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「東禅寺 (可児市)」の版間の差分

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'''東禅寺'''(とうぜんじ)は[[岐阜県]][[可児市]]久々利にある[[釈迦如来]]を本尊とする[[臨済宗妙心寺派]]の寺院で、山号は久昌山。久々利領主にして[[尾張藩]]の重臣であった[[木曾衆#千村|千村]]の菩提寺。
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
創建年は不詳であるが、[[下総国]][[海上郡]]網戸村(現在の[[千葉県]][[旭市]]網戸)に[[木曾義昌]]の菩提寺としてを開山として建立されたと伝わる
創建年は不詳であるが、[[木曾義昌]]の菩提寺として[[下総国]][[海上郡]]網戸村(現在の[[千葉県]][[旭市]]網戸)に[[東漸寺 (旭市)|東漸寺]]建立された。


寺号は木曽義昌の法号に因んでいる。
寺号は木曽義昌の法号に因んでいる。


その後、木氏の末裔である千村氏と山村氏が美濃国に移っ現在地に移転し、改めて藍外正秀を開山した。
その後、[[]]の末裔である[[千村良重]]、[[徳川家康]]から[[美濃国]][[知行所]]を与えられて[[久々利村]]に[[千村陣屋]]を構えに、寺号を東禅寺に改めて開基し、東漸寺三世の'''藍外正秀'''招いて開山した。


ニ世の'''十翰智哲'''(妙心寺142世)及び、三世の'''了伝智歇'''(妙心寺225世)は共に本山で紫衣を賜う栄誉に浴している。
ニ世の'''十翰智哲'''(妙心寺142世)及び、三世の'''了伝智歇'''(妙心寺225世)は共に本山で紫衣を賜う栄誉に浴している。

2023年10月5日 (木) 00:08時点における版

東禅寺
所在地 岐阜県可児市久々利1655
位置 北緯35度24分20.7秒 東経137度06分38.3秒 / 北緯35.405750度 東経137.110639度 / 35.405750; 137.110639座標: 北緯35度24分20.7秒 東経137度06分38.3秒 / 北緯35.405750度 東経137.110639度 / 35.405750; 137.110639
山号 久昌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 不詳
開山 藍外正秀
開基 千村良重
中興 十翰智哲、無禅師舜
文化財 市指定:千村家の墓所
法人番号 5200005006950 ウィキデータを編集
東禅寺の位置(岐阜県内)
東禅寺
東禅寺
東禅寺 (岐阜県)
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東禅寺(とうぜんじ)は岐阜県可児市久々利にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は久昌山。

尾張藩の重臣であった千村平右衛門家の菩提寺。

歴史

創建年は不詳であるが、木曾義昌の菩提寺として下総国海上郡網戸村(現在の千葉県旭市網戸)に東漸寺が建立された。

寺号は木曽義昌の法号に因んでいる。

その後、木曾氏の末裔である千村良重が、徳川家康から美濃国知行所を与えられて久々利村千村陣屋を構えた時に、寺号を東禅寺に改めて開基し、東漸寺三世の藍外正秀を招いて開山した。

ニ世の十翰智哲(妙心寺142世)及び、三世の了伝智歇(妙心寺225世)は共に本山で紫衣を賜う栄誉に浴している。

詳細な年代は不明であるが、五世の梁州祖禅の時代に祝融の災いに遭った。

十二世住持の蓬州禅苗卓洲胡僊の法嗣で、その許に集った雲水の修行のため僧堂が設けられたが、

慶応元年(1865年)に永保寺に僧堂とともに移っている。

境内には可児市の文化財に指定されている千村家の墓所がある。

脚注

参考文献

  • 久々利村誌編纂会『久々利村誌』 p282-283 1935年