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'''フィリップ・ホジナー'''('''Philipp Hosiner'''、[[1989年]][[5月15日]] - )は[[オーストリア]]・[[アイゼンシュタット]]出身の[[サッカー選手]]。[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2. ブンデスリーガ]]・[[1.FCウニオン・ベルリン]]所属。ポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。
'''フィリップ・ホジナー'''('''Philipp Hosiner'''、[[1989年]][[5月15日]] - )は[[オーストリア]]・[[アイゼンシュタット]]出身の[[サッカー選手]]。[[3. リーガ (ドイツサッカー)|3. リーガ]]・[[1.FCディナモ・ドレスデ|ディナモドレスデン]]所属。ポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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その後は[[3. リーガ (ドイツサッカー)|3. リーガ]]に属する[[SVザントハウゼン]]、[[エアステリーガ|オーストリア・エアステリーガ]](オーストリア2部)に属する[[ファースト・ヴィエナFC]]、[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ1部]]に属する[[FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング]]へと徐々にステップアップを果たし、[[2012年]][[8月31日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]]に属する[[FKアウストリア・ウィーン]]へ移籍した。
その後は[[3. リーガ (ドイツサッカー)|3. リーガ]]に属する[[SVザントハウゼン]]、[[エアステリーガ|オーストリア・エアステリーガ]](オーストリア2部)に属する[[ファースト・ヴィエナFC]]、[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ1部]]に属する[[FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング]]へと徐々にステップアップを果たし、[[2012年]][[8月31日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]]に属する[[FKアウストリア・ウィーン]]へ移籍した。


[[ペーター・シュテーガー]]監督(現在[[1.FCケルン]]監督)の下チームにもフィットし、2012-13年シーズンでは30試合で27得点7アシストを記録。7年ぶりとなる[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|リーグ]]優勝に貢献する
[[ペーター・シュテーガー]]監督(現在[[1.FCケルン]]監督)の下チームにもフィットし、2012-13年シーズンでは30試合で27得点7アシストを記録。7年ぶりとなる[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|リーグ]]優勝に貢献した


2013-14年シーズンでは[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]]では34試合に出場し14得点8アシストを記録。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の予選では4試合で1アシスト、[[アトレティコ・マドリード]]、[[FCポルト]]、[[FCゼニト・サンクトペテルブルク]]と同グループになった[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の本大会では6試合に出場し2得点1アシストを決めた。
2013-14年シーズンでは[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]]では34試合に出場し14得点8アシストを記録。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の予選では4試合で1アシスト、[[アトレティコ・マドリード]]、[[FCポルト]]、[[FCゼニト・サンクトペテルブルク]]と同グループになった[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の本大会では6試合に出場し2得点1アシストを決めた。


[[2014年]]夏、[[リーグ・アン|フランス・リーグ・アン]]に属する[[スタッド・レンヌ]]に移籍したが、当初は原因不明のまま体調不良に悩まされるようになりほぼシーズンを通して試合に出場できなくな。様々な精密検査を行った結果、体調不良の原因と診断された約2kgの重さにまで膨れ上がった[[腎細胞癌]]が[[2015年]][[1月]]に発見され、[[2月]]に手術を受けた<ref>[http://derstandard.at/2000011970309/Hosiner-wurde-Niere-entfernt Philipp Hosiner wurde Niere entfernt] spox.com(2015年2月20日)</ref>。その後はリハビリを続け、[[2015年]][[5月]]には試合勘を取り戻すために[[スタッド・レンヌ]]のセカンドチームの公式戦に出場<ref>[http://sport.orf.at/stories/2230423/ Rückkehr elf Wochen nach Tumoroperation] orf.at(2015年5月1日)</ref>。
[[2014年]]夏、[[リーグ・アン|フランス・リーグ・アン]]に属する[[スタッド・レンヌ]]に移籍したが、当初は原因不明のまま体調不良に悩まされるようになりほぼシーズンを通して試合に出場できなくなった。様々な精密検査を行った結果、体調不良の原因と診断された約2kgの重さにまで膨れ上がった[[腎細胞癌]]が[[2015年]][[1月]]に発見され、[[2月]]に手術を受けた<ref>[http://derstandard.at/2000011970309/Hosiner-wurde-Niere-entfernt Philipp Hosiner wurde Niere entfernt] spox.com(2015年2月20日)</ref>。その後はリハビリを続け、[[2015年]][[5月]]には試合勘を取り戻すために[[スタッド・レンヌ]]のセカンドチームの公式戦に出場<ref>[http://sport.orf.at/stories/2230423/ Rückkehr elf Wochen nach Tumoroperation] orf.at(2015年5月1日)</ref>。


[[2015年]]夏には[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]に属する[[1.FCケルン]]にレンタル移籍。徐々に試合勘を取り戻し、15試合に出場し1得点を決めた。
[[2015年]]夏には[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]に属する[[1.FCケルン]]にレンタル移籍。徐々に試合勘を取り戻し、15試合に出場し1得点を決めた。


[[2016年]]夏、[[スタッド・レンヌ]]にはレンタルバックせず、[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2. ブンデスリーガ]]に属する[[1.FCウニオン・ベルリン]]した。2016-17年シーズンでは24試合に出場し6得点1アシストを記録した。
[[2016年]]夏、[[スタッド・レンヌ]]にはレンタルバックせず、[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2. ブンデスリーガ]]に属する[[1.FCウニオン・ベルリン]]した。2016-17年シーズンでは24試合に出場し6得点1アシストを記録した。

== 代表歴 ==
U20までのカテゴリーでは招集され、2011年にA代表デビューを果たしたが、同じ[[フォワード (サッカー)|フォワード]]のポジションに[[ギド・ブルクシュタラー]]([[シャルケ04]])や[[マーティン・ハルニック]]([[ハノーファー96]])、[[マルク・ヤンコ]]([[FCバーゼル]])、[[マルコ・アルナウトヴィッチ]]([[ストーク・シティFC]])らがいるため、2017年5月現在A代表には招集されていない。


== プレースタイル ==
== プレースタイル ==
スピードと正確なシュート技術、ゴール前での冷静なプレーが特徴。ツートップでは主に身長のあるターゲットプレーヤーと組み、自らのスピードを生かして危険なスペースへの侵入を繰り返す。
{{要出典範囲|スピードと正確なシュート技術、ゴール前での冷静なプレーが特徴。ツートップでは主に身長のあるターゲットプレーヤーと組み、自らのスピードを生かして危険なスペースへの侵入を繰り返す|date=2021-01}}


プロデビュー当初は主にカウンターで生きる[[フォワード (サッカー)|フォワード]]として評価されていたが、[[FKアウストリア・ウィーン]]に移籍以降は1,5列目に下がりチームの組み立てに参加することも多くなったため、[[フォワード (サッカー)|フォワード]]としてはボールに触れる回数やパス本数が多い。2013-14年シーズンでの1試合当たりの平均ボールタッチ数は51,3回、平均シュート数は5,05本、シュートに繋がる味方へのラストパスは平均で2,84本であった<ref>[http://www.abseits.at/fusball-in-osterreich/vielseitig-abschluss-und-antizipationsstark-der-aufstieg-des-philipp-hosiner/ Vielseitig, abschluss- und antizipationsstark – der Aufstieg des Philipp Hosiner] http://www.abseits.at(2013年1月11日)</ref>。プレースタイルが似ていることから[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]の[[エディンソン・カバーニ]]と比較された<ref>[http://www.abseits.at/fusball-in-osterreich/vielseitig-abschluss-und-antizipationsstark-der-aufstieg-des-philipp-hosiner/ Vielseitig, abschluss- und antizipationsstark – der Aufstieg des Philipp Hosiner] http://www.abseits.at(2013年1月11日)</ref>。また、決定力が高いことで知られており、2012-13年シーズンの7月から1月まで挙げた21得点のために打ったシュートは僅か64本、と3本に1本のシュートがゴールに入る決定力であった<ref>[http://www.abseits.at/wp-content/uploads/Sch%C3%BCsse-zu-Tore1.png?x35400 Schuesse zu Tore] http://www.abseits.at クローゼやイブラヒモビッチとの比較表(2013年1月11日)</ref>。
プロデビュー当初は主にカウンターで生きる[[フォワード (サッカー)|フォワード]]として評価されていたが、[[FKアウストリア・ウィーン]]に移籍以降は1,5列目に下がりチームの組み立てに参加することも多くなったため、[[フォワード (サッカー)|フォワード]]としてはボールに触れる回数やパス本数が多い。2013-14年シーズンでの1試合当たりの平均ボールタッチ数は51,3回、平均シュート数は5,05本、シュートに繋がる味方へのラストパスは平均で2,84本であった<ref>[http://www.abseits.at/fusball-in-osterreich/vielseitig-abschluss-und-antizipationsstark-der-aufstieg-des-philipp-hosiner/ Vielseitig, abschluss- und antizipationsstark – der Aufstieg des Philipp Hosiner] http://www.abseits.at(2013年1月11日)</ref>。プレースタイルが似ていることから[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]の[[エディンソン・カバーニ]]と比較された<ref>[http://www.abseits.at/fusball-in-osterreich/vielseitig-abschluss-und-antizipationsstark-der-aufstieg-des-philipp-hosiner/ Vielseitig, abschluss- und antizipationsstark – der Aufstieg des Philipp Hosiner] http://www.abseits.at(2013年1月11日)</ref>。また、決定力が高いことで知られており、2012-13年シーズンの7月から1月まで挙げた21得点のために打ったシュートは僅か64本、と3本に1本のシュートがゴールに入る決定力であった<ref>[http://www.abseits.at/wp-content/uploads/Sch%C3%BCsse-zu-Tore1.png?x35400 Schuesse zu Tore] http://www.abseits.at クローゼやイブラヒモビッチとの比較表(2013年1月11日)</ref>。
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* [[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]] '''優勝'''(1回): 2012-13
* [[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア・ブンデスリーガ]] '''優勝'''(1回): 2012-13
* [[オーストリア・カップ]] 準優勝(1回): 2012-13
* [[オーストリア・カップ]] 準優勝(1回): 2012-13

== 所属クラブ ==
* {{flagicon|GER}} [[TSV1860ミュンヘン]]II 2008-2009
* {{flagicon|GER}} [[SVザントハウゼン]] 2009-2010
* {{flagicon|AUT}} [[ファースト・ヴィエナFC]] 2010-2011
* {{flagicon|AUT}} [[FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング]] 2011-2012
* {{flagicon|AUT}} [[FKアウストリア・ウィーン]] 2012-2014
* {{flagicon|FRA}} [[スタッド・レンヌ]] 2014-2015
* → {{flagicon|GER}} [[1.FCケルン]] 2015-16 (レンタル移籍)
* {{flagicon|GER}} [[1.FCウニオン・ベルリン]] 2016-

== 代表歴 ==
U20までのカテゴリーでは招集され、2011年にA代表デビューを果たが、同じ[[フォワード (サッカー)|フォワード]]のポジションに[[ギド・ブルクシュタラー]]([[シャルケ04]])や[[マーティン・ハルニック]]([[ハノーファー96]])、[[マルク・ヤンコ]]([[FCバーゼル]])、[[マルコ・アルナウトヴィッチ]]([[ストーク・シティFC]])らがいるため、2017年5月現在A代表には招集されていない。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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[[Category:スタッド・レンヌFCの選手]]
[[Category:スタッド・レンヌFCの選手]]
[[Category:1.FCケルンの選手]]
[[Category:1.FCケルンの選手]]
[[Category:1.FCウニオン・ベリンの選手]]
[[Category:SKシュトゥム・グラーツの選手]]
[[Category:ケムニッツFCの選手]]
[[Category:ディナモ・ドレスデンの選手]]
[[Category:ブルゲンラント州出身の人物]]
[[Category:ブルゲンラント州出身の人物]]
[[Category:1989年生]]
[[Category:1989年生]]

2021年1月17日 (日) 10:27時点における版

フィリップ・ホジナー
2013年のホジナー
名前
ラテン文字 Philipp Hosiner
基本情報
国籍  オーストリア
生年月日 (1989-05-15) 1989年5月15日(35歳)
出身地 アイゼンシュタット
身長 178cm
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 1.FCウニオン・ベルリン
ポジション FW
背番号 16
利き足
ユース
1996-2001 オーストリアの旗 SCアイゼンシュタット
2001-2002 オーストリアの旗 SV St.マルガレーテン
2002-2005 オーストリアの旗 AKAブルゲンラント
2005-2006 オーストリアの旗 SVマッテルスブルク
2006-2008 ドイツの旗 TSV1860ミュンヘン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 ドイツの旗 TSV1860ミュンヘンII 31 (12)
2009-2010 ドイツの旗 SVザントハウゼン 20 (1)
2010-2011 オーストリアの旗 ファースト・ヴィエナFC 33 (13)
2011-2012 オーストリアの旗 FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング 38 (15)
2012-2014 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン 64 (41)
2014-2015 フランスの旗 スタッド・レンヌ 12 (0)
2015-2016 ドイツの旗 1.FCケルン 15 (1)
2016-2018 ドイツの旗 1.FCウニオン・ベルリン 44 (8)
2018-2019 オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ 14 (3)
2019-2020 ドイツの旗 ケムニッツFC 28 (19)
2020- ドイツの旗 ディナモ・ドレスデン 2 (0)
代表歴
2006 オーストリアの旗 オーストリアU-17 3 (0)
2008 オーストリアの旗 オーストリアU-18
2009 オーストリアの旗 オーストリアU-19 3 (0)
2011-2013 オーストリアの旗 オーストリア 5 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年10月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フィリップ・ホジナーPhilipp Hosiner1989年5月15日 - )はオーストリアアイゼンシュタット出身のサッカー選手3. リーガディナモ・ドレスデン所属。ポジションはフォワード

経歴

7歳で地元のSC Eisenstadtに入団。オーストリア・ブンデスリーガに属するSVマッテルスブルクの育成部門などで育ち、16歳で2. ドイツ・ブンデスリーガに属するTSV1860ミュンヘンのU18チームに移籍。

2006-07年シーズンにはドイツ・U18全国選手権で優勝し、決勝戦ではVfLヴォルフスブルクを相手に決勝点を決めた。2007-08年シーズンには23試合で16得点を記録した。

当時の育成部門でのチームメートにはユリアン・バウムガルトリンガーバイエル・レバークーゼン)やトビアス・シュトローブルボルシア・メンヒェングラートバッハ)、ティモ・ゲプハルトハンザ・ロストック)らがいた。

2007-08年シーズン後、同クラブでプロ契約を結びトップチーム昇格を果たす。初シーズンは基本トップチームで練習をしながらドイツ・レギオナルリーガに属するセカンドチームで公式戦に出場。31試合で12得点8アシストを記録し、チームのトップスコーラーになった。

その後は3. リーガに属するSVザントハウゼンオーストリア・エアステリーガ(オーストリア2部)に属するファースト・ヴィエナFCオーストリア・ブンデスリーガ1部に属するFCアドミラ・ヴァッカー・メードリングへと徐々にステップアップを果たし、2012年8月31日オーストリア・ブンデスリーガに属するFKアウストリア・ウィーンへ移籍した。

ペーター・シュテーガー監督(現在1.FCケルン監督)の下チームにもフィットし、2012-13年シーズンでは30試合で27得点7アシストを記録。7年ぶりとなるリーグ優勝に貢献した。

2013-14年シーズンではオーストリア・ブンデスリーガでは34試合に出場し14得点8アシストを記録。UEFAチャンピオンズリーグの予選では4試合で1アシスト、アトレティコ・マドリードFCポルトFCゼニト・サンクトペテルブルクと同グループになったUEFAチャンピオンズリーグの本大会では6試合に出場し2得点1アシストを決めた。

2014年夏、フランス・リーグ・アンに属するスタッド・レンヌに移籍したが、当初は原因不明のまま体調不良に悩まされるようになりほぼシーズンを通して試合に出場できなくなった。様々な精密検査を行った結果、体調不良の原因と診断された約2kgの重さにまで膨れ上がった腎細胞癌2015年1月に発見され、2月に手術を受けた[1]。その後はリハビリを続け、2015年5月には試合勘を取り戻すためにスタッド・レンヌのセカンドチームの公式戦に出場[2]

2015年夏にはドイツ・ブンデスリーガに属する1.FCケルンにレンタル移籍。徐々に試合勘を取り戻し、15試合に出場し1得点を決めた。

2016年夏、スタッド・レンヌにはレンタルバックせず、2. ブンデスリーガに属する1.FCウニオン・ベルリンした。2016-17年シーズンでは24試合に出場し6得点1アシストを記録した。

代表歴

U20までのカテゴリーでは招集され、2011年にA代表デビューを果たしたが、同じフォワードのポジションにギド・ブルクシュタラーシャルケ04)やマーティン・ハルニックハノーファー96)、マルク・ヤンコFCバーゼル)、マルコ・アルナウトヴィッチストーク・シティFC)らがいるため、2017年5月現在A代表には招集されていない。

プレースタイル

スピードと正確なシュート技術、ゴール前での冷静なプレーが特徴。ツートップでは主に身長のあるターゲットプレーヤーと組み、自らのスピードを生かして危険なスペースへの侵入を繰り返す[要出典]

プロデビュー当初は主にカウンターで生きるフォワードとして評価されていたが、FKアウストリア・ウィーンに移籍以降は1,5列目に下がりチームの組み立てに参加することも多くなったため、フォワードとしてはボールに触れる回数やパス本数が多い。2013-14年シーズンでの1試合当たりの平均ボールタッチ数は51,3回、平均シュート数は5,05本、シュートに繋がる味方へのラストパスは平均で2,84本であった[3]。プレースタイルが似ていることからウルグアイ代表エディンソン・カバーニと比較された[4]。また、決定力が高いことで知られており、2012-13年シーズンの7月から1月まで挙げた21得点のために打ったシュートは僅か64本、と3本に1本のシュートがゴールに入る決定力であった[5]

基本ツートップもしくはワントップのフォワードとして試合に出場しているが、チーム事情によってはトップ下として出場することもある[6]

タイトル

クラブ

TSV1860ミュンヘン
  • ドイツ・U18全国選手権 優勝(1回): 2006-07
FKアウストリア・ウィーン

脚注

外部リンク