コンテンツにスキップ

「島田陽子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
98行目: 98行目:
2019年7月、米山仁と離婚。
2019年7月、米山仁と離婚。


2022年7月25日12時57分、東京都渋谷区の病院で死去した<ref>[https://nordot.app/924285111325949952 俳優、島田陽子さんが死去 69歳、「砂の器」] - 共同通信 2022年7月25日</ref>。{{没年齢|1953|5|17|2022|7|25}}。関係者によれば亡くなる3年前から[[大腸癌|大腸がん]]で闘病生活を送っており<ref name="post">[https://www.news-postseven.com/archives/20220725_1777150.html?DETAIL 女優・島田陽子さん逝去、大腸がんで闘病中だった 生前には「宇宙葬」も予約] - NEWSポストセブン 2022年7月25日</ref>、病状は近しい関係者にのみ伝えられており、入退院を繰り返していた。治療は仕事との両立の面から手術や[[抗がん剤]]による治療は行っていなかったとのことである。7月に入って体調不良のため検査入院、その後は体調が好転し退院が近づいていたが、同月21日に大量の下血により血圧が低下、亡くなる当日午前に危篤に陥り、病院関係者に看取られて息を引き取ったという<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202207260000002.html 島田陽子さん死去「役者として役に入れなくなる」抗がん剤治療や手術断る 近年は映画製作に意欲] - 日刊スポーツ 2022年7月26日</ref>。
2022年7月25日(月曜日)午後0時57分、東京都渋谷区の病院で死去した<ref>[https://nordot.app/924285111325949952 俳優、島田陽子さんが死去 69歳、「砂の器」] - 共同通信 2022年7月25日</ref>。{{没年齢|1953|5|17|2022|7|25}}。関係者によれば亡くなる3年前から[[大腸癌|大腸がん]]で闘病生活を送っており<ref name="post">[https://www.news-postseven.com/archives/20220725_1777150.html?DETAIL 女優・島田陽子さん逝去、大腸がんで闘病中だった 生前には「宇宙葬」も予約] - NEWSポストセブン 2022年7月25日</ref>、病状は近しい関係者にのみ伝えられており、入退院を繰り返していた。治療は仕事との両立の面から手術や[[抗がん剤]]による治療は行っていなかったとのことである。7月に入って体調不良のため検査入院、その後は体調が好転し退院が近づいていたが、同月21日に大量の下血により血圧が低下、亡くなる当日午前に危篤に陥り、病院関係者に看取られて息を引き取ったという<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202207260000002.html 島田陽子さん死去「役者として役に入れなくなる」抗がん剤治療や手術断る 近年は映画製作に意欲] - 日刊スポーツ 2022年7月26日</ref>。


なお、[[1970年]]に[[三波春夫]]等が歌唱し大ヒットした「[[世界の国からこんにちは]]」の作詞者・[[島田陽子 (詩人)|島田陽子]]は別人である。
なお、[[1970年]]に[[三波春夫]]等が歌唱し大ヒットした「[[世界の国からこんにちは]]」の作詞者・[[島田陽子 (詩人)|島田陽子]]は別人である。

2022年7月25日 (月) 22:52時点における版

しまだ ようこ
島田 陽子
生年月日 (1953-05-17) 1953年5月17日
没年月日 (2022-07-25) 2022年7月25日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本熊本県熊本市[1]
死没地 日本の旗 日本東京都渋谷区
血液型 O型
職業 女優
活動期間 1970年 - 2022年
活動内容 1970年:女優デビューテレビドラマ『おさな妻』
主な作品
映画
砂の器[1]
球形の荒野
犬神家の一族
黄金の犬
テレビドラマ
おさな妻
仮面ライダー
続・氷点
われら青春!
華麗なる一族
黄金の日日
白い巨塔
将軍 SHŌGUN[1]
山河燃ゆ
 
受賞
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1980年将軍 SHŌGUN
その他の賞
ハリウッド・ゴールデンアップル賞(1980年、ディスカバリー・オブ・ザ・イヤー)
ゴールデングローブ賞(1981年、テレビドラマ『将軍 SHŌGUN』でテレビドラマシリーズ部門・女優賞)
IBA賞(ウーマン・オブ・ザ・イヤー)
第3回日本ジュエリーベストドレッサー賞(1992年、30代部門)
テンプレートを表示
しまだ ようこ
島田 陽子
プロフィール
生年月日 1953年5月17日
没年月日 2022年7月25日
没年齢 69歳(数え70)
出身地 日本の旗 日本熊本市
血液型 O型
公称サイズ([1]時点)
身長 / 体重 171 cm / kg
ブラサイズ C
単位系換算
身長 / 体重 5 8 / lb
活動
デビュー 1970年
ジャンル 女優
出演期間 2011年 - 2022年
テンプレートを表示

島田 陽子(しまだ ようこ、1953年5月17日[2][3] - 2022年7月25日)は、日本女優。一時芸名を島田楊子としていた[3]血液型はO型、身長171cm。ミライピクチャーズジャパン業務提携。近年はエクシード株式会社を設立。

熊本県熊本市出身[2][3]駒沢学園女子高等学校卒業[1]

来歴・人物

3歳からクラシックバレエを習い、高校まではバレリーナを目指していた。8歳の時に東京へ移住[3]。中学1年生の時に劇団若草に入団[2][3]

テレビドラマのデビュー作は1970年度版の『おさな妻』。 翌年、『続・氷点』では辻口陽子役を演じ[1][3]、最終回の視聴率は42.7%に達した[4]

当たり役を得たことで一気に出演依頼が殺到し、しかも出演作は高視聴率を誇ったため、人気女優の座を不動のものにした[1]

1970年代の映画・テレビドラマでは、正義感あふれる良家の子女役を多く演じた[5]

1974年、『われら青春!』でヒロインの女教師役を演じ、「清純派女優」として若者世代を中心に人気となる。

1980年、アメリカのテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』(映画編集され欧米・日本等で上映)でヒロイン・まり子役を演じ、「アカデミー賞の前哨戦」であるゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞して「国際女優」とも呼ばれた(『将軍 SHŌGUN』がゴールデングローブ賞の作品賞と主演男優賞(リチャード・チェンバレン)も受賞)[2][3]

『将軍 SHŌGUN』の大ヒットを受け、翌1981年(28歳)には、アメリカに在住する日系アメリカ人女性マラソン選手・ゴーマン美智子の自伝『走れ!ミキ』を映画化した作品『リトルチャンピオン』に主演した(アメリカ人スタッフによるオール・アメリカ・ロケの映画であるが制作国は日本)。

ロック歌手・内田裕也と不倫交際し、内田に貢ぎ続けて多額の借金をつくる[1]

1988年ハワイコンドミニアムで内田裕也と不倫密会をしている写真を写真週刊誌フライデー』に掲載される。

内田裕也は島田と結婚するために別居している妻・樹木希林に離婚を申し入れたが樹木は拒否。内田は役所に離婚届を提出したが、樹木は離婚無効の訴訟を起こして勝訴し、内田と離婚しなかった。そのため、島田は内田と結婚することができなかった。

2億5千万円で購入した横浜の豪邸のローンや税金を払えなくなり、さらに自家用車の修理代や引っ越し費用の未払いなど、金銭トラブルが相次いだ。

SM作家・団鬼六から100万円を借りたが返済が滞り、団から債権を引き継いだ不動産会社社長から刑事告訴された。[要出典]

1992年ヘアヌード写真集を発売[1]。その写真集『Kir Royal(キール・ロワイヤル)』は出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で55万部[6]のベストセラーになる。

1996年、3歳年下のテレビの照明技術者・米山仁と、2年間の同棲を経て結婚した[7]。米山には妻子がいて、略奪婚であった。

2011年1月、MUTEKIからAV(イメージビデオ)に出演し、往年のファンに衝撃を与えた[1]

2019年7月、米山仁と離婚。

2022年7月25日(月曜日)午後0時57分、東京都渋谷区の病院で死去した[8]。69歳没。関係者によれば亡くなる3年前から大腸がんで闘病生活を送っており[9]、病状は近しい関係者にのみ伝えられており、入退院を繰り返していた。治療は仕事との両立の面から手術や抗がん剤による治療は行っていなかったとのことである。7月に入って体調不良のため検査入院、その後は体調が好転し退院が近づいていたが、同月21日に大量の下血により血圧が低下、亡くなる当日午前に危篤に陥り、病院関係者に看取られて息を引き取ったという[10]

なお、1970年三波春夫等が歌唱し大ヒットした「世界の国からこんにちは」の作詞者・島田陽子は別人である。

エピソード

  • 高校生時代は学級委員を務める優等生で、卓球・テニス・バスケットボールを得意とするなどスポーツも万能であった[2]
  • かつて右に大きなえくぼがあった。
  • 仮面ライダー』への出演は、主演の藤岡弘と同じ事務所に所属していたことによるバーター起用であった[2][3][注釈 1]。プロデューサーの阿部征司はマネージャーから「ノーギャラでも構わない」と言われていたが[2][3]、小遣い程度のギャラは出ていたはずだと述べていた。
  • 自身の死後は、銀河ステージ宇宙葬の予約をしていた[9]

出演作品

テレビドラマ

テレビアニメ

ラジオ番組

  • 島田陽子ワクワクモーニング(2015年10月3日 - 、文化放送[14]

映画

CM

写真集

  • キール・ロワイヤル(遠藤正撮影、1992年)
  • YOHKO(遠藤正撮影、1993年)
  • quatre(渡辺達生撮影、1994年)

アダルトイメージビデオ

  • 密会(2011年1月1日、MUTEKI)
  • 不貞愛(2011年2月1日、MUTEKI)

ディスコグラフィ

シングル

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
ビクター・レコード
1972年 EP SV-2247 A 愛のナレーション 高嶺修二
上野登代志(台詞)
高嶺修二 クニ河内
B 冬はその年も流れて 酒井国雄 千葉毅 ボブ佐久間
1973年 EP SV-1163 A 勇気をだして 山上路夫 鈴木邦彦 佐藤行
B 小さな坂道

アルバム


著書・写真集

受賞歴

※1981年にテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』で、エミー賞ミニシリーズ部門・主演女優賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。

脚注

注釈

  1. ^ 『仮面ライダー』の初期企画案『十字仮面』の毎日放送による企画書でヒロイン緑川ルリ子役に決定していた[11][3]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.85.
  2. ^ a b c d e f g OFM仮面ライダー4 2004, p. 21, 「特集 ライダーガールズグラフィティー 美しきヒロインたちの肖像」
  3. ^ a b c d e f g h i j 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 191, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
  4. ^ 日刊スポーツ・特集「一夜でシンデレラガール 島田楊子」
  5. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 90年代"ヘアバブル"の到来
  6. ^ FLASH』2003年12月23・30日合併号、光文社、21頁。
  7. ^ 島田陽子さん死去、69歳 大腸がんで闘病中 「SHOGUN」で国際スターに”. デイリースポーツ (2022年7月25日). 2022年7月25日閲覧。
  8. ^ 俳優、島田陽子さんが死去 69歳、「砂の器」 - 共同通信 2022年7月25日
  9. ^ a b 女優・島田陽子さん逝去、大腸がんで闘病中だった 生前には「宇宙葬」も予約 - NEWSポストセブン 2022年7月25日
  10. ^ 島田陽子さん死去「役者として役に入れなくなる」抗がん剤治療や手術断る 近年は映画製作に意欲 - 日刊スポーツ 2022年7月26日
  11. ^ 「仮面ライダーは、こうして誕生した」『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』講談社、1986年5月3日、130-133頁。ISBN 4-06-178401-3 
  12. ^ 完全保存版『仮面ライダーヒロイン図鑑』”. 週プレNEWS (2020年12月13日). 2020年12月23日閲覧。
  13. ^ 怪盗ルパン813の謎”. メディア芸術データベース. 2016年11月11日閲覧。
  14. ^ 島田 陽子”. R&K プロダクション. 2019年3月10日閲覧。
  15. ^ 「法の華三法行」元代表・福永法源氏、波乱の半生描く「塀の中の神様」で俳優デビュー”. 映画.com (2015年9月18日). 2015年9月18日閲覧。

参考文献

外部リンク