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門下に酒井安次郎など数多い。娘の菊子は初段に進んだ。その子の吉田俊夫も初段に進み、[[本因坊秀元]]、[[本因坊秀哉|秀哉]]からも期待されたが、[[ジャパンタイムズ]]記者となり、『奇美談碁』(1915年)の著書がある。
門下に酒井安次郎など数多い。娘の菊子は初段に進んだ。その子の吉田俊夫も初段に進み、[[本因坊秀元]]、[[本因坊秀哉|秀哉]]からも期待されたが、[[ジャパンタイムズ]]記者となり、『奇美談碁』(1915年)の著書がある。


==参考文献==
== 参考文献 ==
*安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
* 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
*[[瀬越憲作]]『囲碁百年 1 先番必勝を求めて』[[平凡社]] 1968年
* [[瀬越憲作]]『囲碁百年 1 先番必勝を求めて』[[平凡社]] 1968年
*矢田直己『秘譜発掘』[[誠文堂新光社]] 2004年
* 矢田直己『秘譜発掘』[[誠文堂新光社]] 2004年


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2021年2月4日 (木) 11:54時点における版

吉田半十郎(よしだ はんじゅうろう、1831年天保2年)9月 - 1897年明治30年)8月26日)は、江戸明治時代囲碁棋士江戸生まれ、本因坊秀和門下、五段。方円社設立において本因坊秀甫中川亀三郎を助け、また名称の発案者とも言われる。

経歴

江戸新銭座で御納戸金御用達の富裕の家に次男として生まれる。本因坊秀和門に入り、17歳で初段。その後五段まで昇る。1857年(安政4年)の井上幻庵因碩との二子局(中押勝)は、棋譜に残る因碩の最後の対局となっている。1863年(文久3年)三段の時、秀甫と先二で十番碁を行う。

御城碁廃止後は棋士達は対局の機会が失われたが、1869年(明治2年)、36歳の時に本因坊跡目秀悦林秀栄、中川亀三郎、安井算英小林鉄次郎ら若手とともに研究会「六人会」を発足。豪商田口重次郎の援助により、毎月3回、中川、本因坊宅で1年ほど継続され、後に海老沢健造、白石喜三郎なども加わった。その後家元の家禄奉還、1873年の秀和の死などで碁界の基盤は弱まり、村瀬秀甫を加えた碁会などを続けたが、六人会の中の中川、小林、吉田を中心にして、秀甫を迎えて1879年(明治12年)に方円社を発足させた。

門下に酒井安次郎など数多い。娘の菊子は初段に進んだ。その子の吉田俊夫も初段に進み、本因坊秀元秀哉からも期待されたが、ジャパンタイムズ記者となり、『奇美談碁』(1915年)の著書がある。

参考文献