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*原作: [[辺見じゅん]]『決定版 男たちの大和』(角川春樹事務所ハルキ文庫) |
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*宣伝: 柳迫成彦 、西野亜紀子、高橋由香、速水雅也 |
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2021年8月24日 (火) 10:58時点における版
男たちの大和/YAMATO | |
---|---|
監督 | 佐藤純彌 |
脚本 | 佐藤純彌 |
原作 | 辺見じゅん |
製作 | 角川春樹 |
製作総指揮 |
高岩淡 広瀬道貞 |
ナレーター | 渡辺宜嗣 |
出演者 |
反町隆史 中村獅童 松山ケンイチ 鈴木京香 奥田瑛二 林隆三 渡哲也 仲代達矢 |
音楽 | 久石譲 |
主題歌 | 長渕剛 |
撮影 | 阪本善尚 |
編集 | 米田武朗 |
制作会社 | 東映京都撮影所 |
製作会社 | 『男たちの大和/YAMATO』製作委員会 |
配給 | 東映 |
公開 | 2005年12月17日 |
上映時間 | 145分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 約25億円 |
興行収入 | 50.9億円[1] |
『男たちの大和/YAMATO』(おとこたちのやまと)は、東映配給の日本の戦争映画である。 辺見じゅん著『決定版 男たちの大和』を原作に、終戦60周年を記念して制作された。
菊水作戦における戦艦大和の乗組員の生き方を描いた作品である。2005年12月17日に東映邦画系で全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となった。制作費は約25億円(公称)。長渕剛が主題歌を歌った。
あらすじ
2005年 4月上旬大和沈没の日直前に、鹿児島の枕崎漁港の漁協に1人の女性が訪れた。その女性・内田真貴子は、大和が沈没した地点へ連れて行って欲しいと頼み回るが、漁協組合員の漁師達は組合長を含め相手にしてくれない。
漁協の漁師の中に、水上特攻時に大和の乗組員として乗艦していた神尾克己がいた。一度は真貴子の頼みを断るが、彼女が上官であった内田二曹の娘(養女)であることを聞かされる。真貴子は、内田が去年末に亡くなり、遺言の「大和沈没地点に散骨して、戦死した戦友達と一緒にして欲しい」という願いを実現するため、枕崎に来たのである。その瞬間、60年間ひっそりと暮らしていた神尾に若き頃の思い出が浮かび上がってきた。内田が激戦の中で戦死せず生き残っていたことに驚きつつ、戦時中の大恩人である彼のために出港を決意し、真貴子の頼みを聞き入れた神尾は、唯一の乗組員・前園敦(神尾の部下で15歳の少年であるが、船舶操縦免許を取得して操縦も行う)と共に彼女を乗せ、大和の沈没地点へ出航する。そして、ずっと閉ざしていた口を開き、あまり語らなかった内田の話を、真貴子に語り始める。
船は明日香丸という小さな漁船であった。神尾は、戦時中に恋人であった野崎妙子を広島への原爆投下で亡くしたため、戦後も結婚せずに子や孫もいなかったが、漁業組合長の孫の敦を雇って、孫代わりにしていた。
戦時中の回想として、戦艦大和が同型艦(大和型)で僚艦の戦艦武蔵らとともに、フィリピンのレイテ島付近のレイテ沖海戦に参戦したが、戦果は芳しくなく、武蔵など多数の艦艇を撃沈されるという、最悪の展開から開始される。その後は軍令部及び連合艦隊司令部から、「護衛機無しで特攻を行え」という無謀な命令が出て、大和は沖縄での特攻戦に向かう途中でアメリカ軍に撃沈される。
大和沈没後、神尾は大和の乗組員だった西哲也の母のサヨを訪問し、「哲也が戦死したが、立派な最期だった」と賞賛したが、サヨは神尾だけ生き残ったことを咎めたり、哲也の死を受け入れられなかったりした。サヨは哲也の送金で田んぼが買えたと神尾に紹介し、神尾は西へのせめてもの手向けとして田植えや雑草取りなどを手伝い、サヨは謝礼として握り飯を神尾にくれたが、神尾はそれをその場に置き、自分だけ生き残ってしまったことをサヨに土下座して謝罪する。サヨも泣き崩れて土下座し、追及したことは悪かったと謝罪して、死んだらいけないと神尾を諭した。
そして、広島への原爆投下があり、終戦を迎える。
スタッフ
- 監督・脚本: 佐藤純彌
- 製作者: 角川春樹
- プロデューサー: 厨子稔雄、小柳憲子、村上典吏子
- 製作総指揮: 高岩淡、広瀬道貞
- 企画: 坂上順、早河洋
- 監修: 瀬島龍三、岩下邦雄
- 史料考証: 原勝洋、戸高一成
- 原作: 辺見じゅん『決定版 男たちの大和』(角川春樹事務所ハルキ文庫)
- 参考文献: 吉田満『戦艦大和ノ最期』
- セカンドユニット監督: 原田徹
- 撮影監督: 阪本善尚
- セカンドユニット撮影監督: 江原祥二
- 水中撮影: さのてつろう
- 特撮監督: 佛田洋
- 美術: 松宮敏之、近藤成之
- 編集: 米田武朗
- 照明: 大久保武志
- セカンドユニット照明: 沢田敏夫
- 整音: 瀬川徹夫
- 録音: 松陰信彦
- セカンドユニット録音: 西田正広
- 助監督: 山下耕一郎
- セカンドユニット助監督: 佐和田恵
- 音響効果: 柴崎憲治
- 音楽: 久石譲
- 演奏: 東京フィルハーモニー交響楽団
- 主題歌: 長渕剛 「CLOSE YOUR EYES」「YAMATO」
- サポートソング: 般若「オレ達の大和」
- 音楽総合プロデューサー: 角川春樹
- VFXスーパーバイザー: 進威志
- CGスーパーバイザー: 野口光一
- テクニカルコーディネーター: 根岸誠
- 特撮: 特撮研究所
- (協力: 東映テレビプロダクション、ドリーム・プラネット・ジャパン)
- 大和ミニチュア造型: マーブリングファインアーツ
- グラマン造型: ヒルマモデルクラフト
- 造型メカニカルエフェクト: アップ・アート
- VFX・CG: 東映アニメーション NTTメディアラボ ポリゴン・ピクチュアズ フレームワークス・エンターテインメント マリンポスト Motor/lieZ スタジオDU ファブグラフィックス 日本映像クリエイティブ 東映ラボ・テック
- 機銃発砲: BIGSHOT
- 操演・特効: スプリームエフェクト
- 擬斗: 清家三彦 中村健人
- キャスティング: 福岡康裕
- 製作担当: 清水圭太郎
- 製作管理統括: 奈村協
- 宣伝統括: 遠藤茂行
- 宣伝プロデューサー: 野村俊哉、多田容子
- 宣伝: 柳迫成彦 、西野亜紀子、高橋由香、速水雅也
- 製作プロダクション: 東映京都撮影所
- 製作: 『男たちの大和/YAMATO』製作委員会(東映、角川春樹事務所、テレビ朝日、東映ビデオ、朝日放送、名古屋テレビ、広島ホームテレビ、九州朝日放送、北海道テレビ、長崎文化放送、鹿児島放送、朝日新聞社、中国新聞社、北日本新聞社、東映アニメーション、エフエム東京、東映エージエンシー、東京都ASA連合会、ゲオ、幻戯書房、サンブック社)
キャスト
(括弧内は役名)
大戦中
- 反町隆史(森脇庄八[注釈 1][注釈 2]海軍二等主計兵曹)
- 中村獅童(内田守[注釈 3]海軍二等兵曹):晩年の遺言ナレーション)
- 松山ケンイチ(海軍特別年少兵・神尾克己)
- 渡辺大(海軍特別年少兵・伊達俊夫)
- 内野謙太(海軍特別年少兵・西哲也)
- 崎本大海(海軍特別年少兵・常田澄夫[注釈 4])
- 橋爪遼(海軍特別年少兵・児島義晴)
- 山田純大(唐木正雄[注釈 5]海軍二等兵曹)
- 高知東生(川添海軍二等兵曹)
- 平山広行(玉木水兵長)
- 森宮隆(第二十一分隊医務科・大森班長)
- 金児憲史(町村海軍一等兵曹)
- 長嶋一茂(臼淵磐海軍大尉)
- 蒼井優(神尾の同級生・野崎妙子)
- みれいゆ(唐木の妻・伸江)
- 高畑淳子(常田の実母・玉木ツネ)
- 余貴美子(西の母親・サヨ)
- 勝野洋(大和第5代艦長・第二艦隊参謀長・森下信衛海軍少将)
- 野崎海太郎(戦艦大和副長・能村次郎海軍大佐)
- 高岡建治(大和航海長・茂木史朗海軍中佐)
- 春田純一(第二十一駆逐隊司令・小滝久雄海軍大佐)
- 本田博太郎(第二水雷戦隊司令官・古村啓蔵海軍少将)
- 寺島しのぶ(呉の芸者・文子)
- 白石加代子(神尾の母親・スエ)
- 奥田瑛二(大和第6代艦長・有賀幸作海軍大佐)
- 林隆三(連合艦隊参謀長・草鹿龍之介海軍中将)
- 渡哲也(第二艦隊司令長官・伊藤整一海軍中将)※最後の映画の出演
現代
ナレーター
製作
企画
企画は東映のプロデューサー・坂上順[2]。角川春樹の姉・辺見じゅんの小説を原作に東映で映画化の話が持ち上がっていたとき、角川は収監中であった[3] 。出所した角川が、保釈のための嘆願書の発起人である岡田裕介東映社長にお礼を言いに行った際、その場で岡田から正式にプロデューサー就任の要請があり、復帰第一作として引き受けた[3]。
これまでの戦記もの映画は、司令官、指導者が主役を張るケースが多かったため、プロデューサーの坂上は「艦底から見た大和を描きたい」と下から支える側としていたって地味な烹炊員(調理担当の兵士)として反町隆史を主役として登場させた[2]。佐藤監督も「兵士一人一人を見つめる」映画にしたいと考えていた[2]。
脚本
クレジットは佐藤純彌であるが、実際の脚本は野上龍雄と井上淳一の共作[4][5]。野上が高齢ということもあり、荒井晴彦から紹介された井上が呉や江田島へシナハンに行った[4]。井上は「低い者の目線、少年兵からの目線で行く」というプロットは、脚本を執筆するにあたっての野上さんの最初の考えだった」と述べている[4]。本来は野上の遺作となるところだったが、製作者側に何の連絡もなしに脚本を改訂されたため、野上が腹を立て、経済的損失を承知の上でタイトルから名前を外せと要求した[4]。野上は『シナリオ』2006年1月号に激しい抗議文を寄せ[4][5]、この事件の解決には時間がかかり、最終的に野上の主張が通り、クレジットから野上の名前は外すが、脚本料と二次使用料の一部は「脚本協力費」の名目で野上に支払うという形で解決している[4]。
実写映像
太平洋戦争当時の実写映像が随所に挿入される。これは、当初の構想ではエンドロール後に般若による楽曲をBGMにした数分間の実写映像集を上映されることになっていたが、実写映像集の上映が全国ロードショー直前になって急きょ取りやめになってしまったことによるものである(一部劇場や、ロードショー前の試写会会場などでは、この実写映像集をカットせずに上映したところもあった)。この映像集の最後には、特攻機が敵艦にぶつかって爆発した瞬間を収めたカラー写真をバックに「彼らが命を賭けて守ろうとした日本の未来に、私たちは生きている。」という字幕が映されている。
作品への評価
- 一見、旧日本海軍を賛美する映画と見られがちであり、実際に公開の前後には東映の広報スタッフが抗議の声への対応に忙殺される時期もあったが、『週刊金曜日』(2006年1月6日号)の「対談 佐藤純彌×森達也」では、本作に反戦の意図があることを語っている。
- 角川は「これまで作った映画の中で一番思い入れのある作品」と話している[3](角川は、戦艦大和のオープンセット制作費に一部私財を投じている)。
撮影に協力した海上自衛隊艦艇
- DDH-142 護衛艦「ひえい」(海上自衛隊の「はるな型護衛艦」の2番艦)
- 機関室を大和の機関室として撮影。また本艦の航跡を撮影したものをCG合成し、大和の航跡が映るシーンで使用した。本艦の内火艇も作品中で使用されている。
- MST-464 掃海母艦「ぶんご」(海上自衛隊の「うらが型掃海母艦」の2番艦)
- 劇中、大和の艦舷として、大和に着任したばかりの海軍特別年少兵たちが、タラップを甲板へ上がるシーンで、本艦を撮影に使用。本艦左舷のタラップを降ろし、合成処理の都合から、艦左舷に青いシートを張って撮影された。
戦艦大和オープンセット
広島県尾道市向島町の日立造船向島西工場跡地に総工費約6億円をかけ、大和の全長263メートルのうち艦首から艦橋付近までの190メートルが原寸大で再現された[6][7]。ドック横の資材置き場に、建築現場の足場を組んで基礎として必要な高さを確保し、その上に合板などを使用してロケセットが作られた。主砲の砲身は樹脂製。第一主砲塔の砲身や艦橋上部は省略されている。艦橋は高層建造物となるので、建築基準法の許可が下りなかった。また、第一主砲については、設置場所の関係で主砲の土台を設置するスペースが無く、外観のみの簡略化された形になった。それらの不足部分は、大和ミュージアム(後述)に展示されている1/10模型を合成して撮影された。2005年3月に完成し、撮影は同年6月まで行われた。撮影終了後にロケセットの公開(観光)を目的として、第一主砲から艦首まで増設した。撮影を目的としていないので、造設された部分は簡略化されていた。
5月にロケ現場で記者発表が行われた際、亀田良一尾道市長(以下、役職はすべて当時)と佐藤忠男尾道商工会議所会頭から岡田茂東映相談役に「ロケセットを観光に使わせて頂きたい」という申し出が快諾され[8][9]、同年7月17日からロケセットが一般公開された(入場料大人500円、子供300円)[10]。セットの公開以外にスタッフの食堂として使用していた圭ちゃん食堂(そのまま食堂として営業)や小道具、パネル展示、大和オープンセットを使用した場面の映画のメイキングシーンの放映なども同時に行われた。
当初はセットの寿命を考えて2006年3月31日に公開を終了する予定だったが、予想を大幅に上回る入場者数だったため、細かな修復を重ねながら同年5月7日のゴールデンウィーク期間まで公開期間を延長して最終日には100万人を突破し、休業日を除く253日間に100万2343人もの入場者が訪れた。3億円以上の入場収入に加え、そのほかの経済効果は25億円程度とされた[11]。
公開終了後の5月10日より解体が開始された。さらに公開の延長を望む声も多く、公開最終日にはセットを見学するまで3時間もの待ち時間が発生した。しかしながら、オープンセットの設置現場は休止中の造船所であり、この造船所の再稼動が迫っていたため、閉鎖に至った。
解体後、東映は主砲身や機銃、小道具など、セットの一部分計64点を、映画公開と同年に呉市にてオープンした大和ミュージアムへ寄贈し、1/10の大和の模型が人気を呼んで映画との相乗効果もあって161万人が入場した[2]。地方の施設であるにもかかわらず、2005年度の美術館・博物館入場者の全国1位となった[2]。大和ミュージアムの別館(立体駐車場の2階店舗スペース)には副砲塔などが展示されていたが、その後に大部分が撤去され[注釈 6]、1/35の大和の模型(細部が不正確なモデル)とシールド無し25mm三連装機銃1基のみが残されているだけである。
尾道が撮影地に選定されたのは、日立造船があったこと、交通の便の良さに加え、尾道市民の映画に対する理解の深さなどの理由からで、製作的な優位性は他都市を圧倒した[12]。結果的には尾道に大変な経済効果をもたらし、全国のフィルム・コミッションの憧憬の的になった[12]。
興行成績
- 興行収入 - 50.9億円(東映の興収ランキング2位)
- 観客動員数 - 400万人
その他・エピソード
- オープニングでの大和の正面ショットは、海上自衛隊の護衛艦を撮影した上から大和の艦首をCG処理で合成している[要出典]。
- ミニチュアの縮尺は大和が1/17.5、米軍機は1/10と縮尺が違っているが、攻撃シーンの迫力を出すための措置である[要出典]。
- ラストでの大和の沈没シーンでは、艦橋が倒れ水柱が上がる撮影に際して、水ではなく直径0.4ミリの白竜砕石という砂を圧縮空気で吹き上げることによって表現している[要出典]。
- 川添二等兵曹役を演じた高知東生は、本作品PRの為に出演したトーク番組『ライオンのごきげんよう』の中で、実際に大和に乗艦していた生存者から海軍の所作や儀礼、高角砲弾の持ち運び方の指導を受けた時の事を取り上げ、「当時を思い出されたのか、涙ぐみながら指導して頂いた事は私の役者経験の中で一番感動した事でした。」と語っている。
- 長崎大島醸造が、本映画の記念焼酎「男たちの大和/YAMATO」を販売し[13]、約11万本を売り上げた[14]。
- 『クレヨンしんちゃん』で映画のロケシーンが扱われ、反町隆史や中村獅童が登場した[注釈 7]。
-
25mm3連装機銃(シールド付)
-
船体中央部
-
2番主砲と副砲を後方より
関連書籍
- 原作
- 辺見じゅん『決定版 男たちの大和』上、下(角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2004年) 第3回新田次郎文学賞受賞
- 上 ISBN 4-7584-3124-8、下 ISBN 4-7584-3125-6
- ノベライズ
- 辺見じゅん『小説 男たちの大和』
- (角川春樹事務所、2005年) ISBN 4-7584-1058-5
- (角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2006年) ISBN 4-7584-3248-1
- その他
- 辺見じゅん『女たちの大和』(角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2005年) ISBN 4-7584-3196-5
- 佐藤純彌、聞き手:野村正昭 + 増當竜也『映画監督 佐藤純彌 映画 (シネマ) よ憤怒の河を渉れ』(DU BOOKS、2018年11月23日)ISBN 978-4866470764
関連項目
脚注
注釈
- ^ モデルは丸野正八
- ^ 作中では、森脇庄八は特攻当日に戦死したことになっているが、モデルとなった丸野正八は生還している。
- ^ モデルは内田貢
- ^ モデルは安原武
- ^ モデルは唐木正秋
- ^ 特撮シーンの撮影に使用された1/35の大和の模型は、この大和ミュージアムに展示されている1/10大和を参考にして、1/10大和を製作した企業と同映画の特撮スタッフらとの共同で作られている。
- ^ クレヨンしんちゃん2005年12月16日放送「男たちの大和だゾ」
出典
- ^ “2006年(平成18年)興収10億円以上番組” (PDF). 一般社団法人 日本映画製作者連盟. 2012年6月29日閲覧。
- ^ a b c d e 牧村健一郎「映画の旅人 『男たちの大和/YAMATO』(2005年)」、朝日新聞「Be on Saturday」、2013年9月7日、e1–2。
- ^ a b c 伊藤徳裕 (2008年5月26日). “話の肖像画 生涯不良続行中1 映画プロデューサー角川春樹さん”. 産経新聞 (産経新聞社): p. 9. オリジナルの2008年5月28日時点におけるアーカイブ。 2017年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f “野上龍雄、追悼 『野上さんのこと』 文・織田明(松竹プロデューサー)/野上龍雄、追悼 『野上さんのこと』 文・角谷優/野上龍雄、追悼 『エンターテインメントとは一番低い者の目線で物語を見ていくことなんだと野上さんが教えてくれた』 文・井上淳一”. 「映画芸術」2013年秋 第445号 発行:編集プロダクション映芸 88–94頁。
- ^ a b 映画よ憤怒の河を渉れ 2018, pp. 407–410.
- ^ 『宇宙船YEAR BOOK 2006』朝日ソノラマ〈ソノラマMOOK〉、2006年4月20日、71頁。ISBN 4-257-13086-5。
- ^ 戦艦大和ロケセットの入場者数50万人突破 - 日本商工会議所
- ^ 「対談:岡田茂×巻幡展男 一中の想い出と映画・テレビの戦後史~」月刊経営者 2005年10月号、6-12頁
- ^ 大林監督、故郷・尾道市に異論 戦艦大和セット公開巡り - 朝日新聞
- ^ 戦艦大和実物大ロケセット公開へ - 日本商工会議所
- ^ 地域活性化に向けたフィルム・コミッション活動、日韓観光振興シンポジウム 2010 > シンポジウム1の模様 > 基調講演
- ^ a b 『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本 ジョン・ウェインも、阪東妻三郎も、… 1980-2008 a movie』角川グループパブリッシング、2008年、44-46頁。ISBN 978-4-04-621169-9。
- ^ 長崎県、長崎大島醸造より「男たちの大和」が新発売!、焼酎紀行ニュース(焼酎だより)、2006年2月1日。
- ^ 映画とコラボ、焼酎「山本五十六」発売 長崎大島醸造、長崎新聞社、2011年11月23日。
外部リンク
- 男たちの大和/YAMATO - allcinema
- 男たちの大和/YAMATO - KINENOTE
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- 尾道観光協会「おのなび」 映画『男たちの大和』原寸大ロケセット (ロケセットの公式サイト) - アーカイブサイト
- 映画「男たちの大和/YAMATO」ロケ地マップ(呉版) - 呉市ホームページ