「小島一慶」の版間の差分
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2020年6月27日 (土) 09:37時点における版
こじま いっけい[1] 小島 一慶 | |
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プロフィール | |
本名 |
小島 一慶 こじま かずよし[2] |
出身地 | 日本 長崎県[1]長崎市[3] |
生年月日 | 1944年10月2日[1] |
没年月日 | 2020年4月23日(75歳没) |
血液型 | O型[4] |
最終学歴 | 日本大学芸術学部放送学科卒業 |
所属事務所 | フリーランス[5] |
職歴 | TBSアナウンサー→テレビ朝日専属契約 |
活動期間 | 1968年 - 2008年、2014年-2020年 |
ジャンル | バラエティ・情報・ニュース・テレビショッピング番組 |
出演番組・活動 | |
出演中 | なし |
出演経歴 | どうぶつ奇想天外!ナレーションなど |
備考 「玉藻」同人 |
小島 一慶(こじま いっけい、1944年10月2日[1] - 2020年4月23日)は、日本のフリーアナウンサー。元TBSアナウンサー。俳人(「玉藻」同人[6])。
本名は同じだが、「いっけい」ではなく「かずよし」と読む[2][4])。長崎県[1]長崎市出身[3]。
来歴
母子家庭育ちで[3]、本人曰く「貧しかった」[7]。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた[7]。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった[7]。
幼稚園時代から演劇に熱中するようになり[3]、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師か役者になりたいと思っていた[7][8]。中学入学後はすぐに演劇部に入部[3]、長崎県立長崎東高等学校に在学していた高校生時代も部活は演劇部で、高校で生徒会長になった時には演劇部の予算を4倍にしたことがあった[9]。
しかし高校3年生のある日に東京に出て来た時に、芸術座で菊田一夫の右腕として[8]演出の仕事をしていたある先輩に会った時に「役者になっても、10年は食っていけないぞ」と言われた時に、貧しかった家庭で育った自分の境遇を考えて「これは辛い」と思い方向転換を決意、「サラリーマンになろう。なるにしても、面白いことが出来るサラリーマンになる」と思うようになる[10]。ラジオドラマの『鞍馬天狗』で芥川隆行のナレーションに魅了されたことがあったことからナレーターになることを考え付いたが、ナレーターがサラリーマンの何物かその時はわからず、更に考えて思い付いたのが、舞台中継もナレーションも出来るだろうとしたアナウンサーだった[10]。アナウンサーを目指すようになったのは、少年時代よく聴いていた『コーセー 今週のベストテン』や『ラ・セーヌ ヒットソングアワー』(ニッポン放送)のことも頭にあったという[10]。
日本大学芸術学部入学後はアナウンス研究会に入会[9]。就職活動ではTBSの他NHK、日本テレビ、フジテレビ、ニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格[10][8]、卒業論文の単位だけ残して留年することにし、留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをしていた[9][8]。そして次の年はTBSだけを受験、合格して入社に至る[9][8]。
1968年(昭和43年)4月、TBSにアナウンサー13期生として入社(同期には松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子・菅原牧子)[11][12]。深夜放送『パックインミュージック』の火曜日を担当したほか、『一慶・美雄の夜はともだち』のパーソナリティを先輩アナの林美雄と交替で務めたりと、ラジオにおいて精力的に活躍していた。先輩アナの久米宏が『ぴったし カン・カン』を降板した際には小島が引き継いだ。
上司から営業部門への異動を打診があったが[13][14]、1990年3月にTBSを退社[15][16][13][14]。
TBS退社後はテレビ朝日と専属契約を結び、テレビ朝日専属キャスターとして『ホットライン110番』の司会を務める。しかし1991年、不倫騒動で全番組を降板し[1][17]、長期休養する[18]。
その後はTBSを中心に他局の情報番組・ニュース番組・テレビショッピング番組などにも出演。また、TBSテレビの『どうぶつ奇想天外!』のナレーション、TBSラジオの『明日も元気!』にも出演していたが、婦女暴行容疑で刑事告訴されたことを受け、2008年12月31日で両番組の出演を降板、所属事務所の佐藤企画[4]からも契約満了と同時に退職した[19][5]。本件は示談が成立し告訴は取り下げられている。[20]
2014年に復帰。3月には赤坂BLITZでパックインミュージックのイベントを白石冬美と行った[21]。その後も、古巣のTBSラジオを中心に活動していた。
2020年4月23日、肺がんのため、東京都内の病院で死去[22]。75歳没。
人物
妻はTBSにアナウンサーとして同期入社した同士だった池田園子[3]。
趣味は麻雀で、大学生の時にアルバイト先で麻雀を覚えて以来病み付きのようになったとのこと。若手の頃は、ディレクターやスタッフ、TBSの在る赤坂の町内会の人達ともよく雀卓を囲んでいたという[3]。また、パチンコ好きなところもある[23]。
俳句も趣味で[24]、俳句結社「玉藻」の星野高士に師事[6]、カルチャー教室で講師もしている[6]。
出演番組
TBS
- ヤングポップス1010(1969年、ラジオ)[15][16]
- 日産ミュージックナイター(1969年、ラジオ)[16]
- ヤングサウンズ・フェスティバル(1970年、ラジオ)[16]
- ヤングタウンTOKYO(1970年、ラジオ)[16]
- パックインミュージック(1970年、ラジオ)[15][16]
- 深夜版ラジオマンガ「走れダンテス」(TBSラジオ)
- モーニングジャンボ(1971年、テレビ)[16]
- TBS今週のベスト10(1973年、ラジオ)ポップス担当[16]
- 永六輔の土曜ワイドラジオTokyo「人間ばんざい」(1973年、ラジオ)[16]
- 一慶のヤングポップス(1973年、ラジオ)[16]
- りりィ一慶サタデーフォーク(ラジオ)[16]
- 東京赤坂歌謡曲(1974年、ラジオ)[16]
- 寺内貫太郎一家 第14話(1974年、テレビ)
- TBS今週のポップスベスト10(1975年、ラジオ)[16]
- 歌謡新人戦(1975年、ラジオ)[16]
- 一慶・美雄の夜はともだち(1976年 - 1978年、ラジオ)[16]
- 三枝・一慶の二人旅(1977年、ラジオ)[16]
- 森田公一の青春ベストテン(1977年、ラジオ)[16]
- 飛べ!孫悟空(1977年、テレビ)[16]
- ロッテ 歌のアルバム 千と一慶生放送(1977年、テレビ)[15][16]
- 小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる(1979年、ラジオ)[16]
- グランドポップショウ(1979年、ラジオ)[16]
- ザ・ベストテン(テレビ)ラジオベストテン情報TBSラジオ担当
- ペア対抗クイズ合戦(1979年、テレビ)[16]
- JAL・ミュージック・ツアー(1980年、ラジオ)[16]
- とっておき90分〜ポップスベストテン〜(1981年、ラジオ)[16]
- サウンドストーム(1982年、ラジオ)[16]
- 社長ゲームハイ&ロー(1982年、テレビ)[16]
- アスカ・ラジオマップ(1983年、ラジオ)[16]
- ザ・チャレンジャー(1983年、テレビ)[16]
- 情報デスクToday(1984年、テレビ)[15][16]
- ぴったし カン・カン(1984年、テレビ)[16]
- 一慶の歌謡大放送(1986年、ラジオ)[15][16]
- 新まんがなるほど物語(1988年、テレビ)[16]
- 夜はこれから(1989年、ラジオ)[16]
- 麻梨子産業株式会社(ラジオ)
- ザ・ヒットパレード ベストソングブック(ラジオ)
フリー転身後の出演番組(テレビ朝日専属契約→フリーとして)
- CNNデイブレイク金曜日
- ANNニュースフレッシュ金曜日 - 『CNN─』に内包。
- ホットライン110番月曜日・火曜日
- 以下はフリー転身後の出演番組
- おまたせ一慶まっぴるま!(TBSラジオ)
- 自然がいちばん!地球塾(TBSテレビ)
- 週刊有線カウントダウン (1994年4月~2000年9月、TBSラジオ)
- おもしろ倶楽部(テレビ岩手)
- どうぶつ奇想天外!(TBSテレビ)ナレーション
- バリキン7 賢者の戦略(1997年、TBSテレビ)ナレーション
- アステラス製薬 明日も元気!(TBSラジオ)
- 日本有線大賞ラジオ実況(TBSラジオ)
- 日本レコード大賞ラジオ実況(1999年 - 2007年、TBSラジオ)
- はぴねすくらぶテレビショッピング(長時間バージョン)
- ニュースもぎたて朝一番(1994年4月4日 - 1995年9月29日、テレビ東京)月曜日 - 金曜日
- ともちゃん家の5時(山梨放送)毎週土曜日
- 動物オリンピック(NHK Eテレ)
- オジサンズ11 (日本テレビ) ※準レギュラー
出演映画
- 北京原人 Who are you?(1997年)江戸良一 役
- EKOEKO AZARAK エコエコアザラク(2001年)司会者 役
音楽
出演映像作品
- 一慶・泰葉のTHE VHD WORLD(制作協力:パック・イン・ビデオ、制作・著作:日本ビクター。1986年にVHDで発表。非売品)
ビブリオグラフィ
著書
- 僕も人前ではしゃべれなかった : 口のきき方、つき合い人間学(1988年、文化創作出版〈マイブック〉)
- 結婚ショートスピーチ集 : 心にのこる!すぐに使える実例110 90秒・120秒(1991年、徳間書店〈トクマのP&Pブックス〉)
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f 『新訂現代日本人名録2002 2巻』p.806
- ^ a b “小島, 一慶, 1944- - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)”. 国立国会図書館. 2014年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 週刊現代 1985年3月23日号 p.54 - 58「人間解剖 - 小島一慶の誌上DJ」
- ^ a b c “小島 一慶”. 佐藤企画. 2008年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月9日閲覧。
- ^ a b “小島一慶アナに婦女暴行疑惑”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年1月22日). オリジナルの2009年2月16日時点におけるアーカイブ。 2018年9月9日閲覧。
- ^ a b c 小島一慶の俳句で遊ぼう!!東京カルチャーセンター葛西、2017年12月6日閲覧。
- ^ a b c d 週刊宝石 1986年12月19日号 p.204 - 207「人物日本列島 小島一慶」
- ^ a b c d e “喜怒哀楽のサラリーマン時代 小島一慶さん<1>「いいアナウンサーを目指しなさい」と…”. 日刊現代. (2018年7月10日) 2018年9月9日閲覧。
- ^ a b c d 週刊宝石 1990年04月19日号 p.190 - 193「人物日本列島 小島一慶」
- ^ a b c d 著書『僕も人前ではしゃべれなかった : 口のきき方、つき合い人間学』「快適処世術」の章より。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。「1968.4<13期生> 7人入社(男2・女5) 小島一慶 松永邦久 池田園子 石井和子 見城美枝子 郷司淑子 菅原牧子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、23-24頁。「68.4 <13期生>7人入社(男2・女5) 小島 一慶 松永 邦久 池田 園子 石井 和子 見城美枝子 郷司 淑子 菅原 牧子」
- ^ a b “喜怒哀楽のサラリーマン時代 小島一慶さん<2>サラリーマンというのは上司次第ですね”. 日刊現代. (2018年7月11日) 2018年9月9日閲覧。
- ^ a b “小島一慶さん<4>「笑っていいとも!」の司会を依頼された”. 日刊現代. (2018年7月13日) 2018年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。「小島一慶[1990.3退社] R「ヤング・ポップス1010(1969)」「パック」「一慶の歌謡大放送(1986)」 TV「ロッテ歌のアルバム〜千と一慶生放送〜」「情報デスクToday」」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、23頁。「小島 一慶…[90.3 退社] R「ヤング・ポップス1010(69)」「日産ミュージックナイター(69)」「ヤングサウンズ・フェスティバル(70)」「ヤングタウンTOKIO(70)」「パック・イン・ミュージック(70)」「TBS今週のベストテン(73)」「土曜ワイドラジオTokyo〜人間ばんざい〜(73)」「一慶のヤングポップス(73)」「りりィ一慶サタデーフォーク」「東京赤坂歌謡曲(74)」「TBS今週のポップスベスト10(75)」「TBS歌謡新人戦(75)」「一慶・美雄の夜はともだち(76)」「三枝・一慶の二人旅(77)」「森田公一の青春ベストテン(77)」「耳コミランチタイム〜ぴいぷる〜(79)」「グランドポップショウ(79)」「JAL・ミュージック・ツアー(80)」「とっておき90分〜ポップスベストテン〜(81)」「サウンドストーム(82)」「アスカ・ラジオマップ(83)」「スーパーワイド・ぴいぷる(85)」「一慶の歌謡大放送(86)」「夜はこれから(89)」 TV「モーニングジャンボ(71)」「飛べ孫悟空(77)」「ロッテ歌のアルバム〜千と一慶生放送〜(77)」「ペア対抗クイズ合戦(79)」「社長ゲーム・ハイ&ロー(82)」「ザ・チャレンジャー(83)」「情報デスクToday(84)」「ぴったしカンカン(84)」「新まんがなるほど物語(88)」」
- ^ 小島一慶 コールガール騒動から暴行容疑で告訴まで , 2012年10月23日, 日刊ゲンダイ
- ^ 『TBS「報道テロ」全記録』晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2007年2月1日、132頁。ISBN 4-88380-591-3。
- ^ “小島一慶アナが婦女暴行? 昨秋、被害者が刑事告訴”. 夕刊フジ. (2009年1月22日). オリジナルの2016年8月29日時点におけるアーカイブ。 2018年9月9日閲覧。
- ^ 日刊ゲンダイ - 2012年10月23日
- ^ 谷口隆一, 伝説の深夜放送 パック・イン・ミュージック復活 3月生放送・「ナチチャコ」CDも発売 アーカイブ 2014年11月29日 - ウェイバックマシン, 2014.2.14 08:52 , MSN産経ニュース
- ^ フリーアナウンサーの小島一慶さん 肺がんで死去 75歳「ぴったし カン・カン」2代目司会などで人気 - Sponichi Annex 2020年4月26日
- ^ 週刊現代 1994年7月11日号 p.46 - 49
- ^ レジェンドアナウンサー対談 第3弾ひでたけのやじうま好奇心(ニッポン放送)2017年10月17日更新、2017年12月6日閲覧。
- ^ 同じ長崎県長崎市出身の小島の後輩アナウンサーであった
参考文献
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
- 『TBS「報道テロ」全記録』晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2007年2月1日。ISBN 4-88380-591-3。
外部リンク
- “小島 一慶”. 2008年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年11月10日閲覧。
- 小島一慶 - allcinema
- 小島一慶 - MOVIE WALKER PRESS
- 小島一慶 - テレビドラマデータベース
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