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== 著書 ==
== 著書 ==
*『古墳の知識 1 (墳丘と内部構造)』東京美術 考古学シリーズ 1985
*『古墳の知識 1 (墳丘と内部構造)』[[東京美術]] 考古学シリーズ 1985
*『日本のあけぼの 5 古墳の造られた時代』[[毎日新聞社]] 1989
*『日本のあけぼの 5 古墳の造られた時代』[[毎日新聞社]] 1989
*『古墳の語る古代史』歴史民俗博物館振興会「歴博ブックレット」 1998/[[岩波現代文庫]] 2000
*『古墳の語る古代史』歴史民俗博物館振興会「歴博ブックレット」 1998/[[岩波現代文庫]] 2000

2022年7月16日 (土) 02:41時点における版

白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日[1] - )は、日本考古学者国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長。

略歴

大阪府大阪市に生まれる。大阪星光学院高等学校を経て、1968年同志社大学大学院博士課程単位取得退学後、(財)古代学協会研究員、奈良県立橿原考古学研究所所員、国立歴史民俗博物館教授、同副館長(この間、総合研究大学院大学教授、放送大学客員教授を兼任)、奈良大学文学部教授などを歴任する。考古学による日本の古代国家・古代文化形成過程の解明を目指す。

2002年、雄山閣考古学賞受賞。2020年、地域文化功労者表彰[2]

見解

  • 邪馬台国畿内説支持派。
  • 邪馬台国の時代の土器の移動に関する研究から神武東征伝説については、史実ではなかった可能性を指摘している。[3]
  • 箸墓古墳の被葬者を卑弥呼に比定し、古墳が造られた年代順から天理市の西殿塚古墳台与の墓であると考察している。[4]
  • これらの説の多くが炭素年代測定法による解析に依存しており、現代ではこの時代の土器類の炭素年代測定法では50年ないし100年古く推定されることが明らかになったため、依然として学会の定説とはなっていない。[要出典]

著書

  • 『古墳の知識 1 (墳丘と内部構造)』東京美術 考古学シリーズ 1985
  • 『日本のあけぼの 5 古墳の造られた時代』毎日新聞社 1989
  • 『古墳の語る古代史』歴史民俗博物館振興会「歴博ブックレット」 1998/岩波現代文庫 2000
  • 『古墳とヤマト政権 古代国家はいかに形成されたか』文藝春秋<文春新書> 1999
  • 『古墳と古墳群の研究』塙書房 2000
  • 『古墳とその時代』山川出版社「日本史リブレット」 2001 
  • 『考古学と古代史の間』筑摩書房「ちくまプリマーブックス」 2004/ちくま学芸文庫 2009 
  • 『近畿の古墳と古代史』学生社 2007
  • 『東国の古墳と古代史』学生社 2007
  • 『考古学からみた倭国』青木書店 2009
  • 『古墳と古墳時代の文化』塙書房 2011
  • 『古墳からみた倭国の形成と展開』敬文舎 日本歴史・私の最新講義 2013
  • 『古墳からみた大王と豪族』中央公論新社<中公叢書> 2018 

共編著

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.321
  2. ^ 令和2年度地域文化功労者表彰名簿
  3. ^ 日本時代史(1)『倭国誕生』白石太一郎編 2002年 ISBN 4-642-00801-2
  4. ^ 『考古学と古代史の間』 2004年 筑摩書房 ISBN 4-480-04254-7

関連項目