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* [[ビル・ヘイリー|Bill Haley & His Comets]] 『Rock Around The Clock』(2014年)
* [[ビル・ヘイリー|Bill Haley & His Comets]] 『Rock Around The Clock』(2014年)
* [[三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE]] 『[[Eeny, meeny, miny, moe!]]』(2015年 - 2016年)
* [[三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE]] 『[[Eeny, meeny, miny, moe!]]』(2015年 - 2016年)
* [[オースティン・マホーン|Austin Mahone]] 『Dirty Work』(2017年)
* [[オースティン・マホーン|Austin Mahone]] 『[[ダーティ・ワーク (オースティン・マホーンの曲)|Dirty Work]]』(2017年)
* [[シャーリー・バッシー|DAME SHIRLEY BASSEY]] 『Get the party started』(2018年 - )
* [[シャーリー・バッシー|Shirley Bassey]] 『[[ゲット・ザ・パーティー・スターテッド|Get the Party Started]]』(2018年 - )


== 関連情報 ==
== 関連情報 ==

2021年11月23日 (火) 10:31時点における版

唐川 侑己
千葉ロッテマリーンズ #19
QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県成田市
生年月日 (1989-07-05) 1989年7月5日(35歳)
身長
体重
181 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2008年4月26日
年俸 8,000万円(2021年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 - )は、千葉県成田市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズに所属。

経歴

プロ入り前

父親の方針で小学校入学当時は空手(緑帯)を始め、成田市立成田小学校3年から成少フォックスに入団し野球を始める。以来一貫して投手を務めている[2]。小学校6年で千葉県大会ベスト8。成田小学校の2学年上に、女子マラソン選手の田中智美第一生命)がいた。

中学では熱心な誘いを受けていた強豪シニアリーグのチームには入らず、成田市立西中学校の軟式野球部に入部。これも身体が出来ていないうちから硬球での野球をさせることに反対していた父親の方針からだった。中学3年時にはKボール成田市選抜のエースとして全国大会準優勝を果たした。

2007年3月26日第79回選抜高等学校野球大会、広陵高校戦にて

高校は成田高等学校に進学。小学生のころから成田高校の試合を見に行っており、当然のようにここに入るのだと思っていたのだという。入学後ブルペンでの投球を見た尾島治信監督が、1年生ながらその抜群のコントロールに驚き、急遽4月第二週目の練習試合で投げさせたところ、2イニングで6奪三振といきなり非凡な才能を見せた[3]。1年夏からベンチ入りし(背番号18)、同年秋の関東大会から背番号1をつける。秋の千葉県大会決勝では、岩嵜翔擁する市立船橋高に勝利[4]。続く関東大会では成田高校の初優勝の原動力(唐川は1回戦と2回戦に先発完投し2勝)となり、同校の選抜初出場を確実にし、明治神宮大会にも出場した。

2年時の第78回選抜では、1回戦の小松島高戦で10奪三振を奪い完封し、一気に知名度を上げた。2回戦は神港学園高に0-2で惜敗。 優勝候補と目されていた夏の千葉大会では2回戦で先発するも、市立稲毛高に敗れ、初戦敗退に終わった。

3年時の第79回選抜では、初戦で延長12回の末、同年夏に準優勝した広陵高に敗戦。 夏の千葉大会は4回戦で東海大浦安高と対戦。同大会28イニングス目で初となる失点を喫し、延長14回の末0-1で敗戦。当時バッテリーを組んだ西田和也捕手が得点できなかったことを謝罪すると、「自分が0点に抑えたら負けなかった。」と答えたという。夏の甲子園出場は逃したものの、県大会で投げた3試合で35奪三振とその力を充分に見せつけた。甲子園での通算成績は1勝2敗、防御率0.90だった。

高校生のドラフト候補として大阪桐蔭高中田翔仙台育英高佐藤由規と共に高校ビッグ3と呼ばれ、2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズ広島東洋カープから1巡目指名を受け、抽選の結果、地元・ロッテが交渉権を獲得。同年11月6日、契約金9000万円・年俸1000万円(金額はいずれも推定)で仮契約が成立した。背番号は「19」。

ロッテ時代

2009年11月 U-26NPB選抜(東京ドーム)

2008年4月23日、高校ビッグ3の中で最初に一軍登録。4月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でプロ初登板・初先発し、7回無失点で、ドラフト制導入以後ではロッテ球団史上初の、高卒新人プロ初登板初先発初勝利を果たした。また、この勝利は平成生まれのプロ野球選手の勝利投手第1号でもあった[5]。5月3日のプロ第2戦となった対埼玉西武ライオンズ戦(千葉マリンスタジアム)では高卒新人としてドラフト制度施行後初の無四球完投(1失点)を達成。5月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)でも8回2失点で、デビューから3連勝を飾った[6]。しかし、交流戦は4試合で0勝1敗、防御率8.05と打ち込まれると、以降は不調に終わり[7]規定投球回到達はならなかったが、高卒新人ながら5勝4敗、防御率4.85の成績を残した。

2009年は、開幕から先発ローテーションに入り[6]、5月10日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(千葉マリン)でプロ初完封を果たす[8]と、5月19日の対横浜ベイスターズ戦(千葉マリン)は9回1失点と2試合連続完投で4勝目を挙げた[7]が、以降は援護に恵まれず、21試合に先発し、5勝8敗、防御率3.64の成績を残した。中9日で挑んだシーズン最終戦の対楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では、6回1/3を5失点で降板。規定投球回まであと2/3回届かなかった。

2010年も開幕から先発ローテーションに入り、3月22日の対西武戦(西武ドーム)で9回2失点と完投でシーズン初勝利を挙げた。しかし、5月13日の対横浜戦(横浜スタジアム)で、武山真吾の放った打球を右手に受け、中指を骨折。5月15日に出場選手登録を抹消された[9]。8月12日の対日本ハム戦で復帰し6回2失点で勝利を挙げると、8月19日の対日本ハム戦(東京ドーム)ではプロ2度目の完封勝利[10]。次戦でも勝利を挙げ、復帰後3連勝となったが、9月1日に右肘の張りで出場選手登録を抹消され[11]、レギュラーシーズンを終えた。最終的に6勝3敗、防御率2.71という成績を残したが、規定投球回到達はならなかった。日本シリーズ第4戦で69日ぶりに登板し、平成生まれとして初の日本シリーズ登板を果たすも3回1/3を2失点で降板した[12]

2011年は、3年連続となる開幕先発ローテーション入りを果たし、4月20日の対西武戦(QVCマリンフィールド)でシーズン初勝利をプロ入り3度目の完封勝利で挙げた[13]。前日に成瀬善久も完封勝利を挙げており、球団では1996年薮田安彦エリック・ヒルマンが対近鉄バファローズ戦で達成して以来、15年ぶりの、2試合連続の完投完封勝利となった[13]。5月14日の対楽天戦(QVCマリン)、6月28日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でも完封勝利を果たす[14][15]など、前半戦だけで8勝を挙げ、自身初となるオールスターゲーム出場を果たした[6]。後半戦も白星を重ね、最終的に24試合に先発し、リーグ7位タイの12勝(6敗)、同6位の防御率2.41、同3位タイの3完封をマークし、自身初の二桁勝利と規定投球回数到達を達成した。

2012年は、4年連続となる開幕先発ローテーション入りを果たすと、4月14日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)では、同世代の岩嵜翔と投げ合い、7回2/3まで完全投球を見せるなど、9回4安打1失点で2勝目を挙げた[16]。6月に右肩の違和感で出場選手登録を抹消された[17]が、前半戦は12試合に登板。8勝2敗、防御率2.66と、安定した成績を残し、2年連続でオールスターゲームに選出された[18]。しかし、7月14日に右肘の違和感で登録抹消[17]。その後、右肘内側靱帯炎と診断され、オールスターゲーム出場は辞退[19]。そのまま1軍に再昇格することなくシーズンを終えた。

2013年は、5年連続となる開幕先発ローテーション入りを果たし、シーズンを通して負傷離脱することなく先発ローテーションを守り、自己最多となる27試合に先発。2桁勝利はならなかったが、チーム最多タイの9勝(11敗)、防御率4.18の成績を残し、チームで唯一、規定投球回をクリアした。10月14日には、クライマックスシリーズファーストステージ第3戦に先発。5回0/3を1失点で、クライマックスシリーズ初登板初先発初勝利となり[20]、ファイナルステージ進出に貢献した。ファイナルステージでは第4戦に先発するも、1回1/3を3失点で降板となり、チームも敗退した。

2014年は、6年連続となる開幕先発ローテーション入りとなるが、不調で開幕から5連敗[21]。2回1/3を7失点でKOされた翌日の4月13日に、プロ初となる中継ぎ登板も経験した[22]。二軍降格も経験し、7月1日の対ソフトバンク戦(東京ドーム)でシーズン初勝利を挙げた[23]が、その後も6試合勝利を挙げられなかった[21]。しかし、8月20日の対オリックス戦(QVCマリン)では2番手で登板し、2回5奪三振無失点でプロ初ホールドを記録[21]すると、中3日でソフトバンク戦に登板し、7回無失点で2勝目を挙げた[21]。その後は4試合に先発(2試合に救援登板)し、2勝1敗。9月26日には2年ぶりの完投勝利を挙げた[24]。最終的に4勝9敗1ホールド、防御率4.66の成績を残した。

2015年は、7年連続となる開幕先発ローテーション入りとなったが、初先発となった対日本ハム戦(QVCマリン)では3回1/3を8失点と乱調で、翌日に二軍降格[6]。再昇格後は援護にも恵まれ3連勝となるが、波に乗り切れず、8月15日の対オリックス戦(京セラドーム)で、2回4失点で降板してからは登板機会がなく[6]、12試合の登板で5勝4敗、防御率は自己ワーストの6.32に終わった。

2016年は、キャンプから二軍で過ごし、ルーキーイヤーを除いて初めて開幕先発ローテーション入りを逃した[6]が、5月6日に一軍昇格。後半戦に先発ローテーションに定着し、8月11日の対楽天戦(QVCマリン)で5年ぶりの完封勝利を挙げた[25]。最終的に15試合に先発し、6勝6敗、防御率2.84の成績を残した。

2017年は、開幕から先発ローテーションに入るも、開幕7試合で1勝6敗、防御率4.89と不安定なピッチングが続いたが、その後もシーズン通して先発ローテーションに定着。最終的に21試合に先発し、5勝10敗、防御率4.49でシーズンを終えた。特にオリックス戦は6試合で3勝0敗、防御率は1.89と相性が良かった[26]

2018年は、4月中盤から先発ローテーションに加わったが、3試合全て自責点4で3連敗し二軍落ちを経験する。7月5日の対オリックス戦(京セラドーム)で先発登板しシーズン初勝利を挙げたが、先発登板はこの登板が最後となり、シーズン後半から中継ぎに転向[27]。8月7日の対ソフトバンク戦(ZOZOマリンスタジアム)で4年ぶりにリリーフ登板しシーズン初ホールドを挙げる[28]と、以降21試合で1失点、防御率は0.36[29]と、中継ぎとして新たな新境地を開拓し、ここ数年の低迷から復活の一歩を踏み出した[30]。シーズン成績は1勝3敗4ホールド、防御率2.83で終えた。

2019年は、中継ぎとして開幕一軍入り。勝ち試合の8回を任され、開幕から7試合連続無失点を記録した[31]。前半戦最終戦となる7月10日の対日本ハム戦(ZOZOマリン)では、マイク・ボルシンガーが右足捻挫により登板回避した影響で、ブルペンデーの1番手として1年ぶりの先発登板。1回を無失点に抑え交代した[32]。しかし、シーズン後半に入ると失速。特に8月は6試合の登板で防御率17.39と打ち込まれるなど好不調の波が激しく[33]、最終的に5勝3敗14ホールド、防御率5.26で終えた。

2020年は、当初は先発としてシーズンを迎えた[34]。しかし、開幕から8回を任されていたジェイ・ジャクソンが7月8日に退団したことで、7回を投げていたフランク・ハーマンが8回に配置転換。しかし、7回を投げる選手が流動的になり、7月終了時点の救援防御率が4.39と低迷したことで、7月29日にリリーフとしてシーズン初の一軍昇格[35]。8月9日の対オリックス戦(京セラドーム)でシーズン初ホールドを挙げると、以降は勝ち試合の7回に定着。9月23日の対楽天戦(楽天生命パーク宮城)で浅村栄斗にツーランホームランを打たれ敗戦投手となるまで、17試合で無失点、防御率0.00と完璧な投球を見せた[36]。その後もハーマン、益田、途中加入の澤村拓一らとともにリリーフ陣を支え、チームの救援防御率はリーグ2位の3.30となった[35]。最終的に32試合に登板。1勝1敗、14ホールド、防御率1.19を記録し、チーム13年ぶりの2位、4年ぶりのAクラス入り・クライマックスシリーズ進出に貢献した。クライマックスシリーズでは第1戦・第2戦ともに登板し、共に無失点に抑えたが、チームは敗戦した。シーズンオフには、2018年に獲得した海外FA権を行使し、国内移籍することを検討していることが報道されたが[37]、12月4日に残留することが発表され[38]、同21日には1800万円増の年俸8000万円で複数年契約を結んだ(金額は推定)[39]里崎智也は「地元から千葉ロッテに入団して成田に後援会のある唐川が国内FA移籍なんて最初からすると思わなかった」との見解を示していたが「仮に国内移籍したらロッテヤバいなって思った」と語っている[40]

選手としての特徴

2011年、QVCマリンフィールドにて

2013年頃よりストレートの球速が低下し(後述)、成績も悪化気味(個人成績参照)であったため、2016年頃、更に2019年頃を境に、2度大きなモデルチェンジを果たしている。

2019年以降、現在までは140km/h半ばのストレートと、ストレートとほぼ同じ軌道・球速のカットボールを中心に[41]同球速のスプリット、大きなカーブを交える投球スタイルに変化。2020年はスプリットの変化を大きく、また以前も使用していた(外に逃げる)チェンジアップを投げるなど[42]マイナーチェンジしている。

2015年以前は平均球速約139km/h(2011年)[43]、136km/h(2015年)のストレートスライダーを軸に、平均球速101km/h[43]カーブチェンジアップをバランス良く投げ分け、稀にシュートも混ぜる投球スタイルであった。

その間の2016年〜2018年頃は、平均球速を高校時代の最速である148km/hに近い140km/h台半ばまで戻したストレートとスライダー、カーブを軸とし、稀にチェンジアップ、シュート、フォークを投じる投球スタイルであった。

相手打者からはストレートとスライダーの腕の振りがまったく一緒でタイミングが取れない、ストレートの速度表示と体感速度が違うと評される。直球は速いが速球派というほどではなく、変化球は多彩だが視界から消えるほどではない。しかし、何故か打てないといわれるピッチャーと言われていた[44]

ドラフト1位の大物ルーキーということで注目されたが、プロ入りまでクイックモーションができなかった。成田高校・尾島監督はクイックを教えることでフォームのバランスを崩してしまうことが怖かったと語り、プロ入り後にクイックを習得した。

人物

座右の銘は「泰然自若」。父親の好きな言葉でもあるという。

唐川の名字と組み合わせると『努力すれば大成する』画数ということで、唐川家の子供の名前は字画を8画+3画になっているという。飼い犬の拉々(ララ)も同じく8画+3画。

母親曰く「控えめな、ほわっとした子」で、プロ野球選手になるとは思っていなかったという[45]。また中学3年生時点で進路希望に「公務員」と書いた。両親が安定した職業に就いて欲しいと考えていると思ったからだという。

ロッテ新人寮に入寮する際、あざらしの形をした抱き枕のしろたんを持参し話題に。ロッテのユニフォームを着たコラボ商品・マリーンズしろたん抱き枕やマスコットが制作され、2009年の新春初売りイベントで発売したところ5分で完売した。

が割れやすい体質であり、ネイリストの経験がある姉に定期的にケアをしてもらっている[4]

2016年7月に一般女性との結婚を公表した[46]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 ロッテ 15 15 1 0 1 5 4 0 0 .556 358 81.2 102 8 12 0 3 57 1 0 52 44 4.85 1.40
2009 21 21 3 1 2 5 8 0 0 .385 596 143.1 145 11 28 2 6 115 0 0 62 58 3.64 1.21
2010 11 11 2 1 0 6 3 0 0 .667 306 73.0 69 3 20 0 4 51 1 0 24 22 2.71 1.22
2011 24 24 5 3 2 12 6 0 0 .667 681 168.1 146 6 35 0 8 122 1 0 50 45 2.41 1.08
2012 12 12 3 0 1 8 2 0 0 .800 341 84.2 81 4 15 1 2 32 0 1 26 25 2.66 1.12
2013 27 27 0 0 0 9 11 0 0 .450 728 168.0 185 12 46 2 3 80 2 0 85 78 4.18 1.38
2014 23 19 1 0 0 4 9 0 1 .308 520 116.0 146 10 33 1 8 62 3 1 65 60 4.66 1.54
2015 12 12 0 0 0 5 4 0 0 .556 288 62.2 78 9 27 0 3 31 1 0 45 44 6.32 1.68
2016 15 15 1 1 0 6 6 0 0 .500 373 88.2 84 2 37 1 3 64 1 3 30 28 2.84 1.36
2017 21 21 1 0 0 5 10 0 0 .333 555 126.1 135 18 37 0 7 86 1 2 69 63 4.49 1.36
2018 25 4 0 0 0 1 3 0 4 .250 188 47.2 43 5 10 1 1 31 0 0 17 15 2.83 1.11
2019 40 1 0 0 0 5 3 0 14 .625 168 37.2 47 7 6 0 1 30 0 0 25 22 5.26 1.41
2020 32 0 0 0 0 1 1 0 14 .500 118 30.1 22 1 9 0 0 23 0 0 4 4 1.19 1.02
2021 38 0 0 0 0 4 2 0 22 .667 150 36.1 29 4 13 0 1 26 1 0 11 11 2.72 1.16
通算:14年 316 182 17 6 6 76 72 0 55 .514 5370 1264.2 1312 100 328 8 50 810 12 7 565 519 3.69 1.30
  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手












2008 ロッテ 15 3 8 1 1 .917
2009 21 7 24 0 1 1.000
2010 11 4 8 0 0 1.000
2011 24 6 31 0 1 1.000
2012 12 4 14 0 1 1.000
2013 27 5 25 1 2 .968
2014 23 3 27 0 2 1.000
2015 12 3 7 2 0 .833
2016 15 10 17 0 4 1.000
2017 21 9 22 2 0 .939
2018 25 3 9 2 0 .857
2019 40 0 11 0 0 1.000
2020 32 2 4 0 0 1.000
2021 38 0 7 0 0 1.000
通算 316 59 214 8 12 .972
  • 2021年度シーズン終了時

記録

初記録
※以上の記録は全て平成生まれの選手としての初記録でもある[47]
節目の記録
  • 1000投球回:2017年4月16日、対埼玉西武ライオンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)、1回表三死目に外崎修汰を三ゴロ ※史上346人目、平成生まれ初
その他の記録

背番号

  • 19(2008年 - )

登場曲

関連情報

DVD

  • 千葉ロッテマリーンズ 唐川侑己 ~飛翔~(PCBG-51494 2012年3月21日発売、発売元:フジテレビジョン/ポニーキャニオン)

脚注

  1. ^ ロッテ - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2020年7月7日閲覧。
  2. ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボール・マガジン社刊)2008年6月9日号10ページ「VOICE of THE HERO」
  3. ^ 千葉ロッテ・唐川侑己「ピッチャーは運動神経じゃない」(後編) 二宮清純責任編集Sports Communications、2011年08月02日
  4. ^ a b 世代の顔は俺だ!唐川、同郷同学年の岩崎に投げ勝った”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月15日). 2012年4月17日閲覧。
  5. ^ ロッテ唐川初登板勝利、平成生まれ1番星”. 日刊スポーツ (2008年4月27日). 2020年11月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 高校BIG3と呼ばれたロッテ唐川侑己 再び一軍のマウンドを目指して…”. ベースボールキング (2016年4月17日). 2020年11月21日閲覧。
  7. ^ a b 成長実感!唐川 無四球の完投で4勝目”. スポーツニッポン (2009年5月19日). 2020年11月21日閲覧。
  8. ^ 唐川初完封、母の声援に応えた11K”. 日刊スポーツ (2009年5月11日). 2020年11月21日閲覧。
  9. ^ 痛っ!!唐川は右手中指骨折…全治約1カ月”. スポーツニッポン (2010年5月16日). 2020年11月21日閲覧。
  10. ^ 唐川4安打完封!負けられない理由「たくさん」”. スポーツニッポン (2010年8月20日). 2020年11月21日閲覧。
  11. ^ シーズン終盤に強いロッテ、戦力充実で優勝狙う”. スポーツナビ (2010年9月2日). 2020年11月21日閲覧。
  12. ^ 唐川 平成生まれ初登板も試合つくれず”. スポーツニッポン (2010年11月4日). 2020年11月21日閲覧。
  13. ^ a b 唐川も…ロッテ15年ぶり2試合連続完封”. スポーツニッポン (2011年4月21日). 2020年11月21日閲覧。
  14. ^ ロッテ、唐川が今季2度目の完封で4勝目”. 日本経済新聞 (2011年5月14日). 2020年11月21日閲覧。
  15. ^ 【ロッテ】唐川が完封!自己最多の7勝”. 日刊スポーツ (2011年6月28日). 2020年11月21日閲覧。
  16. ^ 世代の顔は俺だ!唐川、同郷同学年の岩崎に投げ勝った”. スポーツニッポン (2012年4月15日). 2020年11月21日閲覧。
  17. ^ a b 唐川、右肘痛で登録抹消 球宴出場も微妙か”. スポーツニッポン (2012年7月14日). 2020年11月21日閲覧。
  18. ^ 「マツダオールスターゲーム2012」に成瀬投手、唐川投手、益田投手、里崎選手が監督推薦で選出!!”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト (2012年7月2日). 2020年11月21日閲覧。
  19. ^ 唐川が球宴辞退”. 千葉日報 (2012年7月18日). 2020年11月21日閲覧。
  20. ^ ロッテ、投手陣が踏ん張る 唐川「ほっとした」”. スポーツニッポン (2013年10月14日). 2020年11月21日閲覧。
  21. ^ a b c d 唐川 中継ぎ経験できっかけつかんだ 伊東監督も称賛「言うことなし」”. スポーツニッポン (2014年8月24日). 2020年11月21日閲覧。
  22. ^ ロッテ唐川、炎上翌日…初の中継ぎで連投”. 日刊スポーツ (2014年4月13日). 2020年11月21日閲覧。
  23. ^ ロッテ・唐川、劇的今季初勝利…「声援に後押しされました」”. サンケイスポーツ (2014年7月2日). 2020年11月21日閲覧。
  24. ^ ロッテ唐川 2年ぶり完投で4勝目 来季へ好材料”. スポーツニッポン (2014年9月27日). 2020年11月21日閲覧。
  25. ^ ロッテ唐川5年ぶり完封 五輪メダルラッシュに刺激”. 日刊スポーツ (2016年8月12日). 2020年11月21日閲覧。
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  27. ^ ロッテ唐川が中継ぎ転向 5試合で47失点の投手陣にメス”. スポーツニッポン (2018年8月3日). 2020年11月21日閲覧。
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関連項目

外部リンク