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[[1964年]]3月、[[東京都立新宿高等学校]]卒業<ref group="注釈">同級生に元[[JNNニュースコープ]]キャスター・現[[BS-TBS]]顧問の[[平本和生]]がいた。</ref>。[[1968年]]3月、[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部政治学科]]卒業。
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1968年4月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]に入社し、アナウンス部に配属。スポーツアナウンサーとして[[ボクシング]]、[[サッカー]]、[[陸上競技]](マラソン、駅伝)を中心に担当する{{sfn|実況|1994|p=117}}。特にサッカーは、[[メキシコ]]で開催された[[1970 FIFAワールドカップ]]で3期先輩の[[舛方勝宏]]と共に自費取材を敢行{{sfn|実況|1994|p=221}}し、[[1971年]]にテレビ中継が開始された[[全国高等学校サッカー選手権大会]]を実況する{{sfn|実況|1994|p=222}}など、日本テレビにおけるサッカー実況体制の基盤を確立した。
1968年4月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]に入社し、アナウンス部に配属(同期入社{{sfn|実況|1994|p=220}}は[[小早川正昭]]、中西江美子(旧姓:阿部)、白石浩子)。スポーツアナウンサーとして[[ボクシング]]、[[サッカー]]、[[陸上競技]](マラソン、駅伝)を中心に担当する{{sfn|実況|1994|p=117}}。特にサッカーは、[[メキシコ]]で開催された[[1970 FIFAワールドカップ]]で3期先輩の[[舛方勝宏]]と共に自費取材を敢行{{sfn|実況|1994|p=221}}し、[[1971年]]にテレビ中継が開始された[[全国高等学校サッカー選手権大会]]を実況する{{sfn|実況|1994|p=222}}など、日本テレビにおけるサッカー実況体制の基盤を確立した。


[[1973年]]、アナウンス部の同僚で2期後輩の江川範子と結婚<ref>{{Cite journal|和書|journal=週刊朝日|title=DJ訪問 江川範子|page=50|publisher=朝日新聞出版|date=1978-05-12}}</ref>。[[1980年]]頃から報道兼務となり、平日昼や週末夕方・深夜のニュースを担当した。
[[1973年]]、アナウンス部の同僚で2期後輩の江川範子と結婚<ref>{{Cite journal|和書|journal=週刊朝日|title=DJ訪問 江川範子|page=50|publisher=朝日新聞出版|date=1978-05-12}}</ref>。[[1980年]]頃から報道兼務となり、平日昼や週末夕方・深夜のニュースを担当した。
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'''その他'''
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* [[あさま山荘事件]]報道(1972年)中継要員として[[久能靖]]、[[倉持隆夫]]、[[小早川正昭]]らと共に担当
* [[あさま山荘事件]]報道(1972年)中継要員として[[久能靖]]、[[倉持隆夫]]、小早川正昭らと共に担当
* [[NNNスポーツニュース]](1980年代)週末版スタジオキャスター(不定期)
* [[NNNスポーツニュース]](1980年代)週末版スタジオキャスター(不定期)
* [[スーパーテレビ情報最前線]](1991年 - 1996年)ナレーション(不定期)
* [[スーパーテレビ情報最前線]](1991年 - 1996年)ナレーション(不定期)

2024年3月2日 (土) 23:46時点における版

あしざわ としみ
芦沢 俊美
プロフィール
出身地 日本の旗 日本東京都
生年月日 1946年1月30日
没年月日 2013年
最終学歴 慶應義塾大学法学部政治学科
職歴日本テレビアナウンサー
活動期間 1968年 - 1996年
ジャンル 報道・スポーツ中継
配偶者 江川範子
担当番組・活動

芦沢 俊美(あしざわ としみ、1946年1月30日 - 2013年)は、日本テレビの元アナウンサー。妻はアナウンサー(日本テレビ→フリー)の江川範子[1]東京都出身。

人物

1964年3月、東京都立新宿高等学校卒業[注釈 1]1968年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。

1968年4月、日本テレビに入社し、アナウンス部に配属(同期入社[2]小早川正昭、中西江美子(旧姓:阿部)、白石浩子)。スポーツアナウンサーとしてボクシングサッカー陸上競技(マラソン、駅伝)を中心に担当する[3]。特にサッカーは、メキシコで開催された1970 FIFAワールドカップで3期先輩の舛方勝宏と共に自費取材を敢行[4]し、1971年にテレビ中継が開始された全国高等学校サッカー選手権大会を実況する[5]など、日本テレビにおけるサッカー実況体制の基盤を確立した。

1973年、アナウンス部の同僚で2期後輩の江川範子と結婚[6]1980年頃から報道兼務となり、平日昼や週末夕方・深夜のニュースを担当した。

1996年5月、チーフアナウンサー職[2]を最後にアナウンス部を離れ、事業局に異動。その後、広報局広報部長、広報局IR部長を歴任し、2004年6月に教育担当部長としてアナウンス部に復帰(管理職専任)。2006年に定年退職。

2013年、死去[1]

出演番組

これまでに担当したスポーツ中継の実況経歴

報道・情報番組の出演経歴

期間 番組名 役職 備考
1988年4月 1990年3月 NNN昼のニュース 週末担当キャスター 左記の担当期間以前にもシフト勤務で担当していた。
1990年4月 1991年9月 水~日曜日担当キャスター
1985年10月 1988年3月 NNNきょうの出来事 金~日曜日メインキャスター 舛方勝宏が休暇やスポーツ取材になる場合、1988年4月から1990年3月までは金 - 日曜のメインキャスターを青尾幸とコンビで代役として伝えていた。その場合『NNN昼のニュース』の担当からは外れている
1988年4月
1991年10月
1990年3月
1996年5月
NNNニュースプラス1・サタデー メインキャスター
1988年4月
1991年10月
1990年3月
1996年3月
NNN日曜夕刊
1996年4月 1996年5月 NNNニュースプラス1・サンデー

その他

参考文献

  • 日本テレビ放送網アナウンス部『実況! 熱きことばの伴走者たち』創拓社、1994年4月。ISBN 978-4-87-138177-2 

脚注

注釈

  1. ^ 同級生に元JNNニュースコープキャスター・現BS-TBS顧問の平本和生がいた。
  2. ^ 浜田剛史マイク・タイソンの世界タイトルマッチなど。

出典

  1. ^ a b 中村こずえ (2014年1月3日). “箱根駅伝 & 新幹線”. 中村こずえのひとりごと. はまぞう. 2016年2月14日閲覧。
  2. ^ a b 実況 1994, p. 220.
  3. ^ 実況 1994, p. 117.
  4. ^ 実況 1994, p. 221.
  5. ^ 実況 1994, p. 222.
  6. ^ 「DJ訪問 江川範子」『週刊朝日』、朝日新聞出版、1978年5月12日、50頁。 
  7. ^ 放送ライブラリー 番組ID:006231