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「佐須奈村」の版間の差分

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== 参考文献 ==
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* [[角川日本地名大辞典]] 42 長崎県
* [[角川日本地名大辞典]] 42 長崎県
* 平山棐 編『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956888 津島紀事]』163頁-210頁、213頁-233頁(1917年)国立国会図書館デジタルコレクション
* 平山棐 編『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956888 津島紀事]』163頁-210頁、213頁-233頁(1917年)国立国会図書館デジタルコレクション


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年9月10日 (木) 22:25時点における版

さすなむら
佐須奈村
廃止日 1955年4月15日
廃止理由 新設合併・町制施行
仁田村佐須奈村上県町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
上県郡
総人口 3,584
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上県郡上対馬町仁田村
佐須奈村役場
所在地 長崎県上県郡佐須奈村大字佐須奈乙981番地
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佐須奈村(さすなむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に南隣[1]仁田村と合併し、上県町となった。

現在の対馬市上県町の北部にあたる。

地理

対馬島の北西部に位置する。

  • 山:御岳(雄岳、雌岳、平岳)、香ノ木山、太田隈山、七本松山、天狗山、千俵蒔山(井口岳)、ガウチ山、大久間山、念仏峠
  • 河川:佐護川、仁田ノ内川、中山川、美止々川、深山川、白石川、大江川
  • 港湾:佐須奈港、佐須奈湾

沿革

当村域の一帯について、中世は「佐護郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「佐護郷」および「豊崎郷」の各一部に属した[2][3][4][5][6]。また『津島記事』によれば、佐護郷内には8村[7]、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[8]が属していたとされる[5][6]。佐護郷と豊崎郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[5][6]

地名

大字を行政区域とする。

  • 佐護(さご)[10]
  • 佐須奈(さすな)[11]
  • 西津屋(にしつや)

名所・旧跡

佐須奈村出身の著名人

参考文献

脚注

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月1日
  2. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郷」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郷」
  7. ^ 深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。上記のうち深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊の6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
  8. ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
  9. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  10. ^ 地内は東里・西里・南里・北里に分かれる。
  11. ^ 室町時代の文書には「佐須那」の表記も見られる。また現在の大字佐須奈において「佐須奈○○番地」「佐須奈○○番地」のように、住所上の地番の先頭に十干が付加されている。これは『津島紀事』に記載されている江戸時代までの佐須奈村の枝里である日吉(ひよし)と大地(おおち)の名残とみられ、甲はかつての大地とその周辺山間部、乙はかつての日吉とその周辺山間部の区域に比定される。

関連項目