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「豊栄村 (京都府)」の版間の差分

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* 1925年([[大正]]14年)12月1日 - [[徳光村]]・[[八木村 (京都府)|八木村]]が合併して[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]'''豊栄村'''が発足。
* 1925年([[大正]]14年)12月1日 - [[徳光村]]・[[八木村 (京都府)|八木村]]が合併して[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]'''豊栄村'''が発足。
* 1955年([[昭和]]30年)2月1日 - [[間人町]]・[[竹野村 (京都府竹野郡)|竹野村]]・[[上宇川村]]・[[下宇川村]]と合併して'''[[丹後町]]'''が発足。同日豊栄村廃止。
* 1955年([[昭和]]30年)2月1日 - [[間人町]]・[[竹野村 (京都府竹野郡)|竹野村]]・[[上宇川村]]・[[下宇川村]]と合併して'''[[丹後町]]'''が発足。同日豊栄村廃止。
* 1968年(昭和43年)から1978年(昭和53年)にかけて、豊栄地区の栃谷(とちだに)、一段(いちだん)、力石(りきいし)、長谷(ながたに)、神主(こうぬし)の各集落が廃村となった<ref>東世津子(文)、織戸昭徳(絵)『小脇の子安地蔵さん』あまのはしだて出版、1997年、p.47</ref>。
* 1968年(昭和43年)から1978年(昭和53年)にかけて、豊栄地区の栃谷(とちだに)、一段(いちだん)、力石(りきいし)、長谷(ながたに)、神主(こうぬし)の各集落が廃村となった<ref>東世津子(文)、織戸昭徳(絵)『小脇の子安地蔵さん』あまのはしだて出版、1997年、p.47</ref>([[丹後町の離村・廃村]]参照)


== 教育 ==
== 教育 ==

2021年11月17日 (水) 04:47時点における版

とよさかむら
豊栄村
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
間人町豊栄村竹野村上宇川村下宇川村丹後町
現在の自治体 京丹後市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
竹野郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,645
国勢調査1950年
隣接自治体 間人町、網野町、竹野村、上宇川村、野間村弥栄村
豊栄村役場
所在地 京都府竹野郡豊栄村
座標 北緯35度42分27秒 東経135度06分17秒 / 北緯35.70756度 東経135.10469度 / 35.70756; 135.10469 (豊栄村)座標: 北緯35度42分27秒 東経135度06分17秒 / 北緯35.70756度 東経135.10469度 / 35.70756; 135.10469 (豊栄村)
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豊栄村(とよさかむら)は、かつて京都府竹野郡にあった。現在の京丹後市丹後町中部の内陸部にあたる。

地理

歴史

村名の由来

近世の14(十四=とよ)村が豊かに栄えることを願って、池田宏京都府知事が命名。

沿革

教育

  • 豊栄町立豊栄小学校
  • 豊栄村立豊栄中学校

脚注

  1. ^ 東世津子(文)、織戸昭徳(絵)『小脇の子安地蔵さん』あまのはしだて出版、1997年、p.47

参考文献

関連項目