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[[熊本県]]出身。製菓業、虎屋・黒川家の養子となる。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て、[[1917年]](大正6年)、[[東京大学|東京帝国大学]]法学部英法科を卒業し、[[第一銀行]]に入社。[[1919年]](大正8年)、家業に専念し虎屋店主、さらに同会長を務め、東京和生菓子商工業協同組合理事長、[[全国和菓子協会]]会長となる。 |
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[[1947年]](昭和22年)4月、[[第1回参議院議員通常選挙]]に[[東京都選挙区|東京地方区]]で[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]から出馬し当選。のち[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に所属。[[第3回参議院議員通常選挙|第3回]]、[[第5回参議院議員通常選挙]]で再選され3期務め、[[1965年]](昭和40年)7月、[[第7回参議院議員通常選挙]]には出馬せず引退した。 |
2022年1月20日 (木) 06:19時点における版
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黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 1975年3月8日)は、日本の実業家、政治家。虎屋15代当主、参議院議員、厚生大臣。旧姓・福田。
来歴・人物
熊本県出身。製菓業、虎屋・黒川家の養子となる。第一高等学校を経て、1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、第一銀行に入社。1919年(大正8年)、家業に専念し虎屋店主、さらに同会長を務め、東京和生菓子商工業協同組合理事長、全国和菓子協会会長となる。
1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に東京地方区で日本自由党から出馬し当選。のち自由党、自由民主党に所属。第3回、第5回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1965年(昭和40年)7月、第7回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
1975年(昭和50年)3月8日死去。享年82。
参議院議員としては、参議院予算委員長、同外務委員長などを務め、また、第3次吉田内閣 (第1次改造)の厚生大臣に就任。その他、東京実業連合会会長、東京防犯協会連合会会長、日本女子経済短期大学初代学長などを歴任した。
著書
- 『空の旅』三省堂出版、1951年。
- 『新・空の旅』虎屋、1957年。
- 『母を憶う』虎屋、1955年。
- 『羊羹と人生』東京書房、1958年。
- 『新羊羹と人生』明るい生活、1968年。
親族
- 長男 黒川光朝(虎屋16代当主)
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
公職 | ||
---|---|---|
先代 林譲治 |
厚生大臣 第20代:1950年 - 1951年 |
次代 橋本龍伍 |
議会 | ||
先代 岡崎真一 |
参議院外務委員長 1963年 - 1964年 |
次代 青柳秀夫 |
先代 櫻内辰郎 |
参議院大蔵委員長 1948年 - 1950年 |
次代 山田佐一 |