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「マーキュリー・レコード」の版間の差分

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== マーキュリー・ジャパンの歴史 ==
== マーキュリー・ジャパンの歴史 ==
* [[1952年]] - [[タイヘイレコード]]が日本での販売権を獲得
* [[1952年]] - [[タイヘイレコード]]が日本での販売権を獲得
* [[1957年]] - キング・レコード(日本)が販売権を獲得
* [[1957年]] - キング・レコード(日本)が販売権を獲得
(その後、ケンウッド、JVCなどに販売元が移転)
(その後、ケンウッド、JVCなどに販売元が移転)
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* [[1999年]] - [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]] ※上記ポリグラムの社名変更。
* [[1999年]] - [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]] ※上記ポリグラムの社名変更。


[[タイヘイレコード]]が日本での販売権を獲得したのち、マーキュリーの音盤を販売していたのは約5年間。マーキュリー・ミュージックエンタテインメント(MME)は、[[ユニバーサルミュージック (日本)#沿革|ポリグラム]]株式会社{{efn2|かつては、[[ジェームス・ブラウン]]や[[バリー・ホワイト]]の発売元だった。}}の子会社にあたるレコード会社。[[1995年]]に[[フィリップス・レコード#日本での事業|日本フォノグラム]]{{efn2|かつては、[[クイーン (バンド)|クイーン]]の発売元だった。}}が社名変更して発足した。1970年代歌謡曲、ニュー・ミュージック時代からのフィリップス・レコードの流れで[[J-POP]]部門を有しており、実質的にポリグラムのJ-POP制作部門にあたるレコード会社だった。
[[タイヘイレコード]]が日本での販売権を獲得したのち、マーキュリーの音盤を販売していたのは約5年間。マーキュリー・ミュージックエンタテインメント(MME)は、[[ユニバーサルミュージック (日本)#沿革|ポリグラム]]株式会社{{efn2|かつては、[[ジェームス・ブラウン]]や[[バリー・ホワイト]]の発売元だった。}}の子会社にあたるレコード会社。[[1995年]]に[[フィリップス・レコード#日本での事業|日本フォノグラム]]{{efn2|かつては、[[クイーン (バンド)|クイーン]]の発売元だった。}}が社名変更して発足した。1970年代歌謡曲、ニュー・ミュージック時代からのフィリップス・レコードの流れで[[J-POP]]部門を有しており、実質的にポリグラムのJ-POP制作部門にあたるレコード会社だった。


社名変更時の社長は[[石坂敬一]]だった。[[1999年]]に[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]になっている。
社名変更時の社長は[[石坂敬一]]だった。[[1999年]]に[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]になっている。

2023年4月26日 (水) 04:01時点における版

Mercury Records
親会社ユニバーサルミュージック
設立1945年
設立者アーヴィン・グリーン
バール・アダムス
アーサー・タルマッジ
販売元ユニバーサルミュージック
ジャンルR&Bファンク、ソウル、ロックジャズ、カントリー、ポップスクラシック音楽
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
本社所在地イギリスの旗 イギリス
公式サイトMercury Recordsアーカイブ

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1945年アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで設立されたレコード会社である。設立当初はインディーズとしてスタートし、1961年以後はメジャー・レーベルの子会社となった。マーキュリー、ポリドールは、ポリグラムの傘下となった。レコード業界の合併による巨大企業グループ化の流れで、ユニバーサル ミュージック グループの傘下にあり、イギリスに形式上の本部を置く。アメリカでは、名称とロゴはバック・カタログとリイシューにのみ使われている。

沿革

1945年にアーヴィン・グリーン、バール・アダムス、アーサー・タルマッジによって、シカゴのインディーズ・レーベルとして設立された[1]R&Bジャズクラシックカントリー・ミュージックなど手広く扱ったが、ソウル・ミュージックファンクロックンロールなど戦後の新しい音楽に焦点を当て、大成功を収めた。

エロール・ガーナー[注 1]ダイナ・ワシントン[注 2]パティ・ペイジ[注 3]が初期の代表的なミュージシャンとして知られる。ジャズでは、ジーン・アモンズ、ジミー・スミスらによる、多数のジャズ・アルバムを発表した。シカゴとミズーリ州セントルイスの2箇所にプレス工場を開いた。1940年代後半には「キーノート・レコード」を買収し、1950年代にはプロデューサーのノーマン・グランツと組んで、一連の作品を発表。また、プラターズの「オンリー・ユー」が大ヒットになった[2]。1954年にはジャズ部門を独立させたエマーシー・レコードを設立。また、映画のサウンドトラック用35mmテープを流用したクラシックの高音質録音をいち早く手掛けた。

1961年にフィリップス・レコードに買収され、傘下のレーベルとなり、以後親会社が再三変更となった。マーキュリーはR&Bだけでなく、バーケイズ、ボハノン[3]キャメオ[注 4]コン・ファンク・シャン[4]などファンクのジャンルにも強いのがレーベルの一つの特色だった。1980年代にはポリグラムに、フィリップス・レコードごと買収される。

1998年末にポリグラムMCAレコードを有するシーグラムに買収され、両社はユニバーサル ミュージック グループに統合される。再編成でマーキュリーはアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループに組み込まれ、所属ポップアーティストはアイランド・レコード[注 5]デフ・ジャム・レコードレーベル[注 6]に振り分けられた。

サブ・レーベル

所属アーティスト

過去・現在両方

マーキュリー・ジャパンの歴史

(その後、ケンウッド、JVCなどに販売元が移転)

タイヘイレコードが日本での販売権を獲得したのち、マーキュリーの音盤を販売していたのは約5年間。マーキュリー・ミュージックエンタテインメント(MME)は、ポリグラム株式会社[注 10]の子会社にあたるレコード会社。1995年日本フォノグラム[注 11]が社名変更して発足した。1970年代歌謡曲、ニュー・ミュージック時代からのフィリップス・レコードの流れでJ-POP部門を有しており、実質的にポリグラムのJ-POP制作部門にあたるレコード会社だった。

社名変更時の社長は石坂敬一だった。1999年ユニバーサルミュージックになっている。


かつての日本の所属アーティスト

上記MMEについて特記する。クラシック・歌謡曲系のマーキュリー所属については、

日本マーキュリーの歴史(別会社)

出典:[5]

関連項目

脚注/出典

注釈

  1. ^ 1954年の「ミスティ」があまりに有名な作曲家
  2. ^ 「ワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイクス」が代表曲のポップなジャズ、ブルース歌手
  3. ^ 「テネシー・ワルツのヒットで有名なポップ歌手
  4. ^ 「シーズ・ストレンジ」(1984)などのR&Bヒットを持っている
  5. ^ スティーヴ・ウィンウッドらが所属した
  6. ^ パブリック・エナミーLLクールJスリック・リックナイス&スムーズ英語版EPMDらが所属した
  7. ^ 「ムーブ・ユア・ブギー・ボディ」「ヒット・アンド・ラン」などのソウル・ヒットを持つバンド
  8. ^ 元々はチョコレート・シティ・レーベルほかに所属していたが、CD化の際にはマーキュリーが手掛けた
  9. ^ 元々はディライト・レーベルの所属していたが、CD化の際にはマーキュリーが手掛けた
  10. ^ かつては、ジェームス・ブラウンバリー・ホワイトの発売元だった。
  11. ^ かつては、クイーンの発売元だった。

出典

  1. ^ Mecury Records co-founder Berle Adams dies”. Variety. 2022年1月12日閲覧。
  2. ^ プラターズ 2023年2月20日閲覧
  3. ^ Bohannon Biography 2023年2月21日閲覧
  4. ^ Artist Biography - Con Funk Shun”. 8 January 2022閲覧。
  5. ^ マーキュリー日本 法人概要 2023年2月16日閲覧

外部リンク

Mercury Records US site