「水炊き」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集 |
編集の要約なし |
||
42行目: | 42行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
関西地方では、[[湯豆腐]]のように鍋つゆに味をつけず、椀に取り分けてから醤油やポン酢などで調味する鍋料理を「水炊き」と呼んでいた。今日では |
関西地方では、[[湯豆腐]]のように鍋つゆに味をつけず、椀に取り分けてから醤油やポン酢などで調味する鍋料理を「水炊き」と呼んでいた。今日では牛肉を用いるものは「しゃぶしゃぶ」、白身魚の切り身を主材とするものは「ちり鍋」と呼ばれることが多いため、単に水炊きといえば鶏肉や豚肉などを用いたものを指す言葉となっている。関西の水炊きは水を張った鍋に昆布を敷いて煮るもので、あらかじめ出汁を引くことはしない。 |
||
いっぽう九州の水炊きは、「水から炊き出した鶏のスープ」を味わう料理である。鶏ガラや骨付きの鶏肉を長時間煮込み、十分に出汁が出てから野菜やその他の具材を投入する。 |
いっぽう九州の水炊きは、「水から炊き出した鶏のスープ」を味わう料理である。鶏ガラや骨付きの鶏肉を長時間煮込み、十分に出汁が出てから野菜やその他の具材を投入する。 |
||
[[1643年]](寛永20年)の『[[料理物語]]』第九汁の部に「南蠻料理」(なんばんりょうり)という名で、博多水炊きのルーツとされる料理が記載されている。「鶏の毛を引き、かしらと足としりを切り洗い、鍋に入れ、大根を大きに切り入れ、水をひたひたよりうへに入れ、大根いかにも、やはらかになるまでたく。さて鳥をあげ、こまかにむしり、もとの汁へかけをおとし、また大根にてすりあはせ、出候時、鳥を入れ、[[日本酒|さか]][[塩]]口にて、すい口にんにく、その外色々、うす[[味噌]]にてもつかまつり侯。妻に[[ヒラタケ|平茸]]、[[ネギ|ねぶか]]なども入。」とあり、鶏 |
[[1643年]](寛永20年)の『[[料理物語]]』第九汁の部に「南蠻料理」(なんばんりょうり)という名で、博多水炊きのルーツとされる料理が記載されている。「鶏の毛を引き、かしらと足としりを切り洗い、鍋に入れ、大根を大きに切り入れ、水をひたひたよりうへに入れ、大根いかにも、やはらかになるまでたく。さて鳥をあげ、こまかにむしり、もとの汁へかけをおとし、また大根にてすりあはせ、出候時、鳥を入れ、[[日本酒|さか]][[塩]]口にて、すい口にんにく、その外色々、うす[[味噌]]にてもつかまつり侯。妻に[[ヒラタケ|平茸]]、[[ネギ|ねぶか]]なども入。」とあり、丸ごとの鶏と[[ダイコン]]を柔らかく[[水煮]]にした後に食べやすくほぐし、[[酒]]や塩、[[ニンニク]]、[[味噌]]などで調味して食べた。これは、同じく汁の部にある「鶴の汁」や「[[狸汁]]」などが味噌を加えて煮ているのとは違う作り方である。この料理は南蛮料理の名で[[江戸時代]]の終りまで[[長崎市|長崎]]の家庭料理として伝えられ、長崎の名物料理の一つになっていた<ref>越中哲也、『長崎の西洋料理―洋食のあけぼの―』p45、1983年、東京、第一法規出版、ISBN 978-4474070424</ref>。[[明治]]初年、長崎の人が博多に伝えて博多名物の鶏の水炊きになったという<ref>越中哲也、1983年、p45-46</ref>。 |
||
なお、「博多水たき発祥の店」を名乗る料理店水月は、長崎出身の林田平三郎が[[香港]]遊学時に学んだ西洋料理の[[コンソメ]]と中華料理の[[清湯]]をアレンジし、[[1905年]]に博多水炊きを完成させたと説明している<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.suigetsu.co.jp/hist.html|title=博多水炊き発祥の店水月 発祥と軌跡|publisher= 有限会社水たき元祖水月|language=日本語|accessdate=2020年11月13日}}</ref>。 |
|||
[[1910年]](明治43年)に博多で創業し、白濁した汁の鶏の水炊きで人気を得た料亭新三浦は、後に[[東京都|東京]]、[[大阪市|大阪]]、[[京都市|京都]]などにも店を出し、「博多水だき」の名を各地に広めた。 |
[[1910年]](明治43年)に博多で創業し、白濁した汁の鶏の水炊きで人気を得た料亭新三浦は、後に[[東京都|東京]]、[[大阪市|大阪]]、[[京都市|京都]]などにも店を出し、「博多水だき」の名を各地に広めた。 |
||
また平成に入ってからは、[[福岡市]]内に新世代の博多水炊き店も増えはじめ、福岡市内の数店舗が、2014年7月発行の「[[ミシュラン]]福岡佐賀」で紹介された。 |
また平成に入ってからは、[[福岡市]]内に新世代の博多水炊き店も増えはじめ、福岡市内の数店舗が、2014年7月発行の「[[ミシュラン]]福岡佐賀」で紹介された。 |
||
<!-- |
|||
一方、[[大阪市|大阪]]の水炊きは、本当の水だけで炊いて、鶏肉の肉質の差や店独特のたれで食べさせて特徴を出した鶏料理として、数店舗が有名となった<ref>日本交通公社編、『全国うまいもの旅行』p266、1956年、東京、日本交通公社</ref>。--> |
|||
== 各地方での作り方 == |
== 各地方での作り方 == |
2020年12月28日 (月) 07:04時点における版
水炊き | |
---|---|
水炊き(関西風) | |
種類 | 鍋料理 |
発祥地 | 日本 |
地域 | 福岡、関西地方 |
主な材料 | 鶏肉、豚肉 |
水炊き(みずたき、みずだき)は、日本の鍋料理。九州と関西に起源を持ち、歴史や調理法はそれぞれ異なる。
概要
名称は、素材を水(湯)のみで煮る調理法に由来する。あらかじめ取った出汁を用いる場合でも、醤油や塩などの調味料は加えない。
福岡を中心とする九州では鶏肉を主材とし、野菜はキャベツを使う。ぶつ切りの鶏を水から煮るために水炊きの名があるが、外食店ではあらかじめ別に用意したスープを用いるのが一般的である。骨付きの鶏や鶏ガラを長時間煮込むため白濁したスープになる。
関西では鶏肉以外に豚肉や牛肉なども使われる。出汁昆布とともに文字通り水から煮て、ポン酢醤油で食べる。
どちらの場合も、残ったスープにちゃんぽん麺やうどんを入れたり、ご飯を入れておじや(雑炊)にする場合がある。博多風では麺が多く、関西風では飯を入れることが多い。
ちゃんこ鍋と呼ばれる相撲部屋の料理でも、水炊きの手法で作られる場合がある[1]。しゃぶしゃぶは牛肉の水炊きの別名として、その独特の様式やごまだれと共に全国に広まった[2]。ちり鍋も水炊きの一種であるが、薄切りにした魚の切り身が縮んで反る様子をさしてちり鍋という[3]。
歴史
関西地方では、湯豆腐のように鍋つゆに味をつけず、椀に取り分けてから醤油やポン酢などで調味する鍋料理を「水炊き」と呼んでいた。今日では牛肉を用いるものは「しゃぶしゃぶ」、白身魚の切り身を主材とするものは「ちり鍋」と呼ばれることが多いため、単に水炊きといえば鶏肉や豚肉などを用いたものを指す言葉となっている。関西の水炊きは水を張った鍋に昆布を敷いて煮るもので、あらかじめ出汁を引くことはしない。
いっぽう九州の水炊きは、「水から炊き出した鶏のスープ」を味わう料理である。鶏ガラや骨付きの鶏肉を長時間煮込み、十分に出汁が出てから野菜やその他の具材を投入する。
1643年(寛永20年)の『料理物語』第九汁の部に「南蠻料理」(なんばんりょうり)という名で、博多水炊きのルーツとされる料理が記載されている。「鶏の毛を引き、かしらと足としりを切り洗い、鍋に入れ、大根を大きに切り入れ、水をひたひたよりうへに入れ、大根いかにも、やはらかになるまでたく。さて鳥をあげ、こまかにむしり、もとの汁へかけをおとし、また大根にてすりあはせ、出候時、鳥を入れ、さか塩口にて、すい口にんにく、その外色々、うす味噌にてもつかまつり侯。妻に平茸、ねぶかなども入。」とあり、丸ごとの鶏とダイコンを柔らかく水煮にした後に食べやすくほぐし、酒や塩、ニンニク、味噌などで調味して食べた。これは、同じく汁の部にある「鶴の汁」や「狸汁」などが味噌を加えて煮ているのとは違う作り方である。この料理は南蛮料理の名で江戸時代の終りまで長崎の家庭料理として伝えられ、長崎の名物料理の一つになっていた[4]。明治初年、長崎の人が博多に伝えて博多名物の鶏の水炊きになったという[5]。
なお、「博多水たき発祥の店」を名乗る料理店水月は、長崎出身の林田平三郎が香港遊学時に学んだ西洋料理のコンソメと中華料理の清湯をアレンジし、1905年に博多水炊きを完成させたと説明している[6]。
1910年(明治43年)に博多で創業し、白濁した汁の鶏の水炊きで人気を得た料亭新三浦は、後に東京、大阪、京都などにも店を出し、「博多水だき」の名を各地に広めた。 また平成に入ってからは、福岡市内に新世代の博多水炊き店も増えはじめ、福岡市内の数店舗が、2014年7月発行の「ミシュラン福岡佐賀」で紹介された。
各地方での作り方
福岡県
博多では、皮や骨付き鶏肉(主にもも肉)のぶつ切りを用い、鶏肉や骨から出る旨味を生かし、水から煮立たせるものを「水炊き」と呼んでいる。先に手羽先だけで1時間ほど出汁を取り、その後、もも肉を加えて煮る方がうまみがでる[7]。鶏肉の他に入れる具材は、鶏肉団子、キャベツ、春菊、シイタケ、ネギ、豆腐などである。これ以外煮汁に味を付けることは基本的にはせず、小皿にダイダイを絞ったつけだれ、ポン酢、柚子胡椒等を入れて味を付けて食べる(唐辛子のみ、または追加調味料として辛味をつけることはある)。煮汁に味を付けていないため、煮詰まって濃くなりすぎる心配がなく、白菜よりも水分が少ないキャベツを使う方がうまみが出る。また、家庭によっては高菜漬を加える場合もある。最後(閉め)に素麺を加えて煮る「地獄炊き」という食べ方もある。
がめ煮とともに、農山漁村の郷土料理百選に福岡県の郷土料理として選ばれている。
関西
水を張った鍋に昆布を敷き、鍋をそのままひと煮立ちさせる。沸騰したのち、鶏肉、シイタケ、ハクサイや、その他の具を入れ、それらに火が通れば完成となる。その他の具としては、豆腐、油揚げ、長葱、シメジ、エノキなどのキノコ類、薄く切った大根、人参などの根菜類、春菊、ミズナ、ほうれん草などの葉物野菜類、春雨、葛きり、マロニーなど、入れる物は多岐にわたりそれぞれの家庭により微妙に異なっている。水炊きには鶏肉以外にも豚肉がよく使われる。白身魚の水炊きははちり鍋とも呼ばれる。一煮立ちして、一通り火が通ったら、食べ頃の具から順に取り、取り皿のタレに付けて食べる。タレは、ポン酢醤油に薬味(紅葉おろし、刻んだ青ねぎなど)を入れた物が一般的だが、削り節を醤油と練った物を鍋の出汁でのばした物や、梅肉に醤油を垂らした物を鍋の出汁でのばした物、あるいはしゃぶしゃぶなどで使われるごまだれで食べる人もいる。近年は様々なアレンジを施したタレが雑誌やネットなどでも紹介されており、多岐に富むようになった。具が少なくなれば、随時追加していき、締めは雑炊にしたり、うどんや餅を入れたりする。
水炊きに関する作品
- 『兵隊宿(蘭)』 - 竹西寛子作の小説。水炊きを食べた時の父の意外な対応について記している。
- 『美味しんぼ』 - 雁屋哲原作、花咲アキラ作画の漫画。第1巻9話「舌の記憶」で老婆が昔食べた鶏の水炊きの味について、第67巻8話「真の国際化企画(後編)」で名古屋コーチンの水炊きについて記述がある。
- 『クッキングパパ』 - うえやまとち作の漫画。冬場のアウトドアクッキングとして、博多水炊きのつくり方が紹介されている。
脚注
- ^ 小林弘、『読む食辞苑 日本料理ことば尽くし』p195、1996年、東京、同文書院、ISBN 4-8103-0027-7
- ^ 秀逸なネーミングで日本に定着、モンゴル生まれの鍋料理「しゃぶしゃぶ」
- ^ 小林弘、1996年、p193
- ^ 越中哲也、『長崎の西洋料理―洋食のあけぼの―』p45、1983年、東京、第一法規出版、ISBN 978-4474070424
- ^ 越中哲也、1983年、p45-46
- ^ “博多水炊き発祥の店水月 発祥と軌跡”. 有限会社水たき元祖水月. 2020年11月13日閲覧。
- ^ “ガッテン流博多風水炊きレシピ(Wayback Machine)”. 日本放送協会. 2020年10月29日閲覧。