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「奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ」の版間の差分

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当番組終了後も「サンミュージック枠」は引き続き'''「岡田有希子の夜遊びしナイト」'''(途中から[[岡谷章子]]、[[水谷麻里]]が加入し、再び3人体制になって'''「[[有希子・章子・麻里 夜遊びしナイト]]」''')がスタートしてこの時から[[ニッポン放送]]などでも放送が開始され、その後岡田が抜けた後も1986年4月からは岡谷、水谷に[[酒井法子]]が加入して'''「[[トキメキパジャマ MARI・NORI・AKIのドッキンタイム]]」'''が同じく[[全国ラジオネットワーク|ニッポン放送・NRN系]]で放送されていた<ref group="注釈">ただし、番組の収録はいずれもニッポン放送本社ではなく、東海ラジオ放送東京支社内のスタジオで行われていた。</ref>。
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===NYXクラブ===
===NYXクラブ===

2021年11月29日 (月) 15:04時点における版

奈美子・有希子・小緒里の
ドキドキラジオ
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送期間 1984年4月9日 - 1985年10月7日
放送時間 金曜日 24:30 - 25:00
日曜日 23:00 - 23:30
放送局 東海ラジオ放送
制作 東海ラジオ放送
ネットワーク #放送時間・ネット局の節を参照
パーソナリティ 松本奈美子
岡田有希子
青木小緒里
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奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ(なみこ・ゆきこ・さおりのドキドキラジオ)は、1984年4月9日から1985年10月7日まで東海ラジオ放送の制作により放送されていたラジオ番組

概要

当番組はサンミュージック枠のラジオ番組で、サンミュージック枠としては、当番組でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた我妻忠義ニッポン放送の番組『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のような雰囲気の番組をと企画して製作され[1]毎日放送で放送されていたサトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(1983年10月16日 - 1984年3月9日 滝里美川久保仁美岡田有希子)に続くシリーズ第二弾の番組で、局を毎日放送から東海ラジオに移してスタートした[2]。スタッフも前身番組「何かいいことないか仔猫ちゃん」から多くが続投。収録は東海ラジオ放送東京支社のスタジオで行っていた[3]

パーソナリティは『何かいいことないか仔猫ちゃん』からは岡田有希子のみ続投した他、新たに松本奈美子青木小緒里が加入。奈美子・有希子・小緒里それぞれが進行するコーナーが設けられていた[2]。なお、当番組のデモテープを製作する際には、『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』の台本を使って行われた[1]

当番組終了後も「サンミュージック枠」は引き続き「岡田有希子の夜遊びしナイト」(途中から岡谷章子水谷麻里が加入し、再び3人体制になって有希子・章子・麻里 夜遊びしナイト)がスタートしてこの時からニッポン放送などでも放送が開始され、その後岡田が抜けた後も1986年4月からは岡谷、水谷に酒井法子が加入してトキメキパジャマ MARI・NORI・AKIのドッキンタイムが同じくニッポン放送・NRN系で放送されていた[注釈 1]

なお、2016年4月2日(岡田の没後30周年)から2019年夏まで同じ東海ラジオで、岡田の生前からのファンでもある医師の山口悟[4]マイクネーム「ドットーレ山口」でパーソナリティを務め、この番組と同じタイトルを掲げた持ち込み企画の深夜番組ドットーレ山口のドキドキラジオ'84』が放送されていた[5]。この番組はトリビュート番組として岡田有希子関連を中心に取り上げるプログラムであった[6]

NYXクラブ

当番組のファンクラブの名前は「NYXクラブ」(ニュクスクラブ)と言う。番組スタートと同時に、「番組のファンクラブが欲しい」というリスナーの要望があり、これを受けて番組ファンクラブの結成が決まり、その名前をリスナーから募集。「ウッフン・ドキドキ・シスターズ」「ズルッコトリオ」「ボッキリコ・シスターズ」「ドキドキ三人娘」「サンミュージック・トリプル・シスターズ」等々正統派の物からウケ狙いの物まで集まった結果、北海道旭川市のリスナー案による「NYXクラブ」が採用された。このリスナーによるとその由来は、奈美子のN、有希子のY、そしてXは小緒里のSを転じさせたものであるとのことである[7]。そして「ニューカス(ニュクス)とはギリシャ語で「夜」(Νύχτα)という意味で、ギリシア神話に登場する女神。つまり三人も“夜の女神”」という意味付けが岐阜県各務原市のリスナーによって行われた[7]。そして1984年10月からは、はがきを出せば誰でももらえたという会員証が製作された。その会員証には、はがきを出したリスナーの名前と会員番号、裏には三人のサインと特典、注意事項が記入されていた[8]

パーソナリティ

主なコーナー

小緒里の激怒ナンバーワン
  • 青木小緒里が進行のコーナー。リスナーからの腹の立ったこと、頭に来たことのエピソードを紹介していた[2]
有希子のルンルン・ナンバーワン
  • 岡田有希子が進行のコーナー。リスナーの身の周りに怒ったうれしい、楽しい出来事の報告を紹介していた[2]
奈美子の懺悔ナンバーワン
  • 松本奈美子が進行のコーナー。リスナーが懺悔したいエピソードを紹介していた[2]
奈美子のウワサのウワサ・ナンバーワン
  • 「懺悔ナンバーワン」の後継コーナーで、進行は同じく松本奈美子。芸能レポーターらのスクープに負けないような、衝撃的な噂や情報を募集していた[13]

スタッフ

  • エグゼクティブ・プロデューサー:我妻忠義(サンミュージック[注釈 2][15]
  • プロデューサー:杉村昌子(サンミュージック)[15]
  • 構成:田中のぶ[15]
  • ディレクター:神谷光徳(サンミュージック)[15]
  • ミキサー:武田勝美[15]

放送時間・ネット局

1984年4月から
  • 東海ラジオ:金曜 24:30 - 25:00 (1984年4月 - 1984年9月[9])→ 日曜 23:00 - 23:30 (1984年10月 - 1985年10月[8]
  • 北海道放送:日曜 24:00 - 24:30 (1984年4月 - 1984年9月[9])→ 日曜 23:00 - 23:30 (1984年10月 - 1985年3月[8])→ 土曜 23:40 - 24:10 (1985年4月 - 1985年10月)
1984年10月から
  • 東北放送:日曜 21:30 - 22:00 (1984年10月 - 1985年3月[8])→ 月曜 21:30 - 22:00 (1985年4月 - 1985年10月)
  • 新潟放送:日曜 22:00 - 22:30 (1984年10月 - 1985年10月[8]
1985年4月から

番組本

  • ドキドキラジオ(構成担当者)・編「奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック」(旺文社 1985年7月15日初版)

脚注

注釈

  1. ^ ただし、番組の収録はいずれもニッポン放送本社ではなく、東海ラジオ放送東京支社内のスタジオで行われていた。
  2. ^ 松田聖子の初代マネジャーの他、野村将希牧村三枝子酒井法子川中美幸らのマネジャーを歴任。サンミュージックでは常務を務めた[14]

出典

  1. ^ a b c d e 「ドキドキブック」p.16 - 24
  2. ^ a b c d e ラジオマガジンモーターマガジン社)1984年6月号 p.107
  3. ^ 「ドキドキブック」p.12
  4. ^ ナグモクリニック名古屋 ドクター紹介”. ナグモクリニック. 2020年11月18日閲覧。
  5. ^ 2016年春のタイムテーブルをアップしました。”. 東海ラジオ (2016年3月16日). 2020年11月18日閲覧。
  6. ^ ドキドキラジオ‼︎”. Ameba. サイバーエージェント (2016年3月16日). 2020年11月18日閲覧。
  7. ^ a b 「ドキドキブック」p.170 - 172
  8. ^ a b c d e ラジオマガジン 1984年12月号 p.125
  9. ^ a b c d e f g h ラジオマガジン 1984年7月号 p.82(当番組の広告)
  10. ^ 「ドキドキブック」p.132
  11. ^ 「ドキドキブック」p.130
  12. ^ 「ドキドキブック」p.158
  13. ^ 「ドキドキブック」p.70
  14. ^ 我妻忠義氏、間質性肺炎で死去 川中美幸を二人三脚で支える”. サンケイスポーツ (2017年6月18日). 2020年11月20日閲覧。
  15. ^ a b c d e 「ドキドキブック」p.12
東海ラジオ 金曜 24:30 - 25:00枠
(1984年4月 - 1984年9月)
前番組 番組名 次番組
とびっきりNiGHT
(月 - 金 24:30 - 27:00)
奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ
とびっきりNiGHT
(月 - 金 24:30 - 27:00 ※枠再拡大)
東海ラジオ 日曜 23:00 - 23:30枠
(1984年10月 - 1985年10月)
もう一人のミュージシャン
奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ