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「なぜ、植物図鑑か」の版間の差分

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『'''なぜ、植物図鑑か'''』(なぜ、しょくぶつずかんか)は[[写真家]]・[[写真評論家]] [[中平卓馬]]の写真評論集。
『'''なぜ、植物図鑑か'''』(なぜ、しょくぶつずかんか)は[[写真家]]・[[写真評論家]] [[中平卓馬]]の映像・写真評論集。


1973年、[[晶文社]]から刊行。
1973年、[[晶文社]]から刊行。
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*'''現実の工作者としてのテレビカメラ''' 1970.6 [[シージャック]]犯川藤展久[[射殺]]事件TV中継 (→[[瀬戸内シージャック事件]])
*'''現実の工作者としてのテレビカメラ''' 1970.6 [[シージャック]]犯川藤展久[[射殺]]事件TV中継 (→[[瀬戸内シージャック事件]])
*'''作品は現実の一部である''' 1970.8 [[ジャン=リュック・ゴダール]]監督『[[東風 (映画)|東風]]』その一
*'''作品は現実の一部である''' 1970.8 [[ジャン=リュック・ゴダール]]監督『[[東風 (映画)|東風]]』その一
*'''作品の背後になんかゴダールはいるはずもない''' 1970.9 ジャン=リュック・ゴダール監督『東風』その二

*'''不可避的な身振りとしての映画''' 1970.10 [[アニエス・ヴァルダ|A・ヴァルダ]]監督『[[幸福 (映画)|幸福]]』、[[グラウベル・ローシャ|G・ローシャ]]監督『[[黒い神と白い悪魔]]』
*'''映像の党派制の確立は可能か''' 1970.11 ジャン=リュック・ゴダール監督、『[[イタリアにおける闘争]]』
*'''あらんとするものをあらしめる''' 1970.11 [[吉田喜重]]、ゴダール、川藤展久射殺事件TV中継
*'''血ではなく、赤い絵の具です''' 1970.12ジャン=リュック・ゴダール監督、『[[ウィークエンド (映画)|ウィークエンド]]』『[[中国女]]』
*'''詭弁の迷路''' 1971.5 第10回現代日本美術展
*'''日付けと場所からの発想''' 1971.7 ジャーナリズム、[[全共闘]]、表現
*'''制度としての視覚からの逸脱は可能か''' 1972.2 [[アーサー・ペン]]監督『[[俺たちに明日はない]]』
*'''表現は常に危機的である''' 1972.5 [[白川義員]]-[[マッド・アマノ]][[著作権侵害]]問題
*'''虚構の祭典・虚構の肉体''' 1972.7[[篠田正浩]]総監督『[[札幌オリンピック]]』
*''''''


==関連項目==
==関連項目==

2006年12月25日 (月) 11:49時点における版

なぜ、植物図鑑か』(なぜ、しょくぶつずかんか)は写真家写真評論家 中平卓馬の映像・写真評論集。

1973年、晶文社から刊行。

1960年代後半から1970年代前半の日本の写真評論を語る上で欠かすことの出来ない評論集である。

またこの評論集のために書き下ろされた評論「なぜ、植物図鑑か」を指すこともある。

評論集

なぜ、植物図鑑か(下記で詳述)

第一章 耐えざる視覚の詳述

  • 記録という幻影 ドキュメントからモニュメントへ
  • グラフィズム幻想論
  • 現代芸術の疲弊 第七回パリ青年ビエンナーレに参加して
  • 写真、一日限りのアクチュアリティ

第二章 日付、場所、行為

関連項目