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'''源光庵'''(げんこうあん)は、[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]][[鷹峯]](たかがみね)北鷹峯町にある[[曹洞宗]]の寺院。山号は鷹峰山。正式には'''鷹峰山寶樹林源光庵'''という。別称「復古禅林(ふっこぜんりん)」とも呼ばれる。本尊は[[釈迦如来]]


== 歴史 ==
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本尊は[[釈迦牟尼仏]]、脇立[[迦葉尊者]]、[[阿難尊者]]を祀る。<ref>『源光庵参禅会三十周年記念 普照』 鷹峰龍雄発行人 源光庵発行 1994年 12p</ref>
現在の本堂は元禄7年(1694年)の建立で、加賀国の住人中田静家居士の寄進による。


== 境内 ==
== 境内 ==
* 本堂 - [[元禄]]7年([[1694年]])に加賀の住人中田静家による再建。間口11間半(21メートル)、奥行7間(13メートル)で、本尊は[[釈迦牟尼仏]]。脇侍に[[大迦葉|迦葉]]尊者、[[阿難]]尊者を祀る<ref>『源光庵参禅会三十周年記念 普照』 鷹峰龍雄発行人 源光庵発行 1994年 12p</ref>。天井板は[[伏見城]]から移築したもので、[[慶長]]5年([[1600年]])の[[伏見城の戦い]]で徳川軍の[[鳥居元忠]]らが[[石田三成]]に破れ自刃した際の跡が残り、[[血天井]]となっている。その脇に丸窓と角窓がありそれぞれ'''悟りの窓'''、'''迷いの窓'''と呼ばれている。
=== 本堂 ===
** 迷いの窓 - 迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴している。この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれている。
1694年の建立。
** 悟りの窓 - 悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されている。ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、丸い形(円)は大宇宙を表現している。

* 開山堂復古堂) - [[享保]]4年([[1719年]])建立。
天井板は[[伏見桃山城]]から移築したもので、[[1600年]](慶長5年)に徳川家家臣[[鳥居元忠]]らが[[石田三成]]に破れ自刃したときの跡が残り、[[血天井]]となっている。その脇に丸窓と角窓がありそれぞれ'''悟りの窓'''、'''迷いの窓'''と呼ばれている。
* 庭園 - 北山を借景とした[[枯山水]]庭園

* 庫裏
; 迷いの窓
* 稚児井戸 - 境内裏の稚児井戸は飲み水に窮した徹翁に童子が教えた井戸で、涸れたことがないという<ref>『改訂版 京都観光文化検定試験』森谷尅久監修 京都商工会議所編 淡交社発行 2005年</ref>
: 迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴している。この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれている。
* 山門
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* 鐘楼
; 悟りの窓
* 総門
: 悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されている。ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、丸い形(円)は大宇宙を表現している。

=== 開山堂 ===
[[1719年]]([[享保]]4年)建立。

=== 庭園 ===
北山を借景とした[[枯山水]]。

=== 稚児井戸 ===
境内裏の稚児井戸は飲み水に窮した徹翁に童子が教えた井戸で、涸れたことがないという<ref>『改訂版 京都観光文化検定試験』森谷尅久監修 京都商工会議所編 淡交社発行 2005年</ref>


== アクセス ==
== アクセス ==
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* [[四条大宮駅|四条大宮]]より6号系統玄琢行き、源光庵前下車
* [[四条大宮駅|四条大宮]]より6号系統玄琢行き、源光庵前下車


== 近隣 ==
== 近隣施設 ==
* [[光悦寺]]
* [[光悦寺]]
* [[常照寺 (京都市)|常照寺]]
* [[常照寺 (京都市)|常照寺]]

2022年10月13日 (木) 11:34時点における版

源光庵
悟りの窓(左)、迷いの窓
所在地 京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47
位置 北緯35度3分17.33秒 東経135度43分54.2秒 / 北緯35.0548139度 東経135.731722度 / 35.0548139; 135.731722
山号 鷹峰山
(林号:寶樹林)
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 貞和2年(1346年
開山 徹翁義亨
正式名 鷹峰山 寶樹林 源光庵
別称 復古禅林
法人番号 8130005002384 ウィキデータを編集
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源光庵(げんこうあん)は、京都市北区鷹峯にある曹洞宗寺院山号は鷹峰山。本尊釈迦如来。正式には鷹峰山寶樹林源光庵という。別称「復古禅林(ふっこぜんりん)」とも呼ばれる。

歴史

貞和2年(1346年)に臨済宗大徳寺2世・徹翁義亨国師により隠居所として創建された。その後、衰退するが元禄7年(1694年)に加賀国大乗寺27代曹洞宗復古道人卍山道白禅師が当寺に住持して再興し、曹洞宗に改められた。

現在の本堂は元禄7年(1694年)の建立で、加賀国の住人中田静家居士の寄進による。

境内

  • 本堂 - 元禄7年(1694年)に加賀の住人中田静家による再建。間口11間半(21メートル)、奥行7間(13メートル)で、本尊は釈迦牟尼仏。脇侍に迦葉尊者、阿難尊者を祀る[1]。天井板は伏見城から移築したもので、慶長5年(1600年)の伏見城の戦いで徳川軍の鳥居元忠らが石田三成に破れ自刃した際の跡が残り、血天井となっている。その脇に丸窓と角窓がありそれぞれ悟りの窓迷いの窓と呼ばれている。
    • 迷いの窓 - 迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴している。この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれている。
    • 悟りの窓 - 悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されている。ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、丸い形(円)は大宇宙を表現している。
  • 開山堂(復古堂) - 享保4年(1719年)建立。
  • 庭園 - 北山を借景とした枯山水庭園。
  • 庫裏
  • 稚児井戸 - 境内裏の稚児井戸は飲み水に窮した徹翁に童子が教えた井戸で、涸れたことがないという[2]
  • 山門
  • 鐘楼
  • 総門

アクセス

近隣施設

出典

  1. ^ 『源光庵参禅会三十周年記念 普照』 鷹峰龍雄発行人 源光庵発行 1994年 12p
  2. ^ 『改訂版 京都観光文化検定試験』森谷尅久監修 京都商工会議所編 淡交社発行 2005年

外部リンク