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「太上老君」の版間の差分

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== 太上老君を主題とする文芸作品 ==
== 太上老君を主題とする文芸作品 ==
*[[西遊記]]
*[[西遊記]]
*:兜率天宮で[[霊薬]]作りをしている[[錬丹術]]の大家。[[孫悟空]]からは「おやじどん」と呼ばれる。老君は悟空を「サル君」と呼ぶ([[伊藤貴麿]]・訳、岩波少年文庫版)。
*:[[兜率天]]宮で[[霊薬]]作りをしている[[錬丹術]]の大家。[[孫悟空]]からは「おやじどん」と呼ばれる。老君は悟空を「サル君」と呼ぶ([[伊藤貴麿]]・訳、岩波少年文庫版)。
*[[封神演義]]
*[[封神演義]]



2021年12月9日 (木) 03:55時点における版

太上老君(たいじょうろうくん、だじょうろうくん)は、別名道徳天尊(どうとくてんそん)、混元老君(こんげんろうくん)、降生天尊(ごうせいてんそん、こうせいてんそん)、太清大帝(たいせいたいてい)とも言う道教。道教の始祖とみなされる老子が神格化されたもので、道教の最高神格である三清の一柱。元始天尊応身の神格とされ、あるいは、その十号の一つに数えられる。

地上では崑崙山、天上では道教における天上界の最高天のひとつ、太清境(たいせいきょう)に住するとされる。『抱朴子』の記述によれば、その姿は、口がカラスに類し、耳の長さは7寸あり、額には縦筋が3本あったとされ、神仙の風貌で描かれている。『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」では、老君の妻は素女で、黄衣を着る[1]

道家の祖として老荘思想を説いた老子が、道教の神となったのは、五斗米道の開祖である張陵の時であるとされる。また、後漢于吉のもとに現れて啓示を与えたのに始まり、六朝から代にかけては、盛んに顕現するようになった。

陶弘景が著した『真霊位業図』では、その第四級の中心に表されている。また、太上老君説とされる道経が盛んに作られたのも、この時代であり、それは、唐室が同姓の老子を宗室の祖として尊崇したことから、ピークを迎えたが、以後は、次第に衰えていく。

太上老君を主題とする文芸作品

脚注

  1. ^ 『雲笈七籤』巻十八”. ウィキソース. 2021年9月11日閲覧。

関連項目