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'''仲野 信市'''(なかの しんいち、[[1963年]][[3月14日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]。佐川急便セールスドライバー。 |
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[[神奈川県]][[横浜市]][[保土ケ谷区]]出身。身長185cm、体重110kg。血液型O型。 |
[[神奈川県]][[横浜市]][[保土ケ谷区]]出身。身長185cm、体重110kg。[[血液型]]O型。 |
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== 来歴・人物 == |
== 来歴・人物 == |
2022年10月5日 (水) 22:59時点における版
仲野 信市 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 仲野 信市 |
本名 | 仲野 信市 |
身長 | 185cm |
体重 | 110kg |
誕生日 | 1963年3月14日(61歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区 |
スポーツ歴 |
野球 柔道 |
トレーナー |
藤波辰爾 山本小鉄 |
デビュー | 1980年3月1日 |
引退 | 2001年10月7日 |
仲野 信市(なかの しんいち、1963年3月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。佐川急便セールスドライバー。
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。身長185cm、体重110kg。血液型O型。
来歴・人物
- 野球部員だった日大藤沢高校在学中に新日本プロレスの道場を見学し山本小鉄に誘われ入団。デビュー戦は1980年3月1日大田区体育館でのvs斎藤弘幸戦。ハツラツとしたファイトで当時の若手選手の目標であった蔵前国技館での第一試合で高田伸彦との試合が頻繁に組まれた。
- 肩の脱臼癖があり一時離脱するが再度デビューを果たした。本人は「ブランクにより高田らと差が付いてしまったかもしれないが脱臼癖が治ったため良かった」と言う。この離脱時に佐川急便と縁が出来る。
- 当時の若手はジョージ高野、前田日明、平田淳二、ヒロ斎藤、保永昇男、高田延彦、高野俊二、新倉史祐、山崎一夫など逸材揃いであった。
- 1984年に長州力とともにジャパンプロレスの一員として全日本プロレスにあがる。その後長州が新日本に戻っても全日本にあがり続ける。
- 長州が去った後急にジャパンプロレスの主力となってしまい、谷津嘉章と並んで徐々に実力をつける。
- 1987年1月17日の徳山市体育館でのジャンボ鶴田&天龍源一郎vs.谷津&仲野のタッグマッチにて、鶴田の顔面にモロにドロップキックを決めて怒らせてしまい、鶴田は反撃。尋常ではない勢いでエルボー・バット、ジャンピング・ニーバット、コブラツイストなどを決め最後は急角度バックドロップで完全KO。仲野は前歯も数本失っている[1]。
- シングルマッチでは渕正信と好勝負を繰り広げた。その渕を1989年4月16日、ジャーマン・スープレックス・ホールドで破り、第7代世界ジュニアヘビー級王座に就く。
- ジャイアント馬場に「ちっとも決起しない」と解散させられた決起軍の一員としても活躍。2代目タイガーマスク(三沢光晴)とも頻繁にタッグを組む。
- 1990年頃からファイトに精彩を欠き、1990年7月2日、谷津とともにSWSに移籍。将軍KYワカマツが道場主を務める(後に谷津が2代目道場主となる)『道場「檄」』の一員として活動するが、2年後の1992年に所属選手同士の確執から谷津が退団を表明し、それに同調する形で同年5月22日の後楽園ホール大会にて、興行開始前に内部混乱を招いた責を取る形で、谷津と共に辞表を手に「引退」を表明。同大会にて『SWS引退試合』が組まれるも、プロレスマスコミやファンは天龍源一郎と、天龍が道場主であるレボリューションの選手を擁護する声が多かったこともあり、会見の席で天龍や団体を批判した谷津嘉章をはじめとする反天龍派は厳しく非難され、谷津・仲野の『SWS引退試合』では観客の執拗な野次やブーイングが起き、物がリングに投げ込まれる中で行われるという、非常に危険で異常な事態となり、仲野は涙を流しながら試合をするという屈辱を味わった。
- その後PWCに発起人として谷津嘉章と共に名を連ねるも谷津共々参戦はせず、 1993年に谷津が旗揚げしたSPWFにて復帰するが、谷津と別れ1995年にレッスル夢ファクトリーへ移籍。所属選手たちへのコーチを行いつつ、WARへも出場し、天龍源一郎と因縁の対決も果たした。
- 1998年にフリーランスとなった。2001年無我で引退。「日本一のセールスドライバーを目指します」の言葉を最後に佐川急便でサラリーマン生活に入る。
- 2014年11月24日、信州プロレスの「無茶フェス2014 in 伊那」において、1日限りの復帰が決定する。対戦カードは藤波辰爾・初代タイガーマスク・LEONA対グレート☆無茶・仲野信市・シマ重野となる。
- 2016年1月9日には全日本の長野県伊那大会で中島洋平と組み渕正信&佐藤恵一と対戦し勝利[2]。2021年6月26日大田区総合体育館において渕正信・越中詩郎・高杉正彦・土方隆司組vs仲野信市・西村修・SUSHI・力組が行われた[3]。
得意技
- ジャーマン・スープレックス
- 渕正信との世界ジュニアヘビー級選手権では、仲野が渕に延髄ラリアットを放ち、勢いで首をトップロープに打ちつけた渕をこの技でピンフォールを奪い王座に就いた。
- ドラゴン・スープレックス
- ノーザンライト・スープレックス
- フィッシャーマンズ・スープレックス
- ドロップキック
- 腕ひしぎ逆十字固め
- 柔道経験を活かした技で、引退試合の倉島信行戦でのフィニッシュ・ホールドとなった。
タイトル歴
- WWCジュニアヘビー級王座
入場テーマ曲
出典
- ^ 1987年、ジャンボ鶴田をキレさせ怪物にした男 「口から血が出て人相が変わって。『これは、やべえ』と思ってね(笑)」 - Number Web、2021年6月25日配信記事
- ^ 昭和の全日本プロレスが蘇る!5月16日大田区総合体育館大会参戦の越中詩郎、高杉政彦、仲野信市インタビューバトルニュース(2021-4-5)2021年4月29日Last access
- ^ “ジャンボ鶴田メモリアルマッチで『ジャンボ鶴田をキレさせた男』仲野信市や“ウルトラセブン”高杉政彦が全日本プロレスのリングに復活!“力道山三世”力へ公開指導!”. バトルニュース (2021年6月26日). 2021年6月27日閲覧。