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「川上村 (愛媛県温泉郡)」の版間の差分

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== 産業 ==
== 産業 ==
平安前期に設置された讃岐街道の川上駅を中心に宿場町が形成されていた。天神、市場、中之町に商店街が整備され、伝馬屋、旅館のほか雑貨屋、鍛冶屋、造り酒屋、風呂屋、芝居小屋などがあった。
平安前期に設置された讃岐街道の川上駅を中心に宿場町が形成されていた。天神、市場、中之町に商店街が整備され、伝馬屋、旅館のほか雑貨屋、鍛冶屋、造り酒屋、和菓子屋、風呂屋、芝居小屋などがあった。


1914年、水力発電所開設。
1914年、水力発電所開設。

2020年6月20日 (土) 03:49時点における版

かわかみむら
川上村
廃止日 1955年4月25日
廃止理由 新設合併
川上村三内村川内村
現在の自治体 東温市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
市町村コード 消滅時制度なし
総人口 6,902
(1955年)
隣接自治体

北吉井村中川村三内村

拝志村南吉井村(廃止時)
川上村役場
所在地 制度なし
愛媛県温泉郡川上村大字北方
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川上村(かわかみむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県久米郡のち温泉郡にあったであり、現在の東温市の中北部に位置する。

地理

現在の東温市の中北部。重信川上流左岸とその支流の本谷川の流域。久米郡北方村、松瀬川村と下浮穴郡南方村、吉久村とが合併して川上村となる。

地名の由来

  • 川上村の由来は、讃岐街道の川上駅による。

歴史

明治以降

川上村の系譜

(町村制実施以前の村)(町村制施行時)
北方  ━━┓
      ┃
松瀬川  ━━╋━━━━━ 川上村 ━━━┓
       ┃               ┃ (昭和30年4月25日新設合併)
南方  ━━┫                ┣━━ 川内村 ━━━━┳━━━ 川内町
       ┃              ┃           ┃(昭和31年9月1日新設合併)
吉久  ━━┛               ┃              ┃
                        ┃              ┃
             三内村 ━━━┛              ┃
                            中川村の一部 ━━┛
                                  (昭和31年9月1日新設合併)

地域

北方(きたがた)、松瀬川(ませかわ)、南方(みなみがた) 、吉久(よしひさ)の4つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、川上村、川内村、川内町になっても大字として存続した。

役場は大字北方においた。

行政

役場

大字北方においた。

産業

平安前期に設置された讃岐街道の川上駅を中心に宿場町が形成されていた。天神、市場、中之町に商店街が整備され、伝馬屋、旅館のほか雑貨屋、鍛冶屋、造り酒屋、和菓子屋、風呂屋、芝居小屋などがあった。

1914年、水力発電所開設。

郊外は水田耕作や林業が中心。

交通

1920年に讃岐街道を通る乗合自動車の路線が設けられた。

出身・ゆかりのある人物

1901年東京専門学校(現・早稲田大学)邦語政治科卒業[1]。住所は松山市二番町[1]

脚注

  1. ^ a b c 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』サ396-397頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月12日閲覧。

参考文献

  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。

関連項目