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[[東京]]生まれで、三人兄弟の三男<ref>中川右介『手塚治虫とトキワ壮』集英社</ref>。[[1954年]]に[[藤子不二雄]]や[[寺田ヒロオ]]とともに[[新漫画党]]を結成。[[トキワ荘]]などの漫画家仲間からは絵の上手さで一目おかれる存在だったが、編集者にケチをつけられたことから<ref>[[山内ジョージ]]『トキワ荘最後の住人の記録』[[東京書籍]]、2011年、p.216</ref>漫画家を引退しアニメーターに転身。 |
[[東京]]生まれで、三人兄弟の三男<ref>中川右介『手塚治虫とトキワ壮』集英社</ref>。[[1954年]]に[[藤子不二雄]]や[[寺田ヒロオ]]とともに[[新漫画党]]を結成。[[トキワ荘]]などの漫画家仲間からは絵の上手さで一目おかれる存在だったが、編集者にケチをつけられたことから<ref>[[山内ジョージ]]『トキワ荘最後の住人の記録』[[東京書籍]]、2011年、p.216</ref>漫画家を引退しアニメーターに転身。 |
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[[サンライズ (アニメ制作 |
[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|日本サンライズ(現・サンライズ)]]の『[[伝説巨神イデオン]]』や『[[聖戦士ダンバイン]]』などで[[作画監督]]などを務める。一連の[[富野由悠季]]監督作品では『イデオン』『[[戦闘メカ ザブングル]]』『ダンバイン』と3作続けて最終話の作画監督を担当した。 |
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1996年2月に死去。[[享年]]61。作画監督としては『[[少年アシベ2]]』の第25話(最終話)Bパート「さよなら[[イエティ]]」が本人の遺作となった。 |
1996年2月に死去。[[享年]]61。作画監督としては『[[少年アシベ2]]』の第25話(最終話)Bパート「さよなら[[イエティ]]」が本人の遺作となった。 |
2022年12月23日 (金) 12:39時点における版
坂本 三郎(さかもと さぶろう、1935年(昭和10年)5月22日 - 1996年(平成8年)2月)は、日本の漫画家、アニメーター。男性。
生涯
東京生まれで、三人兄弟の三男[1]。1954年に藤子不二雄や寺田ヒロオとともに新漫画党を結成。トキワ荘などの漫画家仲間からは絵の上手さで一目おかれる存在だったが、編集者にケチをつけられたことから[2]漫画家を引退しアニメーターに転身。
日本サンライズ(現・サンライズ)の『伝説巨神イデオン』や『聖戦士ダンバイン』などで作画監督などを務める。一連の富野由悠季監督作品では『イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『ダンバイン』と3作続けて最終話の作画監督を担当した。
1996年2月に死去。享年61。作画監督としては『少年アシベ2』の第25話(最終話)Bパート「さよならイエティ」が本人の遺作となった。
作品歴
- 『男一匹ガキ大将』(1969年〜1970年)作画監督
- 『ゼロテスター』(1973年〜1974年)作画監督
- 『宇宙戦艦ヤマト』(1974年〜1975年)作画監督
- 『勇者ライディーン』(1975年〜1976年)作画監督
- 『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年〜1977年)作画監督
- 『超電磁マシーン ボルテスV』(1977年〜1978年)作画監督
- 『闘将ダイモス』(1978年〜1979年)作画監督
- 『未来ロボ ダルタニアス』(1979年〜1980年)作画監督
- 『銀河鉄道999』(1979年)作画監督
- 『サイボーグ009』(1979年〜1980年)作画監督
- 『伝説巨神イデオン』(1980年〜1981年)作画監督
- 『最強ロボ ダイオージャ』(1981年〜1982年)作画監督
- 『戦闘メカ ザブングル』(1982年〜1983年)作画監督
- 『聖戦士ダンバイン』(1983年〜1984年)作画監督
- 『重戦機エルガイム』(1984年〜1985年)作画監督
- 『ダーティペア』(1985年)原画
- 『アリオン』(1986年)原画
- 『機甲戦記ドラグナー』(1987年〜1988年)原画
- 『バツ&テリー』(1987年)原画
- 『鎧伝サムライトルーパー』(1988年〜1989年)原画
- 『ちびまる子ちゃん』(1990年〜)作画監督
- 『少年アシベ2』(1992年〜1993年)作画監督 ※遺作