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|accessdate = 2013-03-10}}</ref>。同年[[10月13日]]、[[総務省|総務]]官僚の[[重徳和彦]]が自民党愛知県連から知事選への出馬を打診されたことを明らかに<ref>『中日新聞』2010年10月13日付夕刊、1面、「重徳氏、出馬に前向き 愛知県知事選 自民打診に『光栄』」</ref>、10月14日には[[名古屋市]]長の[[河村たかし]]が大村の擁立を目指すことを明らかにした。「知事選の話は聞いていない」と述べていた大村は翌10月15日に河村から出馬要請を受けたのち、新聞の取材に対し「無名の新人で勝てるのか」と党県連の候補者選びに対し反発した<ref>『中日新聞』2010年10月15日付朝刊、1面、「河村市長 自民・大村氏を愛知県知事選に 減税公約、擁立目指す」</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101016-OYT1T00126.htm |title=河村市長、自民・大村氏に愛知知事選出馬要請 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-16 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://archive.is/20101019033351/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101016-OYT1T00126.htm |archivedate=2010年10月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>11月13日大村が出馬の意向を固めたことが報じられ<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101113-OYT1T00381.htm |title=河村市長が要請…自民・大村氏、愛知知事選へ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-11-13 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://archive.is/20101114132328/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101113-OYT1T00381.htm |archivedate=2010年11月14日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。11月15日、自民党愛知県連会長の[[鈴木政二]]は大村と東京都内で会談し、出馬とりやめを求めた。同党の重徳擁立について「一切、報告や相談がなかった」と述べる大村に対し、鈴木は「そちらには逐一報告しているはずだ」と反論。両者の意見は食い違ったまま、大村は鈴木の要請を拒否した<ref>『中日新聞』2010年11月16日付朝刊、35面、「大村氏、自民県連と亀裂 会長面談 不出馬要請断る」。</ref>。
|accessdate = 2013-03-10}}</ref>。同年[[10月13日]]、[[総務省|総務]]官僚の[[重徳和彦]]が自民党愛知県連から知事選への出馬を打診されたことを明らかにすると<ref>『中日新聞』2010年10月13日付夕刊、1面、「重徳氏、出馬に前向き 愛知県知事選 自民打診に『光栄』」</ref>、14日には[[名古屋市]]長の[[河村たかし]]が「約半年前から(出馬打診の)話をしてきた」などと大村の擁立を目指すことを明らかにした。「知事選の話は聞いていない」と述べていた大村は翌15日に河村から出馬要請を受けたのち、新聞の取材に対し「無名の新人で勝てるのか」と党県連の候補者選びに対し反発<ref>『中日新聞』2010年10月15日付朝刊、1面、「河村市長 自民・大村氏を愛知県知事選に 減税公約、擁立目指す」</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101016-OYT1T00126.htm |title=河村市長、自民・大村氏に愛知知事選出馬要請 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-16 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://archive.is/20101019033351/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101016-OYT1T00126.htm |archivedate=2010年10月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>11月13日には大村が出馬の意向を固めたことが報じられ<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101113-OYT1T00381.htm |title=河村市長が要請…自民・大村氏、愛知知事選へ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-11-13 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://archive.is/20101114132328/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101113-OYT1T00381.htm |archivedate=2010年11月14日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。11月15日、自民党愛知県連会長の[[鈴木政二]]は大村と東京都内で会談し、出馬とりやめを求めた。同党の重徳擁立について「一切、報告や相談がなかった」と述べる大村に対し、鈴木は「そちらには逐一報告しているはずだ」と反論。両者の意見は食い違ったまま、大村は鈴木の要請を拒否した<ref>『中日新聞』2010年11月16日付朝刊、35面、「大村氏、自民県連と亀裂 会長面談 不出馬要請断る」。</ref>。


同年12月3日、大村は[[石原伸晃]]幹事長に離党届を提出し<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101203-OYT1T00691.htm |title=自民・大村議員が離党届、愛知県知事選へ意欲 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-12-03 |archiveurl=https://archive.is/20101204124619/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101203-OYT1T00691.htm |archivedate=2010年12月4日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、12月6日に正式な出馬表明を行った。12月8日、自民党の党紀委員会は大村の離党届を受理せず[[除名]]とする処分を決定した<ref>『中日新聞』2010年12月9日付朝刊、30面、「愛知県知事選出馬 大村氏の除名決定 自民」。</ref>。12月21日、[[地域政党]]「[[日本一愛知の会]]」の設立を発表し<ref>http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201101130035.html{{リンク切れ|date=2016年9月}}</ref>{{リンク切れ|date=2016年9月}}<ref>{{Cite web |url=http://blog.ohmura.ne.jp/2010/12/21/849/ |title=大村ひであき活動レポート(2010年12月21日号) |work=大村ひであきblog |date=2010-12-21 |accessdate=2016-09-25}} </ref>、同会会長に就任した{{Refnest|group="注"|日本一愛知の会のマニフェストには「私は今、日本と日本経済に大いなる危機感を抱いています。このままでは、日本経済も愛知の経済、ものづくりも沈没してしまう。日本を、愛知・名古屋を、今一度世界と闘える力強い国・社会・経済とするため、私は皆様とともに起ち上がりたい」と記されている。}}。[[2011年]]1月14日、[[横路孝弘]][[衆議院議長]]に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職した。大村の辞職により、[[望月義夫]]が[[繰り上げ当選]]した<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010091000c.html |title=衆議院:大村秀章氏が辞職 望月義夫氏が繰り上げ当選 |newspaper=毎日jp |publisher=毎日新聞社 |date=2011-01-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110115235859/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010091000c.html |archivedate=2011-01-15}}</ref>。
同年12月3日、大村は[[石原伸晃]]幹事長に離党届を提出し<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101203-OYT1T00691.htm |title=自民・大村議員が離党届、愛知県知事選へ意欲 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-12-03 |archiveurl=https://archive.is/20101204124619/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101203-OYT1T00691.htm |archivedate=2010年12月4日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、12月6日に正式な出馬表明を行った。12月8日、党紀委員会は大村の離党届を受理せず、「県連による候補者選考の際には手を挙げず、独自候補擁立が決定した後に出馬表明するのは反党行為」([[山東昭子]]党紀委員長)として[[除名]]とする処分を決定した<ref>『中日新聞』2010年12月9日付朝刊、30面、「愛知県知事選出馬 大村氏の除名決定 自民」。</ref>。12月21日、[[地域政党]]「[[日本一愛知の会]]」の設立を発表し<ref>http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201101130035.html{{リンク切れ|date=2016年9月}}</ref>{{リンク切れ|date=2016年9月}}<ref>{{Cite web |url=http://blog.ohmura.ne.jp/2010/12/21/849/ |title=大村ひであき活動レポート(2010年12月21日号) |work=大村ひであきblog |date=2010-12-21 |accessdate=2016-09-25}} </ref>、同会会長に就任した{{Refnest|group="注"|日本一愛知の会のマニフェストには「私は今、日本と日本経済に大いなる危機感を抱いています。このままでは、日本経済も愛知の経済、ものづくりも沈没してしまう。日本を、愛知・名古屋を、今一度世界と闘える力強い国・社会・経済とするため、私は皆様とともに起ち上がりたい」と記されている。}}。[[2011年]]1月14日、[[横路孝弘]][[衆議院議長]]に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職した。大村の辞職により、[[望月義夫]]が[[繰り上げ当選]]した<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010091000c.html |title=衆議院:大村秀章氏が辞職 望月義夫氏が繰り上げ当選 |newspaper=毎日jp |publisher=毎日新聞社 |date=2011-01-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110115235859/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010091000c.html |archivedate=2011-01-15}}</ref>。


[[2011年]]2月6日の[[2011年愛知県知事選挙|愛知県知事選挙]]では、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票を獲得した<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110211-OYT1T00001.htm |title=大村氏へ秋波…愛知県議選、公認・推薦求めて |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2011-02-11 |accessdate=2011-02-11 |archiveurl=https://archive.is/20110213003639/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110211-OYT1T00001.htm |archivedate=2011年2月13日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
[[2011年]]2月6日の[[2011年愛知県知事選挙|愛知県知事選挙]]では、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票を獲得した<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110211-OYT1T00001.htm |title=大村氏へ秋波…愛知県議選、公認・推薦求めて |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2011-02-11 |accessdate=2011-02-11 |archiveurl=https://archive.is/20110213003639/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110211-OYT1T00001.htm |archivedate=2011年2月13日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
{{Main|2011年愛知県知事選挙}}
{{Main|2011年愛知県知事選挙}}


知事選後、自民党内で大村との関係修復を望む声があがる。しかし同年4月24日に行われた衆議院[[愛知県第6区|愛知6区]]の補選で大村が[[丹羽秀樹]]ではなく、[[減税日本]]公認の女性記者を支援したため、党は態度を硬直化。7月13日、自民党本部は大村が代表のままになっている愛知13区の選挙区支部の解散届を選挙管理委員会に提出した<ref>『中日新聞』2011年7月14日付朝刊、県内版、20面、「知事が代表 自民支部解散 党本部強制、県内で初 衆院13区」。</ref>{{Refnest|group="注"|2011年7月に解散した「自由民主党愛知県第十三選挙区支部」は翌2012年、[[大見正]]県議が代表となり復活。同年12月の総選挙で大見は初当選。2017年に3選を果たすが、2019年2月の安城市長選挙に立候補し落選<ref>{{cite news | author=四方さつき | url = http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20190204/CK2019020402000108.html | title = 神谷さん5期目感慨 安城市長選「新たな気持ち」 | newspaper = 中日新聞 | date= 2019-2-4 | accessdate =2019-2-4}}</ref>。愛知13区の選挙区支部は同年3月に再び解散した<ref>{{Cite web |date=2020-1-24 |url=https://www.pref.aichi.jp/senkyo/020124/x/e01x0003.pdf |title=自由民主党愛知県第十三選挙区支部 政治資金収支報告書(平成30年分~令和元年分 解散分) |format=PDF |publisher=愛知県選挙管理委員会 |accessdate=2020-1-29 }}</ref>。}}。
知事選後、自民党国会議員の一から大村との関係修復を望む声があがるが、同年4月24日に行われた衆議院[[愛知県第6区|愛知6区]]の補選で大村が[[丹羽秀樹]]ではなく、[[減税日本]]公認の女性記者を支援したため、党本部は態度を硬直化。7月13日、大村が代表のままになっている愛知13区の選挙区支部の解散届を選挙管理委員会に提出した。又、7月22日には大村が提出していた党紀委員会による除名処分の再審査請求も却下され、除名が確定した<ref>『中日新聞』2011年7月14日付朝刊、県内版、20面、「知事が代表 自民支部解散 党本部強制、県内で初 衆院13区」。</ref>{{Refnest|group="注"|2011年7月に解散した「自由民主党愛知県第十三選挙区支部」は翌2012年、[[大見正]]県議が代表となり復活。同年12月の総選挙で大見は初当選。2017年に3選を果たすが、2019年2月の安城市長選挙に立候補し落選<ref>{{cite news | author=四方さつき | url = http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20190204/CK2019020402000108.html | title = 神谷さん5期目感慨 安城市長選「新たな気持ち」 | newspaper = 中日新聞 | date= 2019-2-4 | accessdate =2019-2-4}}</ref>。愛知13区の選挙区支部は同年3月に再び解散した<ref>{{Cite web |date=2020-1-24 |url=https://www.pref.aichi.jp/senkyo/020124/x/e01x0003.pdf |title=自由民主党愛知県第十三選挙区支部 政治資金収支報告書(平成30年分~令和元年分 解散分) |format=PDF |publisher=愛知県選挙管理委員会 |accessdate=2020-1-29 }}</ref>。}}。


[[2012年]]1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した<ref>{{Cite web |url=http://www.ohmura.ne.jp/tokaitaishijyuku/ |title=東海大志塾 |work=大村ひであき公式WEBサイト |date=2012-03-27 |accessdate=2016-09-25}}</ref>。同年8月には、[[政治団体]]「中京維新の会」を設立し、代表に就任した。また「[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]」顧問にも就任したが、維新が[[減税日本]]との合流を拒否したことなどから[[11月21日]]に顧問を辞職した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/special/nagoya/NGY201211210006.html/|title=河村氏、維新との合流断念 大村氏は維新顧問辞職へ|work=|newspaper=朝日新聞|date=2012-11-21|accessdate=2018-06-13}}</ref>。
[[2012年]]1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した<ref>{{Cite web |url=http://www.ohmura.ne.jp/tokaitaishijyuku/ |title=東海大志塾 |work=大村ひであき公式WEBサイト |date=2012-03-27 |accessdate=2016-09-25}}</ref>。同年8月には、[[政治団体]]「中京維新の会」を設立し、代表に就任した。また「[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]」顧問にも就任したが、維新が[[減税日本]]との合流を拒否したことなどから[[11月21日]]に顧問を辞職した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/special/nagoya/NGY201211210006.html/|title=河村氏、維新との合流断念 大村氏は維新顧問辞職へ|work=|newspaper=朝日新聞|date=2012-11-21|accessdate=2018-06-13}}</ref>。

2020年4月9日 (木) 15:23時点における版

大村 秀章
おおむら ひであき
生年月日 (1960-03-09) 1960年3月9日(64歳)
出生地 愛知県碧南市
出身校 東京大学法学部
前職 農林水産省職員
内閣府副大臣
所属政党自由民主党平成研究会)→)
無所属→)
日本一愛知の会
称号 法学士
公式サイト 大村ひであき公式WEBサイト

愛知県の旗 公選第17・18・19代 愛知県知事
当選回数 3回
在任期間 2011年2月15日 - 現職

選挙区比例東海ブロック→)
愛知13区→)
比例東海ブロック(愛知13区)
当選回数 5回
在任期間 1996年10月20日 - 2011年1月14日
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大村 秀章(おおむら ひであき、1960年昭和35年)3月9日 - )は、日本政治家農水官僚愛知県知事(公選第17・18・19代)、日本一愛知の会会長(代表)[1]

衆議院議員(5期)、経済産業大臣政務官第1次小泉内閣)、内閣府大臣政務官第1次小泉改造内閣)、内閣府副大臣第1次安倍内閣)、厚生労働副大臣麻生内閣)、衆議院厚生労働委員会筆頭理事、衆議院決算行政監視委員長自由民主党愛知県支部連合会会長、同党厚生労働部会長、同医療委員長、同厚生関係団体委員長、(旧)日本維新の会顧問等を歴任。

来歴・人物

愛知県碧南市生まれ。父親は大工、母親は農業に従事していた[2]。父親は婿養子で安城市が出身だった。2歳になる前、近所の犬に顔をかまれ、ひどいけがを負った[2]。縫合のあとが大きく残ったことで中学時代にいじめを受けるが、苦しみをはねのけるため勉強に打ち込む[2]

碧南市立鷲塚小学校、碧南市立東中学校卒業。子供の頃は父親の実家のある安城市によく行き、地域活動に熱心だった伯父から大きな影響を受けて育った[3]愛知県立西尾高等学校に進学。高校の同級生によれば「高校時代から、東京大学に進学して官僚を経て政治家になるという進路を決めていた」という[4]。1978年3月、同校卒業。同年4月、東京大学法学部に入学。

農林水産省へ入省

1982年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、農林水産省に入省[1]1987年に神奈川県出身の女性と結婚[5]1988年徳島市ニューフロンティア推進部長兼理事、1991年に農林水産省経済局農業協同組合課課長補佐、1993年に食糧庁企画課課長補佐(総括)に就任[6]

衆議院議員

1994年11月21日、政治改革四法における「小選挙区300・比例代表200」の具体的な区割り法案が国会で可決[7]旧愛知4区のうち、いわゆる碧海5市(碧南市・刈谷市・安城市・知立市高浜市)は愛知13区にまとまった。安城市長の杉浦正行は早速候補者を探し始める。「高校まで地元で生まれ育っていること」「自民党派閥の各系列に属していないこと」「できたら官僚」「しかも天下りをにおわせない若い人」。杉浦の思い描いた理想の条件にぴたりとはまったのが、大村であった(当時34歳)。1995年2月、杉浦から出馬要請を受ける[8][9]。妻に「冗談じゃない」と三日三晩泣かれ、妻の両親からも猛反対を受けるが、立候補を決意[3]。同年7月10日、自民党愛知県連は愛知13区の公認候補を大村に決め、党本部に公認申請を行った[10]。7月13日、党本部は大村の擁立を了承[11]1996年2月11日、後援会結成大会が安城市民会館で開かれる。後援会長には中央精機社長の石原勝成が就いた[12]。住所を安城市篠目町に移す[2][1]

2010年6月10日撮影

1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では新進党島聡に敗れるが比例復活で初当選した。平成研究会(小渕派)に所属。

1998年、名古屋市は、名古屋港藤前干潟を埋め立てて人工干潟をゴミ処分場にする計画を発表。「環境を大切にする愛知万博を開く一方で、干潟をごみで埋めるのはおかしい」と、大村は埋め立て推進を批判。そのため自民党市議団から「大村を除名しろ」との声が上がる[5]

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では島を破り再選。

2001年4月6日、森喜朗首相が閣僚懇談会で辞任を表明[13]。平成研究会(橋本派)はすみやかに橋本龍太郎自民党総裁選に擁立する方針を固める。ところが大村は同日夜に刈谷市で開いた講演会と4月7日に安城市で開かれた講演会で「私は橋本派だが、派閥幹部から橋本さんで一任してくれと言われても私はお断りする」と述べ、橋本を支持しない考えを明らかにした[14][15]。4月9日、橋本派の当選回数別の会合が開かれる。同派はその前身の竹下派の時代から「鉄の団結」を誇り、上意下達が徹底していたが[16]、2回生議員の会合で大村は野中広務元幹事長、青木幹雄参議院幹事長ら幹部を前に「派閥の締め付けはやめてほしい」と叫んだ[注 1]。4月24日に行われた総裁選では小泉純一郎に投票。「2、3年冷や飯を食ってもいい」という覚悟の上での決断だったが[5]、小泉は組閣にあたり従来の派閥順送り型の人事を排したため、同年5月7日、第1次小泉内閣経済産業大臣政務官に任命される。

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙で島を破り3期目の当選。

2005年6月25日、倉知俊彦県議の後任として自由民主党愛知県連会長に就任[17]。同年9月の第43回衆議院議員総選挙で島を破り4期目の当選。島は比例復活もかなわず議席を失う。党の要職としては厚生労働部会長(2005年)、同党医療委員長(2007年)、同党厚生関係団体委員長(2007年)などを務めた。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では民主党新人の大西健介に敗れるも、比例復活により5期目の当選を果たした[1]。愛知県内唯一の自民党衆議院議員となったが、県内小選挙区で全敗した責任をとり、同年9月に自民党県連会長を辞任。後任には鈴木政二参議院議員が就任した[18]

この間公職としては、衆議院厚生労働委員会筆頭理事、衆議院消費者問題等に関する特別委員会委員、経済産業大臣政務官(2001年)、内閣府大臣政務官(2002年)、内閣府副大臣(経済財政、金融、地方分権改革、2006年)、厚生労働副大臣(2008年)、衆議院決算行政監視委員長(2010年)などを歴任[1]

愛知県知事

第1期(2011年 - 2015年)

2010年9月16日、愛知県知事の神田真秋が4選不出馬の意向を表明[19]。同年10月13日総務官僚の重徳和彦が自民党愛知県連から知事選への出馬を打診されたことを明らかにすると[20]、翌14日には名古屋市長の河村たかしが「約半年前から(出馬打診の)話をしてきた」などと大村の擁立を目指すことを明らかにした。「知事選の話は聞いていない」と述べていた大村は翌15日に河村から出馬要請を受けたのち、新聞の取材に対し「無名の新人で勝てるのか」と党県連の候補者選びに対し反発[21][22]、11月13日には大村が出馬の意向を固めたことが報じられる[23]。11月15日、自民党愛知県連会長の鈴木政二は大村と東京都内で会談し、出馬とりやめを求めた。同党の重徳擁立について「一切、報告や相談がなかった」と述べる大村に対し、鈴木は「そちらには逐一報告しているはずだ」と反論。両者の意見は食い違ったまま、大村は鈴木の要請を拒否した[24]

同年12月3日、大村は石原伸晃幹事長に離党届を提出し[25]、12月6日に正式な出馬表明を行った。12月8日、党紀委員会は大村の離党届を受理せず、「県連による候補者選考の際には手を挙げず、独自候補擁立が決定した後に出馬表明するのは反党行為」(山東昭子党紀委員長)として除名とする処分を決定した[26]。12月21日、地域政党日本一愛知の会」の設立を発表し[27][リンク切れ][28]、同会会長に就任した[注 2]2011年1月14日、横路孝弘衆議院議長に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職した。大村の辞職により、望月義夫繰り上げ当選した[29]

2011年2月6日の愛知県知事選挙では、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票を獲得した[30]

知事選後、自民党国会議員の一部から大村との関係修復を望む声があがるが、同年4月24日に行われた衆議院愛知6区の補選で大村が丹羽秀樹ではなく、減税日本公認の女性記者を支援したため、党本部は態度を硬直化。7月13日、大村が代表のままになっている愛知13区の選挙区支部の解散届を選挙管理委員会に提出した。又、7月22日には大村が提出していた党紀委員会による除名処分の再審査請求も却下され、除名が確定した[31][注 3]

2012年1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した[34]。同年8月には、政治団体「中京維新の会」を設立し、代表に就任した。また「日本維新の会」顧問にも就任したが、維新が減税日本との合流を拒否したことなどから11月21日に顧問を辞職した[35]

第2期(2015年 - 2019年)

2014年9月24日、愛知県議会にて2期目への出馬意向を表明した[36]。同年12月19日、記者会見を開き、「2015年2月1日執行予定の愛知県知事選挙にて再選を目指して出馬する」ことを表明し、合わせて選挙公約などを発表した[37]。その後、2015年1月6日には、詳細な政策集である「あいち重点政策ファイル300+1」を発表した[38]

2015年2月1日に実施された愛知県知事選挙では、7党(自由民主党、民主党公明党維新の党次世代の党生活の党と山本太郎となかまたち、減税日本)からの推薦を得て、1,629,147 票を獲得して再選を果たした(得票率80.63%)。この得票数・得票率はいずれも、愛知県知事選挙史上2番目である。

2017年10月22日執行予定の第48回衆議院議員総選挙では「三都物語」と称して希望の党を率いる小池百合子東京都知事、日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事との連携を表明[39]。しかし10月5日午前、小池の要請で大村が希望の党の顧問に就任したと党がいったん発表したがすぐ内定であったと修正し、大村自身が顧問就任を否定。同日午後に党も就任発表を撤回するなど足並みが乱れた場面もあり[40][41]、選挙公示後の10月11日に大村は希望の党に対する応援方針を事実上撤回した[42]

第3期(2019年 - )

2019年2月3日に実施された愛知県知事選挙では、過去最多となる177万4000票あまりを獲得。得票率でも過去最高となる83.32%となり、3選を果たした[43]

政策・主張

衆議院議員

  • 憲法改正に賛成[44]
  • 道路予算を維持すべきかに、どちらとも言えない[44]
  • 「5年以内の消費税率引き上げはやむをえない」に、どちらとも言えない[44]
  • 「永住外国人の地方参政権を認めるべきだ」に、どちらかと言えば賛成[44]
  • 「日米同盟は日本外交の基軸」か「日本外交は国連中心主義で」のどちらに近いに、前者に近い[44]
  • これからの日本はどんなふうに呼ばれる国になってほしいかに、平和・文化国家[44]

愛知県知事

第1期(2011年 - 2015年)
  • 選挙公約として、「平成の楽市楽座」「世界と闘える愛知・名古屋」の実現をめざす、236項目からなるマニフェストを掲げた[45]
第2期(2015年 - 2019年)
  • 選挙公約として、「-日本一元気な愛知をつくり日本の未来をつくる! リニア・ジェット・FCV-あいち重点政策ファイル300+1」と題する全300項目の政策集を発表した[46]
第3期(2019年 - )
  • 選挙公約として、2027年のリニア中央新幹線開通に合ったまちづくり、長久手市の愛・地球博記念公園での「ジブリパーク」整備、「中京都構想」、国際展示場の整備、名古屋駅の再開発や県・名古屋市共催の2026年夏季アジア大会の協力などを掲げた[47]
  • あいちトリエンナーレ2019において、実行委員会会長として企画展「表現の不自由展・その後」の中止を決定したが[48]、企画展の内容を疑問視する名古屋市長の河村たかし、大阪府知事の吉村洋文[49]らに「公権力は、市民の思想信条に関与することはできない。表現の自由は戦後民主主義の根幹だ」と反論[50][51]。また、開催日の翌日に補助金交付取り消しをにおわせた菅義偉官房長官[52]や、2019年9月26日に補助金交付決定をくつがえした文化庁に対し、争う姿勢を示した[53]
  • 2019年10月、大村は名古屋国際会議場で開催された部落解放研究第53回全国集会にて祝辞を述べた[54]。大村によると「同和問題を始め人権問題の解決には行政はもとより全ての人々が人権について正しい認識を持ち粘り強く取り組むことが必要。人権尊重の社会の実現に向け、取り組みを進めていく。」という[54]

家族

家族は、妻と4人の子どもがいる[2]

議員連盟等(衆議院議員時代)

  • 窯業建材推進議員連盟 (会長[55]) 
  • 養鰻振興議員懇談会 (会長[55]
  • 食品産業振興議員連盟 (幹事長[55]
  • 障害保健福祉推進議員連盟 (幹事長[55]
  • 在宅介護推進議員連盟 (幹事長[55]
  • 都市農業研究会 (幹事長[55]
  • 自動車議員連盟税制小委員長[55]

著書

  • 『それでも日本は蘇る -21世紀への10の指針-』日経事業出版社、1998年5月。ISBN 4930746493 
  • 『再生、興国への突破口 -それでも日本は蘇る-』小学館クリエイティブ、2003年6月。ISBN 4797986441 
  • 『戦略なき政治を斬る』小学館クリエイティブ、2010年10月。ISBN 978-4-7780-9002-9 
  • 『中京維新 -日本が蘇る5大改革戦略!-』PHP研究所、2012年10月。ISBN 978-4-569-80885-7 
  • 『愛知が起こす成長革命 -日本が蘇る2027年への提言27-』PHP研究所、2015年10月27日。ISBN 978-4-569-82702-5 
  • 『時代は“国家”から“地域”へ 世界イノベーション都市宣言 「愛知が起こす成長革命 II」グローバル編』PHP研究所、2017年5月25日。ISBN 978-4-569-83626-3 

テレビ出演

脚注

注釈

  1. ^ 橋本派の2回生議員の会合での発言を振り返り、大村は次のように述べている。「今年(注・2001年)に入って自民党はどん底だった。このまま参院選に突っ込めば、一発退場という状況。それなのに、相変わらず『派閥の論理』がすべての総裁選をやっていたら、有権者からは『自民党は何も変わっていない』と思われてしまう。これが最後のチャンス。そんな思いを全部ぶつけたかった」[5]
  2. ^ 日本一愛知の会のマニフェストには「私は今、日本と日本経済に大いなる危機感を抱いています。このままでは、日本経済も愛知の経済、ものづくりも沈没してしまう。日本を、愛知・名古屋を、今一度世界と闘える力強い国・社会・経済とするため、私は皆様とともに起ち上がりたい」と記されている。
  3. ^ 2011年7月に解散した「自由民主党愛知県第十三選挙区支部」は翌2012年、大見正県議が代表となり復活。同年12月の総選挙で大見は初当選。2017年に3選を果たすが、2019年2月の安城市長選挙に立候補し落選[32]。愛知13区の選挙区支部は同年3月に再び解散した[33]

出典

  1. ^ a b c d e プロフィール|大村ひであき公式WEBサイト
  2. ^ a b c d e 垣見洋樹 (2015年1月17日). “候補者はこんな人:愛知県知事選2015”. 中日新聞. http://www.chunichi.co.jp/article/senkyo/aichi-chiji2015/rensai/CK2015011702000220.html 2018年10月20日閲覧。 
  3. ^ a b 左藤永次「家族のこと話そう 衆院議員 大村秀章さん 三河人気質脈々と」 『中日新聞』2001年8月31日付夕刊、8面。
  4. ^ 中尾吟「2019あいち知事選 私が推します」 『中日新聞』2019年1月28日付朝刊、県内版、10面。
  5. ^ a b c d 小田克也「脱・永田町人 新たな政治潮流を見る 衆院議員 大村秀章さん(41)」 『中日新聞』2001年8月25日付朝刊、2面。
  6. ^ 大村秀章『それでも日本は蘇る -21世紀への10の指針-』日経事業出版社、1998年5月、著者プロフィール。
  7. ^ 政治改革の軌跡 1993年~1994年”. 21世紀臨調. 2020年1月5日閲覧。
  8. ^ 『中日新聞』1996年10月15日付朝刊、西三河版、23面、「候補者登壇 13区 横顔・一枚の写真 大村秀章候補(36) 自新 中央省庁改革に意欲」
  9. ^ 『中日新聞』2015年2月2日付夕刊、10面、「愛知知事選一夜明け 大村さん『背筋伸ばす』」。
  10. ^ 『中日新聞』1995年7月11日付朝刊、3面、「衆院の愛知13区 大村氏公認申請 自民県連」。
  11. ^ 『中日新聞』1995年7月14日付朝刊、2面、「愛知13区大村氏を公認」。
  12. ^ 『中日新聞』1996年2月12日付朝刊、西三河版、22面、「大村氏の後援会結成 衆院13区から立候補の予定」。
  13. ^ “14章 自民退潮-ビジュアル年表(戦後70年)”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/special/sengo/visual/page70.html 2019年12月27日閲覧。 
  14. ^ 『中日新聞』2001年4月7日付朝刊、34面、「参院選『最重点区・愛知を押さえろ』 講演会に遊説 与党の動き急 大物来県 総選挙で大敗、自公は活発な活動」。
  15. ^ 『中日新聞』2001年4月8日付朝刊、2面、「自民総裁選 橋本氏支持せず 派内若手が反旗」。
  16. ^ 『中日新聞』2001年4月13日付朝刊、2面、「『鉄の団結』亀裂 橋本派若手 総会欠席で“抗議”」。
  17. ^ 『中日新聞』2005年6月26日付朝刊、県内版、34面、「大村会長を正式決定 自民県連大会」。
  18. ^ 『中日新聞』2009年9月20日付朝刊、県内版、18面、「『ゼロからの出発だ』 自民県連総会 鈴木会長があいさつ」。
  19. ^ “神田知事、4選不出馬を表明”. 中日新聞. (2010年9月17日). http://www.chunichi.co.jp/hold/2011/ele_aichi/list/201009/CK2010120602100009.html 2013年3月10日閲覧。 
  20. ^ 『中日新聞』2010年10月13日付夕刊、1面、「重徳氏、出馬に前向き 愛知県知事選 自民打診に『光栄』」
  21. ^ 『中日新聞』2010年10月15日付朝刊、1面、「河村市長 自民・大村氏を愛知県知事選に 減税公約、擁立目指す」
  22. ^ “河村市長、自民・大村氏に愛知知事選出馬要請”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年10月16日). オリジナルの2010年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20101019033351/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101016-OYT1T00126.htm 2010年11月13日閲覧。 
  23. ^ “河村市長が要請…自民・大村氏、愛知知事選へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年11月13日). オリジナルの2010年11月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20101114132328/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101113-OYT1T00381.htm 2010年11月13日閲覧。 
  24. ^ 『中日新聞』2010年11月16日付朝刊、35面、「大村氏、自民県連と亀裂 会長面談 不出馬要請断る」。
  25. ^ “自民・大村議員が離党届、愛知県知事選へ意欲”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年12月3日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20101204124619/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101203-OYT1T00691.htm 
  26. ^ 『中日新聞』2010年12月9日付朝刊、30面、「愛知県知事選出馬 大村氏の除名決定 自民」。
  27. ^ http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201101130035.html[リンク切れ]
  28. ^ 大村ひであき活動レポート(2010年12月21日号)”. 大村ひであきblog (2010年12月21日). 2016年9月25日閲覧。
  29. ^ “衆議院:大村秀章氏が辞職 望月義夫氏が繰り上げ当選”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年1月14日). オリジナルの2011年1月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110115235859/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010091000c.html 
  30. ^ “大村氏へ秋波…愛知県議選、公認・推薦求めて”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年2月11日). オリジナルの2011年2月13日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20110213003639/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110211-OYT1T00001.htm 2011年2月11日閲覧。 
  31. ^ 『中日新聞』2011年7月14日付朝刊、県内版、20面、「知事が代表 自民支部解散 党本部強制、県内で初 衆院13区」。
  32. ^ 四方さつき (2019年2月4日). “神谷さん5期目感慨 安城市長選「新たな気持ち」”. 中日新聞. http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20190204/CK2019020402000108.html 2019年2月4日閲覧。 
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  44. ^ a b c d e f asahi.com(朝日新聞社):比例区当選者 - 2009総選挙”. www.asahi.com. 2019年8月1日閲覧。
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  54. ^ a b 大村秀章Twitter(2019年10月15日)。
  55. ^ a b c d e f g 大村秀章『戦略なき政治を斬る』小学館クリエイティブ、2010年4月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-7780-9002-9 

関連項目

外部リンク