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[[1992年バルセロナオリンピック]]では個人全種目予選敗退と振るわなかったが、1996年自身2度目の[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]体操では跳馬で銀メダルを獲得した。[[2000年シドニーオリンピック]]ではいずれも予選敗退だった。
[[1992年バルセロナオリンピック]]では個人全種目予選敗退と振るわなかったが、1996年自身2度目の[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]体操では跳馬で銀メダルを獲得した。[[2000年シドニーオリンピック]]ではいずれも予選敗退だった。


== スポーツマンNo.1決定戦 ==
1997年元日に放送された[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]]inアトランタ[[跳び箱]]選手権大会([[TBSテレビ|TBS]])に初出場当時の世界記録21段(高さ2m86cm)を初挑戦で成功し一時的に世界タイ記録保持者となるものの、直後に22段(高さ2m96cm)を記録した[[ビタリー・シェルボ|ヴィタリー・シェルボ]]に敗れる。同年4月2日に同番組で放送された跳び箱世界一決定戦にて23段(高さ3m06cm)の世界新記録を樹立し人類初の23段成功者となった([[スポーツマンNo.1決定戦 総合順位 種目別順位#芸能人サバイバルバトル|スポーツマンNo.1決定戦 芸能人サバイバルバトル]]第2回)。以降、同番組や[[SASUKE]]にも数度出場した。跳び箱に挑戦した選手の中でもずば抜けて加速力、瞬発力に優れた選手であり、自分の秘訣について「脚が強いからロイター板に負けないだけ」と語る。そのさまは、同じく23段の世界記録を保持している[[池谷直樹]]も「ヨーさんの踏み切りを普通の選手が行えば脚が壊れるだけ」と語る程<ref>2001年元日に放送された「スポーツマンNo.1決定戦」内の「跳び箱世界一決定戦」で、実況担当の[[古舘伊知郎]]が伝えている。</ref>であった。
1997年元日に放送された[[TBSテレビ|TBS]]『[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦]]in アトランタ[[跳び箱]]選手権大会に初出場当時の世界記録21段(高さ2m86cm)を初挑戦で成功し一時的に世界タイ記録保持者となるものの、直後に22段を記録した[[ビタリー・シェルボ|ヴィタリー・シェルボ]]に敗れる。同年4月2日に同番組で放送された跳び箱世界一決定戦にて23段(高さ3m06cm)の世界新記録を樹立し人類初の23段成功者となった。以降、同番組や[[SASUKE]]にも数度出場した。跳び箱に挑戦した選手の中でもずば抜けて加速力、瞬発力に優れた選手であり、自分の秘訣について「脚が強いからロイター板に負けないだけ」と語る。そのさまは、同じく23段の世界記録を保持している[[池谷直樹]]も「ヨーさんの踏み切りを普通の選手が行えば脚が壊れるだけ」と語る程<ref>2001年元日に放送された「スポーツマンNo.1決定戦」内の「跳び箱世界一決定戦」で、実況担当の[[古舘伊知郎]]が伝えている。</ref>であった。


== 家族 ==
== 家族 ==

2024年2月28日 (水) 08:56時点における最新版

獲得メダル

呂洪哲
体操競技
大韓民国の旗 韓国
オリンピック
1996 アトランタ 跳馬
世界体操競技選手権
1996 サンフアン 跳馬
1994 ブリスベン 跳馬
ユニバーシアード
1991 シェフィールド 跳馬
1993 バッファロー 跳馬
アジア競技大会
1994 広島 跳馬
1998 バンコク 跳馬
呂 洪哲
各種表記
ハングル 여 홍철
漢字 呂 洪哲
発音: ヨホンチョル
ローマ字 Yeo Hong-Chul
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呂 洪哲(ヨ・ホンチョル/여홍철1971年5月28日 - )は、韓国光州広域市出身の元体操選手。1990年代に活躍し、跳馬の「ヨー」「ヨー2」にその名を残す。

略歴[編集]

1992年バルセロナオリンピックでは個人全種目予選敗退と振るわなかったが、1996年自身2度目のアトランタオリンピック体操では跳馬で銀メダルを獲得した。2000年シドニーオリンピックではいずれも予選敗退だった。

スポーツマンNo.1決定戦[編集]

1997年元日に放送されたTBS最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』in アトランタ跳び箱選手権大会に初出場。当時の世界記録21段(高さ2m86cm)を初挑戦で成功し、一時的に世界タイ記録保持者となるものの、直後に22段を記録したヴィタリー・シェルボに敗れる。同年4月2日に同番組で放送された跳び箱世界一決定戦にて23段(高さ3m06cm)の世界新記録を樹立し、人類初の23段成功者となった。以降、同番組や『SASUKE』にも数度出場した。跳び箱に挑戦した選手の中でもずば抜けて加速力、瞬発力に優れた選手であり、自分の秘訣について「脚が強いからロイター板に負けないだけ」と語る。そのさまは、同じく23段の世界記録を保持している池谷直樹も「ヨーさんの踏み切りを普通の選手が行えば脚が壊れるだけ」と語る程[1]であった。

家族[編集]

女子体操選手のヨ・ソジョンは娘[2]

脚注[編集]

  1. ^ 2001年元日に放送された「スポーツマンNo.1決定戦」内の「跳び箱世界一決定戦」で、実況担当の古舘伊知郎が伝えている。
  2. ^ 東京五輪 跳馬でヨ・ソジョンが銅メダル 女子体操で初メダル”. world.kbs.co.kr (2021年8月1日). 2022年9月5日閲覧。

外部リンク[編集]