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『'''ディアナとカリスト'''』({{lang-it-short|Diana e Callisto}}, {{lang-en-short|Diana and Callisto}})は、[[イタリア]]、[[盛期ルネサンス]]の巨匠[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]が1556年から1559年にかけて制作した絵画である。[[油彩]]。
『'''ディアナとカリスト'''』({{lang-it-short|Diana e Callisto}}, {{lang-en-short|Diana and Callisto}})は、[[イタリア]]、[[盛期ルネサンス]]の巨匠[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]が1556年から1559年にかけて制作した絵画である。[[油彩]]。


本作品は[[オウィディウス]]の『[[変身物語]]』で語られている[[狩猟]]の[[女神]][[アルテミス]]([[ローマ神話]]の[[ディアナ]])の従者[[カリスト]]の悲劇を主題とし、対作品『ディアナとアクタイオン』とともにティツィアーノを代表する神話画の1つである。両作品は[[スペイン王国|スペイン]]国王[[フェリペ2世]]のために制作された神話画の連作《ポエジア》を構成し、後期のティツィアーノの作品の中でも傑作として特に有名である<ref name="CTV">{{cite web|title=Titian |accessdate=2020/05/24 |url=http://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/66 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref>。しかし保存状態はあまり良好とはいえず、ディアナの顔やカリストの腹部など状態の悪い箇所がある<ref name="全集2">『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.108。</ref>。[[オルレアン・コレクション]]と[[サザーランド公爵]]のコレクションに所属したのち、2012年3月に[[ロンドン]]の[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]と[[エディンバラ]]の[[スコットランド国立美術館]]によって4500万[[スターリング・ポンド|ポンド]]で共同購入され、現在は両美術館で交互に展示されている<ref name="NG">{{cite web|title=Diana and Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/titian-diana-and-callisto |publisher=ナショナル・ギャラリー公式サイト}}</ref>。
本作品は[[オウィディウス]]の『[[変身物語]]』で語られている[[狩猟]]の[[女神]][[アルテミス]]([[ローマ神話]]の[[ディアナ]])の従者[[カリスト]]の悲劇を主題とし、対作品『[[ディアナとアクタイオン]]({{it|Diana e Atteone}})とともにティツィアーノを代表する神話画の1つである。両作品は[[スペイン王国|スペイン]]国王[[フェリペ2世]]のために制作された神話画の連作《ポエジア》を構成し、後期のティツィアーノの作品の中でも傑作として特に有名である<ref name="CTV">{{cite web|title=Titian |accessdate=2020/05/24 |url=http://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/66 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref>。しかし保存状態はあまり良好とはいえず、ディアナの顔やカリストの腹部など状態の悪い箇所がある<ref name="全集2">『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.108。</ref>。[[オルレアン・コレクション]]と[[サザーランド公爵]]のコレクションに所属したのち、2012年3月に[[ロンドン]]の[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]と[[エディンバラ]]の[[スコットランド国立美術館]]によって4500万[[スターリング・ポンド|ポンド]]で共同購入され、現在は両美術館で交互に展示されている<ref name="NG">{{cite web|title=Diana and Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/titian-diana-and-callisto |publisher=ナショナル・ギャラリー公式サイト}}</ref>。


[[ウィーン]]の[[美術史美術館]]に本作品のヴァリアントが所蔵されている<ref name="KM">{{cite web|title=Diana und Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://www.khm.at/objektdb/detail/1953/ |publisher=美術史美術館公式サイト}}</ref>。また[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]の[[模写]]が[[ランカシャー]]、{{仮リンク|ノーズリー (マージーサイド)|en|Knowsley, Merseyside|label=ノーズリー}}の[[ダービー伯爵]]のコレクションに所蔵されている<ref name="CTV" /><ref>{{cite web|title=SIR PETER PAUL RUBENS AFTER TITIAN, Diana and Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://lostcollection.rct.uk/collection/diana-and-callisto |publisher={{仮リンク|ロイヤル・コレクション・トラスト|en|Royal Collection Trust}}公式サイト}}</ref>。
[[ウィーン]]の[[美術史美術館]]に本作品のヴァリアントが所蔵されている<ref name="KM">{{cite web|title=Diana und Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://www.khm.at/objektdb/detail/1953/ |publisher=美術史美術館公式サイト}}</ref>。また[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]の[[模写]]が[[ランカシャー]]、{{仮リンク|ノーズリー (マージーサイド)|en|Knowsley, Merseyside|label=ノーズリー}}の[[ダービー伯爵]]のコレクションに所蔵されている<ref name="CTV" /><ref>{{cite web|title=SIR PETER PAUL RUBENS AFTER TITIAN, Diana and Callisto |accessdate=2020/05/24 |url=https://lostcollection.rct.uk/collection/diana-and-callisto |publisher={{仮リンク|ロイヤル・コレクション・トラスト|en|Royal Collection Trust}}公式サイト}}</ref>。
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| caption3 = ディアナを描いた第3の作品『アクタイオンの死』が発送されなかった理由は不明。
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ティツィアーノが描いているのは、狩猟を終えたアルテミスがカリストに衣服を脱いで水浴することを強要し、彼女の妊娠を発見する瞬間である。カリストは激しく抵抗しているが、アルテミスに命令された仲間の従者たちに両腕をつかまれて取り押さえられ、ゼウスの子を身ごもって大きくなったお腹を露わにされている。アルテミスは怒りを露わにし、純潔を守っている他の従者たちにカリストの追放を指示している。従者たちの表情はさまざまである。アルテミス同様に怒っている者がいれば、憐れむ者もおり<ref>『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.107-108。</ref>、かと思えばカリストの不幸を面白がっていると思われる者さえいる<ref>イアン・G・ケネディー、p.75-76。</ref>。周囲の木々は揺れ、遠くの空で縞模様を作っている黄金色の雲は渦を巻き、石の角柱は動揺して傾いている<ref name="NG" />。アルテミスの頭上の木に掛けられている金の織物は白い紐で枝に固定されている。織物には白い[[ユニコーン]]のデザインパターンが織り込まれている<ref name="NG" />。
ティツィアーノが描いているのは、狩猟を終えたアルテミスがカリストに衣服を脱いで水浴することを強要し、彼女の妊娠を発見する瞬間である。カリストは激しく抵抗しているが、アルテミスに命令された仲間の従者たちに両腕をつかまれて取り押さえられ、ゼウスの子を身ごもって大きくなったお腹を露わにされている。アルテミスは怒りを露わにし、純潔を守っている他の従者たちにカリストの追放を指示している。従者たちの表情はさまざまである。アルテミス同様に怒っている者がいれば、憐れむ者もおり<ref>『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.107-108。</ref>、かと思えばカリストの不幸を面白がっていると思われる者いる<ref>イアン・G・ケネディー、p.75-76。</ref>。周囲の木々は揺れ、遠くの空で縞模様を作っている黄金色の雲は渦を巻き、石の角柱は動揺して傾いている<ref name="NG" />。アルテミスの頭上の木に掛けられている金の織物は白い紐で枝に固定されている。織物には白い[[ユニコーン]]のデザインパターンが織り込まれている<ref name="NG" />。


[[File:Titian - Diana and Callisto (detail) - WGA22886.jpg|thumb|left|衣服を剥ぎ取られるカリスト。]]
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[[File:El archiduque Leopoldo Guillermo en su galería de pinturas en Bruselas (David Teniers II).jpg|thumb|[[ダフィット・テニールス (子)|ダフィット・テニールス]]の1651年の絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』。[[プラド美術館]]所蔵。]]
[[File:El archiduque Leopoldo Guillermo en su galería de pinturas en Bruselas (David Teniers II).jpg|thumb|[[ダフィット・テニールス (子)|ダフィット・テニールス]]の1651年の絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』。[[プラド美術館]]所蔵。]]
[[File:Theodor van Kessel - Diana and Callisto SVK-SNG.G 11965-97.jpg|thumb|{{仮リンク|テオドール・ヴァン・ケッセル|en|Theodor van Kessel}}によって描かれた『ディアナとカリスト』。{{仮リンク|スロバキア国立美術館|en|Slovak National Gallery}}所蔵。]]
[[File:Theodor van Kessel - Diana and Callisto SVK-SNG.G 11965-97.jpg|thumb|{{仮リンク|テオドール・ヴァン・ケッセル|en|Theodor van Kessel}}によって描かれた『ディアナとカリスト』。{{仮リンク|スロバキア国立美術館|en|Slovak National Gallery}}所蔵。]]
ティツィアーノは『ディアナとカリスト』制作後の1566年頃に、おそらく[[マクシミリアン2世]]の発注で<ref name="KM" />工房作のヴァリアントを制作している(美術史美術館版)<ref name="NG" />。1568年11月28日の手紙で、ティツィアーノが皇帝大使ヴィエト・フォン・ドルンベルク(Viet von Dornberg)を通じて皇帝[[マクシミリアン2世]]に7つの《寓話》を提供したとあり、1569年2月25日付けの書簡では、フォン・ドルンベルクがティツィアーノに不特定の絵画、おそらく『ディアナとカリスト』に100クローネを支払うことを許可している<ref name="TM">{{cite web|title=Diana and Callisto (Kunsthistorisches Museum) |accessdate=2020/05/24 |url=http://www.mappingtitian.org/paintings/diana-and-callisto-kunsthistorisches-museum |publisher=Mapping Titian}}</ref>。それから1世紀近く絵画は記録に現れない。『ディアナとカリスト』が再び現れるのは1651年に制作され、現在は[[プラド美術館]]に所蔵されている[[ダフィット・テニールス (子)|ダフィット・テニールス]]の絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』({{en|The Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels}})である。この作品は大公[[レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ]]の[[ブリュッセル]]の{{仮リンク|クーデンベルク|en|Coudenberg|label=クーデンベルク宮殿}}における膨大な絵画コレクションの展示風景を描いた[[クンストカンマー]]作品であり、『ディアナとカリスト』は画面の中央上に描かれている。この作品に『ディアナとカリスト』が描かれたことは、絵画がマクシミリアン2世の死後に大公の手に渡り、1648年から1657年にかけてブリュッセルで展示された彼の絵画コレクションに加わったことを意味している<ref name="TM" />。『ディアナとカリスト』は1659年の{{仮リンク|ストールバーグ|en|Stallburg|label=ストールバーグ城}}の[[インベントリ]]に記載されていないが、1660年に公開された彼のコレクションに含まれた243点のイタリア絵画のカタログ『{{仮リンク|テアトリウム・ピクトリウム|en|Theatrum Pictorium}}』に{{仮リンク|テオドール・ヴァン・ケッセル|en|Theodor van Kessel}}の画で記載されている<ref name="TM" />。その後、1781年に[[ベルヴェデーレ宮殿]]に所蔵されたのち、1891年に美術史美術館に所蔵された<ref name="TM" />。
ティツィアーノは『ディアナとカリスト』制作後の1566年頃に、おそらく[[マクシミリアン2世]]の発注で<ref name="KM" />工房作のヴァリアントを制作している(美術史美術館版)<ref name="NG" />。1568年11月28日の手紙で、ティツィアーノが皇帝大使ヴィエト・フォン・ドルンベルク(Viet von Dornberg)を通じて皇帝マクシミリアン2世に7つの《寓話》を提供したとあり、1569年2月25日付けの書簡では、フォン・ドルンベルクがティツィアーノに不特定の絵画、おそらく『ディアナとカリスト』に100クローネを支払うことを許可している<ref name="TM">{{cite web|title=Diana and Callisto (Kunsthistorisches Museum) |accessdate=2020/05/24 |url=http://www.mappingtitian.org/paintings/diana-and-callisto-kunsthistorisches-museum |publisher=Mapping Titian}}</ref>。それから1世紀近く絵画は記録に現れない。『ディアナとカリスト』が再び現れるのは1651年に制作され、現在は[[プラド美術館]]に所蔵されている[[ダフィット・テニールス (子)|ダフィット・テニールス]]の絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』({{en|The Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels}})である。この作品は大公[[レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ]]の[[ブリュッセル]]の{{仮リンク|クーデンベルク|en|Coudenberg|label=クーデンベルク宮殿}}における膨大な絵画コレクションの展示風景を描いた[[クンストカンマー]]作品であり、『ディアナとカリスト』は画面の中央上に描かれている。この作品に『ディアナとカリスト』が描かれたことは、絵画がマクシミリアン2世の死後に大公の手に渡り、1648年から1657年にかけてブリュッセルで展示された彼の絵画コレクションに加わったことを意味している<ref name="TM" />。『ディアナとカリスト』は1659年の{{仮リンク|ストールバーグ|en|Stallburg|label=ストールバーグ城}}の[[インベントリ]]に記載されていないが、1660年に公開された彼のコレクションに含まれた243点のイタリア絵画のカタログ『{{仮リンク|テアトリウム・ピクトリウム|en|Theatrum Pictorium}}』に{{仮リンク|テオドール・ヴァン・ケッセル|en|Theodor van Kessel}}の画で記載されている<ref name="TM" />。その後、1781年に[[ベルヴェデーレ宮殿]]に所蔵されたのち、1891年に美術史美術館に所蔵された<ref name="TM" />。


== その他の《ポエジア》 ==
== その他の《ポエジア》 ==

2020年5月27日 (水) 03:05時点における版

『ディアナとカリスト』
イタリア語: Diana e Callisto
英語: Diana and Callisto
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1556年-1559年
種類油彩キャンバス
寸法187 cm × 204.5 cm (74 in × 80.5 in)
所蔵ナショナル・ギャラリーロンドン
美術史美術館に所蔵されている1566年頃のヴァリアント(183 x 200 cm)。背景などいくつかの点に変更が加えられている。

ディアナとカリスト』(: Diana e Callisto, : Diana and Callisto)は、イタリア盛期ルネサンスの巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1556年から1559年にかけて制作した絵画である。油彩

本作品はオウィディウスの『変身物語』で語られている狩猟女神アルテミスローマ神話ディアナ)の従者カリストの悲劇を主題とし、対作品『ディアナとアクタイオン』(Diana e Atteone)とともにティツィアーノを代表する神話画の1つである。両作品はスペイン国王フェリペ2世のために制作された神話画の連作《ポエジア》を構成し、後期のティツィアーノの作品の中でも傑作として特に有名である[1]。しかし保存状態はあまり良好とはいえず、ディアナの顔やカリストの腹部など状態の悪い箇所がある[2]オルレアン・コレクションサザーランド公爵のコレクションに所属したのち、2012年3月にロンドンナショナル・ギャラリーエディンバラスコットランド国立美術館によって4500万ポンドで共同購入され、現在は両美術館で交互に展示されている[3]

ウィーン美術史美術館に本作品のヴァリアントが所蔵されている[4]。またピーテル・パウル・ルーベンス模写ランカシャーノーズリー英語版ダービー伯爵のコレクションに所蔵されている[1][5]

主題

オウィディウスの『変身物語』によるとカリストは女神アルテミスに従うアルカディア出身の乙女であり、アルテミスのお気に入りの娘だった。神々の王ゼウス(ローマ神話のユピテル)は以前から彼女​​の美しさに目を付けており、カリストと関係を持つ機会をうかがっていた。そんなあるとき、ゼウスは狩に励んでいた彼女が日中の暑さに疲れ、森の中で矢筒を枕に休んでいるのを見つけ、誰もいないのをいいことにアルテミスの姿に変身して接近し、彼女の純潔を奪った。それから9か月が過ぎたころ、狩の最中にアルテミスは服を脱いで従者の乙女たちと小川で水浴をしたが、カリストだけはいつまでも服を脱いで水に入ろうとしなかった。そこで女神は彼女の服を剥ぎ取り、カリストが妊娠していることを知ると、すぐさま彼女を追放した。ゼウスの正妻ヘラユノ)は彼女がアルテミスのもとを追われるのを見ると、彼女を熊に変えて罰した。後にカリストは森の中で成長した息子アルカスに出会った。息子が自分の母に槍を向けるのを見たゼウスは2人を空に上げ、おおぐま座こぐま座に変えた[6]

作品

対作品として制作された『ディアナとアクタイオン』と『ディアナとカリスト』。
小川の流れと照明の向きから並んで壁に掛けることを意図していると考えられる。
ディアナを描いた第3の作品『アクタイオンの死』が発送されなかった理由は不明。

ティツィアーノが描いているのは、狩猟を終えたアルテミスがカリストに衣服を脱いで水浴することを強要し、彼女の妊娠を発見する瞬間である。カリストは激しく抵抗しているが、アルテミスに命令された仲間の従者たちに両腕をつかまれて取り押さえられ、ゼウスの子を身ごもって大きくなったお腹を露わにされている。アルテミスは怒りを露わにし、純潔を守っている他の従者たちにカリストの追放を指示している。従者たちの表情はさまざまである。アルテミス同様に怒っている者がいれば、憐れむ者もおり[7]、かと思えばカリストの不幸を面白がっていると思われる者もいる[8]。周囲の木々は揺れ、遠くの空で縞模様を作っている黄金色の雲は渦を巻き、石の角柱は動揺して傾いている[3]。アルテミスの頭上の木に掛けられている金の織物は白い紐で枝に固定されている。織物には白いユニコーンのデザインパターンが織り込まれている[3]

衣服を剥ぎ取られるカリスト。

ティツィアーノは天然のウルトラマリンヴァーミリオンマラカイト緑青黄土色鉛錫黄英語版スマルトコチニールレーキカーマイン)など、ルネサンス期のほとんどすべての顔料で構成される幅広いカラーパレットを使用した[9]。ティツィアーノの自由で表現力豊かな筆遣いはドラマの効果を高めており[3]、大雑把な筆触で厚みのある肉体の質感から大気感に満ちた遠方の風景まで描き上げている[2]。またキャンバスの表面を払うような薄いブラシストロークは人物像の輪郭を曖昧にし、ダイナミズムと動きの感覚を画面に与えることに貢献している[3]

アンニーバレ・カラッチ『ヴィーナスとキューピッド、サテュロス』(1588年頃)の背面像は本作品の従者の影響を受けている[10]ウフィツィ美術館所蔵。

『ディアナとカリスト』と『ディアナとアクタイオン』は小川の流れが一方から他方へ流れる形で描かれ、キャンバス間にリズムが生まれるようにデザインされている[3]。空の明るさは対照的であり、『ディアナとアクタイオン』と比べると『ディアナとカリスト』は夕刻が近づいた時間であることを示している[11]。また、照明は『ディアナとアクテオン』は左から、『ディアナとカリスト』は右から、それぞれ反対側から降り注いでいる。これはティツィアーノが2つの窓の間に設置することを念頭に置いて両作品を制作したことを示している[3]

ティツィアーノはディアナ(アルテミス)の対作品を制作するのと同時期に、同じくディアナ(アルテミス)を主題とする別の絵画 『アクテオンの死』の制作を開始している。しかしティツィアーノはこの絵画をフェリペ2世に発送することはなく、未完成のまま彼の工房に残された[3]。『ディアナとカリスト』をスペインに発送してから数年後の1566年頃には、ティツィアーノと彼の工房はおそらくマクシミリアン2世による発注で[4]フルサイズのヴァリアントを制作している(ウィーンの美術史美術館所蔵)[3]。このウィーン版はいくつかの変更が加えられている[12]

来歴

『ディアナとカリスト』は1559年に『ディアナとアクタイオン』とともにフェリペ2世に届けられた。その後、両作品は長期にわたってスペイン王室にとどまったが、1704年にフェリペ5世によって同じく《ポエジア》の『エウロペの略奪』とともにフランス大使のグラモン公アントワーヌ・シャルル英語版に贈られた。3作品はすぐにフランス国王ルイ14世の甥で、後にルイ15世の摂政を務めるオルレアン公フィリップ2世に史上最高のコレクションの1つとして売却された。しかしフランス革命後の1791年にオルレアン・コレクションは、当時のオルレアン公ルイ・フィリップ2世によってブリュッセルの銀行家に売却された[13]。これらは1793年にラボルド侯ジャン=ジョゼフ英語版によってロンドンに送られ、3人の貴族から成るシンジケートによって購入された。その中心人物で石炭王と呼ばれた第3代ブリッジウォーター公爵フランシス・エジャートンは、《ポエジア》から『ディアナとアクタイオン』および『ディアナとカリスト』、ラファエロ・サンツィオの絵画3点、ニコラ・プッサンの絵画8点およびレンブラント・ファン・レインの『51歳の自画像』など多数の絵画を自分のために購入した。

サザーランド・コレクション

ブリッジウォーター公爵はおそらく後の初代サザーランド公爵である甥のジョージ・ルーソン=ゴア伯爵から絵画を購入することを勧められた。購入から5年後の死に際して、彼はティツィアーノと残りのコレクションをゴアに遺贈し、ゴアはそれをロンドンのブリッジウォーター・ハウス 英語版で一般公開した。評論家ウィリアム・ヘイズリットは公開されたコレクションを初めて見たとき、「数多くの絵画に呆然と立ちつくしてしまいました。今まで味わったことのない感覚に襲われて、新たな楽園と新天地が眼前に現れたかのようでした」と書いている。1939年9月に第二次世界大戦が勃発するとコレクションはロンドンからスコットランドに移され、1945年以降『ディアナとアクタイオン』と『ディアナとカリスト』は《ブリッジウォーター・ローン》または《サザーランド・ローン》と総称されるコレクションの他の貸与絵画とともに(計26点のうちオルレアン・コレクションの絵画16点が含まれている)、エディンバラのスコットランド国立美術館で展示された。2つのティツィアーノの絵画はヘイズリットの他にもジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー[14]ルシアン・フロイドなどの芸術家にインスピレーションを与え、フロイドはこの対作品を「世界で最も美しい絵画」と表現している[15][16]

ティツィアーノ・ヴェチェッリオの1520年頃の絵画『海から上がるヴィーナス』。スコットランド国立美術館所蔵。

国立の美術館による取得

サザーランド・コレクションは第7代サザーランド公爵フランシス・ロナルド・エジャートン英語版に相続された。その財産の大部分は絵画コレクションだが、2008年8月下旬に資産を多様化するためにコレクションの一部の売却を希望すると発表した。彼は2003年にも別のティツィアーノの絵画『海から上がるヴィーナス』をスコットランド国立美術館に売却していた。彼は最初、イギリス国内の国立美術館に対して、2008年末までにブリッジウォーター・コレクションのティツィアーノの対作品を1億ポンド(推定市場価格の約3分の1)以上の価格で購入を希望する美術館が彼らの中から現れた場合、両作品を提供する用意がある、ただし購入希望者が現れなかった場合は対作品あるいは他の絵画を2009年に競売にかけると呼びかけた。この呼びかけにスコットランド国立美術館とロンドン・ナショナル・ギャラリーが名乗りを上げ、『ディアナとアクタイオン』のために共同で5,000万ポンドを調達し、3年の分割払いで購入したのち、『ディアナとカリスト』についても2013年から同様の形で購入するつもりであると発表した[15][16]

この一連の出来事はエジャートンの言動と奨学金を受けている美術学生たちへの悪影響が懸念されたために、ロンドン芸術大学総長ナイジェル・キャリントン(Nigel Carrington)、元同大学会長ジョン・ツサ(John Tusa)から批判されたが[17]、イギリスでは報道陣の支持を得た[18]。2008年10月14日、アート・ファンド英語版から100万ポンドを受け取り[19]、11月19日には国家文化遺産記念基金英語版の1,000万ポンドがこれに続いた[20]

しかしそれから進展が見られないまま、当初の期限であった12月31日が過ぎると、翌2009年1月にスコットランド政府が1,750万ポンドを寄付するのではないかと憶測が流れた。これに対してグラスゴー国会議員イアン・デイビッドソン英語版世界金融危機の大変な時期に、多額の出費をすることの必要性について疑問を呈したことで、政治的な騒動へと発展し[21]、スコットランド政府の担当者は1,750万ポンドの寄付について否定する発言をしなければならなかった。最終的に、2009年2月2日に資金を調達して『ディアナとカリスト』の支払いを完了するために期限が延長されていたことが明らかにされ、これによって5,000万ポンドが調達され、無事に絵画が購入されるだろうと発表された[22] 。ナショナル・ギャラリーの館長ニコラス・ペニー英語版は、『ディアナとアクタイオン』を購入するための訴えに貢献した多くの人が『ディアナとカリスト』も購入されるだろうと「理解して」いたが、2番目の5,000万ポンドの調達は「決して簡単ではありませんでした。私たちはそれができると信じており、たくさんの案を与えてくれました。それは無謀なギャンブルではありません」と述べた[23]

しかし、2011年10月23日、スコットランド政府は『ディアナとアクタイオン』の「キャンペーンに貢献した」と主張し、『ディアナとカリスト』購入の訴えには貢献しないと発表した[24]。ナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館が長い資金調達キャンペーンの後に絵画を4500万ポンドで購入したのは2012年3月であった。サザーランド公によって提示価格が500万ポンド引き下げられ、個人と信託の寄付により1500万ポンド、アート・ファンドから200万ポンド、文化遺産宝くじ基金英語版から300万ポンドが寄付された[25]。残りの2,500万ポンドはナショナル・ギャラリーの積立金によるものである[26]

絵画は2012年3月1日からロンドンを皮切りに『ディアナとアクタイオン』と共にロンドンとエディンバラで交代で展示されているが、『ディアナとカリスト』の場合は、購入に対するナショナル・ギャラリーのより大きな金銭的貢献を反映し、60:40の割合でロンドンでより長期にわたって展示されている[25]

ヴァリアント

ダフィット・テニールスの1651年の絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』。プラド美術館所蔵。
テオドール・ヴァン・ケッセル英語版によって描かれた『ディアナとカリスト』。スロバキア国立美術館英語版所蔵。

ティツィアーノは『ディアナとカリスト』制作後の1566年頃に、おそらくマクシミリアン2世の発注で[4]工房作のヴァリアントを制作している(美術史美術館版)[3]。1568年11月28日の手紙で、ティツィアーノが皇帝大使ヴィエト・フォン・ドルンベルク(Viet von Dornberg)を通じて皇帝マクシミリアン2世に7つの《寓話》を提供したとあり、1569年2月25日付けの書簡では、フォン・ドルンベルクがティツィアーノに不特定の絵画、おそらく『ディアナとカリスト』に100クローネを支払うことを許可している[27]。それから1世紀近く絵画は記録に現れない。『ディアナとカリスト』が再び現れるのは1651年に制作され、現在はプラド美術館に所蔵されているダフィット・テニールスの絵画『ブリュッセルのギャラリーにおける大公レオポルト・ヴィルヘルム』(The Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels)である。この作品は大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒブリュッセルクーデンベルク宮殿英語版における膨大な絵画コレクションの展示風景を描いたクンストカンマー作品であり、『ディアナとカリスト』は画面の中央上部に描かれている。この作品に『ディアナとカリスト』が描かれたことは、絵画がマクシミリアン2世の死後に大公の手に渡り、1648年から1657年にかけてブリュッセルで展示された彼の絵画コレクションに加わったことを意味している[27]。『ディアナとカリスト』は1659年のストールバーグ城英語版インベントリには記載されていないが、1660年に公開された彼のコレクションに含まれた243点のイタリア絵画のカタログ『テアトリウム・ピクトリウム英語版』にテオドール・ヴァン・ケッセル英語版の画で記載されている[27]。その後、1781年にベルヴェデーレ宮殿に所蔵されたのち、1891年に美術史美術館に所蔵された[27]

その他の《ポエジア》

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b Titian”. Cavallini to Veronese. 2020年5月24日閲覧。
  2. ^ a b 『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.108。
  3. ^ a b c d e f g h i j Diana and Callisto”. ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2020年5月24日閲覧。
  4. ^ a b c Diana und Callisto”. 美術史美術館公式サイト. 2020年5月24日閲覧。
  5. ^ SIR PETER PAUL RUBENS AFTER TITIAN, Diana and Callisto”. ロイヤル・コレクション・トラスト英語版公式サイト. 2020年5月24日閲覧。
  6. ^ オウィディウス『変身物語』2巻。
  7. ^ 『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』p.107-108。
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参考文献

  • イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』、Taschen(2009年)
  • 『神話・ディアナと美神たち 全集 美術のなかの裸婦2』中山公男監修、集英社(1981年)
  • 『神話・神々をめぐる女たち 全集 美術のなかの裸婦3』中山公男監修、集英社(1979年)
  • Hugh Brigstocke, Italian and Spanish Paintings in the National Gallery of Scotland, 2nd Edn, 1993, National Galleries of Scotland, ISBN 0-903598-22-1

外部リンク