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2022年6月6日 (月) 11:25時点における版

樋口弘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1947-01-20) 1947年1月20日(77歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 東京・勝又忠(1965 - 1967)
東京・蛯名武五郎(1967 - 1970)
東京・藤本冨良(1970 - 1972)
東京・古山良司(1972 - 1973)
栗東・日迫良一(1978)
栗東・柳田次男(1978 - 1985)
栗東・フリー(1985 - 1989)
栗東・中尾正(1989 - 1994)
初免許年 1965年3月6日
免許区分 平地(初期には障害の免許も保持)
騎手引退日 1995年2月28日
重賞勝利 11勝
G1級勝利 2勝
通算勝利 395勝
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樋口 弘(ひぐち ひろし、1947年1月20日 - )は、神奈川県出身の元騎手調教助手。子息の喬啓もJRA調教助手。

経歴

1962年馬事公苑騎手養成長期課程を受け、1964年3月東京・勝又忠厩舎にて騎手見習となり、1965年に同厩舎所属としてデビュー。3月6日の東京第5競走4歳以上30万下・ダイニシンエイ(7頭中5着)で初騎乗を果たし、4月29日の東京第3競走4歳未勝利・シントネオーで初勝利を挙げる。初年度から2桁の10勝をマークし、2年目の1966年には25勝(平地19勝, 障害6勝)を記録。3年目の1967年からは平地の騎乗に専念し始め、勝又厩舎から蛯名武五郎厩舎に移籍。アラブ王冠(秋)で蛯名厩舎のタイセイユウに騎乗し、重賞初制覇。関東の若手騎手として頭角を現し、1968年には自己最多の43勝を挙げて自己最高の全国12位にランクイン。1970年には師匠の急死により藤本冨良厩舎、さらに1972年には古山良司厩舎へ移籍。同年は京王杯AHトーヨーアサヒで4年ぶりの重賞勝ちを決めたほか、7月日本短波賞からコンビを組んでいたタカイホーマクイーンSを制す。1973年1月に交通事故を起こし、同年2月1日付けで樋口自ら騎手免許を返上し、いったん引退。1978年には騎手への復帰が認められて3月1日付で復帰したが、以前の関東ではなく、栗東・日迫良一厩舎に所属。その後すぐに柳田次男厩舎に移籍し、同年の有馬記念では、エリモジョージに騎乗する福永洋一から乗り替わったインターグロリアで2着に入る。1981年には宝塚記念カツアールGI級レース初制覇を果たし、1984年にはエリザベス女王杯キョウワサンダーで制す。1985年からはフリーとなるが、1989年より中尾正厩舎に所属。1990年小倉大賞典・ミスターヤマノが最後の重賞制覇となる。1992年阪神3歳牝馬S・プランタンバンブーが最後のGI騎乗、1993年毎日杯・マルブツハヤブサが最後の重賞騎乗となった。同年6月27日京都第7競走4歳以上500万下・アイリスバンブーが最後の勝利となり、11月28日の京都第12競走4歳以上900万下・ビッグジョージ(9頭中8着)を最後に騎乗が無くなる。1995年2月28日付で引退。

引退後は中尾正厩舎の調教助手となった。

騎手通算成績

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 389 342 368 2,366 3,765 .103 .194
障害 6 4 5 20 35 .171 .286
395 346 373 2,386 3,800 .104 .195

主な騎乗馬

太字はGIレース。

その他

参考文献

  • 『中央競馬年鑑』(昭和40年 - 平成7年版)(日本中央競馬会)