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2021年2月8日 (月) 12:29時点における版
織戸 学 おりど まなぶ | |
---|---|
生誕 |
1968年12月3日(55歳) 日本、千葉県 |
職業 | レーシングドライバー |
配偶者 | あり |
公式サイト | MAX織戸公式ウェブサイト |
補足 | |
織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日 - )は、千葉県船橋市[1]出身で神奈川県在住のレーシングドライバー。MAX ORIDOとしても知られる。愛称は「オリダー」「モン吉」。A型。
プロフィール
デビュー
自動車整備の専門学校を卒業した後、自動車雑誌「CARBOY」主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった後に坂東正明率いる坂東商会に入社し、21歳の1991年より富士フレッシュマンレースのNA1600クラスでレーシングドライバーとしてデビューした。マシンはAE86レビンのN2仕様で、周囲はベテランドライバーばかりだったため、よく目の敵にされたとビデオオプションで語っている。翌1992年にはシリーズチャンピオンを獲得。
1993年にはフレッシュマントロフィーレースinSUZUKAのN2-1600クラスにAE92レビンのN2仕様で参戦。スポット参戦ながらシリーズ3位を獲得。
1994年からはスーパーシルビアN2レースに参戦。1995年と翌1996年に連続してシリーズチャンピオンを獲得。
デビュー当初は土屋圭市を継ぐ「ポストドリキン」とも呼ばれ[要出典]、横浜ゴムの開発ドライバーを務めていた土屋がブリヂストンに移籍した際は、その後継ドライバーとして織戸が抜擢される。
全日本GT選手権・SUPER GT
全日本GT選手権(JGTC、現 SUPER GT)には1996年より参戦し、最初はGT300クラスで日産・シルビアを駆り、翌1997年にはシリーズチャンピオンに輝いた。
その後、2000年には土屋エンジニアリングよりGT500クラスに参戦。2002年サードに移籍し、2003年は第7戦にてGT500初優勝を飾った。2004年に再び土屋エンジニアリングに復帰し、2005年には開幕戦で優勝を飾った。2006年は、土屋エンジニアリングを立ち上げた土屋春雄の息子である土屋武士とコンビを組んだ。
2008年より、再びRACING PROJECT BANDOHからGT300クラスに参戦し、2009年に12年ぶりのシリーズチャンピオンに輝いた。 2011年にJLOCに移籍し、ほぼ毎シーズン優勝を含む表彰台を獲得し安定した速さを見せた。しかしタイトル争いに絡むことはできず、2018年3月、所属していたJLOCから離脱したことを自らのFacebookで明らかにした[2]。同月19日、GT500クラスに「LEXUS TEAM WedsSport BANDOH」として参戦するRACING PROJECT BANDOHのエグゼクティブアドバイザーに就任することが発表された[3]。また横浜タイヤを知り尽くしていることを買われ、同年第5戦富士500マイルにてaprの第3ドライバーとしてトヨタ・プリウスをドライブした。
スーパー耐久
JGTCにデビューした1996年からN1耐久(現 スーパー耐久)にも参戦し、2005年にはSTクラス1のシリーズチャンピオンに輝いている(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ・911GT3)。
その他
2004年にはル・マン24時間レースにチョロQレーシングよりポルシェ・911で黒澤治樹・西沢和之と参戦、総合12位/GTクラス2位に入った。2005年からはD1グランプリにも参戦。2013年2月には、横浜市都筑区にプロ用ドライビングシミュレーターを備えたレーシングドライバー向けトレーニング施設として「130R YOKOHAMA」をオープンした。また富士スピードウェイなどでレーシングドライバー向けのトレーニングを開催している。
近年はラリーにも散発的に挑戦している。
86BRZ ワンメークレースにもTOMMY‘SRACING with クローズエクスプロード{代表竹村知巳・松嶋衣里}とのコラボチームにて初年度から参戦し未経験者ばかりのレーシングチームにもかかわらず、優勝を果たすなど周囲を驚かせる結果を幾度となく起こす。
さらに男性音楽グループONE☆DRAFT(徳間ジャパン)とのコラボを実現し『ONE WAY』をチーム応援オフィシャルソングとして迎え来季も各レースに参戦予定。
<2013年Gazoo Racing86/BRZ Race結果>
第1戦 富士スピードウェイ 12位
第2戦 スポーツランド菅生 10位
第3戦 鈴鹿サーキット 16位
第4戦 岡山国際サーキット 21位
第5戦 十勝スピードウェイ -
第6戦 オートポリス 3位
第7戦 ツインリンクもてぎ 優勝
※年間シリーズ成績 5位
※公式応援ソング:ONE☆DRAFT・・・「ONE WAY」 11月13日発売「ダイヤモンド~世界で一番固いイシ~」C/W
参戦を振り返っても初年度最終戦の茂木サーキットにおいて1人で車両整備をシーズン通して行なってきたBTS代表でメカチーフであった小林秀隆との涙の抱擁は忘れられないシーンである。
https://www-atpress-ne-jp.cdn.ampproject.org/ii/w1200/s/www.atpress.ne.jp/releases/40543/b_1.jpg
レース戦歴
- 1992年 - 富士フレッシュマンレース NA1600クラスシリーズチャンピオン
- 1993年 - フレッシュマントロフィーレースinSUZUKA N2-1600クラス(第3戦より、3回優勝、シリーズ3位)
- 1995年 - スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン
- 1996年
- スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン
- 全日本GT選手権・GT500クラス(Rd.4)(TEAM-JUN/JUNートラスト スカイライン)/ GT300クラス(Rd.5,6)(TEAM TAISAN Jr./つちやMR2)
- N1耐久選手権 クラス2
- 1997年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(RS-Rレーシングwith BANDOH/RS☆Rシルビア)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 1998年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(Rd.4〜7)(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(ランキング2位)
- 1999年
- 全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ3位・1勝)
- NASCARウィンストンカップウェストシリーズ(スポット参戦)
- 2000年
- 2001年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(土屋エンジニアリング/FK/マッシモADVAN スープラ)(シリーズ19位)
- マカオ・ギアレース(TEAM DD #10 トヨタ・アルテッツア、2位)
- 2002年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ14位)
- スーパー耐久 グループNプラス(TEAM DD #25 ADVAN ALTEZZA)
- 2003年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ6位・1勝)
- スーパー耐久 クラス1(ポルシェGT3)
- 2004年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ12位)
- ル・マン24時間レース GTクラス(チョロQレーシング #77 ポルシェ911GT3 RSR、総合12位・クラス2位)
- 2005年
- 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ19位)
- 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN SC430)(シリーズ17位)
- 2008年
- SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ・ウェッズスポーツIS350)(シリーズ12位・1勝)
- D1グランプリ(IS350)
- 2009年
- SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズチャンピオン・1勝)
- D1グランプリ(BANDOH with NATS/アリスト)(シリーズ15位)
- 2010年
- SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズ8位)
- D1グランプリ(RIRE, M7 YOKOHAMA NATS With MAX/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ8位)
- 2011年
- SUPER GT・GT300クラス(JLOC/リール ランボルギーニガヤルドRG-3)(シリーズ11位)
- D1グランプリ(MAX ORIDO D1 Project/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ13位)
全日本GT選手権/SUPER GT
ル・マン24時間レース
チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | チョロQレーシング | 黒澤治樹 西澤和之 |
ポルシェ・911 GT3RS | GT | 322 | 12位 | 2位 |
D1グランプリ
D1グランプリでは、2001年~2004年までは、土屋圭市・鈴木学と並んで審査員として活躍していたが、2005年初頭に開かれた「東京オートサロン2005」のD1表彰式にて「今年から選手としてD1の舞台に参加する」と発言し、この年から参戦を開始した。
ベース車両は、トヨタ・スープラ(JZA80)だが、このクルマの元々の姿は水没車であり、解体屋行き寸前のところで彼が拾い上げベース車両として再利用した。そこから土屋エンジニアリングでロールバーを入れ、オートプロデュースBOSSで手がけられたエンジンを積んでいる。
アメリカ・カリフォルニア州アーヴィンデール・スピードウェイで行われた開幕戦は本来乗るはずのマシンがまだ完成しておらず、暫定的なマシンであったため単走1回戦敗退だったが、シーズン通して単走進出率100%と安定感を見せた。
東京・お台場特設ステージで行われた第2戦では、2003年のシリーズチャンピオンであり、2004年第5戦から連続決勝戦進出記録を更新し続けるアペックスワークスのマツダ・RX-7(FD3S)を駆る今村陽一を序盤のベスト16で下す波乱を起こし注目を集めたが、続くAE86に乗る植尾勝浩との対戦においてデフブローでリタイヤしてしまった。
宮城県・スポーツランドSUGO本コースで行われた第3戦では、予選・1回戦を突破したが、続くベスト16でRE雨宮ワークスのRX-7(FD3S)を操る末永正雄と対戦したときに、2本目でスピンを喫し敗退した。
第4戦の大分県・オートポリスを欠場した後に迎えた第5戦エビスでは、HKSのボアアップキットで3,400cc化した2JZ-GTEと、ボアアップ化による低速域でのレスポンス低下を防ぐためにホリンジャー製のシーケンシャルミッションを新たに搭載すると、土曜日の予選を乗り慣れていない中で何とか通過し、日曜日の本選で1回戦を100点で通過した。その勢いのまま追走でも活躍を続けた。
まずベスト16で、2004年のシリーズチャンピオンであり、ORCワークスの日産・フェアレディZ(Z33)を駆る三木竜二を下すと、「レーシングドライバー対決」となったベスト8でHKSワークスのトヨタ・アルテッツァ(SXE10)に乗る谷口信輝と対戦し、彼の大きなミスにより自身初のベスト4進出を決めた。ベスト4ではBee☆Rの日産・スカイライン(BNR32・車両名B324R:R32GT-RにR34の顔をスワップし、アテーサE-TSをキャンセルしたうえでフロントのドライブシャフトを撤去した完全FR仕様)に乗る手塚強と当たる。1本目は6:4となったが、2本目で接触した事が原因で手塚がテールを激しくウォールにヒットするクラッシュを負った。織戸の反則負けかと思われたが、彼がオーバーテイクを決めており、決勝戦進出で自身の持つ最高位記録を塗り替えた。その決勝戦では、今シーズン既に3勝を挙げ、土屋圭市の個人事務所「圭オフィス」に所属する、日産・シルビア(S15)を操る風間靖幸との顔合わせとなった。両者とも全開で繋げようとしたが、後から振り出した織戸の方がウォールに右リアを激しくヒットし、コントロール不能となったスープラは審査席前のスポンジバリアを突き破り土手にクラッシュし、オイルクーラーがパンクしてしまった。それでもルーキーながら準優勝を勝ち取った。ちなみに決勝戦に入る前、準決勝でのクラッシュが元で既にパワステが故障しており、普通であれば決勝をリタイアするようなダメージを受けていたが、それでも出走を続けた。
第6戦の静岡県・富士スピードウェイでは自身初のシード権を獲得して乗り込んだが、「走りが地味」という厳しい評価を受けて1回戦落ちを喫してしまった。既に最終戦は不出場が確定してしまっているため、ここで彼のルーキーイヤーは幕を閉じた。また、D1で乗っていたスープラもマシントラブルが多発し、最後は第6戦後に移送中、大型トラックに追突されてしまい廃車となってしまった。
2006年5月にモータースポーツコムのイベントでカラーリング・スペックがほぼ同じ2号機を復活させたが、D1には参戦していない。一部では審査基準の問題点を谷口信輝と共に、苦言を呈したのを事務局側(特に土屋と稲田)が快く思わなかった事が直接の原因であるとも言われている。[要出典](ただし2005年に本人の口から「GTやNASCARで頑張りたい。」という発言が出ていることや、2006年以降も谷口と異なりビデオオプションに出ていることから、真相は定かではない)。また一説には、単に2005年のD1のスープラの改造と故障・クラッシュで予算が足りなくなっただけとも言われている。[要出典]
2008年3月頃から復活の噂が囁かれ始め、第1戦エビス南のブリーフィングに谷口信輝と共に参加し、参戦を表明する。チームはSUPER GTと同じRACING PROJECT BANDOHからの参戦。マシンもGTと同じレクサス・IS350をベースとした車両で挑んだ。この年は第5戦のオートポリスにスポット参戦のみとなった。その第5戦では出来上がったばかりのマシンのためマシントラブルが発生し、修復は難しくリタイアという結果となった。
2009年は、GTでのドリフトデモランやDtoDなどで使用していたアリストをD1のレギュレーションに合わせ参戦した。
2010年には、マシンを再びスープラに戻し参戦を続けている。
2011年もスープラで参戦。第3戦オートポリス[4]ではD1初優勝を飾った[5]
2012年はスープラからトヨタ・86に変えて参戦。エンジンをノーマルのFA20からレクサス・IS Fに搭載されている2UR-GSEをチューニングしたものに換装されている。開幕戦こそ完成したばかりの状態ということもありエンジントラブルが出たものの、徐々にマシンの熟成が進みコンスタントにポイントを獲得した。
2013年はマシンはそのままであるが、エンジンをシボレー・コルベット用のV8エンジンへと変更した事で更なるパワーアップを行っており、第4戦では2位となった。
2015年10月15日、自身のブログにてD1グランプリ引退を表明。最終戦では86がエンジンブローで走れなくなりリタイアしたものの、翌日開催されたワールドチャンピオンズのフィナーレとして、86に代わり持ち込まれたRS★Rスープラ(2005年度に使用していたマシン)で「メモリアル追走」を披露した。
逸話
- 初めてマレーシアのセパンサーキットでのレースに出場する際に、「暑さ対策に岩塩をなめておくと良い」と聞いた織戸は、当時は岩塩というものが何か分からなかったため、レース前に茶碗一杯分の塩を採ってしまった。全身にピリピリとした感覚を覚えた後、猛暑のはずなのに強烈な寒さに襲われたという。その後、ヘリコプターでクアラルンプールの病院に搬送され、一時は死亡確率4割という危険な状態に陥った。
- 漫画『頭文字D』の大ファンでもあり、「頭文字D Battle stage」では雑談会で土屋圭市、今村陽一と共に出演している。
- 雑誌Optionの企画にて、飯田章と「水戸納豆レーシング」というAE86のチームを結成し、公道やサーキットを暴走していた事がある。本人曰く、一番嫌な企画だったとの事。
- 愛車の一つであるA80型スープラを購入したきっかけは、企画にてパワーハウスアミューズがチューニングしたスープラを乗った際にあまりの出来の良さに感激したためである[6]。
- 株式会社元気制作のレースゲームにライバルキャラクターとして度々出演している。「首都高バトル01」や「レーシングバトル -C1 GRAND PRIX-」において、実際の織戸の愛車である「RIDOX SUPRA」と共に登場する。
- 同じく元気制作のレースゲーム「街道バトルシリーズ」には織戸本人は登場しないものの、愛車である「RIDOX SUPRA」は収録されている。
- 2001年のマカオ・ギアレースではチェッカーを受けた後、リスボアコーナーで谷口信輝と共に二台のトヨタ・アルテッツァで華麗なドーナッツターンを披露して、マカオの観客を沸かせた[7]。
脚注
- ^ http://ameblo.jp/blogorido/entry-10955835537.html
- ^ 織戸&細川がJLOCから離脱。今年のスーパーGTは著名ドライバーが続々不在に - AUTOSPORT WEB(2018年3月5日付)
- ^ LEXUS TEAM WedsSport BANDOHが織戸学をエグゼクティブアドバイザーに起用 - AUTOSPORT WEB(2018年3月19日)
- ^ 東日本大震災の影響で第1戦、第2戦のお台場が延期となったためオートポリスでの第3戦が実質上の開幕戦となる
- ^ ただし追走1回戦の途中、悪天候により追走は打ち切り。単走での順位を総合順位として採用されたためハーフポイントとなった。
- ^ “追悼 Amuse 田名邊秀樹 あれから10年【Best MOTORing】2008 - YouTube”. www.youtube.com. 2020年11月23日閲覧。
- ^ 谷口信輝 ドライバーズコラム 第11回 プロのレーシングドライバー
関連項目
- モータースポーツ
- 日本人ドライバー一覧
- SUPER GT
- 飯田章
- 土屋圭市
- 谷口信輝
- 脇阪寿一
- ドミニク・シュワガ―
- クラッシュ