コンテンツにスキップ

「丸亀市」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
297行目: 297行目:
:郡家小学校や[[南中学校]]があり、新興住宅地が数多い地域である。北は柞原町、南は垂水町、東は川西町、西は三条町に接している。旧名は那珂郡郡家郷郡家村。
:郡家小学校や[[南中学校]]があり、新興住宅地が数多い地域である。北は柞原町、南は垂水町、東は川西町、西は三条町に接している。旧名は那珂郡郡家郷郡家村。
;三条町(さんじょうちょう)
;三条町(さんじょうちょう)
:旧名は那珂郡喜徳郷三條村。
:北は田村町、南は与北町、西は原田町と木徳町、東は郡家町に接している。
:北は田村町、南は与北町、西は原田町と木徳町、東は郡家町に接している。
:丸亀市に編入される前は、仲多度郡郡家村に属していた。
:丸亀市に編入される前は、仲多度郡郡家村に属していた。
325行目: 326行目:
:かつては南条町のすぐ南側の場所は'''農人町'''、農人町の南西側は'''餌指町'''、會下天満神社付近は'''景川町'''、
:かつては南条町のすぐ南側の場所は'''農人町'''、農人町の南西側は'''餌指町'''、會下天満神社付近は'''景川町'''、
:西中学校の南側は'''栄町'''と呼ばれており城下町の一部であった。旧地方村の一部も含まれる。
:西中学校の南側は'''栄町'''と呼ばれており城下町の一部であった。旧地方村の一部も含まれる。
:旧名は那珂郡柞原郷中府村。
;原田町(はらだちょう)
;原田町(はらだちょう)
:旧名は那珂郡喜徳郷原田村で、丸亀市に編入される前は善通寺市原田町、金蔵寺町(旧龍川村)の一部であった。
:旧名は那珂郡喜徳郷原田村で、丸亀市に編入される前は善通寺市原田町、金蔵寺町(旧龍川村)の一部であった。

2006年12月31日 (日) 14:30時点における版

まるがめし ウィキデータを編集
丸亀市
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 香川県
市町村コード 37202-1
法人番号 1000020372021 ウィキデータを編集
面積 111.83km2
総人口 107,832[編集]
推計人口、2024年8月1日)
人口密度 964人/km2
隣接自治体 坂出市善通寺市
綾歌郡宇多津町綾川町)、
仲多度郡多度津町まんのう町

(海上により隣接)
岡山県倉敷市笠岡市
浅口市
市の木 ヤマモモ
市の花 サツキ
丸亀市役所
市長 松永恭二
所在地 763-8501
香川県丸亀市大手町二丁目3番1号
外部リンク 丸亀市
ファイル:香川県丸亀市県内位置図.svg
拡大表示(SVGファイル対応ブラウザのみ)
特記事項 ・位置の経度緯度は参考値
 (世界測地系
ウィキプロジェクト

丸亀市まるがめし)は香川県中西部に位置するである。

中心には、現存する天守と美しい石垣で知られる丸亀城がそびえ、の象徴となっている。また、うちわの製造が伝統産業で、生産量は全国の9割をも占める。

平成17年(2005年)3月22日に丸亀市、綾歌町飯山町の対等合併により誕生し、新市名も丸亀市となった。本記事では必要に応じ合併前を旧丸亀市、合併後を新丸亀市として記す。

地理

瀬戸内海に面し、丸亀平野の北東部と塩飽諸島の一部を市域としている。平野部には他の香川県の市町と同様に数多くの溜池があり、中部には南北に一級河川土器川が流れ、さらに東には美しい山容を持ち讃岐七富士の一つに数えられる讃岐富士こと飯野山が、南には同じく讃岐七富士の一つ、羽床富士こと堤山がそびえる。

飯野山、青ノ山、双子山、高見峰、猫山、城山、堤山、横山、西山
仁池、大窪池、楠見池、小津森池、水橋池、打越下池、堤池
河川
土器川金倉川、清水川、西汐入川、大束川

歴史

中心市街は丸亀藩の城下町、また金刀比羅宮への参拝口として栄え始め、金毘羅参り土産物としてうちわの製造が盛んとなった。丸亀藩は長く京極氏によって治められ、旧丸亀市の市章には京極氏馬印である「立鼓」が用いられたり、新たに丸亀港をまたぎ架けられた橋が京極大橋と名付けられるなどの名残がある。

旧丸亀市は丸亀城城下町と近隣の村を市域とし市制を施行され、周辺の町村との合併を繰り返し市域を拡大していき、平成17年(2005年)に綾歌郡綾歌町、同郡飯山町と対等合併し、新丸亀市となった。

現在の市域である塩飽諸島は古くから優れた水夫が住み、幕末咸臨丸による太平洋横断には、乗船した水夫の7割を占めた。

年表

和暦 西暦 月日 内容
明治22年 1889年 月日 鵜足郡栗熊西村・栗熊東村が合併して栗熊村となる。
明治23年 1890年 2月15日 町村制施行により那珂郡丸龜町がおかれる。  
明治32年 1899年 3月16日 那珂郡と多度郡が合併し、仲多度郡となる。
阿野郡と鵜足郡が合併し、綾歌郡となる。
4月1日 仲多度郡丸龜町が市制施行により丸龜市となる。
大正6年 1917年 6月1日 丸龜市が仲多度郡六郷村を編入。
昭和26年 1951年 4月1日 丸亀市が仲多度郡南村を編入。
月日 綾歌郡栗熊村・富熊村が合併し、久万玉村となる。
昭和29年 1954年 3月31日 丸亀市が仲多度郡本島村及び綾歌郡川西村を編入。
5月3日 丸亀市が綾歌郡土器村を編入。
10月17日 丸亀市が仲多度郡郡家村を編入。
昭和30年 1955年 3月10日 丸亀市が善通寺市原田町・金蔵寺町の一部を編入。
5月3日 丸亀市が綾歌郡飯野村の一部を編入。
昭和31年 1956年 月日 綾歌郡法勲寺村坂本村が合併し、飯山町となる。
昭和33年 1958年 5月1日 丸亀市が仲多度郡垂水村広島村を編入。
昭和34年 1959年 月日 綾歌郡久万玉村・岡田村が合併し、綾歌町となる。
平成17年 2005年 3月22日 丸亀市・綾歌郡綾歌町・綾歌郡飯山町が対等合併し、丸亀市となる。

旧丸亀市

丸亀市
廃止日 2005年3月22日
廃止理由 新設合併
丸亀市綾歌町飯山町→丸亀市
現在の自治体 丸亀市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 香川県
市町村コード 37202-1
面積 64.59km2
総人口 80,105
(2000年10月1日)
隣接自治体 坂出市善通寺市
綾歌郡綾歌町飯山町宇多津町)、
仲多度郡満濃町多度津町

(海上により隣接)
岡山県倉敷市笠岡市
浅口郡寄島町
市の木 ヤマモモ
市の花 サツキ
他のシンボル -
丸亀市役所
所在地 763-8501
香川県丸亀市大手町二丁目3番1号
ウィキプロジェクト

綾歌町・飯山町との合併により平成17年(2005年)3月22日消滅し、市名は新丸亀市へと引き継がれた。

  • 歴代市長
  1. 豊田元良(明治32年8月3日 - 明治37年1月8日)
  2. 長谷川和愛(明治37年6月18日 - 明治43年6月17日)
  3. 藤好乾吉(明治43年6月18日 - 大正4年1月12日)
  4. 齋藤研一(大正4年11月2日 - 大正6年6月1日)
  5. 樋口德太郎(大正6年9月15日 - 大正9年10月7日)
  6. 久野廉(大正10年6月3日 - 大正12年3月7日)
  7. 大須賀巖(大正12年7月5日 - 昭和6年7月4日)
  8. 高木季熊(昭和6年11月17日 - 昭和9年4月10日)
  9. 大柏淸三郎(昭和9年7月25日 - 昭和17年7月24日)
  10. 入江俊輔(昭和17年7月25日 - 昭和21年7月24日)
  11. 三原勝英(昭和22年4月6日 - 昭和38年4月29日)
  12. 堀家重俊(昭和38年4月30日 - 平成3年4月29日)
  13. 片山圭之(平成3年4月30日 - 平成15年4月29日)
  14. 新井哲二(平成15年4月30日 - 平成17年3月21日)

行政

平成17年4月24日に市長選挙と、議員選挙が行われた。

経済

農業
野菜モモハッサクキクなどが主要な生産物となっている。
工業
うちわの生産量は全国の9割を占めているが、機械化により事業所数と従業員数は減少傾向にある。また、海岸の埋立地は工業団地となっており造船などが行われている。
商業
国道11号さぬき浜街道などの幹線道路沿いに新たな店舗が開き、中心の商店街は衰退を見せるなど、郊外化が進んでいる。

姉妹都市

姉妹都市
サン・セバスティアンスペイン ギプスコア県
交流都市
北海道京極町秋田県矢島町(現由利本荘市)、滋賀県山東町(現米原市)、愛媛県朝倉村(現今治市
親善都市
石川県七尾市
友好都市
張家港中国

地域

城下町

旧丸亀藩からの城下町(市井と呼ばれていた)で丸亀市の中心市街。古くなった建物の建替えが少なく、人口は減少傾向を見せている。 かつては外堀から内は番丁と呼ばれ、一般市民は自由に立ち入りできなかった場所である。

丸亀城天守
丸亀城本丸から見た市街
丸亀市役所
丸亀駅と広場
太助灯篭と京極大橋
猪熊弦一郎現代美術館
一番丁(いちばんちょう)
丸亀城がそびえる。
魚屋町(うおやまち)
大手町(おおてちょう)
丸亀城大手門正面で、藩の頃は家老が住んだ。市役所普通郵便局簡易裁判所中学校私立学校などが並ぶ。市役所西隣はかつてダイエーが営業していたが、郊外に相次いだ他の大型店舗の新規出店などで撤退し、現在はパチンコ店が営業を行っている。
かつては市役所付近は二番丁、その南側の税務署付近が三番丁、さらにその南側が四番丁と呼ばれていた。
葭町(かやまち)
古くは霞町とも書いた。
瓦町(かわらまち)
城北小学校がある。小学校の近くに広がる公園は外堀(東汐入川)を埋め立てたものである。
雑賀町と呼ばれた町が近くにあった。
北平山町(きたひらやまちょう)
元は土居村の一部であったが、築城の際に宇多津の平山から水夫が移住し町となった。
北平山、西平山、御供所で三浦という。この三浦には寺院が密集している場所があり、その周辺は寺町とも呼ばれていた。
九番丁(くばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。
米屋町(こめやちょう)
御供所町(ごぶしょちょう)
名は古代に讃留王が宇多津で大魚を討った際に、この地から水夫を供した事に由来すると伝わる。
幸町(さいわいちょう)
かつては、丸亀市役所がここにあった。旧地方村の一部。
十番丁(じゅうばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。十番丁と城南町の境には、近年まで唯一残っていた外堀があったが、現在はここも埋め立てられ公園となっている。
城西町(じょうせいちょう)
城の西方に位置する。城西小学校の西側の地域は鷹匠町と呼ばれていた。
城東町(じょうとうちょう)
城の東に位置し、外堀を埋めた道が南北を貫く。旧外堀の中はかつて五番丁と呼ばれ藩に仕える武士が住み、明治に入ると軍用地となった。現在は概ね宅地であり、町域の中央に香川労災病院が建つ。
城南町(じょうなんちょう)
城の南方に位置する。旧地方村の一部。
塩屋町(しおやちょう)
慶長20年(1615年3月7日播磨国赤穂から人が移り住み塩田を拓いた事を町名の由来とする。塩業は衰えたが、地場産業であるうちわの製造が盛んであり、町工場と宅地が混在している。西本願寺塩屋別院(塩屋御坊)がある。西讃府志によれば市井(城下町)からは外れており、那珂郡柞原郷の一村である。
七番丁(しちばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。
塩飽町(しわくまち)
かつては堀側町と呼ばれていた。
新浜町(しんはまちょう)
大型商業施設や私立高校等がある。福島町とは西汐入川を挟んで西側に位置する。旧塩屋村の一部。
新町(しんまち)
福島町と浜町の間にある。町域は東西に細長く南北は狭い。かつて福島町の東(現在のみなと公園)で海水と合流していた西汐入川を埋め立てた場所。福島橋は、このあたりに架かっていたのであろう。
宗古町(そうこまち)
天満町(てんまちょう)
天満天神社が在る。もともとは今津村の小地名で、こちらも西讃府志によれば、市井ではない。
通町(とおりちょう)
商店街を持つ。
富屋町(とみやまち)
大手町と丸亀駅を繋ぐ商店街を持つが、人通りは少ない。かつては兵庫町と呼ばれていたが、元禄4年に現在の名前に改称された。
南条町(なんじょうまち)
寺院が多く寿覚寺、宗泉寺、本照寺、法音寺などがある。
西讃府志によれば上南條町下南條町に分かれていた。
西本町(にしほんまち)
本町の西にある。旧船頭町
西平山町(にしひらやまちょう)
元々は鵜足郡津野郷土居村の一部であったが、築城の際に宇多津の平山から水夫が移住し町となった。
八番丁(はちばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、現在は閑静な宅地となっている。
浜町(はままち)
西汐入川はこの浜へと流れ込み海水と合流していたという。広場に面して丸亀駅丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、市立図書館などが建つ。浜町の西端は月見町と呼ばれていた。
福島町(ふくしまちょう)
西讃府志によると、かつては中須賀と呼ばれていて塩屋村と地続きの州崎であったという。
元禄4年(1691年)3月に浜町との間の堀に掛かった橋を、時の藩主である京極高豊が福島橋と名付けた事から名を改めた。
今も塩飽諸島へと向かう旅客船が出入りする港町である。
風袋町(ふるたいまち)
丸亀藩主京極長門守高朗が当地に敬止堂と呼ばれた学館を設立。一般庶民にも開放し、教育水準の向上に努めた。
本町(ほんまち)
富屋町と通町を繋ぐ商店街を持つが人通りは少ない。
前塩屋町(まえじおやちょう)
旧地方村の一部。法然上人が掘ったといわれる井戸が正宗寺(光明庵)にある。
松屋町(まつやちょう)
商店街がある。松屋町と通町の間の地域は畳屋町と呼ばれていた。
六番丁(ろくばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住んだ。城西小学校がある。

郊外

かつては農村であったが、北部と幹線道路沿いは市街化も進んでおり、他の地域も新興住宅地が増えてきている。

飯野町、土器町、柞原町、川西町、郡家町、三条町、原田町、垂水町は旧高松藩領であった。

香川県立丸亀競技場
丸亀平井美術館
蓬莱橋付近の土器川
ファイル:Nakatsubansyouen.jpg
中津万象園正門
飯野町(いいのちょう)
飯野山山頂から西に広がり、田畑が広がるが宅地化も進んでいる。東分、西分、東二の三地域からなる。旧綾歌郡飯野村が全て丸亀市と合併したわけではなく、宇多津町東分、坂出市川津町の一部等にも旧飯野村に属していた地域がある。
今津町(いまづちょう)
城坤小学校がある。旧名は今津村で、那珂郡柞原郷の一村。
丸亀市に編入される前は、今津、津森、新田、塩屋、上金倉、下金倉の六村で六郷村と称していた。
金倉町(かなくらちょう)
金倉川が流れ、田畑が広がっており、香川県立丸亀競技場がある。
旧名、那珂郡金倉郷上金倉村。金倉郷は上金倉、下金倉(中津)、金蔵寺の三村から成る。
川西町(かわにしちょう)
土器川の西に位置する。城辰小学校がある。川西の由来は鵜足郡の西二村西小川村が合併したことによる。概ね川西町北が旧西二村、川西町南が旧西小川村である。
柞原町(くばらちょう)
かつては柞木が多かったという。旧名、那珂郡柞原郷柞原村。
郡家町(ぐんげちょう)
郡家小学校や南中学校があり、新興住宅地が数多い地域である。北は柞原町、南は垂水町、東は川西町、西は三条町に接している。旧名は那珂郡郡家郷郡家村。
三条町(さんじょうちょう)
旧名は那珂郡喜徳郷三條村。
北は田村町、南は与北町、西は原田町と木徳町、東は郡家町に接している。
丸亀市に編入される前は、仲多度郡郡家村に属していた。
新田町(しんでんちょう)
塩飽島から移った又右衛門が承応年間(1652年1654年)に開拓し、安政5年(1858年)頃になっても町名を得ず町新田とも丸亀新興とも呼ばれており、今では新田が町名となっている。
田村町(たむらちょう)
田村天満宮、城南小学校がある。県道33号と国道11号を結ぶ幹線周辺等には、
郊外型の商業施設が数多く立ち並ぶ。旧名は田村で那珂郡柞原郷の一村。
丸亀市と合併する前は山北、柞原、田村の三村で仲多度郡南村と称していた。
垂水町(たるみちょう)
垂水小学校がある。こちらも新興住宅地が増加している。北は川西町南と郡家、南はまんのう町の東高篠と公文、西は善通寺市の与北、東は東小川と岡田西に接している。旧名は那珂郡垂水郷垂水村。
津森町(つのもりちょう)
津森天神神社がある。旧名は津森村で、こちらも那珂郡柞原郷の一村。
津森の語源は、港の警護人(津の守)が住んでいたことによる。との説がある。
土居町(どいちょう)
旧城下町と土器川の間に位置する農村であったが、宅地化が進んでいる。
旧名は、鵜足郡津野郷土居村で丸亀藩の領地で唯一、鵜足郡に属していた場所である。
土器町西(どきちょうにし)
土器川西岸に位置する農村であったが、宅地化が進んでいる。
旧鵜足郡高津村などが町域に含まれる。
土器町東(どきちょうひがし)
土器川東岸からに青ノ山の間に位置する農村であったが、宅地化が進み南北を貫く土器線と呼ばれる道路沿いには新たに建った店舗が多い。青ノ山麓に位置する田潮八幡宮の秋祭りでは、氏子が神輿を担いで土器川に入り暴れる事で知られ、両岸と近くの蓬莱橋を見物人で埋める。また、浜街道沿いに丸亀平井美術館がある。
中津町(なかづちょう)
金倉川河口に位置し、浜街道沿いに中津万象園が在る。
中津の由来は、この地に那珂郡の津があったことによる。旧名、下金倉村
中府町(なかぶちょう)
旧城下町のすぐ西に位置する。那珂郡の府が在ったといい、元は農村であったが市街化が進んでいる。
かつては南条町のすぐ南側の場所は農人町、農人町の南西側は餌指町、會下天満神社付近は景川町
西中学校の南側は栄町と呼ばれており城下町の一部であった。旧地方村の一部も含まれる。
旧名は那珂郡柞原郷中府村。
原田町(はらだちょう)
旧名は那珂郡喜徳郷原田村で、丸亀市に編入される前は善通寺市原田町、金蔵寺町(旧龍川村)の一部であった。
原田町の番地は、善通寺市時代のものがそのまま使われている場所が多い。
原田団地(はらだだんち)
原田町東三分一にある。
山北町(やまきたちょう)
山北八幡宮が鎮座する。山北八幡宮はかつて亀山の北に在ったが、丸亀城を築く際に山の南にあるこの地に移った。
丸亀城搦め手口から南へ伸びる道をまたぎ、石造りの鳥居が建つ。


塩飽諸島

塩飽諸島は塩飽島とも呼ばれ、瀬戸内海に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたが、近年は過疎化が進んでいる。

丸亀市は本島広島手島牛島小手島の五つの有人島と、上真島下真島烏小島白石長島弁天島向島の七つの無人島を市域としている。

埋立地

丸亀競艇場
うちわの港ミュージアム

主に昭和に入って埋め立てられた工業地帯。

昭和町(しょうわちょう)
昭和42年(1967年)から49年(1974年)にかけて埋め立てられた工業地帯であり、今治造船などが操業している。
土器町北(どきちょうきた)
土器川河口東に位置し工業地帯となっている。北岸は浜辺で潮干狩りを行える。
富士見町(ふじみちょう)
讃岐富士と呼ばれる飯野山を見られ、丸亀競艇場、オークラホテル丸亀などが建つ。

明治頃に埋め立てられた。第一次世界大戦時は軍の演習場だった。

蓬莱町(ほうらいちょう)
港町(みなとまち)
港に面した埋立地。うちわの港ミュージアムが在り、福島町との間に港をまたいで青のアーチが美しい京極大橋が架かる。


綾歌町

綾歌町周辺は、古くは鵜足郡栗隈郷と呼ばれていた。1890年の自治体成立に伴い、鵜足郡に栗熊村、富熊村、岡田村が成立した。

ファイル:Reoma.jpg
ニューレオマワールド
岡田上(おかだかみ)
岡田下(おかだしも)
岡田西(おかだにし)
岡田東(おかだひがし)
栗熊西(くりくまにし)
綾歌市民総合センター(合併前の綾歌町役場)やニューレオマワールドがある。
栗熊東(くりくまひがし)
富熊(とみくま)


飯山町

古くは、当地周辺は鵜足郡に属しており、坂本郷、井上郷、小川郷が存在していた。

土器川付近から見た讃岐富士
上法軍寺(かみほうぐんじ)
川原(かわはら)
飯山市民総合センター(合併前の飯山町役場)がある。
真時(さんとき)
下法軍寺(しもほうぐんじ)
香川県立飯山高等学校がある。
西坂元(にしさかもと)
東小川(ひがしおがわ)
東坂元(ひがしさかもと)


教育

小学校

中学校

高等学校

大学・短期大学

  • 四国職業能力開発大学校(ポリテクカレッジ)


交通

古くは瀬戸内海に面した海上交通の要地であり、特に対岸の岡山県下津井港との間の航路金毘羅参りで賑わった。時代が下ると下津井電鉄を経由しての本州との連絡貨物運輸なども行われたが、瀬戸大橋の開通により港町としての地位は衰えた。

鉄道路線

バス

  • 丸亀コミュニティバス - 特定のバス停で乗換えが可能である。
岡田宇多津線、飯野中津線、丸亀垂水線、飯山川西線、飯山栗熊線、岡田栗熊線、富熊栗熊線。
  • 本島バス(本島町)

船舶

各島を結ぶフェリー、客船が就航している。

  • 本島汽船
  • 六口丸海運
  • 備讃フェリー
  • 広島汽船

道路

高速道路
高松自動車道丸亀バスストップ
市内にはインターチェンジはなく、坂出IC善通寺ICを利用することになる。
一般国道
国道11号国道32号国道319号国道377号国道438号
県道

観光

お城祭り
旧跡
美術館
博物館
  • うちわの港ミュージアム
遊技場
催事
  • お城まつり
  • 香川丸亀ハーフマラソン大会
  • 塩飽本島マイペースマラソン大会
  • 婆娑羅(ばさら)まつり
食事


出身有名人

外部リンク

丸亀市役所近辺(国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:丸亀(南西)