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| ジャンル = [[アイドル]]
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| モデル内容 =
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| 活動備考 = 元SDN48メンバー<br />元AKB48 旧チームBメンバー・旧チームAオリジナルメンバー)<br />元渡り廊下走り隊7暫定メンバー<br />元ネットアイドル
| 活動備考 = 元AKB48 (チームA→チームB)<br />元SDN48<br />元渡り廊下走り隊7暫定メンバー<br />元ネットアイドル
| 他の活動 = [[俳優|女優]]
| 他の活動 = [[俳優|女優]]
| 事務所 =
| 事務所 =
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== 略歴 ==
== 略歴 ==
* 2005年10月30日、『[[AKB48のオーディション#オープニングメンバーオーディション|AKB48オープニングメンバーオーディション]]』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
* 2005年10月30日、『[[AKB48のオーディション#オープニングメンバーオーディション|AKB48オープニングメンバーオーディション]]』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
* 2005年12月8日、オープニングメンバー候補生のうち20名として、[[AKB48劇場]]グランドオープンの舞台に立った(チームAに所属)。
* 2005年12月8日、オープニングメンバー候補生20名のうちの1名として、[[AKB48劇場]]グランドオープンの舞台に立った(チームAに所属)。
* 2007年2月、サポートメンバーとしてチームBへ異動した。異動後はチームBの実質的なキャプテンとしての役割や教育係として高く評価されていた<ref group="注">当時は、まだチームキャプテン制を敷いていなかった。</ref>。
* 2007年2月、サポートメンバーとしてチームBへ異動した。異動後はチームBの実質的なキャプテンとしての役割や教育係として高く評価されていた<ref group="注">当時は、まだチームキャプテン制を敷いていなかった。</ref>。
* 2007年10月11日、この日行われた『[[チームA 2nd Stage「会いたかった」#AKB48 チームB 2nd Stage「会いたかった」公演|チームB 2nd Stage「会いたかった」]]』公演にて、[[AKS]]から[[プロダクション尾木]]への移籍を発表<ref>[https://ameblo.jp/akihabara48/entry-10050737747.html 「シンディよ…流石です。」] - AKB48オフィシャルブログ(2007年10月12日)</ref>。
* 2007年10月11日、この日行われた『[[チームA 2nd Stage「会いたかった」#AKB48 チームB 2nd Stage「会いたかった」公演|チームB 2nd Stage「会いたかった」]]』公演にて、[[AKS]]から[[プロダクション尾木]]への移籍を発表<ref>[https://ameblo.jp/akihabara48/entry-10050737747.html 「シンディよ…流石です。」] - AKB48オフィシャルブログ(2007年10月12日)</ref>。
* 2009年6月から7月にかけて実施された『[[AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」]]』では17位で、シングル選抜入りを果たした。しかし、後述のSDN48への完全異動が発表されたため、結果的にAKB48のメンバーとしては最初で最後の選抜入りとなった。
* 2009年6月から7月にかけて実施された『[[AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」]]』では17位で、シングル選抜入りを果たした。しかし、後述のSDN48への完全異動が発表されたため、結果的にAKB48のメンバーとしては最初で最後の選抜入りとなった。
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* 2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、2010年よりSDN48に完全異動し、同時にAKB48から卒業することが発表された。そして2010年4月16日のチームB4th公演千秋楽をもってAKB48を卒業した。
* 2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、2010年よりSDN48に完全異動し、同時にAKB48から卒業することが発表された。そして2010年4月16日のチームB4th公演千秋楽をもってAKB48を卒業した。
* 『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100』で、2008年・2009年・2010年の3年連続で1位の曲(「[[桜の花びらたち]]」、「[[涙サプライズ!#通常盤|初日]]」、「[[言い訳Maybe]]」)に出演。3曲全てのオリジナルメンバーは浦野のみ。
* 『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100』で、2008年・2009年・2010年の3年連続で1位の曲(「[[桜の花びらたち]]」、「[[涙サプライズ!#通常盤|初日]]」、「[[言い訳Maybe]]」)に出演。3曲全てのオリジナルメンバーは浦野のみ。
* 2011年5月4日の『[[SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」]]』公演で、AKB48劇場でのAKB48時代からの通算公演出演回数800回を達成し<ref>[https://ameblo.jp/uranokazumi/entry-10881748943.html 「ありがとう800回」] - 本人公式ブログ(2011年5月5日)</ref>、AKB48→SDN48在籍中に通算828回<ref>AKB48:690回(チームA公演:247回・チームB公演:438回・研究生公演:5回)、SDN48:138回</ref>出演した。2013年3月17日現在、AKB48グループのメンバー(OGも含む)で、劇場公演出演回数が800回を越えているのは、[[小林香菜]](2013年10月6日14時公演で800回達成、2014年12月7日現在863回、最多公演出演者)と、浦野と同じくOGの[[平嶋夏海]](2011年8月20日に800回達成、通算833回)の3人だけである。3名とも出演回数が多いのは、休演が少なかったためである<ref>本城零次『泣けるAKB48メンバーヒストリー 少女たちの汗と涙の軌跡』(サイゾー)</ref>
* 2011年5月4日の『[[SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」]]』公演で、AKB48劇場でのAKB48時代からの通算公演出演回数800回を達成し<ref>[https://ameblo.jp/uranokazumi/entry-10881748943.html 「ありがとう800回」] - 本人公式ブログ(2011年5月5日)</ref>、AKB48→SDN48在籍中に通算828回<ref>AKB48:690回(チームA公演:247回・チームB公演:438回・研究生公演:5回)、SDN48:138回</ref>出演した。
* 2012年3月10日、[[秋元康]]が[[Google+]]上で[[渡り廊下走り隊7]]への暫定加入を発表した。AKB48の元メンバーがAKB48の派生ユニットに加入するのは、浦野が初めてとなる<ref>[https://web.archive.org/web/20190328235732/https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd 秋元康] - Google+(2012年3月10日)</ref>。
* 2012年3月10日、[[秋元康]]が[[Google+]]上で[[渡り廊下走り隊7]]への暫定加入を発表した。AKB48の元メンバーがAKB48の派生ユニットに加入するのは、浦野が初めてとなる<ref>[https://web.archive.org/web/20190328235732/https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd 秋元康] - Google+(2012年3月10日)</ref>。
* 2012年3月23日に行われたAKB48 コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! inさいたまスーパーアリーナ」で、渡り廊下走り隊7メンバーとして初お披露目された<ref>[https://ameblo.jp/uranokazumi/entry-11203298114.html 「渡り廊下走り隊ニューフェイス??!」] - 本人公式ブログ(2012年3月25日)</ref>。
* 2012年3月23日に行われたAKB48 コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! inさいたまスーパーアリーナ」で、渡り廊下走り隊7メンバーとして初お披露目された<ref>[https://ameblo.jp/uranokazumi/entry-11203298114.html 「渡り廊下走り隊ニューフェイス??!」] - 本人公式ブログ(2012年3月25日)</ref>。
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* 2009年2月19日の[[チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」]]公演において、浦野が初めてセンターを務めるユニット曲「天国野郎」中、ステージでジャンプした際に衣装だった足袋につまずいて転倒、傷口がめくれるほどの怪我を負う。曲終了後、すぐに楽屋に引き上げ、劇場公演を観ていた[[看護師]]でもある母親による応急処置を受け病院に行ったため、2週間で抜糸したものの、この怪我によって、くしくもアイドルになった際の夢であった「[[Yahoo!ニュース]]に名前が載ること」となった。また、この療養中にちょうど頭角を現し始めた[[指原莉乃]]が天下を取っていたと発言している<ref name=hamachanga120626>『[[浜ちゃんが!]]』 2012年6月26日付放送分</ref>。
* 2009年2月19日の[[チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」]]公演において、浦野が初めてセンターを務めるユニット曲「天国野郎」中、ステージでジャンプした際に衣装だった足袋につまずいて転倒、傷口がめくれるほどの怪我を負う。曲終了後、すぐに楽屋に引き上げ、劇場公演を観ていた[[看護師]]でもある母親による応急処置を受け病院に行ったため、2週間で抜糸したものの、この怪我によって、くしくもアイドルになった際の夢であった「[[Yahoo!ニュース]]に名前が載ること」となった。また、この療養中にちょうど頭角を現し始めた[[指原莉乃]]が天下を取っていたと発言している<ref name=hamachanga120626>『[[浜ちゃんが!]]』 2012年6月26日付放送分</ref>。
* 2009年4月から2012年3月まで放送されていた『CinDy Syndrome』([[ベイエフエム|bayfm]])で、当初は「AKB48の浦野一美です」と挨拶していたが、同年9月以降はAKB48との兼任期間中も含めて「'''SDN48'''の浦野一美です」と挨拶していた。また、『CinDy Syndrome』の前に放送されていた『[[ON8]]』でも当時のDJ・[[古川恵実子]]から「SDN48」と紹介されていた。
* 2009年4月から2012年3月まで放送されていた『CinDy Syndrome』([[ベイエフエム|bayfm]])で、当初は「AKB48の浦野一美です」と挨拶していたが、同年9月以降はAKB48との兼任期間中も含めて「'''SDN48'''の浦野一美です」と挨拶していた。また、『CinDy Syndrome』の前に放送されていた『[[ON8]]』でも当時のDJ・[[古川恵実子]]から「SDN48」と紹介されていた。
* 前述のチームBに異動した際は、自ら「嫌われてもいいから叱る役」を買って出る一方、新メンバーと年齢の近い平嶋は「仲良くなって話を聞く役」となり、渡邊は「ふたりの中間でフォローする」よう役割を決めた<ref>『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p49</ref>。
* 前述のチームBに異動した際は、自ら「嫌われてもいいから叱る役」を買って出る一方、新メンバーと年齢の近い平嶋は「仲良くなって話を聞く役」となり、渡邊は「ふたりの中間でフォローする」よう役割を決めた<ref>『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p49</ref>。
* AKB48劇場の15時30分開演の公演のことを「おやつ公演」と名付けた<ref group="注">2008年3月20日から2012年4月1日まで主に土曜日、日曜日および祝日に、12時00分(昼公演)、15時30分(おやつ公演)、19時00分(夜公演)の1日3回の公演を開催していたことがある。</ref>。
* AKB48劇場の15時30分開演の公演のことを「おやつ公演」と名付けた<ref group="注">2008年3月20日から2012年4月1日まで主に土曜日、日曜日および祝日に、12時00分(昼公演)、15時30分(おやつ公演)、19時00分(夜公演)の1日3回の公演を開催していたことがある。</ref>。
* [[パティシエ]]の叔父の影響で、スイーツ検定3級を取得<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915200.html 4度目の移籍 SDN 浦野一美「半泣きだった」] - スポニチ Sponichi Annex(2012年3月27日) </ref>。ケーキ作りが得意で、その気になればいつでもケーキ店を開業できるほどの腕前。SDN48の全員卒業が発表された際には、仮に仕事がなくなったらパティシエに転向しようと考えて着々と準備を進めていた<ref name="wktk120520" />。
* [[パティシエ]]の叔父の影響で、スイーツ検定3級を取得<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915200.html 4度目の移籍 SDN 浦野一美「半泣きだった」] - スポニチ Sponichi Annex(2012年3月27日) </ref>。ケーキ作りが得意で、その気になればいつでもケーキ店を開業できるほどの腕前。SDN48の全員卒業が発表された際には、仮に仕事がなくなったらパティシエに転向しようと考えて着々と準備を進めていた<ref name="wktk120520" />。
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[[Category:日本の舞台女優]]
[[Category:日本の舞台女優]]
[[Category:アイドル出身の俳優]]
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2022年2月8日 (火) 13:44時点における版

うらの かずみ
浦野 一美
AKB48時代の浦野一美
Japan Expo 2009にて)
プロフィール
愛称 CinDy(シンディー)
生年月日 1985年10月23日
現年齢 38歳
出身地 日本の旗 日本埼玉県坂戸市
血液型 O型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 154 cm / kg
スリーサイズ 79 - 57 - 77 cm
活動
デビュー 2005年12月8日
ジャンル アイドル
備考 元AKB48 (チームA→チームB)
元SDN48
元渡り廊下走り隊7暫定メンバー
元ネットアイドル
他の活動 女優
モデル: テンプレート - カテゴリ

浦野 一美(うらの かずみ、1985年昭和60年〉10月23日 - )は、日本歌手タレントである。埼玉県坂戸市出身。元プロダクション尾木所属。女性アイドルグループ・渡り廊下走り隊7の元暫定メンバー、AKB48およびSDN48の元メンバーである。

略歴

  • 2005年10月30日、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
  • 2005年12月8日、オープニングメンバー候補生20名のうちの1名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った(チームAに所属)。
  • 2007年2月、サポートメンバーとしてチームBへ異動した。異動後はチームBの実質的なキャプテンとしての役割や教育係として高く評価されていた[注 1]
  • 2007年10月11日、この日行われた『チームB 2nd Stage「会いたかった」』公演にて、AKSからプロダクション尾木への移籍を発表[1]
  • 2009年6月から7月にかけて実施された『AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では17位で、シングル選抜入りを果たした。しかし、後述のSDN48への完全異動が発表されたため、結果的にAKB48のメンバーとしては最初で最後の選抜入りとなった。
    • AKB48でのシングル表題曲での選抜は当該総選挙での1回のみとなったため、2013年12月時点では佐藤亜美菜とともに「選抜経験が選抜総選挙のみ」というメンバーとなっている。
  • 2009年8月1日から佐藤由加理大堀恵野呂佳代とともに、SDN48としても活動を始める。
  • 2009年8月23日に開催された『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において、2010年よりSDN48に完全異動し、同時にAKB48から卒業することが発表された。そして2010年4月16日のチームB4th公演千秋楽をもってAKB48を卒業した。
  • 『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100』で、2008年・2009年・2010年の3年連続で1位の曲(「桜の花びらたち」、「初日」、「言い訳Maybe」)に出演。3曲全てのオリジナルメンバーは浦野のみ。
  • 2011年5月4日の『SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」』公演で、AKB48劇場でのAKB48時代からの通算公演出演回数800回を達成し[2]、AKB48→SDN48在籍中に通算828回[3]出演した。
  • 2012年3月10日、秋元康Google+上で渡り廊下走り隊7への暫定加入を発表した。AKB48の元メンバーがAKB48の派生ユニットに加入するのは、浦野が初めてとなる[4]
  • 2012年3月23日に行われたAKB48 コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! inさいたまスーパーアリーナ」で、渡り廊下走り隊7メンバーとして初お披露目された[5]
  • 2012年3月31日にNHKホールで行われた『SDN48 コンサート「NEXT ENCORE」 in NHKホール』をもってSDN48を卒業。
  • 2014年2月9日、Zeppダイバーシティ東京で行われた解散ライブをもって、渡り廊下走り隊7自体の活動が終了。
  • 2018年2月14日をもって所属していた芸能事務所のプロダクション尾木を辞めフリーランスとなった[6]

人物

  • AKB48加入当初は高橋みなみと並んでダンスが下手で、よく一緒に居残りをさせられていた[7]
  • 2008年、SKE48創設時に秋元康から移籍を提案され、冗談かと思い軽くOKしたところ、移籍が本決まりになりかけた[8]
  • 2009年2月19日のチームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演において、浦野が初めてセンターを務めるユニット曲「天国野郎」中、ステージでジャンプした際に衣装だった足袋につまずいて転倒、傷口がめくれるほどの怪我を負う。曲終了後、すぐに楽屋に引き上げ、劇場公演を観ていた看護師でもある母親による応急処置を受け病院に行ったため、2週間で抜糸したものの、この怪我によって、くしくもアイドルになった際の夢であった「Yahoo!ニュースに名前が載ること」となった。また、この療養中にちょうど頭角を現し始めた指原莉乃が天下を取っていたと発言している[9]
  • 2009年4月から2012年3月まで放送されていた『CinDy Syndrome』(bayfm)で、当初は「AKB48の浦野一美です」と挨拶していたが、同年9月以降はAKB48との兼任期間中も含めて「SDN48の浦野一美です」と挨拶していた。また、『CinDy Syndrome』の前に放送されていた『ON8』でも当時のDJ・古川恵実子から「SDN48」と紹介されていた。
  • 前述のチームBに異動した際は、自ら「嫌われてもいいから叱る役」を買って出る一方、新メンバーと年齢の近い平嶋は「仲良くなって話を聞く役」となり、渡邊は「ふたりの中間でフォローする」よう役割を決めた[10]
  • AKB48劇場の15時30分開演の公演のことを「おやつ公演」と名付けた[注 2]
  • パティシエの叔父の影響で、スイーツ検定3級を取得[11]。ケーキ作りが得意で、その気になればいつでもケーキ店を開業できるほどの腕前。SDN48の全員卒業が発表された際には、仮に仕事がなくなったらパティシエに転向しようと考えて着々と準備を進めていた[7]
  • AKB48からSDN48に移籍した後、扱いにおいて天と地ほどの差があったといい、最も辛かった仕事は、グラビア撮影で手ブラとなった時で、「男性にハァーみたいな感じで(性的対象として)見られるものを撮ってる自分がショック」だったため、同時期にSDN48に移籍し、この撮影時に一緒だった小原春香と撮影日前日に二人で泣いたとのこと[9]

SDN48・AKB48在籍時の参加曲

シングルCD選抜曲

AKB48名義

SDN48名義

アルバムCD選抜曲

AKB48名義

SDN48名義

その他の参加曲

劇場公演ユニット曲

AKB48名義

チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」公演

  • キスはだめよ(1st UNIT)
  • クラスメイト(2nd UNIT)

チームA 2nd Stage「会いたかった」公演

  • 恋のPLAN
  • リオの革命

チームA 3rd Stage「誰かのために」公演

  • ライダー

チームB 1st Stage「青春ガールズ」公演

  • Blue rose
  • ふしだらな夏

チームB 2nd Stage 「会いたかった」公演

  • 涙の湘南
  • リオの革命

チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」公演

  • 鏡の中のジャンヌ・ダルク

チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演

  • 天国野郎

SDN48名義

SDN48 1st Stage「誘惑のガーター」公演

  • じゃじゃ馬レディー

作品

映像作品

出演

テレビドラマ

バラエティ

テレビアニメ

映画

ゲーム

ラジオ

インターネットテレビ

  • 古坂大魔王のカツアゲ!(2012年4月、アメーバスタジオ) - 6代目見習い[注 7]

PV

舞台

  • 中野ブロンディーズ(2008年12月20日 - 25日、新国立劇場) - 音木 役。
  • 劇団たいしゅう小説家「キマズゲ〜愛のことば〜」(2010年4月29日 - 5月5日、東京芸術劇場)- 朝日奈輝乃 役。
  • ブレイクスルーJAPAN 2010「秘蜜。」(2010年8月14日、新宿スペース107) - 神さま 役。
  • アトリエ・ダンカンプロデュース音楽劇「ACT泉鏡花」(2010年10月1日 - 24日、東京グローブ座仙台電力ホール名鉄ホール長崎市公会堂京都芸術劇場春秋座北國新聞赤羽ホール)- 亀姫・その他 役。
  • DUMP SHOW!(2011年7月16日 - 31日:サンシャイン劇場、8月10日 - 14日:サンケイホールブリーゼ) - ひかる 役。
  • 中野ブロンディーズ(2011年10月6日 - 10日:サンシャイン劇場、19日 - 27日:新神戸オリエンタル劇場) - ゆずか 役。
  • GO, JET!GO!GO!〜I LOVE YOUが言えなくて〜(2012年10月24日 - 28日、新宿スペース107)
  • 眠れぬ町の王子様〜prince of the sleepless town〜(2012年11月28日 - 12月2日、全労済ホールスペース・ゼロ
  • 〜美浜青春グラフィティ〜「千葉魂(CHIBA SOUL)」(2013年3月15日・16日、千葉市美浜文化ホールメインホール)
  • GO, JET!GO!GO!〜I LOVE YOUが言えなくて〜再演(2013年5月8日 - 12日、新宿スペース107)
  • CORNFLAKES第10回記念公演「博士と太郎の異常な愛情」(2013年7月24日 - 30日、俳優座劇場
  • 第10回東京パフォーマーズ倶楽部プロデュース公演 「浅草あちゃらか」(2013年11月7日 - 12月1日、俳優座劇場
  • 「千葉魂(CHIBA SOUL)II」(2014年3月8日、千葉市美浜文化ホール・メインホール)
  • 「千葉魂(CHIBA SOUL)III」(2015年3月14日・15日(予定)、千葉市美浜文化ホール・メインホール)
  • シェアハウス-O・MO・TE・NA・SHI-番外編〜CinDyのお留守番♪〜(2015年10月29日 - 11月3日、アクアスタジオ)

イベント

  • ピーアーク presents 幕張メッセどきどきフリーマーケット2009(2009年5月3日、幕張メッセ国際展示場1 bayfm特設ステージ)
  • 浦野一美(シンディ)[注 8]のつまらない話を聞きながら美味しくスイーツを食べる会(2012年2月6日、AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA)
  • 浦野一美(シンディ)[注 8]の相当つまらない話を聞きながら美味しくスイーツを食べる会(2012年2月13日、AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA)

書籍

カレンダー

  • 浦野一美 2011年カレンダー(2010年9月30日、ハゴロモ)
  • 浦野一美 2014年カレンダー(2013年10月23日、トライエックス)
  • 浦野一美 2015年カレンダー(2014年10月4日、トライエックス)

脚注

注釈

  1. ^ 当時は、まだチームキャプテン制を敷いていなかった。
  2. ^ 2008年3月20日から2012年4月1日まで主に土曜日、日曜日および祝日に、12時00分(昼公演)、15時30分(おやつ公演)、19時00分(夜公演)の1日3回の公演を開催していたことがある。
  3. ^ 高橋みなみ(AKB48)の代理として「半田健人のDODONPA昭和名曲探訪」のコーナーに出演。
  4. ^ 2010年7月2日・8月13日・2011年1月7日に共演したクロちゃん安田大サーカス)、篠宮暁オジンオズボーン)とは番組内ユニット・タンクトップスを結成。
  5. ^ 大島麻衣・今井優・野呂佳代折井あゆみと共に、クレヨンフレンズ from AKB48 のユニットにて、オープニング曲『ユルユルでDE-O!』を歌う。
  6. ^ 写真のみの出演だが、エンディングのキャスト一覧に掲載。
  7. ^ 2012年4月度マンスリーレギュラー。
  8. ^ a b ()内の表記はAKB48 CAFE&SHOP AKIHABARAでのイベント名表記。

出典

  1. ^ 「シンディよ…流石です。」 - AKB48オフィシャルブログ(2007年10月12日)
  2. ^ 「ありがとう800回」 - 本人公式ブログ(2011年5月5日)
  3. ^ AKB48:690回(チームA公演:247回・チームB公演:438回・研究生公演:5回)、SDN48:138回
  4. ^ 秋元康 - Google+(2012年3月10日)
  5. ^ 「渡り廊下走り隊ニューフェイス??!」 - 本人公式ブログ(2012年3月25日)
  6. ^ “元AKB浦野一美が所属事務所を退社 活動継続”. 日刊スポーツ. (2018年3月22日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803220000403.html 2018年3月23日閲覧。 
  7. ^ a b ロッチのだめだめラジオ・天使のお言葉』(2012年5月20日放送分)
  8. ^ 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p.70脚注
  9. ^ a b 浜ちゃんが!』 2012年6月26日付放送分
  10. ^ 『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』(集英社)p49
  11. ^ 4度目の移籍 SDN 浦野一美「半泣きだった」 - スポニチ Sponichi Annex(2012年3月27日)

外部リンク