「内村直子」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
34行目: | 34行目: | ||
入社以後、音楽ワイド番組のアシスタントを担当。担当番組の中で、現在の夫である番組の構成作家と出会った事をキッカケに、1988年にニッポン放送を退職し、フリーアナウンサーに転じる<ref name = "Profile" />。1991年3月に結婚と同じタイミングでパーソナリティを務めたNACK5の番組パーソナリティを降板し、専業主婦に転じた<ref name = "Profile" />。 |
入社以後、音楽ワイド番組のアシスタントを担当。担当番組の中で、現在の夫である番組の構成作家と出会った事をキッカケに、1988年にニッポン放送を退職し、フリーアナウンサーに転じる<ref name = "Profile" />。1991年3月に結婚と同じタイミングでパーソナリティを務めたNACK5の番組パーソナリティを降板し、専業主婦に転じた<ref name = "Profile" />。 |
||
しかし、その後に生誕した第一子である長女が生後7ヶ月の時に障害を持った事をキッカケに、療育センターに通う日々の中で同じ親御さんとコミュニケーションを取った結果、2000年に同じ境遇の親御さんとミュージカル活動を行う「WAKU2キッズミュージカル」立ち上げを経験し<ref name="JAPAN_EDUCATIONAL_PRESS">{{Cite news|title = ミュージカルで仲間と出会う|date = 2008-8-4 |url = https://www.kyoiku-press.com/post-127089/ |publisher = 日本教育新聞 |accessdate = 2021-4-30}}</ref>、それを機に大学院進学を目論み、2002年4月、[[横浜国立大学#大学院|横浜国立大学大学院]]修士課程教育学研究科障害児教育専攻に進学し、2004年3月、同大学院修士課程前期修了。 |
しかし、その後に生誕した第一子である長女が生後7ヶ月の時に障害を持った事をキッカケに、療育センターに通う日々の中で同じ親御さんとコミュニケーションを取った結果、2000年に同じ境遇の親御さんと[[ミュージカル]]活動を行うグループである「WAKU2キッズミュージカル」立ち上げを経験し<ref name="JAPAN_EDUCATIONAL_PRESS">{{Cite news|title = ミュージカルで仲間と出会う|date = 2008-8-4 |url = https://www.kyoiku-press.com/post-127089/ |publisher = 日本教育新聞 |accessdate = 2021-4-30}}</ref>、それを機に大学院進学を目論み、2002年4月、[[横浜国立大学#大学院|横浜国立大学大学院]]修士課程教育学研究科障害児教育専攻に進学し、2004年3月、同大学院修士課程前期修了。 |
||
同年4月、母校である日本女子大学人間社会研究科博士課程社会福祉学専攻に進学し、2006年3月、同大博士後期課程修了、2010年3月、同大満期退学後、同年4月、同大非常勤講師に就任。 |
同年4月、母校である日本女子大学人間社会研究科博士課程社会福祉学専攻に進学し、2006年3月、同大博士後期課程修了、2010年3月、同大満期退学後、同年4月、同大非常勤講師に就任。 |
2021年8月4日 (水) 06:00時点における版
うちむら なおこ 内村 直子 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 | 下尾 直子 |
出身地 | 日本 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1962年??月??日 |
血液型 | A型 |
最終学歴 |
日本女子大学人間社会学部社会福祉学科 横浜国立大学大学院修士課程教育学研究科障害児教育専攻 |
職歴 | ニッポン放送(1985年 - 1988年9月) |
活動期間 | 1985年 - 1991年3月 |
ジャンル |
音楽番組 バラエティ番組 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
いまに哲夫の歌謡パレードニッポン ふらわぁパーティー |
内村 直子(うちむら なおこ、1962年 - )は、洗足こども短期大学幼児教育保育科准教授、元フリーアナウンサー、ニッポン放送アナウンサー。現姓:下尾
来歴
1985年3月、日本女子大学人間社会学部社会福祉学科卒業後の同年4月、ニッポン放送に入社[1]。入社同期は、現:CP局報道スポーツコンテンツセンタースポーツ部契約アナウンサーの松本秀夫、元アナウンサーの西田麻里、元制作部ディレクターで編成局長、専務で現・同局代表取締役社長の檜原麻希。
入社以後、音楽ワイド番組のアシスタントを担当。担当番組の中で、現在の夫である番組の構成作家と出会った事をキッカケに、1988年にニッポン放送を退職し、フリーアナウンサーに転じる[1]。1991年3月に結婚と同じタイミングでパーソナリティを務めたNACK5の番組パーソナリティを降板し、専業主婦に転じた[1]。
しかし、その後に生誕した第一子である長女が生後7ヶ月の時に障害を持った事をキッカケに、療育センターに通う日々の中で同じ親御さんとコミュニケーションを取った結果、2000年に同じ境遇の親御さんとミュージカル活動を行うグループである「WAKU2キッズミュージカル」立ち上げを経験し[2]、それを機に大学院進学を目論み、2002年4月、横浜国立大学大学院修士課程教育学研究科障害児教育専攻に進学し、2004年3月、同大学院修士課程前期修了。
同年4月、母校である日本女子大学人間社会研究科博士課程社会福祉学専攻に進学し、2006年3月、同大博士後期課程修了、2010年3月、同大満期退学後、同年4月、同大非常勤講師に就任。
2011年4月から、洗足こども短期大学勤務となり、同大幼児教育保育科准教授に就任。
出演番組
過去
ニッポン放送時代
- いまに哲夫の歌謡パレードニッポン(アシスタント)
フリー以後
- 内村直子のふらわぁパーティー(NACK5)※パーソナリティ - 1988年11月1日 - 1991年3月28日
著書
単著
- 『知的障害のある子を育てた母の障害観ーICF による質的分析から』生活書院、2018年4月24日。ISBN 978-4-865000795。
共著
- 『実習生の日誌事例から考察する社会的養護II』大学図書出版、2020年4月1日。ISBN 978-4-909655387。
脚注
- ^ a b c “2017年3月25日発行 みどり会ニュース第134号 - 日本女子大学”. 日本女子大学 (2017年3月25日). 2021年4月1日閲覧。
- ^ “ミュージカルで仲間と出会う”. 日本教育新聞. (2008年8月4日) 2021年4月30日閲覧。