コンテンツにスキップ

「石井章夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目: 2行目:
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 石井 章夫
| 選手名 = 石井 章夫
| 所属球団 = 社会人野球日本代表
| 所属球団 =
| 役職 = 監督
| 役職 =
| 背番号 =
| 背番号 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 国籍 = {{JPN}}
33行目: 33行目:


[[2017年]]2月から社会人日本代表監督を務め<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/02/18/kiji/20170217s00001003208000c.html 侍社会人代表監督に石井章夫氏 弟は元西武投手] - [[スポーツニッポン]]2017年2月18日付記事</ref>、同年の[[2017年アジア野球選手権大会|第28回アジア選手権大会]]で優勝を果たしたほか、[[アジア競技大会野球競技|アジア競技大会]]では[[2018年]]の[[2018年アジア競技大会における野球競技|ジャカルタ・パレンバン大会]]、[[2023年]]の[[2022年アジア競技大会における野球競技|杭州大会]]の2大会で指揮を執った。2023年10月、代表監督を退任した<ref>{{Cite web|title=野球日本代表「侍ジャパン」社会人代表の新監督について|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20231020_1.html|website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト|date=2023-10-20|accessdate=2023-10-20}}</ref>。
[[2017年]]2月から社会人日本代表監督を務め<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/02/18/kiji/20170217s00001003208000c.html 侍社会人代表監督に石井章夫氏 弟は元西武投手] - [[スポーツニッポン]]2017年2月18日付記事</ref>、同年の[[2017年アジア野球選手権大会|第28回アジア選手権大会]]で優勝を果たしたほか、[[アジア競技大会野球競技|アジア競技大会]]では[[2018年]]の[[2018年アジア競技大会における野球競技|ジャカルタ・パレンバン大会]]、[[2023年]]の[[2022年アジア競技大会における野球競技|杭州大会]]の2大会で指揮を執った。2023年10月、代表監督を退任した<ref>{{Cite web|title=野球日本代表「侍ジャパン」社会人代表の新監督について|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20231020_1.html|website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト|date=2023-10-20|accessdate=2023-10-20}}</ref>。
<!--

<!--==球歴==
==球歴==
桐蔭学園高(1980年~1982年)→慶大(1983年~1986年)→東京ガス(1987年~1998年)→東京ガス監督(2003年~2005年)
桐蔭学園高(1980年~1982年)→慶大(1983年~1986年)→東京ガス(1987年~1998年)→東京ガス監督(2003年~2005年)
-->
-->

== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[慶應義塾大学の人物一覧]]
* [[慶應義塾大学の人物一覧]]
* [[兄弟スポーツ選手一覧 #野球|兄弟スポーツ選手一覧]]
* [[兄弟スポーツ選手一覧#野球|兄弟スポーツ選手一覧]]
* [[小野直広]](義理の伯父(父方の伯母の夫))
* [[小野直広]](義理の伯父(父方の伯母の夫))



2023年12月11日 (月) 21:53時点における版

石井 章夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県綾瀬市
生年月日 (1964-09-30) 1964年9月30日(59歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

石井 章夫(いしい あきお、1964年9月30日 - )は、日本の元野球選手捕手)、野球監督

弟は元西武ライオンズ石井貴

人物・来歴

神奈川県綾瀬市出身。桐蔭学園高等学校から慶應義塾大学に進学。野球部に所属し、東京六大学リーグ通算60試合出場、199打数45安打、打率.226、3本塁打、15打点。ベストナイン2回。学生時代には全日本大学野球選手権大会への出場歴を持つ。

1986年のドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受けるも、父を早く亡くしていたという家庭環境からプロ入りを拒否し東京ガスに入社。同期には相場勤がいる。同社野球部で正捕手として12年間にわたってプレー。その後社業に就いた後、2003年からは3シーズンにわたって監督を務めた。

2017年2月から社会人日本代表監督を務め[1]、同年の第28回アジア選手権大会で優勝を果たしたほか、アジア競技大会では2018年ジャカルタ・パレンバン大会2023年杭州大会の2大会で指揮を執った。2023年10月、代表監督を退任した[2]

関連項目

脚注

  1. ^ 侍社会人代表監督に石井章夫氏 弟は元西武投手 - スポーツニッポン2017年2月18日付記事
  2. ^ 野球日本代表「侍ジャパン」社会人代表の新監督について”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2023年10月20日). 2023年10月20日閲覧。