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遺体が発見されたのは翌年の8月。腐敗が激しく四肢も分解寸前で、回収作業をした若い墓掘り職人はこの職業を選んだことを後悔するほどだったという。FBIは刑務所にあった歯科記録と照合し確認した。 |
遺体が発見されたのは翌年の8月。腐敗が激しく四肢も分解寸前で、回収作業をした若い墓掘り職人はこの職業を選んだことを後悔するほどだったという。FBIは刑務所にあった歯科記録と照合し確認した。 |
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後にオスウィーゴの墓地に墓石もないまま埋葬された<ref>{{Cite web|和書|title=名前。生年。死亡年。「Find a Grave」 メモリアル |url=https://ja.findagrave.com/memorial/8653270/jack-hamilton |website=ja.findagrave.com |access-date=2023-09-05 |language=ja}}</ref>。 |
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== 逸話 == |
== 逸話 == |
2023年10月18日 (水) 03:46時点における版
ジョン・ハミルトン(英:John "Red" Hamilton、1899年8月27日 - 1934年4月16日)は1930年代のアメリカ合衆国のギャング。ジョン・デリンジャーとは最も近しい仲間の一人で、赤毛なので仲間から「レッド」の愛称で呼ばれた。
ジョン・ハミルトン John Hamilton | |
---|---|
生誕 |
1899年8月27日 カナダ・オンタリオ州ビングインレット |
現況 | 死没 |
死没 |
1934年4月26日 アメリカ合衆国・イリノイ州オーロラ |
国籍 | カナダ |
別名 |
「レッド」 「スリーフィンガージャック」 |
職業 | ギャング |
罪名 | 銀行強盗、殺人 |
配偶者 | エレン・スティーブンソン |
略歴
1899年8月27日、カナダのオンタリオ州で生まれ幼少期にミシガン州に引っ越した。父親はアイルランド系カナダ人、母親はドイツ系アメリカ人。
子供の頃、そり遊びをしているとき右手の中指と人差し指を失い「スリーフィンガージャック」とあだ名が付いた[1]。10代の頃から製材所や五大湖の貨物船で働き、22歳のときメアリー・スティーブンソンと結婚し子供が2人生まれた[2]。
ハミルトンは大工の職に就いたが、メアリーの兄が結成するスティーブンソン・ギャングに加わり密造酒に手を出し逮捕された。罰金を支払う条件で釈放されるが逃亡し、その後3件の強盗容疑で逮捕され懲役25年を言い渡された。妻とは離婚した。
インディアナ州刑務所に収容されるが、ここで既に服役中のハリー・ピアポントやジョン・デリンジャーの仲間入りをした。このとき28歳だった。
1933年9月、先に仮出所したデリンジャーの手助けにより脱獄に成功[3]、彼らはデリンジャーギャングを結成して銀行強盗を繰り返し全米に知れ渡ることになった。
1934月6月22日、デリンジャーたちとウィスコンシン州のリトル・ボヘミア・ロッジで休暇を取っていたところ、ロッジのオーナーに密告され捜査局の急襲を受けた。ハミルトンはデリンジャー、ホーマー・ヴァン・メーターと共に車を奪って西へ逃げたが、途中のミネソタ州ヘイスティングス辺りで警察と撃ち合いになり、銃弾の1発が助手席にいたハミルトンの背中に命中した。
医者に見せようとシカゴ近郊のオーロラに行き先を変え、バーカー・カーピスギャングが雇う闇医者モランに診て貰った。しかし弾丸が肺に留まっているらしく背中の銃創からは既に壊疽の異臭を放ち始めており、医師は切望的と判断し治療を諦めた[4]。デリンジャーらは瀕死のハミルトンをカーピスの隠れ家に連れて行き見守ったが、6月26日に死亡した。
デリンジャーらは遺体をイリノイ州オスウィーゴの砂利プラントに運んで、身元がばれないよう右手首を切り落とし、全身に多量の苛性ソーダを注いで埋めた[5]。(苛性ソーダは遺体の分解を早める[要出典])
遺体が発見されたのは翌年の8月。腐敗が激しく四肢も分解寸前で、回収作業をした若い墓掘り職人はこの職業を選んだことを後悔するほどだったという。FBIは刑務所にあった歯科記録と照合し確認した。
後にオスウィーゴの墓地に墓石もないまま埋葬された[6]。
逸話
- 銀行強盗をしているとき、老婆が銀行から出て行こうとするのでハミルトンが戻るよう命令したのだが、老婆は「私はペニーズへ行くの。あなたは地獄へ行きなさい」と言い返した。ハミルトンは何も言い返すことなく彼女を通してやった。
- FBIがハミルトンの死亡を公表したあともハミルトンが生きているという噂は絶えることはなく、ハミルトンを見た、ハミルトンと話をした、カナダ国境近くに牧場を所有している、電気技師をしていた、などという情報がFBIに数多く寄せられたという[7]。
恋人パトリシア・チェリントンの略歴
ハミルトンの恋人だったパトリシア・チェリントン(英:Patricia Cherrington、旧姓はパトリシア・ヤング)は1903年9月26日、アーカンソー州のヤング家に生まれた。15歳で結婚し娘が生まれたが、都会でステージに立ちたいという願望を捨て切れず19歳のとき家を出て行った。
1931年、28歳の頃シカゴでダンサーをしているとき、仕事仲間のエヴェリン”ビリー”・フレシェットからタクシー運転手兼トランペット奏者のアーサー・チェリントンを紹介され同棲を始めた。が、タクシー会社のストライキで収入を失った彼は、フレシェットの夫と共に郵便局強盗をして逮捕されてしまう。懲役15年を宣告されたが服役する前に2人は結婚した。
ダンサーの仕事に戻るも長年苦しんでいた胆嚢の病気が悪化し手術を受けた。しばらくの間チェリントンの兄夫婦の家に身を寄せるが、回復すると再びナイトクラブやスピークイージーで夜遊びを楽しんだ[8]。フレシェットの新しい恋人ジョン・デリンジャーと知り合い、彼の仲間のハリー・コープランドと交際したが、コープランドが刑務所に入ったのをきっかけにジョン”レッド”・ハミルトンと付き合い始めた。
1934年1月のイーストシカゴの銀行強盗でハミルトンが負傷した際にはパトリシアが看護した。しかしその間にも夫のアーサーに手紙を書き続け、コープランドが入る刑務所へもたびたび面会に行っていた[9]。
1934年6月、デリンジャーやハミルトンらと共にリトル・ボヘミア・ロッジに滞在した。パトリシアは体調が思わしくないので手下のパット・ライリーに医者に連れていってもらった。夜になり2人が戻った時、ロッジ入り口の森の中に怪しい人影があったため引き返した。FBIがロッジを包囲したのはそのすぐあとだった。
その後デトロイトに潜んでいたが密告により逮捕され、指名手配犯をかくまった罪で19ヶ月間服役した。
1948年、シカゴのホテルで心不全により死亡。45歳だった。
登場する作品
- ”Gang Busters” 演 - ロバート・ヴァンスロー(1952年のテレビドラマ)
- 「ベイビー・フェイス・ネルソン」”Babyface Nelson” 演 - アンソニー・カルーソ(1957年の映画)
- 「ヤング・デリンジャー」"Young dillinger" 演 -ダン・テラノヴァ(1965年の映画)
- 「デリンジャー」"Dillinger" (1973年の映画)
- ※ハミルトンが死亡し埋葬される場面をチャールズ・マクリーのものとして描いている。
- 「デリンジャー」"Dillinger" 演 - ジョン・フィルビン(1991年のテレビ映画)
- "The Irish Mob" (2008年のドキュメンタリー風ドラマ)
- 「パブリック・エネミーズ」"Public Enemies" 演 - ジェイソン・クラーク (2009年の映画)
- ※右手の指が5本全てあるように描かれている。
出典
- ^ Night, Bumps in the. “The Life (and Death) of John Dillinger’s Red Hamilton, Part 1 | Weekly View” (英語). 2023年9月4日閲覧。
- ^ “The 'Dillinger' gangster who grew up across the river – part 1” (英語). SooToday.com (2021年6月6日). 2023年9月4日閲覧。
- ^ “Indiana State prison escape” (英語). Babyface nelson journal. 2023年9月4日閲覧。
- ^ Irvington, Alan E. Hunter- (2019年6月17日). “The life (and death) of John Dillinger’s Red Hamilton. Part II” (英語). Alan E. Hunter. 2023年9月4日閲覧。
- ^ Irvington, Alan E. Hunter- (2019年6月17日). “The life (and death) of John Dillinger’s Red Hamilton. Part II” (英語). Alan E. Hunter. 2023年9月4日閲覧。
- ^ “名前。生年。死亡年。「Find a Grave」 メモリアル”. ja.findagrave.com. 2023年9月5日閲覧。
- ^ Night, Bumps in the. “The Life (and Death) of John Dillinger’s Red Hamilton, Part 2 | Weekly View” (英語). 2023年9月5日閲覧。
- ^ “Don't Call Us Molls: Patricia Cherrington”. www.dillingerswomen.com. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “Don't Call Us Molls: Patricia Cherrington”. www.dillingerswomen.com. 2023年9月5日閲覧。