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[[ピクシーズ]]などの[[オルタナティヴ・ロック]]の影響を受けたといわれる<ref name="schoolgirl" />、いわゆるギターロックの系譜にあり、向井のヴォーカルもそうしたギターロック調のシャウティングが中心であった。[[1999年]]に発表されたシングル「DESTRUCTION BABY」あたりから、[[ダブ]]、[[レゲエ]]的な音響処理が用いられるようになる。また、ヴォーカルスタイルもコンピレーション盤『極東最前線』に収録された「TOKYO FREEZE」において向井独特の[[ラップ]]を披露していた。ラスト・アルバムとなった『NUM-HEAVYMETALLIC』においては、[[祭囃子]]的な和の要素を取り入れたサウンドを展開する。
[[ピクシーズ]]などの[[オルタナティヴ・ロック]]の影響を受けたといわれる<ref name="schoolgirl" />、いわゆるギターロックの系譜にあり、向井のヴォーカルもそうしたギターロック調のシャウティングが中心であった。[[1999年]]に発表されたシングル「DESTRUCTION BABY」あたりから、[[ダブ]]、[[レゲエ]]的な音響処理が用いられるようになる。また、ヴォーカルスタイルもコンピレーション盤『極東最前線』に収録された「TOKYO FREEZE」において向井独特の[[ラップ]]を披露していた。ラスト・アルバムとなった『NUM-HEAVYMETALLIC』においては、[[祭囃子]]的な和の要素を取り入れたサウンドを展開する。
== 評価・影響 ==
== 評価・影響 ==
[[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]、[[凛として時雨]]、[[wowaka]]、[[ハヌマーン]]、[[Base Ball Bear]]などのバンドシーンのミュージシャンや[[椎名林檎]]、[[星野源]]、[[YUI]]などのメジャーシーンのミュージシャンなど、広くシーンを問わず様々なミュージシャンがナンバーガールから受けた影響について公言しており、後続のアーティストの音楽性へ与えた影響は計り知れない<ref>{{Cite news|url=https://night-cap.net/2018/06/01/numbergirl-followers/ |title= 邦ロックバンド、ナンバーガールから影響を受けない方が難しい</ref>。
[[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]、[[凛として時雨]]、[[wowaka]]、[[ ハヌマーン (バンド)|ハヌマーン]]、[[Base Ball Bear]]などのバンドシーンのミュージシャンや[[椎名林檎]]、[[星野源]]、[[YUI]]などのメジャーシーンのミュージシャンなど、広くシーンを問わず様々なミュージシャンがナンバーガールから受けた影響について公言しており、後続のアーティストの音楽性へ与えた影響は計り知れない<ref>{{Cite news|url=https://night-cap.net/2018/06/01/numbergirl-followers/ |title= 邦ロックバンド、ナンバーガールから影響を受けない方が難しい</ref>。


== プロモーション・ビデオ ==
== プロモーション・ビデオ ==

2020年4月19日 (日) 02:16時点における版

ナンバーガール
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市博多区
ジャンル オルタナティヴ・ロック
インディー・ロック
ポスト・パンク
ポスト・ハードコア
活動期間 1995年 - 2002年
2019年 -
レーベル 東芝EMI /
パーロフォン・Capitol Music
(1999年 - 2002年)
ユニバーサル ミュージック / USM JAPAN
(2014年 - 2016年・2019年)
事務所 エイトビーター
共同作業者 デイヴ・フリッドマン
音楽プロデューサー
斉藤匡崇
レコーディング・エンジニア
三栖一明
(バンドの作品のアートワークを初期から担当)
公式サイト NUMBER GIRL
メンバー 向井秀徳ボーカルギター
田渕ひさ子(ギター)
中尾憲太郎ベース
アヒト・イナザワドラムス
ピクシーズ
ソニックユースなど

ナンバーガールNUMBER GIRL)は、日本オルタナティヴ・ロックバンド[1]1995年8月に福岡で結成され、2002年11月30日に解散2019年2月15日に再結成を発表[2]。 現在の所属レコード会社はユニバーサル ミュージック、所属レーベルはUSM JAPAN[3]。所属事務所はエイトビーター。

メンバー

  • 詳細はそれぞれの個人記事を参照。
氏名 パート 本名 生年月日 出身地
向井 秀徳
(むかい しゅうとく)
ボーカル
ギター
向井 秀徳
(むかい ひでのり)
(1973-10-26) 1973年10月26日(50歳) 佐賀県三養基郡北茂安町
(現:みやき町
田渕 ひさ子
(たぶち ひさこ)
ギター 田渕 久子
(たぶち ひさこ)
(1975-12-09) 1975年12月9日(48歳) 福岡県福岡市
中尾 憲太郎
(なかお けんたろう)
ベース 同じ (1974-06-17) 1974年6月17日(50歳) 福岡県北九州市
アヒト・イナザワ ドラムス 鰰澤 亜人
(いなざわ あひと)
(1973-06-06) 1973年6月6日(51歳) 福岡県糟屋郡須恵町

名前の由来

バンド名の由来は、もともと向井が宅録時代に名乗っていたユニット名が「ナンバーファイブ」(ビートルズの編集盤『ビートルズ No.5!』から命名)であり、その後バンドを一緒に組もうとした人達が以前やっていたバンド名が「カウガール」(ニール・ヤングの曲「Cowgirl In The Sand」から命名)であった為、これを合体させたものである[4]

尚、組もうとしたメンバーとは、向井以外は解散時の最終メンバー(向井、田渕、中尾、鰰澤)とは異なる。厳密に言えば、ナンバーガールのオリジナルメンバーは向井のみである。又、実質上の旧メンバーは今となっては不明である。

来歴

1995年、バンドを結成するまで宅録を行っていた向井秀徳がバンドを組もうと決意し、当時ライブハウスで照明のアルバイトをしていた中尾憲太郎を誘う。その中尾がライブを観て是非組もうと思っていたのが田渕ひさ子であり、そのまま田渕も呼ばれることになる。その後、昔からアヒト・イナザワのドラムスタイルに惚れ込んでいた向井が、アヒトが参加していたバンドを脱退したことを聞き彼をさそい、メンバーが揃う。結成当初から地元福岡チェルシーQなどのイベントを中心に精力的に活動しつつ、1996年『Atari Shock』『omoide in my head』の2本の自主制作カセットテープを販売する。1997年11月、羽生和仁主宰の福岡のレーベル、automatic kissから1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』をリリース。1998年、上京したナンバーガールは1stシングル『DRUNKEN HEARTED』をリリース、東京でも1年目から40本近いライブを行い、翌年にはアメリカ合衆国テキサス州オースティンでのライブも成功させている。また、前述の『SCHOOL GIRL BYE BYE』を東芝EMIのプロデューサー子安氏が聴いたあと、automatic kissの羽生に電話でアプローチした事がきっかけとなり、ナンバーガールは東芝EMIと契約、1999年5月に、メジャーデビューシングル「透明少女」を発表し、1999年7月にはメジャー1stアルバムとなる『School Girl Distortional Addict』を発表する。その後ライジング・サン・ロック・フェスティバル参加や、bloodthirsty butchersとのツアーを経て、ナンバーガールライブシリーズ『Distortional Discharger』を遂行、その最終日のライブをそのまま収録したライブ・アルバム『シブヤROCKTRANSFORMED状態』をリリース。

メジャーデビュー後2枚目のシングル「DESTRUCTION BABY」から、デイヴ・フリッドマンプロデューサーに起用、アメリカ合衆国ニューヨーク州フレドニアで行われた。通算3枚目のアルバムとなる『SAPPUKEI』もデイヴ・フリッドマンプロデュース。『SAPPUKEI』リリース後、ナンバーガールは『Number Girl Tour Sappukei』を遂行する。その後も、eastern youth主催の対バンライブ『極東最前線』やROCK IN JAPAN FESTIVAL参加、bloodthirsty butchersとのツアー『Harakiri Kocorono Tour』、ワンマンツアー『Inazawa chainsaw』など多数のライブを行っていく。精力的なライブ活動は2001年も続き、その間ライブ記録作品『騒やかな演奏』やライブ会場限定販売カセットテープ『記録シリーズ』をリリースする。

2001年の末頃、ナンバーガールはスタジオ盤としてはラスト・アルバムとなる『NUM-HEAVYMETALLIC』のレコーディングを開始する。デイヴ・フリッドマンを三度プロデューサーとして迎えたこのアルバムは、年をまたいでの2度にわたる渡米の末、完成をみた。

2002年4月、『NUM-HEAVYMETALLIC』をリリースしたナンバーガールは全国ツアーを行い、同年9月にオフィシャル・ウェブサイトにて突然の解散を発表する。解散の理由として「ベースの中尾がナンバーガールからの脱退を希望。メンバー及びスタッフで話した結果、中尾、田渕、イナザワ、向井の4人でナンバーガールである、という共通の意思が強かったから」という説明が発表されている[5]。ナンバーガールは解散発表前に計画されていた全国6カ所のツアー『NUM-無常の旅』を行い、最終日、札幌PENNY LANEのライブをもって解散した。ラスト・ライブとなったこの演奏は、ライブ・アルバム『サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態』に収録され、リリースされた。

尚、解散ツアーは、本来は通常のライブツアーとして行われる予定であったが、上記の事があり、ラストライブの会場は、たまたま小規模のライブハウスとなった。その為、ラストライブのチケットはインターネットオークションで高値で取引される事があった。

ナンバーガール解散後も、メンバーはそれぞれ音楽活動を続けている。

2019年2月15日、解散時のメンバーでバンドを再結成し、同年8月のRISING SUN ROCK FESTIVALにてライブ活動を行うことを発表した。この時発表された向井のコメントには「できれば何発かヤりたい」としている[6]

音楽性

ピクシーズなどのオルタナティヴ・ロックの影響を受けたといわれる[4]、いわゆるギターロックの系譜にあり、向井のヴォーカルもそうしたギターロック調のシャウティングが中心であった。1999年に発表されたシングル「DESTRUCTION BABY」あたりから、ダブレゲエ的な音響処理が用いられるようになる。また、ヴォーカルスタイルもコンピレーション盤『極東最前線』に収録された「TOKYO FREEZE」において向井独特のラップを披露していた。ラスト・アルバムとなった『NUM-HEAVYMETALLIC』においては、祭囃子的な和の要素を取り入れたサウンドを展開する。

評価・影響

ASIAN KUNG-FU GENERATION凛として時雨wowakaハヌマーンBase Ball Bearなどのバンドシーンのミュージシャンや椎名林檎星野源YUIなどのメジャーシーンのミュージシャンなど、広くシーンを問わず様々なミュージシャンがナンバーガールから受けた影響について公言しており、後続のアーティストの音楽性へ与えた影響は計り知れない[7]

プロモーション・ビデオ

ナンバーガールのプロモーション・ビデオには向井が監督したものが多数あり、それらは「新日本現代映画」という名義でクレジットされる。実写映像以外に、向井の描いたマンガを使ったものもある。映像は不気味な雰囲気を出すにはフィルムが一番だという向井の意向から主に16mmフィルム映像で撮られている。

メディア出演

メジャーデビュー当初から音楽専門チャンネルVIEWSIC(現MUSIC ON! TV)やスペースシャワーTV等に出演し、前に挙げた2局ではよく特集が組まれていた。地上波においては、NHKで取り上げられることが多かった。

2002年には読売テレビ制作・日本テレビ系列のテレビドラマ私立探偵 濱マイク』第5話にゲストとして出演した。

2020年3月21日フジテレビ系列の音楽番組『緊急生放送! FNS音楽特別番組 春は必ず来る』に生出演した。

作品

カセットテープ

  • Atari Shock (1996年2月)
  • Omoide in my head (1996年6月)

シングル

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1998年8月20日 DRUNKEN HEARTED ATMK-09211 automatic kiss records
2nd 1999年5月26日 透明少女 TOCT-22009 メジャーデビューシングル。オリコン最高85位
3rd 1999年9月22日 DESTRUCTION BABY TOCT-22021 メジャー2ndシングル。オリコン最高50位
4th 2000年5月31日 URBAN GUITAR SAYONARA TOCT-22073 メジャー3rdシングル。オリコン最高33位
5th 2000年11月29日 鉄風 鋭くなって TOCT-22125 メジャー4thシングル。オリコン最高30位
6th 2002年3月20日 NUM-AMI-DABUTZ TOCT-22203 メジャー5th・最終シングル。オリコン最高26位
7th 2002年4月8日 I don't know CR-19C インディーズ。映画『害虫』サウンドトラック

アルバム

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1997年11月6日
1999年2月10日(再発)
2000年8月20日(LP)
SCHOOL GIRL BYE BYE ATMK-09208
KOGA-060:再発
KONO-001:LP
automatic kiss
K.O.G.A Records
2nd 1999年7月23日
2011年10月26日(再発)
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
2019年8月7日(LP)
SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT UNIVERSAL MUSIC TOCT-24157
UNIVERSAL MUSIC TOCT-11310:「EMI ROCKS The First」シリーズとして再発
UNIVERSAL MUSIC UPCY-6824:15th Anniversary Edition(SHM−CD規格でのリマスター音源+DISC2としてライヴ音源を付属)
UNIVERSAL MUSIC/JET SET JSLP-046:LP(A/B面各5曲、リマスター音源)
UNIVERSAL MUSIC UPJY-9079:LP(A/B面各5曲、オリジナル・マスターからLP化)
メジャー1stフルアルバム。オリコン最高42位
オリコン最高50位(15th)
3rd 2000年7月19日
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
SAPPUKEI TOCT-24390
UPCY-6854:15th Anniversary Edition
JSLP-047:LP
メジャー2ndフルアルバム。オリコン最高24位
オリコン最高82位(15th)
4th 2002年4月26日
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
NUM-HEAVYMETALLIC TOCT-24764
UPCY-6856:15th Anniversary Edition
JSLP-048:LP
メジャー3rd・最終フルアルバム。オリコン最高15位
オリコン最高91位(15th)

ライブ・アルバム

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1999年12月16日
2013年3月27日(SHM-CD)
2015年7月29日(BD)
シブヤROCK TRANSFORMED状態 TOCT-24283
TOCT-95174:SHM-CD
UPXY-6032:BD
オリコン最高58位
オリコン最高253位(BD)
2nd 2003年1月29日
2015年7月29日(BD)
サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態 TOCT-24920
TOCT-95175:SHM-CD
UPXY-6033:BD
オリコン最高20位
オリコン最高189位(BD)
3rd 2019年7月24日 LIVE ALBUM『感電の記憶』 2002.5.19 TOUR『NUM-HEAVYMETALLIC』日比谷野外大音楽堂 UICZ-4458 オリコン最高28位

映像作品

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 2001年6月20日
2015年7月29日(BD)
騒やかな演奏 TOVF-1368:VHS
TOBF-5085:DVD
UPXY-6029:BD
オリコン最高245位(BD)
2nd 2003年3月26日
2015年7月29日(BD)
NUMBERGIRL映像集 TOBF-5198:DVD
UPXY-6030:BD
オリコン最高18位
オリコン最高252位(BD)
3rd 2009年1月28日 Live at Factory/ Number Girl TOBF-5615:DVD ジャケットイラスト:ツバキアンナ
オリコン最高89位
4th 2015年6月24日 記録映像 LIVE 1999-2002 UPBY-5018:DVD
UPXY-6017:BD
オリコン最高174位(DVD)
オリコン最高103位(BD)

ボックス・セット

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 2005年3月2日
2019年5月1日(再発)
OMOIDE IN MY HEAD 1 〜BEST & B-SIDES〜 TOCT-25647
UPCY-7581/2
(再発)
オリコン最高19位
オリコン最高114位(再発盤)
2nd 2005年6月22日 OMOIDE IN MY HEAD 2 記録シリーズ1 TOCT-25687:初回生産限定盤
TOCT-25708:通常盤
オリコン最高47位
3rd 2005年6月22日 OMOIDE IN MY HEAD 2 記録シリーズ2 TOCT-25691:初回生産限定盤
TOCT-25704:通常盤
オリコン最高17位
4th 2005年9月28日 OMOIDE IN MY HEAD 3 記録映像 TOBF-5406 オリコン最高23位
5th 2005年12月14日 OMOIDE IN MY HEAD 4 珍NG & RARE TRACKS TOCT-25876:初回生産限定盤
TOCT-25878:通常盤
オリコン最高43位

ライブ会場・通販限定販売

  • 記録シリーズ黒 (2001年、カセットテープ)
  • 記録シリーズ黄 (2002年、2枚組CD)
  • 記録シリーズ緑 (2002年、2枚組CD)

その他

  • V.A 『Young Person's Guide To The 3-D Tours』 (1996年7月)
    • 「Trumpoline Girl」と「Space Girl 加速装置」の2曲を収録。
  • V.A 『Headache Sounds Sampler CD vol.1』 (1997年4月)
    • 「Girl In My Blood」と「Girlfriend Girlfriend Girlfriend」の二曲を収録。
  • V.A 『SUPER NOVA VOL.1 UNI』 (1999年1月20日)
    • 「SAMURAI」と「喂(ウェイ?)」の2曲を収録。
  • V.A 『極東最前線』 (2000年7月16日)
    • 「TOKYO FREEZE」を収録。
  • V.A 『けものがれ、俺らの猿と オリジナル・サウンドトラック』(2001年5月30日)
    • 「ZAZENBEATS KEMONOSTYLE」を収録。
  • クイック・ジャパン』Vol.42 (2002年4月)
    • 雑誌付録シングルCD。「NUM-AMI-DABUTZ(猫町version)」を収録。同名曲を向井の自宅にて打ち込みで再録音したもの。バンド名義だが実質は向井ソロ。
  • V.A 『タダダー! トリビュート 至福刑事 Vol. 2』 (2002年5月10日)
  • グループ魂 『Run魂Run』 (2002年12月25日)
    • 「あの歌の故郷を訪ねて」にメンバー全員で参加。バンドとしての最後のスタジオレコーディング音源はコントだった。
  • V.A 『ROCK is LOFT : SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY』 (2006年6月14日)
    • 「OMOIDE IN MY HEAD」を収録。
  • V.A 『モテキ的音楽のススメ 中柴いつか 小宮山夏樹盤』 (2010年9月8日)
    • 「NUM-AMI-DABUTZ」を収録。

ミュージックビデオ

監督 曲名
遠藤主任 「IGGY POP FAN CLUB (at 新宿 JAM)」「OMOIDE IN MY HEAD from「OMOIDE IN MY HEAD 1〜BEST & B-SIDES〜」」「透明少女 from DVD「OMOIDE IN MY HEAD 3 記録映像」」「はいから狂い from「OMOIDE IN MY HEAD 4〜レア音源集」」
新日本現代映画 (向井秀徳 + 遠藤雄二) 「NUM-AMI-DABUTZ」「TATTOOあり」「TRAMPOLINE GIRL「騒やかな演奏」より」「URBAN GUITAR SAYONARA]」「ZEGEN vs UNDERCOVER」「ZEGEN vs UNDERCOVER (【アヒト・イナザワ Ver.】)」「鉄風鋭くなって」「鉄風 鋭くなって (4分割バージョン)」
向井秀徳 「CIBICCOさん」
不明 「DESTRUCTION BABY」「DRUNKEN HEARTED」「I don't know」「IGGY POP FAN CLUB」「OMOIDE IN MY HEAD」「SAMURAI」「はいから狂い」「タッチ」「桜のダンス」「透明少女」「日常に生きる少女」

主なライブ

ワンマンライブ・主催イベント

活動期~解散まで

  • 1999年
    • 3月 - 自主企画イベント"Fan Club"
    • 4月 - 自主企画イベント"Fan Club 2"
    • 6月 - 自主企画イベント"Fan Club 3"
    • 8月 - 自主企画イベント"Fan Club 4"
    • 9月 - ワンマンツアー"Distortional Discharger"
    • 12月 - ワンマンツアー"全身焦燥家"
  • 2000年
    • 3月 - 全米6カ所ツアー
    • 5月 - Fan Club 7
    • 5月 - "南からきたあいつ"ツアー
    • 7月 - Live Tour"SAPPUKEI"
    • 10月 - W-EXPOSURE Tour(BACK DROP BOMBとのスプリットツアー)
    • 11月 - "HARAKIRI KOCORONO TOUR '00"[8]
    • 12月 - Live Tour "INAZAWA CHAINSAW"
  • 2001年
    • 6月~ - Live Tour "騒やかな群像"
    • 4月24日 - グループ魂VSナンバーガール 鼓魂彩祭
    • 8月3日 - くるりvsナンバーガール ~烏丸大騒動~
    • 10月 - バンド「SUPERCHANK」とのスプリットツアー
  • 2002年
    • 5月~7月 - Live Tour"NUM-HEAVYMETALLIC"
    • 9月 - 11月 Live Tour "NUM無常の旅"

再結成後

  • 2019年
    • 7月27日 - ワンマンライブ @ 新宿LOFT(タイトルなし)
    • 8月18日~9月27日 - TOUR"NUMBER GIRL"
    • 12月14日・15日 - TOUR"逆噴射バンド"
  • 2020年
    • 1月3日~2月22日 - TOUR"逆噴射バンド"

出演イベント

活動期~解散まで

  • 1999年
  • 2000年
    • 2月 - SXSW2000
    • 4月3日 - 激Rockシンポジウム vol.1
    • 8月 - 極東最前線30 ~国民爆音大会2000~
    • 8月6日 - SUMMER SONIC 2000
    • 8月13日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000
  • 2001年
  • 2002年
    • 8月10日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002
    • 8月20日 - Date-fm 俺流~番外地~ くるり vs NUMBER GIRL
    • 9月28日 - MUSIC CITY TENJIN(第1回目)

再結成後

  • 2019年
    • 8月16日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO(中止)
    • 12月30日 - COUNTDOWN JAPAN 2019-2020

脚注

  1. ^ 市川哲史、藤谷千明『すべての道はV系へ通ず。』シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年8月26日、359頁。ISBN 978-4-401-64639-5 
  2. ^ NUMBER GIRLが再結成”. 音楽ナタリー (2019年2月15日). 2019年2月15日閲覧。
  3. ^ リイシュー盤・アナログ盤などのリリースを目的とする。
  4. ^ a b 大鷹俊一 『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』 1999年5月15日、ライナーノーツより。
  5. ^ NUMBER GIRL 解散のお知らせ(2002年9月23日時点のインターネットアーカイブ
  6. ^ NUMBER GIRL、再結成。向井秀徳「またヤツらとナンバーガールを」”. rockinon.com (2019年2月15日). 2019年2月15日閲覧。
  7. ^ {{Cite news|url=https://night-cap.net/2018/06/01/numbergirl-followers/ |title= 邦ロックバンド、ナンバーガールから影響を受けない方が難しい
  8. ^ bloodthirsty butchersとのスプリットツアー

関連項目

  • ライオン丸G
    • 2006年放送の特撮テレビドラマ。全13話の各タイトルは、ナンバーガールの楽曲が元ネタになっている。
  • テレビジョン (バンド)
    • 代表曲「マーキー・ムーン」をライブでの入場SEとして使用している。

外部リンク

  1. ^ 向井、及びZAZEN BOYSの告知アカウント