_coach/ アーカイブ]</ref><ref name="20191012_AFP">[https://www.afpbb.com/articles/-/3249230 日本とスコットランドが試合前に舌戦、ラグビーW杯8強懸け] 2019年10月12日、[AFP]。2019年10月21日閲覧。[https://megalodon.jp/2019-1021-1448-50/https://www.afpbb.com:443/articles/-/3249230 アーカイブ]</ref>。 |
||
== 来歴 == |
== 来歴 == |
||
現役時代のポジションは[[ラグビーのポジション|フランカー、ロック及びNo.8]]。身長 |
現役時代のポジションは[[ラグビーのポジション|フランカー、ロック及びNo.8]]。身長196cm、体重105kg(公式発表)。 |
||
[[オタゴ大学]]卒業後、[[1989年]]よりニュージーランド・オタゴ州代表として、また[[1991年]]からは[[マオリ・オールブラックス|ニュージーランド・マオリ代表]]、そして[[ラグビーニュージーランド代表]]としてプレー(20CAP)、[[1995年]]の[[ラグビーワールドカップ1995|ラグビーワールドカップ]]では準優勝メンバーの一員となった。その後[[2000年]]まで、日本の西日本社会人リーグであるサニックス(現・[[宗像サニックスブルース]])に所属し、ラグビー日本代表としても[[1999年]]の[[ラグビーワールドカップ1999|ワールドカップ]]に出場した(9CAP)<ref>現在の[[ワールドラグビー]]の規定では、1つの国・地域で代表、A代表、または7人制試合の代表に選ばれた選手は、代表とした国・地域のラグビー協会およびワールドラグビーが認めない限りは他の国・地域で代表になることはできないが、当時は複数国での代表に選ばれても制限がなかった。</ref>。日本在住の経験もあって、簡単なやりとりならば日本語で話すことが出来る。 |
[[オタゴ大学]]卒業後、[[1989年]]よりニュージーランド・オタゴ州代表として、また[[1991年]]からは[[マオリ・オールブラックス|ニュージーランド・マオリ代表]]、そして[[ラグビーニュージーランド代表]]としてプレー(20CAP)、[[1995年]]の[[ラグビーワールドカップ1995|ラグビーワールドカップ]]では準優勝メンバーの一員となった。その後[[2000年]]まで、日本の西日本社会人リーグであるサニックス(現・[[宗像サニックスブルース]])に所属し、ラグビー日本代表としても[[1999年]]の[[ラグビーワールドカップ1999|ワールドカップ]]に出場した(9CAP)<ref>現在の[[ワールドラグビー]]の規定では、1つの国・地域で代表、A代表、または7人制試合の代表に選ばれた選手は、代表とした国・地域のラグビー協会およびワールドラグビーが認めない限りは他の国・地域で代表になることはできないが、当時は複数国での代表に選ばれても制限がなかった。</ref>。日本在住の経験もあって、簡単なやりとりならば日本語で話すことが出来る。 |
||
[[2003年]]より指導者に転じ、ウェリントン代表のアシスタントコーチ・ヘッドコーチ、マオリ・オールブラックスのヘッドコーチなどを歴任。2011年より[[スーパーラグビー]]・[[ハイランダーズ (ラグビー)|ハイランダーズ]]のヘッドコーチに就任し、[[2015年]]はスーパーラグビー優勝を達成した |
[[2003年]]より指導者に転じ、ウェリントン代表のアシスタントコーチ・ヘッドコーチ、マオリ・オールブラックスのヘッドコーチなどを歴任。2011年より[[スーパーラグビー]]・[[ハイランダーズ (ラグビー)|ハイランダーズ]]のヘッドコーチに就任し、[[2015年]]はスーパーラグビー優勝を達成した。 |
||
[[2016年]][[1月21日]]、ジョセフが[[エディー・ジョーンズ]]の後任として日本代表ヘッドコーチに就任すると[[日本ラグビーフットボール協会]]から発表された<ref name="20160121_JRFU" />。契約期間は[[2019年]][[12月]]まで。2015-2016シーズンまでハイランダーズとの契約が残っていたため、日本代表ヘッドコーチへの就任はスーパーラグビー全日程終了後の2016年9月となり、それまでの間は[[中竹竜二]]および[[マーク・ハメット]]がヘッドコーチを代行した。 |
|||
⚫ | [[ラグビーワールドカップ2019]]日本大会では、アイルランドやスコットランドを破るなどプール戦4戦全勝で |
||
⚫ | [[ラグビーワールドカップ2019]]日本大会では、ジョセフ率いる日本代表は[[ラグビーアイルランド代表|アイルランド代表]]や[[ラグビースコットランド代表|スコットランド代表]]を破るなどプール戦4戦全勝で史上初となるW杯ベスト8進出を達成した。その手腕が高く評価され、[[ワールドラグビー]]が選出する2019年の年間最優秀コーチ賞にノミネートされた。また、ニュージーランド代表の新ヘッドコーチ候補に名前が挙げられていたが<ref>[https://the-ans.jp/news/94255/ 続投ジョセフ氏、次期HC候補だったNZメディアは落胆「後任レースは目玉を失った」]THE ANSWER 2019年11月18日</ref>、日本代表ヘッドコーチの契約を更新した。新たな契約期間は[[2023年]]12月末まで<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASMCL4T1QMCLUTQP015.html ラグビー日本、ジョセフHCと契約更新 次のW杯も指揮]朝日新聞2019年11月18日</ref>。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年4月5日 (日) 00:42時点における版
![]() 秩父宮ラグビー場 (2018年5月12日撮影) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ジェームス・ウィティヌイ・ジョセフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
生年月日 | 1969年11月21日(54歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 |
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | ジェイミー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ジェームス・ウィティヌイ・ジョセフ(英語: James Whitinui Joseph[1][2][3], 1969年11月21日 - )は、ニュージーランド・マールボロ出身のラグビーユニオンの元選手、指導者。現ラグビー日本代表ヘッドコーチ[4]。愛称のジェイミー・ジョセフ(英語: Jamie Joseph[5][6][7])として広く知られる[5][6][7]。
来歴
現役時代のポジションはフランカー、ロック及びNo.8。身長196cm、体重105kg(公式発表)。 オタゴ大学卒業後、1989年よりニュージーランド・オタゴ州代表として、また1991年からはニュージーランド・マオリ代表、そしてラグビーニュージーランド代表としてプレー(20CAP)、1995年のラグビーワールドカップでは準優勝メンバーの一員となった。その後2000年まで、日本の西日本社会人リーグであるサニックス(現・宗像サニックスブルース)に所属し、ラグビー日本代表としても1999年のワールドカップに出場した(9CAP)[8]。日本在住の経験もあって、簡単なやりとりならば日本語で話すことが出来る。
2003年より指導者に転じ、ウェリントン代表のアシスタントコーチ・ヘッドコーチ、マオリ・オールブラックスのヘッドコーチなどを歴任。2011年よりスーパーラグビー・ハイランダーズのヘッドコーチに就任し、2015年はスーパーラグビー優勝を達成した。
2016年1月21日、ジョセフがエディー・ジョーンズの後任として日本代表ヘッドコーチに就任すると日本ラグビーフットボール協会から発表された[6]。契約期間は2019年12月まで。2015-2016シーズンまでハイランダーズとの契約が残っていたため、日本代表ヘッドコーチへの就任はスーパーラグビー全日程終了後の2016年9月となり、それまでの間は中竹竜二およびマーク・ハメットがヘッドコーチを代行した。
ラグビーワールドカップ2019日本大会では、ジョセフ率いる日本代表はアイルランド代表やスコットランド代表を破るなどプール戦4戦全勝で史上初となるW杯ベスト8進出を達成した。その手腕が高く評価され、ワールドラグビーが選出する2019年の年間最優秀コーチ賞にノミネートされた。また、ニュージーランド代表の新ヘッドコーチ候補に名前が挙げられていたが[9]、日本代表ヘッドコーチの契約を更新した。新たな契約期間は2023年12月末まで[10]。
脚注
- ^ Joseph, James Whitinui, 1969- National Library of New Zealand, New Zealand Government. 2019年10月21日閲覧。 アーカイブ
- ^ Players & Officials - Jamie Joseph espnscrum. 2019年10月21日閲覧。アーカイブ
- ^ James Whitinui Joseph New Zealand Rugby History. アーカイブ
- ^ https://www.rugby-japan.jp/japan/member/#staff 2020年4月5日閲覧。
- ^ a b 選手プロフィール - ジェイミー・ジョセフ 2019年10月21日閲覧。アーカイブ
- ^ a b c 「日本代表 新ヘッドコーチ決定のお知らせ」 2016年01月21日、日本ラグビーフットボール協会公式サイト。2019年10月21日閲覧。アーカイブ
- ^ a b 日本とスコットランドが試合前に舌戦、ラグビーW杯8強懸け 2019年10月12日、[AFP]。2019年10月21日閲覧。アーカイブ
- ^ 現在のワールドラグビーの規定では、1つの国・地域で代表、A代表、または7人制試合の代表に選ばれた選手は、代表とした国・地域のラグビー協会およびワールドラグビーが認めない限りは他の国・地域で代表になることはできないが、当時は複数国での代表に選ばれても制限がなかった。
- ^ 続投ジョセフ氏、次期HC候補だったNZメディアは落胆「後任レースは目玉を失った」THE ANSWER 2019年11月18日
- ^ ラグビー日本、ジョセフHCと契約更新 次のW杯も指揮朝日新聞2019年11月18日
関連項目