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2018年8月15日、[[平成]]最後となる[[終戦の日|終戦記念日]]に一日限定で復活した「[[平和の俳句]]」に日本全国から7349句が寄せられたが、モハバット大使も寄句したうちの一名であった。大使が詠んだ句は「渓谷に 咲くけしの花 いつからか」、かつて美しい麦畑や野菜畑が広がっていて人々が平和に暮らしていたアフガニスタンがソ連軍など外国軍による侵攻で命や平和を奪われ、戦乱や外国軍による軍事占領が続く中で畑には麦や野菜ではなく麻薬の原料となるケシばかりが植えられるようになった現状を嘆きつつも、いつかケシ畑が麦畑や野菜畑に戻ってアフガニスタンが平和を取り戻すことへの願いが込められた一句である<ref>[https://web.archive.org/web/20180816194415/http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018081502000065.html 名古屋の中2、銃持つ姿を詠む 「平和の俳句」入選:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)]</ref>。 |
2018年8月15日、[[平成]]最後となる[[終戦の日|終戦記念日]]に一日限定で復活した「[[平和の俳句]]」に日本全国から7349句が寄せられたが、モハバット大使も寄句したうちの一名であった。大使が詠んだ句は「渓谷に 咲くけしの花 いつからか」、かつて美しい麦畑や野菜畑が広がっていて人々が平和に暮らしていたアフガニスタンがソ連軍など外国軍による侵攻で命や平和を奪われ、戦乱や外国軍による軍事占領が続く中で畑には麦や野菜ではなく麻薬の原料となるケシばかりが植えられるようになった現状を嘆きつつも、いつかケシ畑が麦畑や野菜畑に戻ってアフガニスタンが平和を取り戻すことへの願いが込められた一句である<ref>[https://web.archive.org/web/20180816194415/http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018081502000065.html 名古屋の中2、銃持つ姿を詠む 「平和の俳句」入選:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)]</ref>。 |
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2019年10月22日、[[皇居]][[正殿]][[松の間]]で[[徳仁|今上陛下]]の[[即位礼正殿の儀]]が執り行われ<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kouikeisyou_gishikitou/seidennogi.html 即位礼正殿の儀 | 首相官邸ホームページ]</ref>、[[アシュラフ・ガニー]][[アフガニスタンの国家元首の一覧|大統領]]及び{{仮リンク|ルーラー・ガニー|en|Rula Ghani}}夫人と共に参列した<ref name="Diplomatic Bluebook 2020">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2020/html/data09.html 外交青書 2020 | 即位礼正殿の儀参列者(外国元首・祝賀使節等及び駐日外国大使等) | 外務省]</ref>。同月23日、訪日中のアシュラフ・ガニー大統領と[[安倍晋三]]首相が首脳会談を行ったが、この会談にモハバット大使も同席している<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me2/af/page3_002929.html 安倍総理大臣とガーニ・アフガニスタン大統領との会談 | 外務省]</ref>。 |
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2019年12月4日、長年アフガニスタンで医療支援や農業支援に従事していた日本人医師[[中村哲 (医師)|中村哲]]が現地で銃撃を受けて亡くなった<ref>[https://www.sankei.com/world/news/191204/wor1912040021-n1.html 中村哲医師が死亡 アフガンで銃撃、車同乗の5人も - 産経ニュース]</ref>。同年12月11日、モハバット大使は中村医師の故郷[[福岡市]]で開かれた[[告別式]]に参列して日本語で弔辞を読み上げ、嗚咽交じりで別離を惜しみながら、アフガニスタン復興に力を尽くした中村医師の献身と功績を讃えた<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/item/n/567282/ 「カカムラは偉大な友人」駐日アフガン大使が嗚咽 中村哲さん告別式|【西日本新聞ニュース】]</ref><ref>[http://www.peshawar-pms.com/topics/compli_af.pdf バシール・モハバット大使弔辞 | ペシャワール会]</ref>。 |
2019年12月4日、長年アフガニスタンで医療支援や農業支援に従事していた日本人医師[[中村哲 (医師)|中村哲]]が現地で銃撃を受けて亡くなった<ref>[https://www.sankei.com/world/news/191204/wor1912040021-n1.html 中村哲医師が死亡 アフガンで銃撃、車同乗の5人も - 産経ニュース]</ref>。同年12月11日、モハバット大使は中村医師の故郷[[福岡市]]で開かれた[[告別式]]に参列して日本語で弔辞を読み上げ、嗚咽交じりで別離を惜しみながら、アフガニスタン復興に力を尽くした中村医師の献身と功績を讃えた<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/item/n/567282/ 「カカムラは偉大な友人」駐日アフガン大使が嗚咽 中村哲さん告別式|【西日本新聞ニュース】]</ref><ref>[http://www.peshawar-pms.com/topics/compli_af.pdf バシール・モハバット大使弔辞 | ペシャワール会]</ref>。 |
2020年11月24日 (火) 11:11時点における版
バシール・モハバット(ダリー語: بشیر محبت[1]、英語: Bashir Mohabbat、1956年10月26日 - )は、アフガニスタンの学者、通訳、外交官、大使。カーブル出身のタジク人である[2]。日本に留学し、大学講師や駐日アフガニスタン大使館での勤務などを経て、2017年より駐日アフガニスタン大使[3]。
アフガニスタンの公用語であるパシュトー語とダリー語に加えて、英語と日本語にも堪能[3]で、2007年5月には、内閣総理大臣・安倍晋三、外務大臣・麻生太郎、アフガニスタン副大統領・カリーム・ハリーリー(いずれも当時)の会談における通訳を、2016年6月に、東京国立博物館で開催された特別展「黄金のアフガニスタン」において天皇明仁・皇后美智子(当時)の通訳を務めたこともある[3]。
経歴
- 1976年~1977年 拓殖大学にて日本語を学ぶ[3]
- 1983年 中京大学にて経営学教養学士修得[3]
- 1985年 名城大学にて国際法学修士修得[3]
- 1985年~1990年 複数の名古屋市内の大学にて国際関係学・中央アジア史・中央アジア文化講師[3]
- 1990年~1995年 アメリカ合衆国カリフォルニア州に拠点を置く日本の自動車会社の総支配人[3]
- 1996年~2002年 愛知県・岐阜県・三重県各県警の公認翻訳者(ダリー語・パシュトー語・ペルシア語・英語・日本語)[3]
- 2003年~2004年 駐日アフガニスタン大使館二等書記官・領事[3]
- 2004年~2007年 駐日アフガニスタン大使館一等書記官・領事[3]
- 2007年 日本大学にて国際法学博士修得[3]
- 2007年~2009年 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使館・大使特別補佐官、複数の大学にて国際関係学・経営学・英語講師、拓殖大学にてダリー語講師[3]
- 2010年 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使館代理公使[3]
- 2010年~2012年 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使館副使(参事官)[3]
- 2013年~2014年 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使館・大使特別補佐官、JICA関連企業によるアフガニスタン復興プロジェクトの補佐[3]
- 2014年~2015年 拓殖大学ダリー語講師(オープンカレッジ)[4]
- 2015年~2016年 アフガニスタン外務省戦略研究所、外交政策・国際関係部長[3]
- 2016年~2017年 駐日アフガニスタン・イスラム共和国副使(大使参事官)[3]
- 2017年~ 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使[5]
駐日大使として
2017年7月19日、皇居で信任状を捧呈して駐日大使に就任した[5]。就任から約半月後の8月6日、広島で開かれた平和記念式典に参列している[6]。加えて、2018年と2019年にも広島の平和記念式典に参列している[7][8]。
2017年12月18日、安倍晋三内閣総理大臣が日本語を話す駐日各国大使23名および次期駐日大使1名を総理公邸に招いて昼食会を主催したが、モハバット大使も参加した各国大使のうちの一人であった[9]。また、2018年12月14日および2020年1月8日に開催された昼食会にもモハバット大使が参加している[10][11]。
2018年6月19日、自民党動画チャンネル「CafeSta(カフェスタ)」が配信する武井俊輔司会の番組「ディスカバーワールドin Cafesta」に出演し[12]、前日に発生した大阪府北部地震の被災者に対して司会者の武井と共に哀悼の意を表明した後、アフガニスタンの歴史や文化、料理などを紹介した[13]。
2018年8月15日、平成最後となる終戦記念日に一日限定で復活した「平和の俳句」に日本全国から7349句が寄せられたが、モハバット大使も寄句したうちの一名であった。大使が詠んだ句は「渓谷に 咲くけしの花 いつからか」、かつて美しい麦畑や野菜畑が広がっていて人々が平和に暮らしていたアフガニスタンがソ連軍など外国軍による侵攻で命や平和を奪われ、戦乱や外国軍による軍事占領が続く中で畑には麦や野菜ではなく麻薬の原料となるケシばかりが植えられるようになった現状を嘆きつつも、いつかケシ畑が麦畑や野菜畑に戻ってアフガニスタンが平和を取り戻すことへの願いが込められた一句である[14]。
2019年10月22日、皇居正殿松の間で今上陛下の即位礼正殿の儀が執り行われ[15]、アシュラフ・ガニー大統領及びルーラー・ガニー夫人と共に参列した[16]。同月23日、訪日中のアシュラフ・ガニー大統領と安倍晋三首相が首脳会談を行ったが、この会談にモハバット大使も同席している[17]。
2019年12月4日、長年アフガニスタンで医療支援や農業支援に従事していた日本人医師中村哲が現地で銃撃を受けて亡くなった[18]。同年12月11日、モハバット大使は中村医師の故郷福岡市で開かれた告別式に参列して日本語で弔辞を読み上げ、嗚咽交じりで別離を惜しみながら、アフガニスタン復興に力を尽くした中村医師の献身と功績を讃えた[19][20]。
出典
- ^ فهرست داراییهای ثبت شده طی سال 1396 | ریاست عمومی اداره امور ریاست جمهوری
- ^ Afghan Biographies: Mohabbat, Bashir Dr.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 駐日アフガニスタン大使館による公式プロフィール
- ^ ダリー語 入門クラス 【拓殖大学外国語講座】
- ^ a b 駐日アフガニスタン大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2017年7月19日
- ^ 平成29年(2017年)度の平和記念式典参列大使 - 広島市公式ホームページ
- ^ 平成30年(2018年)度の平和記念式典参列大使 - 広島市公式ホームページ
- ^ 令和元年(2019年)度の平和記念式典参列大使 - 広島市公式ホームページ
- ^ 安倍総理大臣と日本語を話す駐日各国大使との昼食会 | 外務省
- ^ 安倍総理大臣と日本語を話す駐日各国大使との昼食会 | 外務省
- ^ 安倍総理大臣と日本語を話す駐日各国大使との昼食会 | 外務省
- ^ まだ日本には馴染みが薄いけれども、魅力あふれる国々を紹介する「ディスカバーワールドin Cafesta 」! - 【自民党動画チャンネル】CafeSta
- ^ 【CafeSta】ディスカバーワールドin Cafesta ゲスト:バシール・モハバット駐日アフガニスタン大使 司会:武井俊輔NM局次長(2018.6.19) - YouTube
- ^ 名古屋の中2、銃持つ姿を詠む 「平和の俳句」入選:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
- ^ 即位礼正殿の儀 | 首相官邸ホームページ
- ^ 外交青書 2020 | 即位礼正殿の儀参列者(外国元首・祝賀使節等及び駐日外国大使等) | 外務省
- ^ 安倍総理大臣とガーニ・アフガニスタン大統領との会談 | 外務省
- ^ 中村哲医師が死亡 アフガンで銃撃、車同乗の5人も - 産経ニュース
- ^ 「カカムラは偉大な友人」駐日アフガン大使が嗚咽 中村哲さん告別式|【西日本新聞ニュース】
- ^ バシール・モハバット大使弔辞 | ペシャワール会
外部リンク
テキスト
- 公式プロフィール
- Official Profile
- Afghan Biographies: Mohabbat, Bashir Dr.
- 歴史証言「あのころ」 バシール・モハバットさん|歴史証言「あのころ」|学校法人 梅村学園 - 2019年10月
動画
- 中村哲 葬儀で駐日アフガニスタン大使のメッセージ日本語 - YouTube - 2019年12月11日、モハバット大使が登場するのは01:32~06:36
- アフガニスタン・イスラム共和国の独立99年記念レセプションにおけるスピーチ - YouTube - 2018年11月7日
- 【CafeSta】ディスカバーワールドin Cafesta ゲスト:バシール・モハバット駐日アフガニスタン大使 司会:武井俊輔NM局次長(2018.6.19) - YouTube
公職 | ||
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先代 セイエド・ムハンマド・アミーン・ファテミ |
駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使 2017年~ |
次代 (現職) |