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'''民主的社会主義'''(E.U.:democratic socialism)は、社会主義と民主主義の両方を支持する政治哲学である 民主的社会主義者は、資本主義は自由、平等、連帯という価値観と本質的に相容れないものであり、これらの理想は社会主義社会の実現によってのみ達成できると主張している。大半の民主的社会主義者は社会主義への漸進的な移行を求めるが、民主的社会主義は社会主義を確立するための手段として革命的・改革主義的な政治を支持することができる。用語として、民主的社会主義は、20世紀にロシアその他の地域における権威主義的社会主義の発展に反対する人々によって普及した。
'''民主的社会主義'''(E.U.:democratic socialism)は、社会主義と民主主義の両方を支持する政治哲学である 民主的社会主義者は、資本主義は自由、平等、連帯という価値観と本質的に相容れないものであると主張している。大半の民主的社会主義者は社会主義への漸進的な移行を求めるが、民主的社会主義は社会主義を確立するための手段として革命的・改革主義的な政治を支持することができる。用語として、民主的社会主義は、共産主義や権威主義的社会主義の発展に反対する人々によって普及した。


民主的社会主義の起源は、19世紀のユートピア的社会主義思想家やイギリスのチャート主義運動にまで遡ることができ、彼らは、目標は多少異なるものの、民主的な意思決定と生産手段の公的所有という本質を、彼らが提唱する社会の肯定的な特徴として共有していた。イギリスのファビアン協会が推進した社会主義の進歩的な形態や、ドイツのエドゥアルド・バーンスタインの進化的社会主義は、民主的社会主義の発展に影響を与えた。民主的社会主義は、ほとんどの社会主義者が社会主義の概念で理解しているものである。それは非常に広い概念であったり、より限定的な概念であったりする が、民主的であり、権威主義的なマルクス・レーニン主義国家を拒否する社会主義のすべての形態を指す。 民主的社会主義は、リバタリアン社会主義 市場社会主義 改革主義社会主義 と革命的社会主義 の一形態であり、倫理的社会主義 自由主義社会主義 社会民主主義 と国家社会主義 とユートピアのいくつかの形態を含む広いレッテルと運動である。
民主的社会主義の起源は、19世紀のユートピア的社会主義思想家やイギリスのチャート主義運動にまで遡ることができ、彼らは、目標は多少異なるものの、民主的な意思決定と生産手段の公的所有という本質を、彼らが提唱する社会の肯定的な特徴として共有していた。イギリスのファビアン協会が推進した社会主義の進歩的な形態や、ドイツのエドゥアルド・バーンスタインの進化的社会主義は、民主的社会主義の発展に影響を与えた。民主的社会主義は、ほとんどの社会主義者が社会主義の概念で理解しているものである。それは非常に広い概念であったり、より限定的な概念であったりする が、民主的であり、権威主義的なマルクス・レーニン主義国家を拒否する社会主義のすべての形態を指す。 民主的社会主義は、リバタリアン社会主義 市場社会主義 改革主義社会主義 と革命的社会主義 の一形態であり、倫理的社会主義 自由主義社会主義 社会民主主義 と国家社会主義 とユートピアのいくつかの形態を含む広いレッテルと運動である。


民主的社会主義は、実際にはより権威主義的または非民主的な体制であると認識されているマルクス・レーニン主義と対照的である。民主的社会主義者は、スターリン主義的な政治体制とソビエト型の経済体制に反対し、20世紀にソビエト連邦や他のマルクス・レーニン主義国家で形成された権威主義的な統治形態と中央集権的な執行秩序経済を拒否する。また、民主的社会主義は第三の道の社会民主主義と区別されている が、民主的社会主義者が資本主義から社会主義への経済の制度的変革にコミットしているのに対し、第三の道の社会民主主義支持者は、社会民主主義を権力に還元するための新右派への挑戦に関心を持っており、これは、それがあったからである。その結果、民主的社会主義者の分析者や批評家は、事実上、第三の道は資本主義を支持していたと主張してきた が、たとえこのような状況下で公然と反資本主義の政治的非現実性を認識していたとしても 一部の人は、これは彼らが資本主義の論理に従ってシステムを管理するようになった彼らのタイプの改革主義の結果であると主張している 一方で、他の人はそれを、理論的には市場社会主義、特にイギリスの古典的なものの中に収まる民主的な自由主義的社会主義の現代的な形態であると見ている 彼らはそれを社会主義と区別している。
民主的社会主義は、実際にはより権威主義的または非民主的な体制であると認識されているマルクス・レーニン主義と対照的である。民主的社会主義者は、マルクス・レーニン主義国家で形成された権威主義的な統治形態と中央集権的な執行秩序経済を拒否する。また、民主的社会主義は第三の道の社会民主主義と区別されている が、民主的社会主義者が資本主義から社会主義への経済の制度的変革にコミットしているのに対し、第三の道の社会民主主義支持者は、社会民主主義を権力に還元するための新右派への挑戦に関心を持っており、これは、それがあったからである。その結果、民主的社会主義者の分析者や批評家は、事実上、第三の道は資本主義を支持していたと主張してきた が、たとえこのような状況下で公然と反資本主義の政治的非現実性を認識していたとしても 一部の人は、これは彼らが資本主義の論理に従ってシステムを管理するようになった彼らのタイプの改革主義の結果であると主張している 一方で、他の人はそれを、理論的には市場社会主義、特にイギリスの古典的なものの中に収まる民主的な自由主義的社会主義の現代的な形態であると見ている 彼らはそれを社会主義と区別している。


一方、社会民主主義者は、長期的な目標として社会主義を掲げている 一方で、資本主義の行き過ぎを抑制することに関心を持ち、現代の資本主義を人間化するめの進歩的な改革を支持している。対照的に、民主的社会主義者は、社会的不平等に対処し、資本主義の経済的矛盾を抑制することを目的とした経済介入主義と同様の政策改革は、矛盾を悪化させるだけであり、矛盾を別の場所で別の装いの下に出現させる原因になると考えている。これらの民主的社会主義者は、資本主義の根本的な問題は本質的に制度的なものであり、資本主義的な生産様式を社会主義的な生産様式に置き換えることによってのみ解決できると信じている。民主的社会主義の主な批判は、民主主義と社会主義の相性についてである。学者や政治評論家などは、政治的イデオロギーとして権威主義的社会主義と民主主義的社会主義を区別する傾向があり、前者はソ連圏を代表し、後者は西欧圏諸国の民主的社会主義政党を代表している。
た、社会的不平等に対処し、資本主義の経済的矛盾を抑制することを目的とした経済介入主義と同様の政策改革は、矛盾を悪化させるだけであり、矛盾を別の場所で別の装いの下に出現させる原因になると考えている。これらの民主的社会主義者は、資本主義の根本的な問題は本質的に制度的なものであり、資本主義的な生産様式を社会主義的な生産様式に置き換えることによってのみ解決できると信じている。


== 特徴 ==
== 特徴 ==
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# 民主社会主義は、個人の自由な人格の発展を保障する社会の創造を目的とする改革を行う。「『改革』が正しいものかどうかを判断する基準は、'''諸個人の自由な人格の発展に寄与しているかどうか'''」である<ref name=":0">{{Cite book|title=民社党の光と影|date=平成20年7月1日|year=|publisher=財団法人富士社会教育センター}}</ref>。
# 民主社会主義は、個人の自由な人格の発展を保障する社会の創造を目的とする改革を行う。「『改革』が正しいものかどうかを判断する基準は、'''諸個人の自由な人格の発展に寄与しているかどうか'''」である<ref name=":0">{{Cite book|title=民社党の光と影|date=平成20年7月1日|year=|publisher=財団法人富士社会教育センター}}</ref>。
# 民主社会主義は、新自由主義に抵抗する。すなわち、市民社会の活力を生かすことが改革の目的であるとする民主社会主義は、ほとんどの行政府の権限を民営化する新自由主義に抵抗し、国家の中における民間の役割を重視する。ただし民間を国家機構の枠内で利用することではないのである<ref name=":0">{{Cite book|title=民社党の光と影|date=平成20年7月1日|year=|publisher=財団法人富士社会教育センター}}</ref>。国家が民間企業を用いて政策を実現するのではなく、国家は市民社会を支えるものだとする。
# 民主社会主義は、新自由主義に抵抗する。すなわち、市民社会の活力を生かすことが改革の目的であるとする民主社会主義は、ほとんどの行政府の権限を民営化する新自由主義に抵抗し、国家の中における民間の役割を重視する。ただし民間を国家機構の枠内で利用することではないのである<ref name=":0">{{Cite book|title=民社党の光と影|date=平成20年7月1日|year=|publisher=財団法人富士社会教育センター}}</ref>。国家が民間企業を用いて政策を実現するのではなく、国家は市民社会を支えるものだとする。
# 民主社会主義は、勤労者や社会的弱者への配慮を求め、他者の尊厳を守る。個人の自由な人格の発展を保障する秩序の創造のために政策実践をするのであり、個人の自由を制限するような政策は行わない。したがって、効率性や自己責任の追求に傾いたり、他者への尊厳を怠る、といったことはしない。そのような行為は共同体を崩壊させ、個人の尊厳を踏みにじるからである。
# 民主社会主義は、保守改革とは微妙に異なる。保守改革の場合には少数のエリートによる意思決定に合理性があることを重んじて民主主義的な手法を軽んじる傾向があると批判されてきたが<ref name=":0" />、民主社会主義では、より多くの当事者が参加し、判断の選択肢を幅広く取りそろえることに多くのリソースを注ぎ、議論のプロセスを重視する。つまり、時間はかかるけれども、政策形成が拙速にならないように配慮するのである。
# 民主社会主義は、保守改革とは微妙に異なる。保守改革の場合には少数のエリートによる意思決定に合理性があることを重んじて民主主義的な手法を軽んじる傾向があると批判されてきたが<ref name=":0" />、民主社会主義では、より多くの当事者が参加し、判断の選択肢を幅広く取りそろえることに多くのリソースを注ぎ、議論のプロセスを重視する。つまり、時間はかかるけれども、政策形成が拙速にならないように配慮するのである。


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一方、[[フェビアン協会]]など[[社会改良主義]]を掲げていた潮流も[[イギリス]]や[[英連邦]]などその影響下にある諸国を中心に根強くあり、また[[フランス]]や[[イタリア]]では[[労働組合]]を中心とする[[サンディカリスム]]の潮流が力を持ったなど、マルクス・レーニン主義と別路線の社会主義を追求する動きも無視できない大きさを持っていた。
一方、[[フェビアン協会]]など[[社会改良主義]]を掲げていた潮流も[[イギリス]]や[[英連邦]]などその影響下にある諸国を中心に根強くあり、また[[フランス]]や[[イタリア]]では[[労働組合]]を中心とする[[サンディカリスム]]の潮流が力を持ったなど、マルクス・レーニン主義と別路線の社会主義を追求する動きも無視できない大きさを持っていた。


[[第二次世界大戦]]後の[[1951年]]6月、[[社会主義インターナショナル]]が『[[フランクフルト宣言]]』で「共産主義はマルクス主義の批判的精神と相容れない偏狭な神学をつくりだした」と批判し、民主社会主義を正式に採択し、国際的には社会民主主義は民主社会主義と基本的に同義となった。[[日本社会党]]は社会主義インターナショナルに加盟していたものの、党内には[[社会主義協会]]ら戦前の[[労農派]]マルクス主義の流れを汲み、マルクス・レーニン主義を是とする[[社会党左派]]勢力も存在しており、それに反発する勢力の一部は社会党を離脱して、[[1960年]]1月に「民主社会主義」を掲げる[[民社党]]を結成した。民社党は「民主社会主義と社会民主主義は違う」と強調していた。その後も日本社会党からは[[1978年]]3月に[[社会民主連合]]が分離している
[[第二次世界大戦]]後の[[1951年]]6月、[[社会主義インターナショナル]]が『[[フランクフルト宣言]]』で「共産主義はマルクス主義の批判的精神と相容れない偏狭な神学をつくりだした」と批判し、民主社会主義を正式に採択した。[[日本社会党]]は社会主義インターナショナルに加盟していたものの、党内には[[社会主義協会]]ら戦前の[[労農派]]マルクス主義の流れを汲み、マルクス・レーニン主義を是とする[[社会党左派]]勢力も存在しており、それに反発する勢力の一部は社会党を離脱して、[[1960年]]1月に「民主社会主義」を掲げる[[民社党]]を結成した。民社党は「民主社会主義と社会民主主義は違う」と強調していた。


なお、最も代表的な民主社会主義の例は、[[サルバドール・アジェンデ]]政権下([[1970年]] - [[1973年]])の[[チリ]]が代表的である。アジェンデ政権は、'''[[民主主義|政治的自由]]'''を保障しており、かつ'''国民による直接選挙'''によって成立した政権である。これらが、[[ソビエト連邦]]のような、'''[[全体主義|政治的抑圧]]'''に熱中して、[[社会主義国家]]を称する'''[[独裁国家]]'''とは異なる点である。
なお、最も代表的な民主社会主義の例は、[[サルバドール・アジェンデ]]政権下([[1970年]] - [[1973年]])の[[チリ]]が代表的である。アジェンデ政権は、'''[[民主主義|政治的自由]]'''を保障しており、かつ'''国民による直接選挙'''によって成立した政権である。


== 旧東側諸国の民主社会主義 ==
== 旧東側諸国の民主社会主義 ==
旧来の[[共産主義]]の流れを汲む[[共産党]]グループや[[新左翼]]諸党派が、東西[[冷戦]]の終結後、[[ソ連型社会主義]]や[[スターリン主義]]との決別を強調するため、[[民主主義]]に立脚した社会主義という意味で使う場合がある。
旧来の[[共産主義]]の流れを汲むグループが、東西[[冷戦]]の終結後、一党独裁との決別を強調するため、[[民主主義]]に立脚した社会主義という意味で使う場合がある。


== フランスの民主社会主義 ==
== フランスの民主社会主義 ==
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== 大韓民国の民主社会主義政党 ==
== 大韓民国の民主社会主義政党 ==
[[軍事政権|軍政]]下の[[大韓民国]](韓国)では、[[社会民主主義]]政党ですら、[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)と同一視され、[[弾圧]]の対象にされた。
[[軍事政権|軍政]]下の[[大韓民国]](韓国)では、[[社会民主主義]]政党、[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)と同一視され、[[弾圧]]の対象にされた。


軍政下の韓国では、「民主社会主義」政党の存在しか許されず、[[朴正煕]]執政期([[1961年]] - [[1979年]])の時代には[[統一社会党 (韓国)|統一社会党]]、[[全斗煥]]政権期([[1980年]] - [[1987年]])の時代には、[[民主社会党]]・[[新政社会党]]のみが存在していた。これらの「民主社会主義」政党は、いずれも[[反共主義|反共]]を標榜しており、必ずしも反共でない社会民主主義政党が結成されるには、[[1987年]]の[[民主化宣言]]を待たなければならなかった。
軍政下の韓国では、「民主社会主義」政党の存在しか許されず、[[朴正煕]]執政期([[1961年]] - [[1979年]])の時代には[[統一社会党 (韓国)|統一社会党]]、[[全斗煥]]政権期([[1980年]] - [[1987年]])の時代には、[[民主社会党]]・[[新政社会党]]のみが存在していた。これらの「民主社会主義」政党は、いずれも[[反共主義|反共]]と反北を標榜しており、必ずしも反共、反北でない社会民主主義政党が結成されるには、[[1987年]]の[[民主化宣言]]を待たなければならなかった。


結局、民政下の[[国会 (大韓民国)|国会]]で本格的に議席を得たのは[[2004年]]の[[第17代総選挙 (大韓民国)|第17代総選挙]]で、労組母体の[[民主労働党 (韓国)|民主労働党]]は第3党に進出した。また与党[[ウリ党]]内においても、この選挙で[[左派]]が多数当選した。
結局、民政下の[[国会 (大韓民国)|国会]]で本格的に議席を得たのは[[2004年]]の[[第17代総選挙 (大韓民国)|第17代総選挙]]で、労組母体の[[民主労働党 (韓国)|民主労働党]]は第3党に進出した。また与党[[ウリ党]]内においても、この選挙で[[左派]]が多数当選した。
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[民主社会党]]
* [[エドゥアルト・ベルンシュタイン]]
* [[エドゥアルト・ベルンシュタイン]]
* [[フェビアン協会]]
* [[修正主義]]
* [[フランクフルト宣言]]
* [[社会改良主義]]
* [[社会民主主義]]
* [[ユーロコミュニズム]]
* [[ゴーデスベルク綱領]] - 1959年から1989年までの[[ドイツ社会民主党]]の[[綱領]]。
* [[日本における社会主義への道]] - 1964年から1986年までの[[日本社会党]]の綱領的文書。
* [[日本社会党の新宣言]] - 1986年から1995年までの[[日本社会党]]の[[綱領]]。
* [[自由と民主主義の宣言]] - [[1976年]]の[[日本共産党第13回臨時大会|第13回臨時大会]]で採択された[[日本共産党]]の準綱領的文書。
* [[サルバドール・アジェンデ]]
* [[江田三郎#「江田ビジョン」と構造改革論]]
* [[民主主義的社会主義運動]](MDS) - この政治団体はdemocratic socialism(民主主義的社会主義)を掲げているが、[[構造改革]]派系の[[新左翼]]団体であり、本項目で説明した民主社会主義とは全く異なる。


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2020年9月5日 (土) 21:51時点における版

民主的社会主義(E.U.:democratic socialism)は、社会主義と民主主義の両方を支持する政治哲学である 民主的社会主義者は、資本主義は自由、平等、連帯という価値観と本質的に相容れないものであると主張している。大半の民主的社会主義者は社会主義への漸進的な移行を求めるが、民主的社会主義は社会主義を確立するための手段として革命的・改革主義的な政治を支持することができる。用語として、民主的社会主義は、共産主義や権威主義的社会主義の発展に反対する人々によって普及した。

民主的社会主義の起源は、19世紀のユートピア的社会主義思想家やイギリスのチャート主義運動にまで遡ることができ、彼らは、目標は多少異なるものの、民主的な意思決定と生産手段の公的所有という本質を、彼らが提唱する社会の肯定的な特徴として共有していた。イギリスのファビアン協会が推進した社会主義の進歩的な形態や、ドイツのエドゥアルド・バーンスタインの進化的社会主義は、民主的社会主義の発展に影響を与えた。民主的社会主義は、ほとんどの社会主義者が社会主義の概念で理解しているものである。それは非常に広い概念であったり、より限定的な概念であったりする が、民主的であり、権威主義的なマルクス・レーニン主義国家を拒否する社会主義のすべての形態を指す。 民主的社会主義は、リバタリアン社会主義 市場社会主義 改革主義社会主義 と革命的社会主義 の一形態であり、倫理的社会主義 自由主義社会主義 社会民主主義 と国家社会主義 とユートピアのいくつかの形態を含む広いレッテルと運動である。

民主的社会主義は、実際にはより権威主義的または非民主的な体制であると認識されているマルクス・レーニン主義と対照的である。民主的社会主義者は、マルクス・レーニン主義国家で形成された権威主義的な統治形態と中央集権的な執行秩序経済を拒否する。また、民主的社会主義は第三の道の社会民主主義と区別されている が、民主的社会主義者が資本主義から社会主義への経済の制度的変革にコミットしているのに対し、第三の道の社会民主主義支持者は、社会民主主義を権力に還元するための新右派への挑戦に関心を持っており、これは、それがあったからである。その結果、民主的社会主義者の分析者や批評家は、事実上、第三の道は資本主義を支持していたと主張してきた が、たとえこのような状況下で公然と反資本主義の政治的非現実性を認識していたとしても 一部の人は、これは彼らが資本主義の論理に従ってシステムを管理するようになった彼らのタイプの改革主義の結果であると主張している 一方で、他の人はそれを、理論的には市場社会主義、特にイギリスの古典的なものの中に収まる民主的な自由主義的社会主義の現代的な形態であると見ている 彼らはそれを社会主義と区別している。

また、社会的不平等に対処し、資本主義の経済的矛盾を抑制することを目的とした経済介入主義と同様の政策改革は、矛盾を悪化させるだけであり、矛盾を別の場所で別の装いの下に出現させる原因になると考えている。これらの民主的社会主義者は、資本主義の根本的な問題は本質的に制度的なものであり、資本主義的な生産様式を社会主義的な生産様式に置き換えることによってのみ解決できると信じている。

特徴

  1. 民主社会主義は、個人の自由な人格の発展を保障する社会の創造を目的とする改革を行う。「『改革』が正しいものかどうかを判断する基準は、諸個人の自由な人格の発展に寄与しているかどうか」である[1]
  2. 民主社会主義は、新自由主義に抵抗する。すなわち、市民社会の活力を生かすことが改革の目的であるとする民主社会主義は、ほとんどの行政府の権限を民営化する新自由主義に抵抗し、国家の中における民間の役割を重視する。ただし民間を国家機構の枠内で利用することではないのである[1]。国家が民間企業を用いて政策を実現するのではなく、国家は市民社会を支えるものだとする。
  3. 民主社会主義は、保守改革とは微妙に異なる。保守改革の場合には少数のエリートによる意思決定に合理性があることを重んじて民主主義的な手法を軽んじる傾向があると批判されてきたが[1]、民主社会主義では、より多くの当事者が参加し、判断の選択肢を幅広く取りそろえることに多くのリソースを注ぎ、議論のプロセスを重視する。つまり、時間はかかるけれども、政策形成が拙速にならないように配慮するのである。

社会民主主義との関わり

社会民主主義」という言葉は20世紀初頭の第一次世界大戦勃発と「城内平和」による第二インターナショナル崩壊までは、もともと共産主義マルクス主義の実践面を指す言葉として使われており、ウラジーミル・レーニンヨシフ・スターリンらをはじめとするロシア社会民主労働党員も「社会民主主義者」(ソツィアル・デモクラート)を名乗っていた。ロシア社会民主労働党ボルシェビキ共産党に改称し、ソビエト連邦第三インターナショナル(コミンテルン)が国際共産主義運動の中心となって以降、ドイツ社会民主党などを中心に、社会民主主義はマルクス・レーニン主義と距離を取り、修正主義を意味するようになっていった。ただし、修正主義路線に傾いた当初も社会民主主義勢力は理論的にマルクス・レーニン主義の影響が強く、それを正統な考え方とする者も多かった。

一方、フェビアン協会など社会改良主義を掲げていた潮流もイギリス英連邦などその影響下にある諸国を中心に根強くあり、またフランスイタリアでは労働組合を中心とするサンディカリスムの潮流が力を持ったなど、マルクス・レーニン主義と別路線の社会主義を追求する動きも無視できない大きさを持っていた。

第二次世界大戦後の1951年6月、社会主義インターナショナルが『フランクフルト宣言』で「共産主義はマルクス主義の批判的精神と相容れない偏狭な神学をつくりだした」と批判し、民主社会主義を正式に採択した。日本社会党は社会主義インターナショナルに加盟していたものの、党内には社会主義協会ら戦前の労農派マルクス主義の流れを汲み、マルクス・レーニン主義を是とする社会党左派勢力も存在しており、それに反発する勢力の一部は社会党を離脱して、1960年1月に「民主社会主義」を掲げる民社党を結成した。民社党は「民主社会主義と社会民主主義は違う」と強調していた。

なお、最も代表的な民主社会主義の例は、サルバドール・アジェンデ政権下(1970年 - 1973年)のチリが代表的である。アジェンデ政権は、政治的自由を保障しており、かつ国民による直接選挙によって成立した政権である。

旧東側諸国の民主社会主義

旧来の共産主義の流れを汲むグループが、東西冷戦の終結後、一党独裁との決別を強調するため、民主主義に立脚した社会主義という意味で使う場合がある。

フランスの民主社会主義

フランスでは日本と同様に社会民主主義に修正主義のニュアンスがあったため、民主社会主義が比較的よく使われていた。

アメリカの民主社会主義

アメリカ上院無所属議員であるバーニー・サンダース左派として知られているが、民主社会主義者を自称している。このように場合によっては「民主社会主義」が「社会民主主義左派」を指す。

大韓民国の民主社会主義政党

軍政下の大韓民国(韓国)では、社会民主主義政党も、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と同一視され、弾圧の対象にされた。

軍政下の韓国では、「民主社会主義」政党の存在しか許されず、朴正煕執政期(1961年 - 1979年)の時代には統一社会党全斗煥政権期(1980年 - 1987年)の時代には、民主社会党新政社会党のみが存在していた。これらの「民主社会主義」政党は、いずれも反共と反北を標榜しており、必ずしも反共、反北でない社会民主主義政党が結成されるには、1987年民主化宣言を待たなければならなかった。

結局、民政下の国会で本格的に議席を得たのは2004年第17代総選挙で、労組母体の民主労働党は第3党に進出した。また与党ウリ党内においても、この選挙で左派が多数当選した。

脚注

  1. ^ a b c 民社党の光と影. 財団法人富士社会教育センター. (平成20年7月1日) 

参考文献

  • 『imidas 1989』(集英社、1989年)・・・民主社会主義と社会民主主義の違いについて記述

関連項目