「東屋トン子」の版間の差分
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1919年から1923年〈大正8年 - 12年〉頃の2月14日に生まれる。旧芸名は'''東屋鈴子'''(あずまや・すずこ)。東京市富士見尋常小学校(現・[[千代田区立富士見小学校]])卒業後<ref name="esu382">『エスエス』、東宝発行所、1938年2月号</ref>の[[1935年]]に、宝塚少女歌劇団(現・[[宝塚歌劇団]])に入団。[[宝塚歌劇団25期生]]となる。宝塚少女歌劇団在団中は月組と雪組に一時期配属されていた。同期生に[[深緑夏代]](入団時は深緑夏子)、[[朝雲照代]]、[[東風うらゝ]](改名後は宮城千賀子)、[[日高澄子]]、[[萬代峯子]]、[[谷間小百合]]、[[出雲國子]]らがいる。 |
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趣味は歌劇見学<ref name="esu6">『エスエス』、東宝発行所、1939年6月号</ref>。好きな食べ物は[[サンドイッチ]]<ref name="esu6">『エスエス』、東宝発行所、1939年6月号</ref>。宝塚歌劇団での友人は野分若菜<ref name="esu6">『エスエス』、東宝発行所、1939年6月号</ref>。 |
2023年4月30日 (日) 04:53時点における版
あずまや とんこ 東屋 トン子 | |
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別名義 | 東屋鈴子 |
生年月日 | 2月14日 |
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | 日本・東京都 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1935年 - 1950年 |
所属劇団 |
宝塚歌劇団(1935年 - 1946年) 劇団なでしこ |
備考 | |
宝塚歌劇団25期生 |
東屋 トン子(あずまや とんこ、1919年 - 1923年〈大正8年 - 12年〉頃2月14日 - 没年月日不詳)は、元タカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生。日本の映画女優。日本初の「サザエさん女優」としてのみ知られる。東京都出身[1]。宝塚少女歌劇団在団時の愛称はトンちゃん[2]。
来歴・人物
1919年から1923年〈大正8年 - 12年〉頃の2月14日に生まれる。旧芸名は東屋鈴子(あずまや・すずこ)。東京市富士見尋常小学校(現・千代田区立富士見小学校)卒業後[2]の1935年に、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団25期生となる。宝塚少女歌劇団在団中は月組と雪組に一時期配属されていた。同期生に深緑夏代(入団時は深緑夏子)、朝雲照代、東風うらゝ(改名後は宮城千賀子)、日高澄子、萬代峯子、谷間小百合、出雲國子らがいる。
趣味は歌劇見学[1]。好きな食べ物はサンドイッチ[1]。宝塚歌劇団での友人は野分若菜[1]。
1946年に宝塚歌劇団を退団した後に、同期生である宮城千賀子が立ち上げた「劇団なでしこ」の団員となった。(ちなみに宮城は後述する多くの作品に東屋と共演している。)
1947年(昭和22年)、マキノ芸能社傘下のマキノ映画第一号、短編映画『ゴムまり』に出演する。ちなみに芸名の「トン子」は『ゴムまり』出演時の役名「トンちゃん」から取っている。
1948年(昭和23年)、同じくマキノ映画が製作、松竹が配給した『サザエさん(前後篇)』で主演に抜擢される。その理由は「(原作の)漫画に最も酷似していたから」ということだった。同年に長編映画の『暗黒街の天使』にも出演している。
サザエさんでの演技が評価され、1950年(昭和25年)には『サザエさん のど自慢歌合戦』(製作東洋スタジオ、配給大映)にも出演した。非常に眉毛が濃いことで知られた。
これ以降は活動の記録はなく、消息不明である。