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*[http://ameblo.jp/matton26/ Matton26~的場坊主は今日も行く~]
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2006年11月12日 (日) 09:38時点における版

的場 直樹まとば なおき1977年5月9日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手捕手)である。

略歴

  • 身長・体重:179cm、85kg
  • 投打:右投右打
  • 出身地:大阪府大阪市
  • 血液型:0
  • 球歴・入団経緯:上宮高-明大-ダイエー-ソフトバンク
  • プロ入り年度・ドラフト順位:2000年ドラフト3位
  • 背番号:26
  • 英語表記:MATOBA

プロフィール

  • 明治大学時代は木塚敦志(現横浜)と黄金バッテリーを組んだ。主将もつとめ、アマNo.1捕手と評価されていた。2000年シドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場。その後のドラフトで3位指名を受け当時のダイエーに入団する。城島健司がレギュラーとして君臨するチームに入団することは、当初「勿体無い」と言われる程であった。2003年には全試合フルイニング出場するなど正捕手城島の壁は厚く、1軍の試合に出場すらできない時期が長く続いた。
  • 2004年、城島がアテネオリンピックの野球日本代表に選出され不在となった折に、同僚の田口昌徳とともにその穴を埋めた。2005年、怪我により城島が離脱した際にも殆どの試合でスタメンを任され、正捕手不在のチームの敗戦数を最小限に抑えた。その年出場したパ・リーグプレーオフにおいても、城島が欠場したため正捕手を任された。
  • 2006年、城島がFA権を行使し、シアトル・マリナーズと契約し移籍したことから、チームの新正捕手の最有力候補と目されていた。シーズン序盤は常時スタメン出場をしていたが、中盤以降山崎勝己の台頭もあり出場機会が激減。しかし、大事な場面や、チームの抑え投手が登板した際には若手捕手に代わり守備固めをすることもあり、リードなど守備面での信頼という意味ではチーム1であるようである。
  • 守備とリードには定評があるが、打力の点で物足りなさを感じる部分が多い。その為、2005年秋のキャンプでは、秋山幸二二軍監督のつきっきりの指導の下、守備練習は一切せず、毎日8時間以上連続でバットを振り続けた。

エピソード

  • 同級生であるエース斉藤和巳が先発する試合では、斉藤の指名で必ず先発マスクをかぶる。これはお互い2軍でくすぶっていた時代からの気心知れた仲であり、深く信頼しあっているということがあると思われる。また、エースに成長した斉藤が的場の正捕手定着に期待しているということも伺える。
2006年6月8日の対読売ジャイアンツ戦では、斉藤和巳とのバッテリーで巨人打線を脇谷亮太の内野安打1本のみに封じ、その脇谷も牽制で刺し打者27人のみで片付ける準完全試合達成という好リードを見せた。
  • 投手四冠を達成するなど斉藤のめざましい活躍もあり、斉藤・的場は最優秀バッテリー賞に選ばれた。
  • いたって礼儀正しく、またひょうきんな一面もある。
  • 2004年オフより「ウクレレ侍」という波田陽区のパロディ的ネタを、2005年のファン感謝デーでは氣志團のコスプレでパフォーマンスをし場内を沸かせている。
  • 2006年の春季キャンプでは、朝の声出しの際に「全試合出場、打率2割8分以上の成績を残したい」という目標の他に、「昨年プレーオフで負けた悔しさ、ファンに(風貌が用具担当)金岡さんと(コンディショニング担当)川村さんに間違えられた悔しさ、両親に『直樹、何で(試合中継の)テレビで王監督の後ろに立っているんだ』と鈴木広報に間違えられた悔しさを晴らしたい」と叫び、ナインから拍手喝采を浴びた。

仏教との関わり

  • 大阪市住吉区の実家は浄土真宗真宗大谷派)の古刹。直樹は長男として出生、9歳で得度、僧籍を持つ。幼少時代は勉学・部活動の合間を縫って実父らと読経・檀家まわり等修行経験を積んだ。
  • 中学時代、PL学園から進学の勧誘があったが、僧籍をもつ的場は宗教上のわだかまりを感じPL学園からの勧誘は固辞、上宮高校へ進学。なお、上宮高校は浄土真宗でなく浄土宗である。
  • プロ入りの誘いがあったとき、的場および親族はプロ入りか野球をやめ仏道に専念するかで大いに迷った。しかし的場の父から
1.契約金すべてを実家に提供(寺の改築費用に充当のため)
2.オフシーズンはトレーニングの邪魔にならない範囲で寺の手伝いをする(除夜の鐘など)
という提案がなされ、これを受け入れた的場はプロ入りを果たした。
  • 2005年12月10日に同年5月入籍していた妻(会社員)と結婚式を挙げたが、披露宴で的場は羽織袴の上に袈裟懸け姿を披露、ケーキカットはせず鏡開きを行った。これは直樹の有僧籍者としての決意のあらわれとみられる。
  • しかしそんな的場だが、なぜかキリスト教プロテスタント)宣教師でもあったトニー・バティスタのことは尊敬しきりだった。これにはバティスタの善良な人柄もあったからといわれる。
  • ユーモラスな人柄、そして信仰に高い誇りを持つ的場だが、2005年オフの九州朝日放送の番組内で「実家が寺だからって(そして的場自身が近年薄毛が進行している点)、『住職』と呼ぶのだけはやめてほしい。」旨"困惑する胸のうち"を明かした。

2005年TVQ九州放送のスポーツ番組・「スポスタ」の番組内で、ギター侍・波田陽区ならぬ「ウクレレ侍」という名で「的場直樹のウクレレ侍」というコーナーをやっている。

ウクレレ侍に斬られた野球選手

プロ時代の戦歴

通算成績2005年シーズン終了時

  • 試合数87 打率.166(155打数25安打)4HR 11打点 0盗塁

テーマソング

  • 一世風靡セピア:「前略、道の上より」(2005年)
    • 的場は元来柳葉敏郎のファンで、柳葉の活動のルーツをたどるうち、一世風靡にハマったらしい。「永年髪型もギバちゃんカットにしていたが…」と九州朝日放送の番組内でコメントしている。
  • 氣志團:「スウィンギン・ニッポン」(2006年)
  • 嶋大輔:「男の勲章」(2006年)

関連項目

外部リンク

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