コンテンツにスキップ

「内藤政里」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
官位 追加。 ソースは、増補改定版 日本史に出てくる官職と位階がわかる本。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
34行目: 34行目:


== 系譜 ==
== 系譜 ==
'''父母'''
*父:[[内藤政森]](1683-1738)
* [[内藤政森]](父)
*母:不詳
* 宇野氏 ー 側室(母)
*正室:[[脇坂安清]]の娘

**次男:[[内藤政苗]](1741-1802)
'''正室'''
*生母不明の子女
* [[脇坂安清]]の娘
**長男:[[内藤政陽]](1739-1781) - [[内藤政樹]]の養子

'''子女'''
* [[内藤政陽]](長男)<ref>[[内藤政樹]]の養子</ref>
* [[内藤政苗]](次男)生母は正室


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2022年7月15日 (金) 11:06時点における最新版

 
内藤政里
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年(1713年
死没 延享3年4月30日1746年6月18日
改名 金一郎(幼名)、政里
別名 政能
官位 従五位下山城守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
上野安中藩
氏族 内藤氏
父母 内藤政森:不詳
兄弟 政里政則大田原建清正室ら
正室脇坂安清の娘
政陽政苗
テンプレートを表示

内藤 政里(ないとう まささと)は、江戸時代中期の大名。名は政能とも。上野国安中藩の第2代藩主官位従五位下山城守挙母藩内藤家4代。

経歴[編集]

初代主・内藤政森の次男として誕生。幼名は金一郎。

享保18年(1733年)4月6日、父の隠居により跡を継ぐ。延享3年(1746年)に34歳で死去し、跡を次男・政苗が継いだ。

系譜[編集]

父母

正室

子女

脚注[編集]

  1. ^ 内藤政樹の養子