「ポルトガル王国」の版間の差分
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- ポルトガル王国
- Reino de Portugal
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←1139年 - 1910年 →
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(国旗) (国章) - 国歌: O Hino da Carta
1800年のポルトガル王国および植民地等-
公用語 ポルトガル語 首都 コインブラ
リオ・デ・ジャネイロ
リスボン通貨 ポルトガル・ディニェイロ
ポルトガル・レアル
ポルトガル王国(ポルトガルおうこく、ポルトガル語: Reino de Portugal)は、現在のポルトガルにあたる地域(当初はその一部)に、1139年から1910年まで存在した王国。
概要
1129年、ポルトゥカーレ伯アフォンソ1世がポルトゥカーレ公を名乗りカスティーリャ王国より独立、1139年より王を称した。国土回復運動(レコンキスタ)によって勢力を拡大した。1242年、サンシュ2世はアルガルヴェ地方を征服してアルガルヴェ王国 (Kingdom of the Algarve) を建国し、それ以降のポルトガル王はアルガルヴェ王を兼ねるようになった。1383年、フェルナンド1世が嗣子なく没すると、フェルナンド1世の娘でカスティーリャ王国の王妃であったベアトリスが王位を請求し、フェルナンド1世の庶弟であるジョアンと争った。ジョアンはカスティーリャ王国軍を退け、ジョアン1世として即位した(アヴィス朝)。
大航海時代においてスペイン王国とともに活躍し、アフリカ・アジア・南米に広大な植民地を領有した(ポルトガル海上帝国)。エンリケ王子が死去する1460年までに、ポルトガルは遠洋航海に耐える船を改良してヨーロッパ最先端の海洋開発国に成長した。ジョアン二世(1455~95)の治世下の1488年には、バルトロメウ・ディアスが喜望峰迂回に成功し、胡椒の地インドへの道が開けた。[1]1580年、エンリケ1世が嗣子なく死去すると、スペイン王フェリペ2世がリスボンを占拠し、ポルトガル王に即位した。ポルトガルはスペインに併合こそされなかったものの、1581年から1640年の期間、スペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合の状態にあった(スペイン帝国)。しかしスペインに対するポルトガル貴族の反発は根強く、1640年のポルトガル王政復古戦争によって同君連合は解消され、アヴィス朝の分家であるブラガンサ家のジョアン4世が新たな王となった。
1808年にはナポレオン戦争から逃れ、最大の植民地ブラジルに宮廷を移した(ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国)。1821年に宮廷は本国に復帰したが、ブラジル帝国の独立を許すこととなった。1828年には王位継承をめぐってポルトガル内戦が勃発し、1834年まで続いた。以降も内政の混乱が続いて共和主義者が台頭し、1910年の共和政革命によって王国は消滅した。
歴代王朝
- ボルゴーニャ朝、1139年(1143年) - 1385年(1383年)
- アヴィス朝、1385年 - 1580年(1583年)
- アブスブルゴ(ハプスブルク)朝、1581年 - 1640年
- ブラガンサ朝、1641年 - 1910年
参考文献
- 金七紀男「図説ブラジルの歴史」、2014年10月24日、河出書房新社[1]