「フィンガー5」の版間の差分
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#*作詞:[[阿久悠]]/作曲・編曲:[[都倉俊一]] |
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#:公称145万枚<ref name=zakzak120413>[http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120413/enn1204130753001-n1.htm あの人NOW! “フィンガー5”三男、東京で沖縄料理店を経営!]、ZAKZAK(夕刊フジ)、2012年4月13日。</ref>、オリコン集計では70万枚を超すセールス。シングルレコードのジャケットは[[水島新司]]によるメンバーのイラスト |
#:公称145万枚<ref name=zakzak120413>[http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120413/enn1204130753001-n1.htm あの人NOW! “フィンガー5”三男、東京で沖縄料理店を経営!]、ZAKZAK(夕刊フジ)、2012年4月13日。</ref>、オリコン集計では70万枚を超すセールス。シングルレコードのジャケットは[[水島新司]]によるメンバーのイラスト。 |
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#'''フィンガー5とクリスマス・パーティー'''(1973年12月1日) |
#'''フィンガー5とクリスマス・パーティー'''(1973年12月1日) |
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#:A面には「[[きよしこの夜|聖しこの夜]]」のカバーとそのカラオケ版が、B面には「[[赤鼻のトナカイ]]」と「[[ジングルベル|ジングル・ベル]]」のカバーが収録されている(全曲編曲:[[三枝伸]])。 |
#:A面には「[[きよしこの夜|聖しこの夜]]」のカバーとそのカラオケ版が、B面には「[[赤鼻のトナカイ]]」と「[[ジングルベル|ジングル・ベル]]」のカバーが収録されている(全曲編曲:[[三枝伸]])。 |
2020年7月20日 (月) 22:22時点における版
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フィンガー5 | |
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別名 |
オールブラザーズ ベイビー・ブラザーズ (※いずれも前身グループ) |
出身地 |
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ジャンル | ポップス、アイドル歌謡曲 |
活動期間 |
1972年 - 1978年 2003年 |
レーベル |
キングレコード[1] (1972年) フィリップスレコード (1973年 - 1975年) ポリドール (1976年 - 1978年) |
メンバー |
玉元光男(1972年 - 1978年、ドラムス・コーラス) 玉元正男(1972年 - 1978年、ベース・ボーカル) 玉元晃(1972年 - 1978年、ギター・メインボーカル) 玉元妙子(1972年 - 1978年、キーボード・ボーカル) 具志堅実(1975年 - 1978年) 安広司(1978年) |
旧メンバー | 玉元一夫(1972年 - 1975年、リードギター、コーラス) |
フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。主に1970年代に活動した。沖縄県出身の男性4人と女性1人が踊りながら歌い、四男の晃は変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなる。
バンドを自称するも、全盛期は演奏する場がほとんどなかった。解散後も音楽活動やテレビ出演などを時折している。
略歴
生い立ち
米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始める。晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている[要出典]。英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。
父のバーはのちに他の経営者の手に渡るが、21世紀初頭まで存在[要出典]した写真がテレビや書籍で紹介されている。
オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ
オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝し、テレビ局のプロデューサーに薦められて1969年に東京都東村山市に移住する。上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いた。母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。
1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えてメジャーデビューするも売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校で「売れない歌手」と悪口も言われた。妙子はそれまで着たことがない琉球王朝時代の服を着せられ、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。
不遇の末に沖縄に戻る準備をしていた頃、子供に向けて子供の歌手をデビューさせる企画を描く担当者が彼らの存在を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらデモテープを聴いて「これは本物だ」と驚いて彼らを説得し、1972年に再デビューする。米国で当時大ヒットしていた同じ5人兄弟で結成されたグループジャクソン5を意識し、母親が「フィンガー5」と名付けた。
黄金時代
初めてのテレビ出演は子供の視聴が多い土曜の夕方に放映され、放映直後はテレビ局に問い合わせの電話が殺到した。1973年に世志凡太がプロデュースした「個人授業」を発売すると、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がる。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。
5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まった。デビュー当時は11歳と10歳で、あどけない姿でステージをこなす姿が人気となった。晃がトレードマークとした特大のサングラスが流行した。
自らの意思で活動を始めたこともあり、一夫がマネージャーを兼任し、仕事の交渉やスケジュール管理もこなした[2]。
大人気によるハードスケジュールのために晃が過労で入院すると、病床の写真が週刊誌に掲載され[いつ?][要出典]、医師は関係者に「あなたたちは、この子を殺すつもりか」と告げた。晃が変声期で「声変わり」を防ぐため、関係者らが「女性ホルモン」の注射を強く勧めたが本人は断った[3]。
その後
1975年に長男の一夫がマネージャーに専念するために脱退し、代わりに甥で長女の息子の具志堅実が加入する。ハードスケジュールは限界に達し、休養も兼ねて1975年から1976年に米国に留学する。これまで芸能活動で得た収入は、渡航費用で全て使い切った。芸能活動に一切口を出さなかった父の「芸能界で稼いだ金など、あぶく銭だ」とする考えも反映されていた。
帰国後は、長く日本を留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期で従来のようなハイトーンが出せなくなったこと、彼らのやりたい音楽とファンのニーズが乖離[要出典]してヒットに結びつかないことなどから人気が急落した。後の晃の述懐によると、どうすれば売れるかは分かっていたがそれは自分たちがやりたくないことであり、割り切って自分たちのやりたいことをやろうとしたら売れなくなったという。
末期は晃に代わり妙子をメインボーカルに据えたり、バンドとしてメンバー自らの演奏を前面に出すなどを試みるも人気は回復せず、1978年に実質的に解散した。その後メンバーの一部は、ザ・フィンガーズ[4]など、いくつかのバンドを結成し活動するが、大きくブレイクすることはなかった。
2003年の「The 30th Anniversary!!」で、兄弟5人でフィンガー5を再結成し、全国から大勢のファンが集まった。
メンバー
- 玉元 一夫(たまもと かずお、1955年4月8日 - B型 ) 長男。リードギター担当。コーラス。
- 玉元 光男(たまもと みつお、1957年2月3日 - O型) 次男。ドラムス担当。コーラス。
- 玉元 正男(たまもと まさお、1959年2月2日 - O型) 三男。ベース担当。ボーカル。
- 玉元 晃(たまもと あきら、1961年5月9日 - O型) 四男。ギター担当。メインボーカル。
- 玉元 妙子(たまもと たえこ、1962年6月7日 - A型) 次女。キーボード担当。ボーカル。
- 日出高等学校を卒業し、1人娘がいる。
基本は上記5人で、末期に下記2人がメンバーとなる。
- 具志堅 実(ぐしけん みのる、1967年1月23日 - O型)上記兄弟の甥っ子。1975年、マネージャーに専念した長男に変わってメンバー入り。
- メンバーの中で最も大柄で、光男の代りにテレビ出演することが多い。
- 安 広司(やす ひろし、1960年4月29日 - O型)兄弟のいとこ。最後のシングル『悩ませないで』のみ参加。
ディスコグラフィー
シングル(ベイビーブラザーズ時代)
シングル(レコード)
- キディ・キディ・ラブ(1972年8月25日)
- 作詞:玉元正男/作曲:玉元一夫/編曲:山崎泉
- 個人授業(1973年8月25日)
- フィンガー5とクリスマス・パーティー(1973年12月1日)
- 恋のダイヤル6700(シックスセブンオーオー)(1973年12月5日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:井上忠夫
- 学園天国(1974年3月5日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:井上忠夫
- 恋のアメリカン・フットボール(1974年6月25日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:都倉俊一
- 恋の大予言(1974年9月10日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:井上忠夫
- フィンガー5とクリスマス・パーティー(1974年11月10日)
- A面には「聖しこの夜」と「ジングル・ベル」のカバーが、B面には「赤鼻のトナカイ」と「ホワイト・クリスマス」のカバーが収録されている(全曲編曲:三枝伸)。
- 華麗なうわさ(1974年12月25日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:都倉俊一
- フィンガー5のシングルA面では初めて妙子がメインボーカルを務めた楽曲。チャールストン風の軽快なナンバー。19世紀を思わせるステージ衣装で、特に妙子のロングドレス姿は話題になった。
- 名犬ラッシー(1975年2月5日)
- バンプ天国(1975年3月5日)
- 作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/編曲:馬飼野俊一
- ジャケットに、バンプを踊っている晃と妙子のイラスト(画:水島新司)が掲載。
- ぼくらのパパは空手の先生(1975年6月21日)
- 帰ってくるよ(1975年11月21日)
- 作詞・作曲:フィンガー・ファミリー/編曲:ジーン・ペイジ
- ジェット・マシーン(1976年2月21日)
- 作詞・作曲:三枝伸/編曲:ジーン・ペイジ
- 飛べ!すてきなベイビー(1976年6月1日)
- 101人ガールフレンド(1976年9月21日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:都倉俊一
- モンローウォークのお嬢さん(1976年12月21日)
- 作詞:阿久悠/作曲・編曲:都倉俊一
- 恋のラッキー・ストライク(1977年5月1日)
- スーパーカーブギ(1977年7月21日)
- ぼくは眠れない(1977年11月1日)
- やきもちボーイ(1978年2月1日)
- 作詞・作曲:小泉まさみ/編曲:小田健二郎
- 悩ませないで(1978年6月21日)
シングル (CD)
アルバム(レコード)
- 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1973年12月5日)
- 「個人授業」とそのB面曲「恋の研究」の他、ジャクソン5やマイケル・ジャクソンらの英語曲の日本語カヴァーソングを収録。
- 学園天国/FINGER 5 SECOND(1974年4月10日)
- フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん(1974年5月25日)
- 旧ベイビー・ブラザーズ名義の楽曲を中心に収録。フィンガー5名義のアルバムとしては唯一、キングレコードからの発売となった。仲宗根美樹がゲスト出演している。
- 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1974年10月25日)
- 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1975年2月5日)
- ジェット・マシーン ニュー"フィンガー5"から愛をこめて(1976年3月21日)
- フィンガー5 NOW!!(1977年12月21日)
アルバム (CD)
- シングル・コレクション(1991年12月5日)
- バトル・フィンガー・ファイブ~リターンズ(1992年12月21日)
- NEW BEST(1993年5月26日)
- 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1994年6月25日) ※2001年7月25日再発
- 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
- 学園天国/FINGER 5 SECOND(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
- 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
- スペシャル1800(1996年11月21日)
- フィンガー王国(1999年4月21日)
- フィンガー天国(1999年4月21日)
- COMPLETE COLLECTION(2001年7月25日)
- 学園天国・Re Mix天国!!(2001年8月22日)
- スーパー・バリュー(2001年12月19日)
- フィンガー5コンプリートCDBOX(2003年2月8日) ※2007年8月25日再発
- ゴールデン☆ベスト フィンガー5(2003年11月26日)
- CD&DVD THE BEST フィンガー5 [CD+DVD](2005年7月6日)
- フィンガー5 ベスト10(2005年12月9日)
- 歌が唄いたい!! ベストヒット&カラオケ(2006年8月30日)
- Best & Nonstop Finger5(2012年7月25日)
テレビ
当時の出演番組
現在からふりかえる過去の特集
- 驚きももの木20世紀(フィンガー5伝説) - 驚きももの木20世紀 放送リストを参照。
- Dのゲキジョー(2006年8月4日) - 晃、妙子、正男が登場し、当時のことを振り返った。
- あの人は今!? - 定期的に出演している。
- 日めくりタイムトラベル(2007年、NHK BS2) - 「昭和48年」の回で、光男がVTR出演した。
- 売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生(2008年3月7日、フジテレビ)
映画
- 超能力だよ全員集合!! (1974年8月3日)
- ハロー!フィンガー5 (1974年3月21日) - 製作=東宝映像 / 配給=東宝
- フィンガー5の大冒険(1974年7月25日) - 製作=東映 / 監督:石森章太郎(石森家4人のカメオ出演もあり) / 特別出演:仮面ライダーV3
※『ハロー!...』は「東宝チャンピオンまつり」内で、『...大冒険』は「東映まんがまつり」内で、それぞれ上映された。同年に両まんがまつりに登場したのは前例が無い。なお、この回の「東映まんがまつり」は、正式名が「フィンガー5と遊ぼう!東映まんがまつり」であるとのこと。
CM
脚注
- ^ 旧ベイビー・ブラザーズからの続投。
- ^ 『驚きももの木20世紀』で高田文夫が証言。
- ^ 『売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生』より。
- ^ 1960年代のバンド、ザ・フィンガーズとは無関係。
- ^ NHK BS2『日めくりタイムトラベル 昭和48年』より
- ^ a b c あの人NOW! “フィンガー5”三男、東京で沖縄料理店を経営!、ZAKZAK(夕刊フジ)、2012年4月13日。
- ^ 後に、双子のプリンセスの担当声優である小島めぐみ・後藤邑子も同曲をカヴァーしている。
外部リンク
- フィンガー5 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- フィンガー5 40周年記念サイト since1972
- MASAO Official Web Site (正男のオフィシャルウェブサイト)
- 晃のブログ (晃のオフィシャルブログ)
- フィンガー5 - NHK人物録