「ヒヒイロカネ」の版間の差分
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'''ヒヒイロカネ'''は、[[古史古伝]]における太古[[日本]]で様々な用途で使われていたとされる、[[伝説]]の[[金属]]または[[合金]]。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々な[[フィクション]]にも登場する。 |
'''ヒヒイロカネ'''は、[[古史古伝]]における太古[[日本]]で様々な用途で使われていたとされる、[[伝説]]の[[金属]]または[[合金]]。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々な[[フィクション]]にも登場する。 |
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== 伝承 == |
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⚫ | 古文書を模した偽書とみられる『[[竹内文書]]』によれば、[[神武天皇]]以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の[[鈴]]や[[剣]]、[[装身具]]、[[富山県]]の[[御皇城山 皇祖皇太神宮|皇祖皇太神宮]]本殿の屋根<ref>上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。</ref>などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、[[精錬]]技術が失われていったのか、[[雄略天皇]]の時代に日の神十六菊形紋の[[鏡]]を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。 |
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現在知られているどの金属のいずれかなのかどうか、そもそも一体どのような金属だったのかもわかっていない。 |
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=== 歴史 === |
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ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=[[ウガヤフキアエズ王朝|ウガヤ王朝]]期)では現在の鉄や[[銅]]と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは[[神具]]の材料として使われたという。[[三種の神器]]もヒヒイロカネで作られているとされる。 |
ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=[[ウガヤフキアエズ王朝|ウガヤ王朝]]期)では現在の鉄や[[銅]]と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは[[神具]]の材料として使われたという。[[三種の神器]]もヒヒイロカネで作られているとされる。 |
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=== 性質 === |
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その[[比重]]は[[金]]よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石([[ダイヤモンド]])よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また[[常温]]での驚異的な[[熱伝導]]性を持ち、ヒヒイロカネで造られた[[茶釜]]で湯を沸かすには、[[葉|木の葉]]数枚の[[燃料]]で十分であったとも伝えられている。 |
その[[比重]]は[[金]]よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石([[ダイヤモンド]])よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また[[常温]]での驚異的な[[熱伝導]]性を持ち、ヒヒイロカネで造られた[[茶釜]]で湯を沸かすには、[[葉|木の葉]]数枚の[[燃料]]で十分であったとも伝えられている。 |
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* [[磁気]]を拒絶する。 |
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== 酒井勝軍とヒヒイロカネ == |
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⚫ | 『[[竹内文書]]』によれば、[[神武天皇]]以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の[[鈴]]や[[剣]]、[[装身具]]、[[富山県]]の[[御皇城山 皇祖皇太神宮|皇祖皇太神宮]]本殿の屋根<ref>上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。</ref>などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、[[精錬]]技術が失われていったのか、[[雄略天皇]]の時代に日の神十六菊形紋の[[鏡]]を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。 |
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[[酒井勝軍]]による調査で、[[天叢雲剣|草薙の剣]]ほかヒヒイロカネ製の装飾品を[[竹内文書#天津教をめぐる事件|竹内巨麿]]邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「[[錆|錆びて]]」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に[[写真]]が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる[[日本刀]]の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。 |
[[酒井勝軍]]による調査で、[[天叢雲剣|草薙の剣]]ほかヒヒイロカネ製の装飾品を[[竹内文書#天津教をめぐる事件|竹内巨麿]]邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「[[錆|錆びて]]」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に[[写真]]が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる[[日本刀]]の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。 |
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2022年12月24日 (土) 17:12時点における版
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ヒヒイロカネは、古史古伝における太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説の金属または合金。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々なフィクションにも登場する。
竹内文書での設定
古文書を模した偽書とみられる『竹内文書』によれば、神武天皇以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の鈴や剣、装身具、富山県の皇祖皇太神宮本殿の屋根[1]などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、精錬技術が失われていったのか、雄略天皇の時代に日の神十六菊形紋の鏡を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。
ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期)では現在の鉄や銅と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという。三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる。
その比重は金よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。
酒井勝軍とヒヒイロカネ
酒井勝軍による調査で、草薙の剣ほかヒヒイロカネ製の装飾品を竹内巨麿邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「錆びて」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に写真が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる日本刀の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。
古代ギリシャに伝わるオリハルコンとヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=オーラを発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質は岩手県で産出する餅鉄であるが、これは鉄の含有率の高い単なる磁鉄鉱である。
オウム真理教
オウム真理教の開祖である麻原彰晃は、オウム真理教を設立する2年前の雑誌『ムー』1985年11月号に、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」という記事を投稿し、酒井勝軍と面識があった老人からヒヒイロカネを譲り受けたと宣伝していた。
オウム真理教では、酒井がヒヒイロカネであるとした餅鉄を大量に用意しており、これを邪気を吸収するエネルギーを持つ霊石「ヒヒイロカネ」と称して[2]イニシエーションに用いていた[3]。
脚注
- ^ 上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。
- ^ 東京キララ社編集部 『オウム真理教大辞典』 三一書房 2003年11月 ISBN 978-4380032097 P.113
- ^ 13.ヒヒイロカネとプルシャ|オウムとクンダリニー