コンテンツにスキップ

「グアンタナモ湾収容キャンプ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
修正
編集の要約なし
4行目: 4行目:
[[ファイル:Guantanamo detention camp Guard Tower Septembe 12 2007.jpg|thumb|250px|監視塔]]
[[ファイル:Guantanamo detention camp Guard Tower Septembe 12 2007.jpg|thumb|250px|監視塔]]


'''グアンタナモ湾収容キャンプ'''('''Guantanamo Bay detention camp''', Guantánamo, G-Bay, Gitmo, GTMO)は、[[キューバ]]の[[グアンタナモ湾]]の[[グァンタナモ米軍基地]]に設置されている[[アメリカ南方軍]]グアンタナモ共同機動部隊運営の収容キャンプ。 [[2002年]]に[[ジョージ・W・ブッシュ]][[政権]]時に設立され[[アフガニスタン紛争 (2001年-2014年)|アフガニスタン紛争]]および[[イラク戦争]]の過程でアメリカ軍によって「[[テロリズム|テロ]]に関与しているか何らかの情報を持っている」と疑われて「[[強制連行]]」ないし「[[逮捕]]」された数多くの人物が[[収容]]、[[監禁]]、[[拘禁]]」されているが、[[デュー・プロセス・オブ・ロー|法の適正プロセス]]を規定した[[権利章典 (アメリカ)#修正第5条|アメリカ合衆国憲法修正第5条]]や[[アメリカ合衆国憲法修正第14条|修正第14条]]に違反する違法な[[拘束]]であると主に旧共産圏諸国{{誰|date=2020年6月3日 (水) 12:49 (UTC)}}から批判を受けており、キューバ政府は同基地の返還を求めている。
'''グアンタナモ湾収容キャンプ'''(グアンタナモわんしゅうようキャンプ、{{lang-en-short|'''Guantanamo Bay detention camp'''}}, Guantánamo, G-Bay, Gitmo, GTMO)は、[[キューバ]]の[[グアンタナモ湾]]の[[グァンタナモ米軍基地]]に設置されている[[アメリカ南方軍]]グアンタナモ共同機動部隊運営の収容キャンプ。 [[2002年]]に[[ジョージ・W・ブッシュ]][[政権]]時に設立され[[アフガニスタン紛争 (2001年-2014年)|アフガニスタン紛争]]および[[イラク戦争]]の過程でアメリカ軍によって「[[テロリズム|テロ]]に関与しているか何らかの情報を持っている」と疑われて「[[強制連行]]」ないし「[[逮捕]]」された数多くの人物が[[収容]]、[[監禁]]、[[拘禁]]」されているが、[[デュー・プロセス・オブ・ロー|法の適正プロセス]]を規定した[[権利章典 (アメリカ)#修正第5条|アメリカ合衆国憲法修正第5条]]や[[アメリカ合衆国憲法修正第14条|修正第14条]]に違反する違法な[[拘束]]であると批判を受けており、キューバ政府は同基地の返還を求めている。


== 施設 ==
== 施設 ==

2020年12月19日 (土) 17:28時点における版

エックスレイ・キャンプに到着間際の収監者たち。2002年1月11日。
David Hicks収監されていた独房。左上は読書室と言う名前の部屋(ただし本は存在しない)。2006年11月。
飛行機でグァンタナモ基地へ輸送されている途中の収監者たち。
監視塔

グアンタナモ湾収容キャンプ(グアンタナモわんしゅうようキャンプ、: Guantanamo Bay detention camp, Guantánamo, G-Bay, Gitmo, GTMO)は、キューバグアンタナモ湾グァンタナモ米軍基地に設置されているアメリカ南方軍グアンタナモ共同機動部隊運営の収容キャンプ。 2002年ジョージ・W・ブッシュ政権時に設立されアフガニスタン紛争およびイラク戦争の過程でアメリカ軍によって「テロに関与しているか何らかの情報を持っている」と疑われて「強制連行」ないし「逮捕」された数多くの人物が収容監禁拘禁」されているが、法の適正プロセスを規定したアメリカ合衆国憲法修正第5条修正第14条に違反する違法な拘束であると批判を受けており、キューバ政府は同基地の返還を求めている。

施設

略史

  • 1970年代以降、グアンタナモ湾海軍基地キューバ及びハイチからの難民居住として使用。
  • 2001年アフガニスタン紛争による被収容者が到着。
  • 2002年、設立。
  • 2002年1月11日、最初の20名被収容者を搬送。
  • 2003年イラク戦争による被収容者が搬送。 以来、被収容者は増加、パキスタン系イギリス人(後に釈放)、イラクカナダ人(後に釈放)、イギリス人オーストラリア人がテロ容疑者または関係者として収容されたが、これらの容疑者はテロリストと見なされれば裁判にかけられる事もなく逮捕・長期拘留されるようであり、“犯罪者”と“捕虜”の処遇を使い分けるアメリカ政府の都合で無期限に拘留されるので問題となっていた(捕虜であればジュネーヴ条約を適用する義務があるが犯罪者にその必要はなく、また当地はアメリカではないので合衆国憲法権利章典の効力は及ばないなど国内法国際法が適用されないことで有名である。しかしそもそも軍人ではない一般の犯罪者を軍施設に拘禁する事が人道的に問題がある可能性を孕んでいる)。
  • 2004年9月22日アフガニスタンから10名が搬送。
  • 2004年11月、米軍は被収容者に対して心理的、時に物理的な強制を加えており、拷問に等しいとする赤十字国際委員会の報告書がリーク[1]2006年5月にはアムネスティ・インターナショナルからも「世界の人権状況に関する年次報告書」によって、「対テロ戦争を口実にした収容所での人権侵害」と告発された。2008年12月から2009年4月にかけて発表されたアメリカ合衆国上院軍事委員会の報告書によれば、尋問方法は朝鮮戦争時代に中国が米軍の捕虜に行った洗脳を取り入れたものであった[2][3]
  • 2008年11月、アメリカ大統領に当選したバラク・オバマは、同施設の閉鎖を支持しておりアメリカ連邦裁判所は一部の収容者の釈放を命令している(この時点の収容者は約250人)。
  • 2009年1月22日、バラク・オバマは対テロ特別軍事裁判所の運用停止と1年以内の収容所閉鎖を命令
  • 2009年同年11月にはオバマ政権の法律顧問で就任1年以内の閉鎖を強く支持しているとされたグレッグ・クレイグが解任[4][5]
  • 2010年9月、バラク・オバマ大統領は「引き続き収容所の早期閉鎖」を目指すと発表。
  • 2010年12月、ジェームズ・クラッパー国家情報長官がグアンタナモ空軍基地からの釈放者の最大25%がテロ活動に復帰していると発表。その際の報道によれば、この時点で170人以上がなお収容されている[6]
  • 2013年4月11日(アメリカ時間)、収容所の即時閉鎖を求めるデモや集会がアメリカ各地で行われ、25の人権団体から連名でオバマ大統領宛に書簡が送られた。収容所では2月から収容者がハンガーストライキを行っている。
  • 2016年9月、アメリカ国家情報長官室は報告書を発表し、2009年1月以降に釈放された収容者161人のうちが9人がテロ支援活動に復帰し、11人が復帰した可能性があるとした[7]
  • 2018年段階の収容者は40人。同時多発テロの実行者など大物も含まれるが、大半(40人中26人)は釈放するには危険すぎるとの理由だけで拘束が続けられている[8]

関連項目

参照

外部リンク

座標: 北緯19度54分8秒 西経75度5分56秒 / 北緯19.90222度 西経75.09889度 / 19.90222; -75.09889