「西義之 (ドイツ文学者)」の版間の差分
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* 『戦後の知識人 自殺・転向・戦争犯罪』(番町書房 [[1967年]]) |
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* 『誰がファシストか 現代ファシズム学入門』([[ごま書房新社VM|ごま書房]] (ゴマブックス) [[1975年]]) |
* 『誰がファシストか 現代ファシズム学入門』([[ごま書房新社VM|ごま書房]] (ゴマブックス) [[1975年]]) |
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* 『ドイツうまいものの旅』(三修社 [[1985年]]) |
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* 『ドイツライン・バイエルン・ロマンティック街道案内』(三修社 [[1986年]]) |
* 『ドイツライン・バイエルン・ロマンティック街道案内』(三修社 [[1986年]]) |
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* 『ドイツ人の生き方死に方 ミュンヘンを舞台に』( |
* 『ドイツ人の生き方死に方 ミュンヘンを舞台に』(教育社 [[1987年]]) |
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* 『繁栄西ドイツが落ちた罠 日本は本当に大丈夫か』([[光文社]] (カッパ・ビジネス) [[1988年]]) |
* 『繁栄西ドイツが落ちた罠 日本は本当に大丈夫か』([[光文社]] (カッパ・ビジネス) [[1988年]]) |
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* 『定年教授の食卓』([[春秋社]] [[1993年]]) |
* 『定年教授の食卓』([[春秋社]] [[1993年]]) |
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* 『天才たちの死に学ぶ ツヴァイク、[[ジークムント・フロイト|フロイト]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の死の瞬間まで』([[文藝春秋]] [[1994年]]) |
* 『天才たちの死に学ぶ ツヴァイク、[[ジークムント・フロイト|フロイト]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の死の瞬間まで』([[文藝春秋]] [[1994年]]) |
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* 『「武士道」幻想 [[新渡戸稲造]]論』( |
* 『「武士道」幻想 [[新渡戸稲造]]論』(下田出版 [[2004年]]) |
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== 翻訳 == |
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2021年10月31日 (日) 09:15時点における版
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人物情報 | |
---|---|
全名 |
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生誕 |
1922年(大正11年)5月20日 ![]() |
死没 |
2008年10月9日(86歳没)![]() 肺炎 |
居住 |
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国籍 |
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出身校 | 東京大学独文科 |
配偶者 | あり |
学問 | |
時代 | 昭和時代中期 - 平成時代中期 |
活動地域 |
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研究分野 | ドイツ文学 |
主な受賞歴 | 勲三等瑞宝章(1998年) |
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家。東京大学教養学部名誉教授。
人物
日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年(昭和39年)東京大学教養学部助教授、1970年(昭和45年)教授。1983年(昭和58年)定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。
ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典]
1975年(昭和50年)の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。このあり方は、東大教授の先輩に当たる竹山道雄を継承するものである。[要出典]
1990年代以降は、大東亜戦争肯定論の類に対して疑問を投げかけていた。
産経新聞「正論欄」のメンバーとして、長年執筆をおこなっていた。
2008年(平成20年)10月9日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去。86歳没[2]。死去は2009年(平成21年)1月23日に遺族から公表された。
著書
- 『現代ドイツの東と西 祖国をさまよう人々』(新潮社 1962年)
- 『戦後の知識人 自殺・転向・戦争犯罪』(番町書房 1967年)
- 『ヒットラーがそこへやってきた』(文藝春秋 1971年)
- 『誰がファシストか 現代ファシズム学入門』(ごま書房 (ゴマブックス) 1975年)
- 『キリスト教のわかる本』(広済堂出版 1975年)
- 『学校は何ができるか 教師の責任・親の責任』(サンケイ出版 1977年)
- 『変節の知識人たち』(PHP研究所 1979年)
- 『新・「菊と刀」の読み方 戦後日本と日本人の変容の歴史を再点検する』(PHP研究所 1983年)
- 『ドイツ文学と芸術の旅』(三修社 1984年)
- 『ドイツうまいものの旅』(三修社 1985年)
- 『ドイツライン・バイエルン・ロマンティック街道案内』(三修社 1986年)
- 『ドイツ人の生き方死に方 ミュンヘンを舞台に』(教育社 1987年)
- 『繁栄西ドイツが落ちた罠 日本は本当に大丈夫か』(光文社 (カッパ・ビジネス) 1988年)
- 『定年教授の食卓』(春秋社 1993年)
- 『天才たちの死に学ぶ ツヴァイク、フロイト、モーツァルト、ゲーテの死の瞬間まで』(文藝春秋 1994年)
- 『「武士道」幻想 新渡戸稲造論』(下田出版 2004年)
翻訳
- メリー・スチュアート ツヴァイク 高橋禎二共訳 新潮文庫(上・下)(1953年、復刊:1994年)
- マゼランの世界一周 ツヴァイク(筑摩書房 1956年)
- イレーネ夫人の秘密 ツヴァイク(角川文庫 1957年)
- ヒマラヤを六度こえて ハンス・コップ(大日本雄弁会講談社 1957年)
- ナルチスとゴルトムント ヘルマン・ヘッセ(岩波文庫(上・下) 1959年、復刊:1977年ほか)
- 車輪の下 ヘッセ(白水社 1963年)
- 蒙古と青海 ピョートル・クズィミッチ・コズロフ(白水社 1967年)
- キリストはなぜ殺されたか J.カーマイケル(読売新聞社 1972年)
- ヒトラーが町にやってきた ナチス革命に捲込まれた市民の体験 ウィリアム・シェリダン・アレン(番町書房 1973年)
- ヒトラー自身のヒトラー ヴェルナー・マーザー編(読売新聞社 1974年)
- わが20世紀 ルードウィヒ・マルクーゼ(ダイヤモンド社 1975年)
- アインシュタイン・ボルン往復書簡集(井上修一・横谷文孝共訳 三修社 1976年)
- ヒトラー・ある息子の父親 ウェルナー・マーザー(ティビーエス・ブリタニカ 1978年)
- ニュルンベルク裁判 ウェルナー・マーザー(ティビーエス・ブリタニカ 1979年)
- シングルズ 脱結婚時代の生き方 ヘルマン・シュライバー(ティビーエス・ブリタニカ 1980年)
- シルクロード スウェン・ヘディン(白水社 新版:1980年、中公文庫 2003年)
- 法律家の見たイエスの裁判 W.フリッケ(山本書店 1990年)
脚注
参考
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)
- 『駒場の50年』
- 「辻ひかる教授,西義之教授退官記念号」『外国語科研究紀要』(1983年)