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|活動期間 = [[1971年]] -
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'''Char'''(チャー、[[1955年]]〈昭和30年〉[[6月16日]] - )は、[[日本]]の[[ミュージシャン]]。[[ギタリスト]]、[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]である。本名、竹中 尚人(たけなか ひさと)。[[東京都]][[品川区]][[戸越]]出身。
'''Char'''(チャー、[[1955年]]〈昭和30年〉[[6月16日]] - )は、[[日本]]の[[ギタリスト]]、[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]。本名、竹中 尚人(たけなか ひさと)。[[東京都]][[品川区]][[戸越]]出身。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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=== アマチュア時代 ===
=== アマチュア時代 ===
11歳 ~ 13歳([[1966年]] - [[1968年]])に同級生の[[新川博]]らと『FOX』結成。[[ヤードバーズ]]、[[ドアーズ]]、[[ローリング・ストーンズ]]等をレパートリーとしていた。14歳 ~(1969年)『JAH(ヤッハ)』結成。3人のバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名。ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとしバンド・コンテスト等にも出場。この時、早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、『生ギターでフォークみたいのやらない』という条件に断る。
11歳 ~ 13歳([[1966年]] - [[1968年]])に同級生の[[新川博]]らと『FOX』結成。[[ヤードバーズ]]、[[ドアーズ]]、[[ローリング・ストーンズ]]等をレパートリーとしていた。14歳 ~(1969年)『JAH(ヤッハ)』結成。3人のバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名。ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとしバンド・コンテスト等にも出場。この時、早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、『生ギターでフォークみたいのやらない?』という条件に断る。


16歳([[1971年]])『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場しオリジナル曲を演奏。地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、[[グランド・ファンク・レイルロード]]等をレパートリーとしていた。
16歳([[1971年]])『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場しオリジナル曲を演奏。地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、[[グランド・ファンク・レイルロード]]等をレパートリーとしていた。


1971年(中学3年生 ~ 高校1年生)に、[[スタジオミュージシャン]]としての初仕事をこなす。レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、[[エリック・クラプトン]]などの曲を収めるためだった。当時のスタジオミュージシャンはジャズ系スタイルの人が多く、ロック系ギタリストは少数だったため、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だったそうである。その時のエピソードとして、その当時の録音エンジニア達はロック・エレキギターの『[[歪み]]』『[[フィードバック奏法]]』を認識しておらず、戸惑ったと自身が回想している。
1971年(中学3年生 ~ 高校1年生)に、[[スタジオミュージシャン]]としての初仕事をこなす。レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、[[エリック・クラプトン]]などの曲を収めるためだった。当時のスタジオミュージシャンはジャズ系スタイルの人が多く、ロック系ギタリストは少数だったため、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だったそうである。その時のエピソードとして、その当時の録音エンジニア達はロック・エレキギターの『[[歪み]]』『[[フィードバック奏法]]』を認識しておらず、戸惑ったと回想している。


17歳([[1972年]])『Shock』結成。別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散してしまう
17歳([[1972年]])『Shock』結成。別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散する


[[1973年]]、[[スモーキー・メディスン]]を結成。
[[1973年]]、[[スモーキー・メディスン]]を結成。


『Shock』『Bad Scene』にて[[日比谷野外音楽堂]]でライブをしていた頃、[[金子マリ]]も別のバンドで同じステージに立っていた。ある日、街中で出会い連絡先を交換。『Bad Scene』も解散してしまい、『Bad Scene』のベーシスト[[鳴瀬喜博]]、『Shock』の[[佐藤準]]・[[藤井章司]]と共に新たなバンドの構想中、[[金子マリ]]から『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話を受けて迎え入れた。同年8月には[[合歓の郷]]で合宿をし本格的な活動準備に入る
『Shock』『Bad Scene』にて[[日比谷野外音楽堂]]でライブをしていた頃、[[金子マリ]]も別のバンドで同じステージに立っていた。ある日、街中で出会い連絡先を交換。


『Bad Scene』も解散し、『Bad Scene』のベーシスト[[鳴瀬喜博]]、『Shock』の[[佐藤準]]・[[藤井章司]]と共に新たなバンドの構想中、金子マリから『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話を受けて迎え入れた。同年8月には[[合歓の郷]]で合宿を行い本格的な活動準備に入る。
Charは、当時[[エレックレコード (オリジナル)|エレックレコード]]所属アーティストのレコーディングにも参加していたため、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キングレコード/[[1974年]]リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディングエンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオに入り、朝方にデモテープは完成。後日、そのテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、[[鳴瀬喜博]]以外は高校生だったが、その圧倒的な演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、[[内田裕也]]の耳にも入る。当時、Char本人がチケットを購入して見に行く予定だった、とも言われていた内田裕也プロデュース・イベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:[[PARCO劇場|西武劇場]])において[[サディスティック・ミカ・バンド]]が出演予定だった、だが、同バンドは海外公演決定のためキャンセル。その空いた時間にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにも関わらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。


Charは、当時[[エレックレコード]]所属アーティストのレコーディングにも参加していたため、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:[[キングレコード]]/[[1974年]]リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディングエンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオに入り、朝方にデモテープは完成。後日、そのテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬喜博以外は高校生だったが、その圧倒的な演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、[[内田裕也]]の耳にも入る。当時、Char本人がチケットを購入して見に行く予定だった、とも言われていた内田裕也プロデュース・イベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:[[PARCO劇場|西武劇場]])において[[サディスティック・ミカ・バンド]]が出演予定だったが、同バンドは海外公演決定のためキャンセル。その空いた時間にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにも関わらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。
以降は様々なロックイベントに出演した。当時日本最大のロックフェスティバルと呼ばれた[[ワンステップフェスティバル|郡山ワンステップフェスティバル1974]]にも出演が決まっていたが、その直前に解散してしまった。解散理由は音楽的指向性の他にも諸説いわれている。

以降は様々なロックイベントに出演した。当時日本最大のロックフェスティバルと呼ばれた[[ワンステップフェスティバル|郡山ワンステップフェスティバル1974]]にも出演が決まっていたが、その直前に解散した。解散理由は音楽的指向性の他にも諸説あるといわれている。


解散後Charはフォーク系グループのレコーディングやLIVEでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。
解散後Charはフォーク系グループのレコーディングやLIVEでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。


=== プロデビュー後 ===
=== プロデビュー後 ===
[[1976年]][[6月]]NAVY BLUEでソロ・デビュー、[[9月]]にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。[[1977年]]6月リリースされた『[[気絶するほど悩ましい]]は、外部の作詞([[阿久悠]])、作曲([[梅垣達志]])で自身のROCK指向と異なる『歌謡ROCK』路線となりアイドル系ギタリストボーカリストとして人気を博す。[[1978年]]には逆光線』『闘牛士とヒットを飛ばし、同時期に登場した[[世良公則&ツイスト]]、[[原田真二]]の3人(グループ)と共に『ロック御三家』と呼ばれる<ref name="週刊朝日1978630">[[週刊朝日]]1978年6月30日号 pp.142-145「いま女の子に騒がれているロック御三家のカクメイ的音楽性」</ref>。
[[1976年]][[6月]]、[[ポニーキャニオン|キャニオン・レコード]] / SEE SAWからシングル「[[NAVY BLUE (Charの曲)|NAVY BLUE]]」でソロ・デビュー、[[9月]]にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。[[1977年]]6月リリース[[気絶するほど悩ましい]]は、外部の作詞([[阿久悠]])、作曲([[梅垣達志]])で自身のロッック指向と異なる『歌謡ロック』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。[[1978年]]には「[[逆光線]]」「闘牛士とヒットを飛ばし、同時期に登場した[[世良公則&ツイスト]]、[[原田真二]]と共に『ロック御三家』と呼ばれる<ref name="週刊朝日1978630">[[週刊朝日]]1978年6月30日号 pp.142-145「いま女の子に騒がれているロック御三家のカクメイ的音楽性」</ref>。


他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている<ref name="週刊朝日1978630"/>。アイドル性を狙うもバンドのメンバーにルックスの悪いハーフがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという<ref name="週刊朝日1978630"/>。
他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている<ref name="週刊朝日1978630"/>。アイドル性を狙うもバンドのメンバーにルックスの悪いハーフがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという<ref name="週刊朝日1978630"/>。
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この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡した[[ピンク・レディー]]の想像を絶する忙しさと、[[五木ひろし]]や[[新沼謙治]]といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。
この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡した[[ピンク・レディー]]の想像を絶する忙しさと、[[五木ひろし]]や[[新沼謙治]]といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。


[[1978年]]7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にて[[Godiego]]と共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたGodiegoとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。
[[1978年]]7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にて[[ゴダイゴ]]と共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。


同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。[[TBSテレビ|TBS]]の時代劇特番『[[雲を翔びこせ]](渋沢栄一伝)』にて主人公の[[渋沢栄一]]([[西田敏行]])の嫁、千代([[池上季実子]])の兄、長七朗役を演じる。
同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。[[TBSテレビ|TBS]]の時代劇特番『[[雲を翔びこせ]](渋沢栄一伝)』にて主人公の[[渋沢栄一]]([[西田敏行]])の嫁、千代([[池上季実子]])の兄、長七朗役を演じる。


同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なROCKバンド結成を構想。Yellow~金子マリ&バックスバニーの[[ジョニー吉長]]、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等の[[ルイズルイス加部]]と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成し活動準備のため、合歓の郷で合宿
同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なロックバンド結成を構想。


Yellow~金子マリ&バックスバニーの[[ジョニー吉長]]、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等の[[ルイズルイス加部]]と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成。活動準備のため、合歓の郷で合宿。
年秋発売のBLUE CHRISTMASは東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌が、第6シングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にchar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたシングルサントラとして構成)も同時発売されるという異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。


1978年秋発売のBLUE CHRISTMASは東宝映画『[[ブルークリスマス]]』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である[[佐藤勝]]。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。
その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に'''「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられた'''ため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなってしまう。同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止となってしまった


その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとな。同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止とな
[[1979年]][[カルメン・マキ]]の支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。


[[1979年]][[カルメン・マキ]]の支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。
同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にも関わらず全国からファンが殺到[[日比谷野外音楽堂]]の動員記録を樹立する(当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)

同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にも関わらず全国からファンが殺到[[日比谷野外音楽堂]]の動員記録を樹立する(当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)


[[1980年]]5月『Trycycle』、[[1981年]]『OiRA』を発表。
[[1980年]]5月『Trycycle』、[[1981年]]『OiRA』を発表。


所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「[[ピンククラウド]]」(PINK CLOUD) と改名。1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、[[1983年]]11月『PINK CLOUD』、[[1984年]]11月『PLANT BLEND』を発表。レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件があり、この時期は精力的な活動期間でもあった。この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。ジョニー吉長のソロアルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。
所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「[[ピンククラウド]]」と改名。[[バップ]]に所属。1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、[[1983年]]11月『PINK CLOUD』、[[1984年]]11月『PLANT BLEND』を発表。レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件があり、この時期は精力的な活動期間でもあった。この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。ジョニー吉長のソロアルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。


[[1985年]]、「[[ピンククラウド]]」は2度目のレコード会社を移籍。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れず収録されたミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英半年を過ごす。そのため、PINK CLOUDとしてのバンド活動は年間でも数回となる。
[[1985年]]、ピンククラウドは2度目のレコード会社を移籍。[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]に所属。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れず収録たミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英半年を過ごす。ピンククラウドとしてのバンド活動は年間でも数回となる。


[[1986年]]3月 [[忌野清志郎]]とアニメ[[県立地球防衛軍]]のサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行った。
[[1986年]]3月 [[忌野清志郎]]とアニメ[[県立地球防衛軍]]のサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行った。


=== 一度目のレーベル立ち上げ ===
=== 一度目のレーベル立ち上げ ===
[[1988年]] - [[1997年]] 電話通販専門の[[インディーズ]][[レコードレーベル]]「江戸屋Record」を運営。[[1988年]]6月 ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表以後、『PINK CLOUD』としての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。
[[1988年]] - [[1997年]] 電話通販専門の[[インディーズ]][[レコードレーベル|レーベル]]「江戸屋Record」を運営。[[1988年]]6月ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表以後ピンククラウドとしての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。


[[1991年]]にはイベントがきっかけで組まれた[[石田長生]]とのアコースティック・デュオ「[[BAHO]]」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、活動を続けた。
[[1991年]]にはイベントがきっかけで組まれた[[石田長生]]とのアコースティック・デュオ「BAHO」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、活動を続けた。


[[1992年]]4月 - 「[[PSYCHEDELIX]]」を発表。これは『PSYCHE』1988年ソロLIVEを行う際に[[佐藤準]]、[[アンルイス]]、[[ジミー・コープリー|ジム・コプリー]]、[[W:en:Jaz Lochrie|ジャズ・ロッホリー]]、と組まれた『Char & THE PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバムとしては3枚を発表。
[[1992年]]4月、『PSYCHEDELIXを発表。これは『PSYCHE』発売時の1988年ソロ・ライブを行う際に[[佐藤準]]、[[アンルイス]]、[[ジミー・コープリー|ジム・コプリー]]、[[W:en:Jaz Lochrie|ジャズ・ロッホリー]]、と組まれた『Char & THE PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバム3枚を発表。


[[1994年]]、PINK CLOUD/JOHNNY, LOUIS & CHARが解散。
[[1994年]]、PINK CLOUDJOHNNY, LOUIS & CHARが解散。


[[1995年]]、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースパートの収録は途中からcharが演奏している。
[[1995年]]、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースは途中からCharが演奏している。


[[1996年]]、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。
[[1996年]]、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。


[[1998年]]、Char自身もレコード会社を移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。
[[1998年]]、Char自身もレコード会社を[[ポリドール・レコード|ポリドール・レコードに]]移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。


=== 二度目のレーベル立ち上げ ===
=== 二度目のレーベル立ち上げ ===
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それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで[[奥田民生]]、[[山崎まさよし]]との『3人の侍』(Samurai‐3)がある。
それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで[[奥田民生]]、[[山崎まさよし]]との『3人の侍』(Samurai‐3)がある。


[[2011年]]の[[ライジング・サン・ロックフェスティバル|RSR]]では斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。
[[2011年]]の[[ライジング・サン・ロックフェスティバル|RSR]]では[[斉藤和義]]も加わり、『4人の侍』として登場した。


== 人物 ==
== 人物 ==
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:: Char曰く『公私ともに共同作業者』と語ることも多い。
:: Char曰く『公私ともに共同作業者』と語ることも多い。
* ロックバンド、[[RIZE]]、[[The BONEZ]]の[[JESSE]]は長男。
* ロックバンド、[[RIZE]]、[[The BONEZ]]の[[JESSE]]は長男。
* デビュー初期には[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]]のギター、[[フェンダー・ムスタング|ムスタング]]を使用。そのムスタングを手にしたのは偶然で、解体現場の[[アルバイト]]で貯めたお金で友人のカズ南沢より手に入れた[[ストラトキャスター]](塗装を剥いだナチュラル/ローズ)を盗まれてしまい、同じフェンダーを買いなおしたかったが当時は高くて買えず、アメリカン・スクールの友人宅のガレージセールで安くムスタングを見つけたからである([[1964年]]製のwhite)。
* デビュー初期には[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]]のギター、[[フェンダー・ムスタング|ムスタング]]を使用。そのムスタングを手にしたのは偶然で、解体現場の[[アルバイト]]で貯めたお金で友人のカズ南沢より手に入れた[[フェンダー・ストラトキャスター|ストラトキャスター]](塗装を剥いだナチュラル/ローズ)を盗まれてしまい、同じフェンダーを買いなおしたかったが当時は高くて買えず、アメリカン・スクールの友人宅のガレージセールで安くムスタングを見つけたからである([[1964年]]製のwhite)。
:: Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、[[1977年]] - [[1978年]]に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが[[釈迦]]に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、[[21世紀]]に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
* Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、[[1977年]] - [[1978年]]に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが[[釈迦]]に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、[[21世紀]]に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
:: [[2011年]]には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった<ref>http://www.fender.jp/topics/news/000860.php</ref>。
* [[2011年]]には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった<ref>http://www.fender.jp/topics/news/000860.php</ref>。

* 『[[さんまのSUPERからくりTV]]』([[TBSテレビ|TBS]]系)ではギターに夢中な少年少女の憧れの的として出演、アドバイスやセッションをしている。そのうちの二人が[[並木瑠璃]]、[[山岸竜之介]]だった。
* 『[[さんまのSUPERからくりTV]]』([[TBSテレビ|TBS]]系)ではギターに夢中な少年少女の憧れの的として出演、アドバイスやセッションをしている。そのうちの二人が[[並木瑠璃]]、[[山岸竜之介]]だった。
* 高校時代の音楽仲間には、[[クリス・ペプラー]]がいた。
* 高校時代の音楽仲間には、[[クリス・ペプラー]]がいた。
* ジム・コウプリー(ドラムス、元[[UPP]])と一緒に活動することが多かったが、レコーディングで渡英した時にジムと親交のある[[ジェフ・ベック]]の家を訪問してセッションを行った。
* ジム・コウプリー(ドラムス、元[[UPP]])と一緒に活動することが多かったが、レコーディングで渡英した時にジムと親交のある[[ジェフ・ベック]]の家を訪問してセッションを行った。
* [[石井竜也]]と親交が深く、[[米米CLUB]]の活動初期の頃は事務所の一部を貸していたり、米米のデビュー前のライブに急遽[[ドラマー]]として参加したことがあった。曲にクレジットはないが、米米CLUBのヒット曲「[[浪漫飛行]]」をアレンジしている。本人も石井と共演した際に度々「'''まだギャラ貰ってないぞ'''」と発言している<ref group="注">この件については[[2008年]][[6月3日]]に放送されたTV[[音楽番組]]『[[THE M]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問<br />石井:「米米には合わないかな?」<br />Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」<br />そして歌メロの~WOW WOW~はCharアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。</ref>。[[1991年]]、2人で覆面ユニット『P-SMOKE』としてミニ・アルバムを発表。(サントリーウイスキー『SMOKY』のCM曲として収録曲『ホワット・アー・ユー・アップ・トゥ・ネクスト』が使われた)。[[1996年]]には石井が監督を務めた映画『[[ACRIMSAT|ACRI]]』に合わせた同名ユニットACRIも結成。フル・アルバム『[[ACRI (アルバム)|ACRI]]』を発表。米米CLUB再結成のきっかけになったのが自身の誕生日パーティーだったこともあり、現在も石井のコンサートなどにも客演するなどしている
* [[石井竜也]]とも親交が深く、[[米米CLUB]]の活動初期の頃は事務所の一部を貸していたり、米米のデビュー前のライブに急遽[[ドラマー]]として参加したこともあった。曲にクレジットはないが、米米CLUBのヒット曲「[[浪漫飛行]]」をアレンジしている。
* [[石田長生]]とのユニット、BAHOのライブは、他のアーティストをおちょくったり、世相を笑い飛ばすなど、終始笑いが絶えない。演奏でも、「[[かえるの合唱]]」をマジメに歌ったり、ザ・ベンチャーズの代表曲「[[ダイアモンド・ヘッド (曲)|ダイアモンド・ヘッド]]」がいつの間にか「[[マイムマイム]]」に変わっているなど、ほとんどジョークのような演奏を繰り広げている。2人が1、3、5弦と2、4、6弦の三本ずつだけ張ったギターを持ち、ザ・ベンチャーズの楽曲を演奏するという芸をしたことがある。
:: 本人も石井竜也と共演した際に度々「'''まだギャラ貰ってないぞ'''」と発言している<ref group="注">この件については[[2008年]][[6月3日]]に放送されたTV[[音楽番組]]『[[THE M]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問<br />石井:「米米には合わないかな?」<br />Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」<br />そして歌メロの~WOW WOW~はCharアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。</ref>。
* [[2015年]][[6月2日]]『[[徹子の部屋]]』([[テレビ朝日]]系)に初出演。司会の[[黒柳徹子]]とはそれ以前に『[[ザ・ベストテン]]』(TBS系)でも共演経験がある([[1978年]][[5月4日]]放送にて「闘牛士」でスポットライトに出演した)。『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある[[松任谷由実]]が[[最終回]]の出演を希望していることを語った<ref name="Char150602">{{Cite news |url=https://datazoo.jp/tv/%e5%be%b9%e5%ad%90%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b/861930 |title=徹子の部屋<nowiki>|</nowiki>2015/06/02(火)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=株式会社ワイヤーアクション |date=2015-06-02}}</ref>。
* [[1991年]]には2人で覆面ユニット『P-SMOKE』としてminiアルバムを発表。(サントリーウイスキー『SMOKY』のCM曲として収録曲『ホワット・アー・ユー・アップ・トゥ・ネクスト』が使われた)[[1996年]]には石井竜也が監督を務めた映画『ACRI』に合わせた同名ユニットACRIも結成しフル・アルバム『ACRI』を発表。米米CLUB再結成のきっかけになったのが自身の誕生日パーティーだったこともあり、現在も石井竜也のコンサートなどにも客演するなどしている。
* [[石田長生]]とのユニット、[[BAHO]]のライブは、他のアーティストをおちょくったり、世相を笑い飛ばすなど、終始笑いが絶えない。演奏でも、「かえるの」をマジメに歌ったり、[[ベンチャーズ]]の代表曲「[[ダイアモンド・ヘッド (曲)|ダイアモンド・ヘッド]]」がいつの間にか「[[マイムマイム]]」に変わっているなど、ほとんどジョークのような演奏を繰り広げている。2人が1、3、5弦と2、4、6弦の三本ずつだけ張ったギターを持ち、[[ベンチャーズ]]の楽曲を演奏するという芸をしたことがある。
* [[2015年]][[6月2日]]『[[徹子の部屋]]』([[テレビ朝日]]系)に初めてゲスト出演。なお、司会の[[黒柳徹子]]とはそれ以前に『[[ザ・ベストテン]]』(TBS系)でも共演経験がある([[1978年]][[5月4日]]放送にて「[[闘牛士 (曲)|闘牛士]]」でスポットライトに出演した)。
:: 『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある[[松任谷由実]]が[[最終回]]の出演を希望しているとのことを語った<ref name="Char150602">{{Cite news |url=https://datazoo.jp/tv/%e5%be%b9%e5%ad%90%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b/861930 |title=徹子の部屋<nowiki>|</nowiki>2015/06/02(火)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=株式会社ワイヤーアクション |date=2015-06-02}}</ref>。

== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
=== シングル ===
=== シングル ===
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=== コラボレーションシングル ===
=== コラボレーションシングル ===
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!名義!!発売日!!タイトル!!c/w
!名義!!発売日!!タイトル!!c/w
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|[[2006年]][[11月25日]]
|[[2006年]][[11月25日]]
|'''[[Stereocaster]]'''
|'''[[Stereocaster]]'''
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=== アルバム ===
=== アルバム ===
==== オリジナルアルバム ====
==== オリジナルアルバム ====
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!枚!!発売日!!タイトル
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|'''MOON CHILD'''
|'''MOON CHILD'''
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!colspan="4"|江戸屋レコード
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!6th
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==== ミニアルバム ====
==== ミニアルバム ====
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==== ベストアルバム ====
==== ベストアルバム ====
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!枚!!発売日!!タイトル
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|'''プレイバック・シリーズ Char'''
|'''プレイバック・シリーズ Char'''
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==== ライブアルバム ====
==== ライブアルバム ====
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!枚!!発売日!!タイトル
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==== トリビュートアルバム ====
==== トリビュートアルバム ====
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==== リミックスアルバム ====
==== リミックスアルバム ====
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!枚!!発売日!!タイトル
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=== カバーアルバム ===
=== カバーアルバム ===
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!枚!!発売日!!タイトル
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=== CD SET ===
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!枚!!発売日!!タイトル
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=== 映像作品 ===
=== 映像作品 ===
* 20th Anniversary〜Electric guitar Concert〜(1999年12月23日)
# 20th Anniversary〜Electric guitar Concert〜(1999年12月23日)
* THE CLIPS(2000年9月20日)
# THE CLIPS(2000年9月20日)
* LIVE IN NIPPON BUDOKAN 2001〜BAMBOO JOINTS〜(2002年2月21日)
# LIVE IN NIPPON BUDOKAN 2001〜BAMBOO JOINTS〜(2002年2月21日)
* No Generation Gap(2004年7月7日)
# No Generation Gap(2004年7月7日)
* 彩気 Psyche(2005年10月26日)
# 彩気 Psyche(2005年10月26日)
* Amano-Jack Movin’ The documentary on studio work & Live tour of Char(2006年12月13日)
# Amano-Jack Movin’ The documentary on studio work & Live tour of Char(2006年12月13日)
* ROCK+EVE LIVE AT NIPPON BUDOKAN(2015年11月27日)
# ROCK+EVE LIVE AT NIPPON BUDOKAN(2015年11月27日)
* ROCK FREE CONCERT(2015年12月7日)
# ROCK FREE CONCERT(2015年12月7日)


=== タイアップ曲 ===
=== タイアップ曲 ===
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* [[まりちゃんズ]]([[藤岡藤巻]]在籍)『ひがみブルース / ※尾崎家の祖母』(EP・1975年)
* [[まりちゃんズ]]([[藤岡藤巻]]在籍)『ひがみブルース / ※尾崎家の祖母』(EP・1975年)
* [[とみたいちろう]]『STEP TO MY WAY』(1976年)
* [[とみたいちろう]]『STEP TO MY WAY』(1976年)
* [[浜田良美]]『春秋の章』(1976年)
* 浜田良美『春秋の章』(1976年)
* [[パンタ (歌手)|パンタ]] 『PANTA'X WORLD』(1976年4月)
* [[パンタ (歌手)|パンタ]] 『PANTA'X WORLD』(1976年4月)
* [[泉谷しげる]]『光石の巨人』(1977年6月25日※同年TOURにも参加)
* [[泉谷しげる]]『光石の巨人』(1977年6月25日※同年TOURにも参加)
* [[西慎嗣]](元[[スペクトラム (日本のバンド)|スペクトラム]]のギタリスト)『西 慎嗣 & Lord, Lord, Lawdy Miss Clawdy Group』(1980年8月21日)※Keyで参加
* 西慎嗣(元[[スペクトラム (日本のバンド)|スペクトラム]]のギタリスト)『西 慎嗣 & Lord, Lord, Lawdy Miss Clawdy Group』(1980年8月21日)※Keyで参加
* [[ジョニー吉長]] 『JOHNNY』(1977年)『スカイ・ジュース』(1979年)『LOVE CHILD』(1983年)
* [[ジョニー吉長]] 『JOHNNY』(1977年)『スカイ・ジュース』(1979年)『LOVE CHILD』(1983年)
* [[TENSAW]]『TENSAW』(1981年10月)※ Keyで参加
* [[TENSAW]]『TENSAW』(1981年10月)※ Keyで参加
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* [[アン・ルイス]] 『Heavy Moon』(1983年3月21日)『Piercer』(1994年11月23日)『Lovin’You / 銀色の涙 (CDS)』(1992年11月21日)
* [[アン・ルイス]] 『Heavy Moon』(1983年3月21日)『Piercer』(1994年11月23日)『Lovin’You / 銀色の涙 (CDS)』(1992年11月21日)
* [[ハルク・ホーガン]]『一番』(ミニLP)(1983年)
* [[ハルク・ホーガン]]『一番』(ミニLP)(1983年)
* [[イースタン・オービット]]『ジャーニー・トゥ・ユートピア (LIVE)』(1983年)
* イースタン・オービット『ジャーニー・トゥ・ユートピア (LIVE)』(1983年)
* [[樋口宗孝]]『ディストラクション 〜破壊凱旋録〜』(1983年)
* [[樋口宗孝]]『ディストラクション 〜破壊凱旋録〜』(1983年)
* [[中島優貴]]『インスパイア』(1984年)
* [[中島優貴]]『インスパイア』(1984年)
* [[山本達彦]]『MUSIC』(1984年)
* [[山本達彦]]『MUSIC』(1984年)
* [[吉川晃司]]『[[INNOCENT SKY]]』(1985年4月)
* [[吉川晃司]]『[[INNOCENT SKY]]』(1985年3月)
* [[村上里佳子]]『ZEN-ZEN』(1986年)
* [[村上里佳子]]『ZEN-ZEN』(1986年)
* [[鳴瀬喜博]]『STIMULUS』(1986年)
* [[鳴瀬喜博]]『STIMULUS』(1986年)
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* [[米米CLUB]]『[[E-ヨ]]』(2006年8月23日)
* [[米米CLUB]]『[[E-ヨ]]』(2006年8月23日)
* [[布袋寅泰]]『[[SOUL SESSIONS]]』(2006年12月6日)
* [[布袋寅泰]]『[[SOUL SESSIONS]]』(2006年12月6日)
* [[E.D.O]]『カミヒコウキ meets. Char』(2008年5月14日)
* E.D.O『カミヒコウキ meets. Char』(2008年5月14日)
* [[押尾コータロー]]『[[You_%26_Me_(押尾コータローのアルバム)|You & Me]]』(2008年10月1日)
* [[押尾コータロー]]『[[You_%26_Me_(押尾コータローのアルバム)|You & Me]]』(2008年10月1日)
* [[桑田佳祐]] feat. [[佐野元春]], [[世良公則]], Char, [[野口五郎]]『[[時代遅れのRock'n'Roll Band]]』(2022年5月23日)
* [[桑田佳祐]] feat. [[佐野元春]], [[世良公則]], Char, [[野口五郎]]『[[時代遅れのRock'n'Roll Band]]』(2022年5月23日)
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=== テレビ ===
=== テレビ ===
* [[Char meets ???? 〜TALKING GUITARS〜]]([[フジテレビNEXT]])
* [[Char meets ???? 〜TALKING GUITARS〜]]([[フジテレビNEXT]])
* TOKYO SESSION -ROCKIN’GAMBLER- 第九夜(2019年3月17日、フジテレビNEXT)<ref>{{Cite web |url=https://otn.fujitv.co.jp/b_hp/916200135.html |title=TOKYO SESSION -Rockin' Gambler- |publisher=フジテレビ |work=フジテレビ ONE TWO NEXT |accessdate=2019-04-13}}</ref>
* TOKYO SESSION -ROCKIN’GAMBLER- 第九夜(2019年3月17日、フジテレビNEXT)<ref>{{Cite web |url=https://otn.fujitv.co.jp/b_hp/916200135.html |title=TOKYO SESSION -Rockin' Gambler- |publisher=フジテレビ |work=フジテレビ ONE TWO NEXT |accessdate=2019-04-13}}</ref>


=== テレビドラマ ===
=== テレビドラマ ===
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==== ラジオ ====
==== ラジオ ====
* Mam,Dad,Jam! ([[J-WAVE]])
* Mam,Dad,Jam! [[J-WAVE]]
* [[FMフェスティバル]] Vodafone LOCK ON ROCK FM Festival([[2005年]] - [[2006年]] [[全国FM放送協議会|JFN]])
* [[FMフェスティバル]] Vodafone LOCK ON ROCK FM Festival([[2005年]] - [[2006年]] [[全国FM放送協議会|JFN]])
* TRAD ROCK ([[関西インターメディア|FM COCOLO]])
* TRAD ROCK([[FM COCOLO]]


=== CM ===
=== CM ===
* デビュー前に男性用香水のCFに出演(本人談)
* デビュー前に男性用香水のCFに出演(本人談)
* [[森永製菓]][[小枝 (チョコレート)]](CM曲も担当)
* [[森永製菓]][[小枝 (チョコレート)|小枝]](CM曲も担当)[[コーンフレーク|チョコフレーク]]

 同社[[チョコフレーク]]
* [[ミネラルウォーター]][[エビアン (ミネラルウォーター)|エビアン]]のCFイメージソングを担当(『Water Business』とMustangによる演奏のアルバム未収録インスト曲)
* [[ミネラルウォーター]][[エビアン (ミネラルウォーター)|エビアン]]のCFイメージソングを担当(『Water Business』とMustangによる演奏のアルバム未収録インスト曲)
* [[富士通]]のパソコンFMVシリーズ( [[木村拓哉]]([[エレクトリックギター|ギター]])、[[岸部一徳]]([[エレクトリックベース|ベース]])の3人でのジャムセッションを披露)
* [[富士通]]の[[ナルコンピュータ|パソコン]][[FMV]]シリーズ([[木村拓哉]]([[エレクトリックギター|ギター]])、[[岸部一徳]]([[エレクトリックベース|ベース]])の3人でのジャムセッションを披露)
* [[メルシャン]] 「STING」(CF曲『AMANO-JACK』)
* [[メルシャン]] 「STING」(CF曲『AMANO-JACK』)
* [[資生堂]] サンパクト(ナレーション)
* [[資生堂]] サンパクト(ナレーション)
628行目: 628行目:
* [[大和証券グループ]]「PLAYING FOR CHANGE シリーズ」(Sittin' On The Dock Of The Bayをリレー形式で弾き語り)
* [[大和証券グループ]]「PLAYING FOR CHANGE シリーズ」(Sittin' On The Dock Of The Bayをリレー形式で弾き語り)
* [[東海旅客鉄道|JR東海]] 2013 秋 CM「そうだ 京都、行こう。」(「My Favorite Things」を編曲、演奏)
* [[東海旅客鉄道|JR東海]] 2013 秋 CM「そうだ 京都、行こう。」(「My Favorite Things」を編曲、演奏)
* 日本ヒューレット・パッカード株式会社 Love PC, Love HP.キャンペーン(書下ろしCF曲提供)
* [[日本ヒューレット・パッカード]] Love PC, Love HP.キャンペーン(書下ろしCM曲提供)
* [[横浜ゴム]] PRGR(プロギア)クラブシリーズ「iD nabla RS」イメージキャラクター:書下ろしCM曲提供 (change)
* [[横浜ゴム]] PRGR(プロギア)クラブシリーズ「iD nabla RS」イメージキャラクター:書下ろしCM曲「change」提供、CMにも出演
:CFにも出演

== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}

2022年8月5日 (金) 19:39時点における版

Char
出生名 竹中 尚人
生誕 (1955-06-16) 1955年6月16日(69歳)
出身地 日本の旗 日本東京都品川区戸越
ジャンル ロック
職業 ギタリスト
シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
パーカッション
活動期間 1971年 -
レーベル ZICCA RECORDS
共同作業者 スモーキー・メディスン
ピンククラウド
PSYCHEDELIX
BAHO
P-SMOKE
ACRI
三人の侍
公式サイト 公式サイト(ZICCA.net)(日本語)
著名使用楽器
フェンダー・ムスタング
フェンダー・ストラトキャスター
ギブソン・レスポール
イーエスピー
ゼマティス
オベーション
フェンダー・プレシジョンベース
フェンダー・ジャズベース
ローズ・ピアノ
ホーナー・クラビネット
Char
YouTube
チャンネル
活動期間 2010年 -
ジャンル 音楽
登録者数 約4.07万人
総再生回数 約1400万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年5月1日時点。
テンプレートを表示

Char(チャー、1955年〈昭和30年〉6月16日 - )は、日本ギタリストシンガーソングライター音楽プロデューサー。本名、竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。

来歴

耳鼻咽喉科眼科の開業医を母に持つ[1]。7歳(1962年)でピアノを習い始め、兄の影響から8歳(1963年)でギターを手にする。ピアノは、本人曰く18歳まで継続し、将来、音楽大学に行きたかったとのこと。

ザ・ベンチャーズや、エリック・クラプトンジェフ・ベックジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々、ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と、壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスポスターを指差した。

アマチュア時代

11歳 ~ 13歳(1966年 - 1968年)に同級生の新川博らと『FOX』結成。ヤードバーズドアーズローリング・ストーンズ等をレパートリーとしていた。14歳 ~(1969年)『JAH(ヤッハ)』結成。3人のバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名。ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとしバンド・コンテスト等にも出場。この時、早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、『生ギターでフォークみたいのやらない?』という条件に断る。

16歳(1971年)『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場しオリジナル曲を演奏。地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、グランド・ファンク・レイルロード等をレパートリーとしていた。

1971年(中学3年生 ~ 高校1年生)に、スタジオ・ミュージシャンとしての初仕事をこなす。レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、エリック・クラプトンなどの曲を収めるためだった。当時のスタジオ・ミュージシャンはジャズ系スタイルの人が多く、ロック系ギタリストは少数だったため、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だったそうである。その時のエピソードとして、その当時の録音エンジニア達はロック・エレキギターの『歪み』『フィードバック奏法』を認識しておらず、戸惑ったと回想している。

17歳(1972年)『Shock』結成。別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散する。

1973年スモーキー・メディスンを結成。

『Shock』『Bad Scene』にて日比谷野外音楽堂でライブをしていた頃、金子マリも別のバンドで同じステージに立っていた。ある日、街中で出会い連絡先を交換。

『Bad Scene』も解散し、『Bad Scene』のベーシスト鳴瀬喜博、『Shock』の佐藤準藤井章司と共に新たなバンドの構想中、金子マリから『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話を受けて迎え入れた。同年8月には合歓の郷で合宿を行い本格的な活動準備に入る。

Charは、当時エレックレコード所属アーティストのレコーディングにも参加していたため、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キングレコード/1974年リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディング・エンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオに入り、朝方にデモテープは完成。後日、そのテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬喜博以外は高校生だったが、その圧倒的な演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、内田裕也の耳にも入る。当時、Char本人がチケットを購入して見に行く予定だった、とも言われていた内田裕也プロデュース・イベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:西武劇場)においてサディスティック・ミカ・バンドが出演予定だったが、同バンドは海外公演決定のためキャンセル。その空いた時間にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにも関わらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。

以降は様々なロックイベントに出演した。当時日本最大のロックフェスティバルと呼ばれた郡山ワンステップフェスティバル1974にも出演が決まっていたが、その直前に解散した。解散理由は音楽的指向性の他にも諸説あるといわれている。

解散後Charはフォーク系グループのレコーディングやLIVEでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。

プロデビュー後

1976年6月キャニオン・レコード / SEE SAWからシングル「NAVY BLUE」でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。1977年6月リリース「気絶するほど悩ましい」は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のロッック指向と異なる『歌謡ロック』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。1978年には「逆光線」「闘牛士」とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト原田真二と共に『ロック御三家』と呼ばれる[2]

他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている[2]。アイドル性を狙うもバンドのメンバーにルックスの悪いハーフがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという[2]

この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡したピンク・レディーの想像を絶する忙しさと、五木ひろし新沼謙治といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。

1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてゴダイゴと共に楽曲の半分にて共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。

同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。TBSの時代劇特番『雲を翔びこせ(渋沢栄一伝)』にて主人公の渋沢栄一西田敏行)の嫁、千代(池上季実子)の兄、長七朗役を演じる。

同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なロックバンド結成を構想。

Yellow~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成。活動準備のため、合歓の郷で合宿。

1978年秋発売の「BLUE CHRISTMAS」は東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサウンドトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。

その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため、活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなる。同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止となる。

1979年カルメン・マキの支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。

同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にも関わらず全国からファンが殺到。日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立する(当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)。

1980年5月『Trycycle』、1981年『OiRA』を発表。

所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「ピンククラウド」と改名。バップに所属。1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、1983年11月『PINK CLOUD』、1984年11月『PLANT BLEND』を発表。レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件があり、この時期は精力的な活動期間でもあった。この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。ジョニー吉長のソロ・アルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。

1985年、ピンククラウドは2度目のレコード会社を移籍。東芝EMIに所属。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れず収録したミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英、半年を過ごす。ピンククラウドとしてのバンド活動は年間でも数回となる。

1986年3月 忌野清志郎とアニメ県立地球防衛軍のサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行った。

一度目のレーベル立ち上げ

1988年 - 1997年 電話通販専門のインディーズレーベル「江戸屋Record」を運営。1988年6月、ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表。以後ピンククラウドとしての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。

1991年にはイベントがきっかけで組まれた石田長生とのアコースティック・デュオ「BAHO」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、活動を続けた。

1992年4月、『PSYCHEDELIX』を発表。これは『PSYCHE』発売時の1988年、ソロ・ライブを行う際に佐藤準アン・ルイスジム・コープリージャズ・ロッホリー、と組まれた『Char & THE PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバム3枚を発表。

1994年、PINK CLOUD、JOHNNY, LOUIS & CHARが解散。

1995年、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースは途中からCharが演奏している。

1996年、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。

1998年、Char自身もレコード会社をポリドール・レコードに移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。

二度目のレーベル立ち上げ

2010年、ネット販売専門の新レーベルZiccaを立ち上げ、自身のルーツをアレンジし収録したTRADROCKシリーズとして『Eric』『Jeff』『The B』『The V』『Jimmy』『Jimi』『Char By Char』を発表した。

それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで奥田民生山崎まさよしとの『3人の侍』(Samurai‐3)がある。

2011年RSRでは斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。

人物

  • 「Char」の名前の由来は諸説あるが、本人談では「名前に「ひさ~」が付く人に多いみたい」と語られることが多い。
(例1 = 本名:「尚人(ひさと)」 → 「ちゃと」 → 「ちゃー」。例2 = 本名:「久子(ひさこ)」 → 「ちゃこ」 → 「ちゃー」)
  • ファッション・モデルだった妻のKanna S. McFaddinは、作詞家としてChar関連作品に数多くの歌詞を提供。
Char曰く『公私ともに共同作業者』と語ることも多い。
  • ロックバンド、RIZEThe BONEZJESSEは長男。
  • デビュー初期にはフェンダーのギター、ムスタングを使用。そのムスタングを手にしたのは偶然で、解体現場のアルバイトで貯めたお金で友人のカズ南沢より手に入れたストラトキャスター(塗装を剥いだナチュラル/ローズ)を盗まれてしまい、同じフェンダーを買いなおしたかったが当時は高くて買えず、アメリカン・スクールの友人宅のガレージセールで安くムスタングを見つけたからである(1964年製のwhite)。
  • Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、1977年 - 1978年に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが釈迦に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、21世紀に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
  • 2011年には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった[3]
  • さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)ではギターに夢中な少年少女の憧れの的として出演、アドバイスやセッションをしている。そのうちの二人が並木瑠璃山岸竜之介だった。
  • 高校時代の音楽仲間には、クリス・ペプラーがいた。
  • ジム・コウプリー(ドラムス、元UPP)と一緒に活動することが多かったが、レコーディングで渡英した時にジムと親交のあるジェフ・ベックの家を訪問してセッションを行った。
  • 石井竜也と親交が深く、米米CLUBの活動初期の頃は事務所の一部を貸していたり、米米のデビュー前のライブに急遽ドラマーとして参加したことがあった。曲にクレジットはないが、米米CLUBのヒット曲「浪漫飛行」をアレンジしている。本人も石井と共演した際に度々「まだギャラ貰ってないぞ」と発言している[注 1]1991年、2人で覆面ユニット『P-SMOKE』としてミニ・アルバムを発表。(サントリーウイスキー『SMOKY』のCM曲として収録曲『ホワット・アー・ユー・アップ・トゥ・ネクスト』が使われた)。1996年には石井が監督を務めた映画『ACRI』に合わせた同名ユニットACRIも結成。フル・アルバム『ACRI』を発表。米米CLUB再結成のきっかけになったのが自身の誕生日パーティーだったこともあり、現在も石井のコンサートなどにも客演するなどしている。
  • 石田長生とのユニット、BAHOのライブは、他のアーティストをおちょくったり、世相を笑い飛ばすなど、終始笑いが絶えない。演奏でも、「かえるの合唱」をマジメに歌ったり、ザ・ベンチャーズの代表曲「ダイアモンド・ヘッド」がいつの間にか「マイム・マイム」に変わっているなど、ほとんどジョークのような演奏を繰り広げている。2人が1、3、5弦と2、4、6弦の三本ずつだけ張ったギターを持ち、ザ・ベンチャーズの楽曲を演奏するという芸をしたことがある。
  • 2015年6月2日徹子の部屋』(テレビ朝日系)に初出演。司会の黒柳徹子とはそれ以前に『ザ・ベストテン』(TBS系)でも共演経験がある(1978年5月4日放送にて「闘牛士」でスポットライトに出演した)。『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある松任谷由実最終回の出演を希望していることを語った[4]

ディスコグラフィー

シングル

発売日 タイトル c/w
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年6月25日 NAVY BLUE SHININ' YOU, SHININ' DAY
2nd 1977年6月25日 気絶するほど悩ましい FURUETE NEMURE
3rd 1977年12月10日 逆光線 TOKYO NIGHT
4th 1978年3月25日 闘牛士 マドンナを堕落させよう
5th 1978年8月21日 GIRL TOMORROW IS COMING FOR ME
6th 1978年11月5日 BLUE CHRISTMAS THE LEADING OF THE LEAVING
ポリドール
7th 1998年8月1日 TODAY DAN DAN DANG
8th 1998年10月28日 LET IT BLOW YOU GOT THE MUSIC
9th 1999年2月24日 Touch my love again THRILL
10th 2000年2月2日 Share the wonder 11 years
Back then and Now
11th 2000年5月31日 R-1 (Route One) HOPE
12th 2001年10月24日 Long Distance Call Water Business
Second Hand Jam
ユニバーサルミュージック
13th 2002年6月26日 A FAIR WIND Sacred Hills
2004年11月1日 45 OVER DRIVE A Fair Wind
14th 2005年10月19日 PIANO Moon Light Serenade
15th 2006年5月3日 OSAMPO Cat Food

配信限定シングル

発売日 タイトル
2017年4月2日 人間の証明のテーマ / EXILE ATSUSHI & Char
2021年6月16日 White Room (Live in Japan) / ジャック・ブルース, Char, 屋敷豪太

コラボレーション・シングル

名義 発売日 タイトル c/w
東芝EMI
HOTEI vs Char 2006年11月25日 Stereocaster

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年9月25日 Char
2nd 1977年11月 Char II have a wine
3rd 1978年8月10日 THRILL
4th 1981年2月 U.S.J
Vap
5th 1982年11月 MOON CHILD
江戸屋レコード
6th 1988年6月 Psyche
7th 1988年12月 PSYCHE II
ポリドール
8th 1999年3月31日 I'm gonna take this CHANCE
9th 2001年7月25日 BAMBOO JOINTS
ユニバーサルミュージック
10th 2002年9月25日 Sacred Hills 〜聖なる丘〜
11th 2003年11月26日 MR.70'S YOU SET ME FREE
12th 2005年12月7日 天邪鬼 Amano-Jack
ZICCA RECORDS
13th 2015年5月22日 ROCK+

ミニ・アルバム

発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1989年8月 WHEN I WAKE UP IN THE MORNING
2nd 1989年12月 BLACK SHOES
3rd 1994年6月22日 MUSTANG

ベスト・アルバム

発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1982年7月 THE BEST OF Char
ポニーキャニオン
2nd 1987年12月5日 プレイバック・シリーズ Char
江戸屋レコード
3rd 1991年10月21日 FLASHBACK MEMORIES
4th 1993年9月1日 DAYS WENT BY 1988〜1993
ポニーキャニオン
5th 1996年11月21日 CHARACTER
BMGメディアジャパン
6th 1999年4月21日 CHAR EDOYA COLLECTION 1988-1997
7th 1999年12月16日 ALL AROUND ME 〜Char Plays Ballad〜
ユニバーサルミュージック
8th 2006年7月19日 SINGLES 1976-2005
ポニーキャニオン
9th 2011年5月18日 ゴールデン☆ベスト Char
10th 2013年6月19日 ザ・プレミアムベスト Char
11th 2014年11月19日 Light Mellow Char

ライブ・アルバム

発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1997年3月 Char Electric guitar Concert
ポリドール
2nd 2000年2月2日 CHAR PSYCHE 1988
3rd 2000年6月28日 Char played With and Without
ZICCA RECORDS
4th 2011年6月16日 TRADROCK“Char”by Char
5th 2012年4月26日 ZIG ZAG ZONE
6th 2012年4月26日 TRADROCK“Acoustic”by Char
7th 2013年10月2日 414 -Live at Hibiya Open Air Concert Hall-
8th 2015年11月27日 "Rock+" Eve -Live at Nippon Budokan

トリビュート・アルバム

発売日 タイトル
ポニーキャニオン
1st 1997年6月18日 Psyche-Delicious

リミックス・アルバム

発売日 タイトル
ポリドール
1st 1999年6月23日 Mix-Char

カバー・アルバム

発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2010年2月22日 Eric By Char
2nd 2010年3月21日 Jeff By Char
3rd 2010年4月28日 The B By Char
4th 2010年6月16日 The V By Char
5th 2010年11月28日 Jimmy By Char
6th 2010年12月21日 Jimi By Char

CD BOX

発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2012年10月26日 ZICCA PICKER 2012 vol.1〜vol.20
2nd 2014年1月25日 ZICCA PICKER 2014 vol.1〜vol.28
3rd 2016年7月23日 ZICCA PICKER 2016 vol.1〜vol.24
4th 2018年3月28日 ZICCA PICKER 2018 "TOHOKU" vol.1〜vol.6
5th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2017 "Acoustic" vol.1〜Vol.8
6th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2018

映像作品

  1. 20th Anniversary〜Electric guitar Concert〜(1999年12月23日)
  2. THE CLIPS(2000年9月20日)
  3. LIVE IN NIPPON BUDOKAN 2001〜BAMBOO JOINTS〜(2002年2月21日)
  4. No Generation Gap(2004年7月7日)
  5. 彩気 Psyche(2005年10月26日)
  6. Amano-Jack Movin’ The documentary on studio work & Live tour of Char(2006年12月13日)
  7. ROCK+EVE LIVE AT NIPPON BUDOKAN(2015年11月27日)
  8. ROCK FREE CONCERT(2015年12月7日)

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
Touch my love again よみうりテレビ日本テレビ系『どっちの料理ショー』エンディングテーマ
Share the wonder maxell 企業CMソング
R-1 (Route One) ダイハツアトレーワゴン エアロダウンヒット』CMソング
HOPE Jスカイスポーツ 2000年サイクルロードレース世界4大会 イメージソング
Long Distance Call もしもし、ホットライン イメージソング
Round Trip ANA機内放送『White Room』テーマソング
Water Business ダノンevian』イメージソング
A FAIR WIND テレビ朝日系『ニュースステーション』オープニングテーマ
OSAMPO NHKみんなのうた
Stereocaster FMフェスティバル『LOCK ON ROCK』キャンペーンソング

参加作品

出演

テレビ

テレビドラマ

ラジオ

CM

脚注

注釈

  1. ^ この件については2008年6月3日に放送されたTV音楽番組THE M』(日本テレビ系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問
    石井:「米米には合わないかな?」
    Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」
    そして歌メロの~WOW WOW~はCharアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。

出典

  1. ^ 星新一公式サイト 寄せ書き Char「First-magnitude star」
  2. ^ a b c 週刊朝日1978年6月30日号 pp.142-145「いま女の子に騒がれているロック御三家のカクメイ的音楽性」
  3. ^ http://www.fender.jp/topics/news/000860.php
  4. ^ “徹子の部屋|2015/06/02(火)放送”. TVでた蔵 (株式会社ワイヤーアクション). (2015年6月2日). https://datazoo.jp/tv/%e5%be%b9%e5%ad%90%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b/861930 
  5. ^ TOKYO SESSION -Rockin' Gambler-”. フジテレビ ONE TWO NEXT. フジテレビ. 2019年4月13日閲覧。

参考文献

外部リンク