「眞鍋淑郎」の版間の差分
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2021年10月26日 (火) 03:01時点における版
Syukuro Manabe 真鍋 淑郎 | |
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生誕 |
眞鍋 淑郎(まなべ しゅくろう) 1931年9月21日(92歳) ![]() |
居住 |
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国籍 |
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研究分野 | 地球科学 |
研究機関 |
気象局 海洋大気庁 プリンストン大学 名古屋大学 |
出身校 |
東京大学理学部卒業 東京大学大学院 理学系研究科修了 |
博士課程 指導教員 | 正野重方 |
主な業績 |
コンピュータによる気候のシミュレーションモデルを開発 地球温暖化の研究・予測の理論的基礎を確立 |
主な受賞歴 |
カール=グスタフ・ロスビー研究賞(1991年) ブループラネット賞(1992年) 朝日賞(1995年) ウィリアム・ボウイ・メダル(2010年) ベンジャミン・フランクリン・メダル(2015年) クラフォード賞(2018年) ノーベル物理学賞(2021年) |
プロジェクト:人物伝 |
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眞鍋 淑郎(まなべ しゅくろう、英語: Syukuro Manabe、1931年9月21日 - )は、アメリカ合衆国の地球科学者(気象学[1]・気候学[1])。プリンストン大学上席研究員[2][3]。国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー。米国科学アカデミー会員。2021年ノーベル物理学賞受賞。真鍋 淑郎とも表記される[注釈 1]。アメリカ合衆国における愛称はSuki(スーキー)[4]。
理学博士(東京大学、1958年)[5]。アメリカ国立気象局大循環研究部門の研究員、アメリカ海洋大気庁地球流体力学研究所の上級研究員、プリンストン大学大気海洋科学プログラムの上級研究員などを歴任した。
概要
気候モデルの研究者であり、地球科学分野でコンピュータでシミュレーションを行うための数値モデルの開発(en:Numerical modeling (geology))の先駆者の一人として知られる[6][7]。1969年には気候モデルにおいて世界で初めて大気循環と海洋循環を組み合わせた「大気海洋結合モデル」を発表した。眞鍋の開発したこのモデルをプロトタイプとしてあるいは手本として[注釈 2]、1970年代から1980年代にかけての気候研究の分野において大気大循環モデルと海洋大循環モデルが構築された。1989年には大気大循環モデルと海洋大循環モデルを統合した新しい大気・海洋結合モデル(通称「眞鍋モデル」)を開発し、この気候モデルが2021年現在に至るまで気候変動予測のベースとなっている。
地球温暖化の研究でも第一人者であり、1989年に世界初となる地球温暖化の予測をネイチャー誌に発表し、これをベースとして1990年に発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書と合わせて大きな反響を呼んだ[8]。
日本の愛媛県出身で、1958年にアメリカ合衆国に移住し、アメリカ国立気象局やアメリカ海洋大気庁で勤務したのち、プリンストン大学で研究に取り組んだ。1975年に同国の市民権(国籍)を取得した[9]。同国ニュージャージー州に在住する[3]。
1960年代に地球の気候を解析する手法を開発し、大気中の二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化に影響することを実証した業績によって、2021年にノーベル物理学賞を受賞した[10]。
来歴
生い立ちと青年期
1931年(昭和6年)、日本の愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に生まれる[11]。祖父と父は医師で[12]、村で唯一の医院を営んでいた[11]。
新宮尋常高等小学校に通った。同級生の中でも特に成績優秀で勉強好きであり、同級生が遊びに行っても眞鍋はいつも勉強していたという。気象に対する興味が当時から強く、「日本は台風が来ないと雨が少ない」などと同級生に語っていた[11]。
旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業後、旧制大学の大阪市立医科大学(現:大阪市立大学医学部医学科 )に入学した[13]。
進路選択
眞鍋の親類には医師が多く、眞鍋も医師になろうと考えていた。しかし、「カエルの解剖では誤って神経を切断した」、「化学の実験では硫化水素を混入して爆発させた」などの失敗を経験し、「緊急時に頭に血が上る性格だから医師には向かない」と考えて、他の分野で研究者になることを決めた。それが地球物理学や気象学であった[12][14]。
大学・大学院時代
1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業した。学生時代にはフォン・ノイマンらの論文を読んで影響され(詳細は後述)、東京大学大学院では「数値予報」を専攻して研究した[15]。正野重方に師事し[16]、1955年(昭和30年)に同大学院の修士課程を修了、1958年(昭和33年)に博士課程を修了した[9]。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得した[17]。
研究者として
- 渡米まで
1940年代にアメリカ合衆国(米国)で世界初の汎用コンピュータ「ENIAC」を発明したフォン・ノイマンは、コンピュータを最も有効に応用できる分野を「気象予測」であると考えた。ノイマンはコンピュータを使った気象予測(数値予報)の研究のために、プリンストン大学高等研究所に世界中から若い研究者を招聘していた[15]。
眞鍋は上述のようにノイマンらの論文に影響されて大学院で数値予報を研究しており、論文も執筆していた。眞鍋の論文がアメリカ国立気象局(現:アメリカ海洋大気庁)のジョセフ・スマゴリンスキーの目に留まり、スマゴリンスキーは眞鍋を研究所へ招請した。当時の日本では博士号を取得しても進路に恵まれておらず、眞鍋は米国へ渡ることを決めた[注釈 3][15]。1950年代の日本と米国との移動はそう簡単ではなく、思い切った行動であった[14]。なお、スマゴリンスキーはプリンストン高等研究所時代にノイマンの教えを受けた数値予報の先駆者であり、スマゴリンスキーの弟子である眞鍋は、ノイマンの孫弟子にあたる。
渡米後
1958年、アメリカ国立気象局に入り、後に主任研究員になる。当時まだ貧しかった日本とは異なり、米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった[18]。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できるなど、楽園のように充実した環境を得られた[14][15][注釈 4][18]。1962年に結婚した[9]。
1968年からプリンストン大学客員教授を兼任した。当時の米国ではコンピュータの開発が猛烈な勢いで進んでいたこともあって、1967年に発表した「1次元大気モデル」や、1969年に発表した「大気海洋結合モデル」など、コンピュータを使った先駆的な成果を次々と生み出した[19]。
1975年に米国の市民権(国籍)を取得した(理由は後述)[9][20]。
1988年には北半球で地球温暖化が先行すると発表し、[要出典]1989年には数値モデルによる地球温暖化予測の研究が科学雑誌ネイチャーに掲載され[21]、その結果は第一回気候変動に関する政府間パネル報告書を通じて注目を集めた[22]。
日本へ一時帰国
1997年には日本へ帰国し、同国の宇宙開発事業団と海洋科学技術センターによる共同プロジェクト「地球フロンティア研究システム」の地球温暖化予測研究領域の領域長に就任した。
しかし、2001年に辞任・再び渡米し、プリンストン大学研究員に転じた。当時のマスメディア報道によれば、地球シミュレータを利用しての他研究機関との共同研究が、所管元である日本の科学技術庁の官僚から難色を示されたことが辞任のきっかけとされ[23]、日本の縦割り行政が学術研究を阻害していることへの不満による「頭脳流出」であると報じられた[23][24][25]。
米国へ復帰後
2007年12月から2014年3月まで、名古屋大学の特別招へい教授を兼任した[26]。
2021年10月5日、ノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「気候の物理的モデリング、気候変動の定量化、地球温暖化の確実な予測」に関する業績で、クラウス・ハッセルマンとともに共同受賞した[27][28]。気象分野の研究者が同賞を受賞するのは眞鍋とハッセルマンの2名が初めてであった[7]。
業績
1964年、気温の鉛直構造は放射と対流で決定されるという「放射対流平衡モデル」を発表。
1967年に発表した論文で、大気中の二酸化炭素の増加によって地表の温度が上昇することを、コンピューターを使って世界で初めて数値で示した[12][注釈 5]。この研究により、人類の諸活動の影響によって地球上の平均気温が上昇しつつあることを示唆した。1960年代当時のコンピュータは性能が十分ではなく、シミュレーションを行うのが難しかったが、眞鍋の「大気モデル」では大気などの動きを単純化することで、具体的には大気を地上から上空までの1本の柱と考えるモデルを使ってシミュレーションを行うことで、当時の限られた計算能力の制約の中でも地球の大気を十分に再現できるモデルを作った[29]。後世の高性能なスパコンを使ったシミュレーションで一般的となる「3次元大気モデル」に対して、眞鍋がこの頃に発表した大気モデルは「1次元大気モデル」と呼ばれ、シミュレーションの先駆的な例とされている。
1969年に発表した「大気海洋結合モデル」では、大気と海が熱や水蒸気をやりとりする過程を世界で初めて計算に組み入れた[19]。眞鍋の理論を後追いする形で、気候変動予測の分野において、1970年代から1980年代にかけて「大気大循環モデル」と「海洋大循環モデル」が形成された[30]。
1989年には、世界で初めて「大気の流れ」と「海洋の循環」を結合した「結合気象モデル」(「眞鍋モデル」と現在では呼ばれている)を構築した。その気候モデルを使ってコンピュータによるシミュレーションを行った結果、地球の二酸化炭素濃度が上昇することで全球的に気温が上昇するという結果が導かれる(つまり世界初となる地球温暖化の予測)という論文をネイチャー誌に発表した[31]。「海洋の深部が熱を溜める性質があるため、北半球と南半球では温暖化の進行に差が生じる」ことを指摘した。
これらの研究により、地球温暖化を予測するために先駆的かつ重要な役割を果たしたことが、2021年のノーベル物理学賞の受賞理由とされる[32][33]。
受賞・評価
2015年にはベンジャミン・フランクリン・メダル(地球科学・環境科学分野)を授与された。2018年にはクラフォード賞[注釈 6]を受賞した。
2021年10月5日にはノーベル物理学賞を『複雑な物理システムの理解に対する画期的な貢献』について受賞し[10]、世界的に注目された[34][35]。
同10月5日、米国のマスメディア『ニューヨーク・タイムズ』は、「3人の科学者(眞鍋、ハッセルマン、パリージ)は、地球の気候がどのように変化しているかを理解し、その変化に対する人間の行動の影響を正確に把握し、最終的に地球温暖化の影響を予測するために不可欠な研究を行った。」「彼らの研究の重要さは、ますます緊急性を増している。」などと報じた[34]。
同日、イギリスのマスメディア『BBC』は、「気候のような複雑な物理システムの長期的な様相を予測することは非常に困難であるため、温室効果ガスの排出量増加によって気候がどう反応するかを予測するコンピュータモデルは、地球規模の緊急事態である地球温暖化を理解する上で非常に重要だ。」などと報じた[35]。
翌10月6日、中村修二(眞鍋と同じく日本の愛媛県出身で、米国に移住して米国籍を取得した後、2014年のノーベル物理学賞を受賞した)が愛媛県のテレビ局である南海放送に出演し、眞鍋を祝福した[36]。
逸話
- 「世界一スパコンを使う男」「世界一ぜいたくにコンピューターを使った男」
眞鍋は研究のため、時代に伴うコンピューターの進歩とともに、常に最先端のコンピューターを駆使して先駆的なモデルを次々と発表した。研究費用として40年間で合計約150億円を費やしたうち、その約半分がスーパーコンピュータの使用料であり、年間あたりでも2億円近い出費をスーパーコンピューターでのシミュレーションのために行っていた。このことから、「世界で一番スーパーコンピューターを使った男」[12]「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」[37]と称される。
発言
地球温暖化に対する懸念
眞鍋は地球温暖化といった気候変動に対して60年間以上研究を行っており、懸念を表明している。2021年にノーベル物理学賞を受賞した際には選考委員から「今回の賞は、世界の指導者らに気候危機の深刻さを伝えるメッセージか?」と質問され、次のように答えた[33]。
いまだにメッセージを受け取っていないリーダーがいるなら、今回も耳を貸さないでしょう。ずっと言い続けてきたことです。これは物理学賞です。私たちが伝えたいことは、気候モデリングが確かな立証された物理理論に基づいている事実です。
また受賞の4日前にも、気候変動を懸念して次のように述べていた[33]。
最近は干ばつや洪水が増えている。これは1980年代に私たちの(計算)モデルで示したことと同じことで、今になって思うと、モデルが現実になりつつあるということだ。当時はモデルの結果について、疑問に思っている人もいた。今はそれが疑いのないことだと分かるようになった。
受賞当日の取材でも、「今の地球の状況をどのように感じているか?」という質問に対し、次のように答えた[15]。
一番大きな問題は、干ばつですね。干ばつの頻度がどんどん増えていると。南部ヨーロッパではどんどん乾いて気温もどんどん上がる。気温が上がればますます乾く。それで干ばつが頻繁に起こると。それから、アフリカのサヘル砂漠では、やはり干ばつで、もう農業が前のようにできなくなると。それで大量の人々がヨーロッパに移民してると。それから日本もですね、大洪水、がけ崩れ、そういうものが非常に頻繁になってきたと。世界では最近ライン川で大洪水が起こって大変だったと。こういうことが今起こってるので、それがやはり元はといえば気候モデルで昔予想したことがそのまま今起こってるんですよ。だからこれはもう大問題で。将来はこの傾向がどんどん続いていって悪化するということになってますので、その対策をどうするかというのは大問題になると思います。
受賞翌日の取材で「気候変動に対して我々は何をすべきか?」と質問された際には、次のように答えた[3]。
- 自分が研究してきたことよりも、もっともっと難しい問題だ。ありとあらゆることにつながっている。
- 二酸化炭素を削減すると言っても、一国だけがやっても意味がない。
日本の研究環境に対する懸念
1987年の日本気象学会の機関誌では、日本の大学に期待することとして「外国人研究者の受け入れ体制を充実することです。『面白そうな日本国』へ行って研究したい人は少なからずいますよ。」と語っていた[14]。
2021年のノーベル物理学賞を受賞した際、「日本から米国への頭脳流出」について意見を求められると、日本における研究者の姿勢および科学者と政府との連携不足について懸念し、次のように語った[38][39]。
- 私は教育には詳しくないが、最近の日本の研究は、以前に比べて好奇心を持って研究することが少なくなっているように思う。
- 日本では、科学者が政策を決める人に助言する方法、つまり、両者の間のチャンネルが互いに通じ合っていない。米国はもっとうまくいっていると思う。
国籍を変更した理由
自身の国籍を日本からアメリカ合衆国へ変更した理由について、2021年にノーベル物理学賞受賞時に記者会見で質問された際は、「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」と述べたうえで次のように回答した[38][40]。
日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。
だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです。
アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです。
私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです。
若い科学者や日本へのアドヴァイス
2021年10月にノーベル物理学賞を受賞した際には、「後に大きな影響を与える大発見は、研究を始めた時にはその貢献の重要さに誰も気付かないものだと思う。」と述べた。また、若い研究者に対して、「今はコンピュータに振り回されている人が多い。」「流行っている研究に走らずに。自分の本当の好奇心ですね。」と語った[39]。「最近の日本の研究は、以前に比べて好奇心を持って研究することが少なくなっているように思います。日本では、科学者が政策を決める人に助言する方法、つまり、両者の間のチャンネルが互いに通じ合っていないと思います。米国はもっとうまくいっていると思う」とも述べた[39]。
なお眞鍋が気候変動の研究を行った原動力は好奇心であった。研究を始めた当初は、のちに気候変動が重要な問題になることも、自身が大きな成果を生むことも想像していなかったという[3][39]。
賞歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Crafoord_Prize_D81_9100_%2841428041715%29.jpg/200px-Crafoord_Prize_D81_9100_%2841428041715%29.jpg)
- 1966年:藤原賞(日本気象学会)[41]
- 1967年:Clarence Leroy Meisinger賞(アメリカ気象学会)
- 1970年:米商務省ゴールド・メダル
- 1991年:カール=グスタフ・ロスビー研究賞(アメリカ気象学会)
- 1992年:第1回ブループラネット賞[20]
- 1993年:Roger Revelle Medal(アメリカ地球物理学連合)
- 1995年:朝日賞
- 1997年:ボルボ環境賞
- 2007年:マギル大学より名誉博士号
- 2010年:ウィリアム・ボウイ・メダル(アメリカ地球物理学連合)、KYOTO地球環境の殿堂賞[42]
- 2015年:ベンジャミン・フランクリン・メダル
- 2016年:BBVA Foundation Frontiers of Knowledge Award
- 2018年:クラフォード賞[43]
- 2021年:ノーベル物理学賞
- 2021年:文化功労者・文化勲章(同時授与)
科学アカデミー会員
- 米国科学アカデミー
- ヨーロッパ・アカデミー
- カナダ王立協会 外国人会員
- アメリカ気象学会 名誉会員
- 日本気象学会 名誉会員
著作・論文
- Syukuro Manabe, Anthony J. Broccoli(2020), "Beyond Global Warming: How Numerical Models Revealed the Secrets of Climate Change", Princeton University Press, ISBN 978-0691058863
- 論文
- 論文は非常に多数あり、英語系の学術論文データベースでキーワードを「Syukuro Manabe」と入力することで検索可能。
- Google Scholarでも検索可能(検索ヒット数が1200といった数字が表示される)。
- 『凝結現象の綜観的研究』(1958年、博士論文)
脚注
注釈
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- ^ 姓の「眞」は日本における旧字体であり、同国の新字体では「真」となる。
- ^ 「プロトタイプとして、手本として」は眞鍋自身がテレビ朝日の取材カメラの前で自身のことを紹介する時に自分で選んだ言葉。「ベースに」などという言葉は選んでいない。
- ^ 出典の映像では「1950年にアメリカに来ました。」と眞鍋自身が肉声で語っているが、その時期とするには他の資料と齟齬があるため、言い間違いかと考えられる[独自研究?]。
- ^ なお、この背景には、米国とソビエト連邦との冷戦があった。当時の米国では宇宙開発競争でソビエト連邦に先を越された(スプートニク・ショック)ことへの危機感から、科学研究へ対する熱意が強く、世界中から優秀な人材を米国に集めようとしていた。
- ^ 具体的には、大気中の二酸化炭素濃度が2倍になると、地表の平均気温が約2.3℃上昇するなど。
- ^ スウェーデン王立科学アカデミーが、ノーベル賞が扱わない学問分野に対して与える賞である。
出典
- ^ a b 『日本学士院客員の選定について | 日本学士院』日本学士院。
- ^ Charles Daly (2021年10月5日). “ノーベル物理学賞に真鍋淑郎プリンストン大学上席研究員 気候変動予測のモデルを開発”. 会社四季報 2021年10月7日閲覧。
- ^ a b c d 藤原学思 (2021年10月5日). “真鍋淑郎さん「80年代の研究が現実に」 地球温暖化の危機感語る”. 朝日新聞 2021年10月7日閲覧。
- ^ 真鍋氏「研究、ただ心から楽しんだ」 米大で記者会見日本経済新聞2021年10月6日
- ^ [1] 国立国会図書館
- ^ “ノーベル物理学賞に真鍋淑郎氏 研究者「とんでもなくすごい」”. NHKニュース (2021年10月5日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b “ノーベル物理学賞に真鍋氏 温暖化予測、気候モデル開発”. 日本経済新聞 (2021年10月5日). 2021年10月8日閲覧。
- ^ 真鍋淑郎氏にノーベル物理学賞 温暖化の予測法開発 - 産経ニュース
- ^ a b c d “CV | Syukuro Manabe” (英語). Princeton University. 2021年10月7日閲覧。
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- ^ a b c d “「世界一スパコンを使う男」と呼ばれた真鍋さん 頭脳流出と話題に”. 朝日新聞. (2021年10月5日) 2021年10月7日閲覧。
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- ^ 学位授与番号甲第67号。
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- ^ 先駆的研究で温暖化予測の基礎築く 気候変動モデル開発した真鍋氏にノーベル物理学賞 | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
- ^ #159 地球温暖化研究がノーベル物理学賞 ~受賞した真鍋氏ゆかりの研究者に聞く~ – いいね!Hokudai
- ^ Ronald J. Stouffer, Syukuro Manabe (2017-03-02). “Assessing temperature pattern projections made in 1989”. Nature Climate Change 7: 163-165 .
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- ^ a b 関根和弘 (2021年10月8日). “真鍋淑郎氏の会見発言、英語の原文は? 「同調圧力」や教育問題を明快な表現で指摘”. 朝日新聞GLOBE+
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- ^ 「戦後13年「渡りに船でアメリカへ」温暖化研究のスタートは“道草”」『西日本新聞』2021年10月6日。
- ^ Crafoord Prize - Two legendary climate researchers receive this year’s Crafoord Prize
参考文献
- 大河内直彦『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る』岩波書店、2008年11月27日。ISBN 978-4-00-006244-2。
- 林良嗣、安成哲三、神沢博、加藤博和、名古屋大学グローバルCOEプログラム「地球学から基礎・臨床環境学への展開」『東日本大震災後の持続可能な社会』明石書店、2013年3月29日。ISBN 978-4-7503-3789-0。https://www.akashi.co.jp/book/b109977.html
- 古川武彦『人と技術で語る天気予報史』東京大学出版会、2012年1月20日。ISBN 978-4-13-063709-1。
- さがら邦夫編『地球温暖化は阻止できるか』藤原書店、1998年12月20日。インタビュー「シミュレーションが予測する全地球の気候異変」。ISBN 978-4-89434-113-5。https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784894341135.html
関連項目
外部リンク
- Syukuro Manabe Facts Nobel Foundation
- Syukuro Manabe - プリンストン大学
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『真鍋淑郎』 - コトバンク